ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

群馬県下仁田町、馬山「馬山小学校のクスノキ」(町観光名木10選)です!!

2024-08-31 19:41:54 | 巨樹・大木
  馬山乙地区は、下仁田町役場の北東約3kmのところ

 下仁田舞役場前の国道254号線を南東へ向かいます

 道成りに約3kmで「道の駅しもにた」前の信号を斜め左(北東)へ

 約700mで道路左手に馬山神社の社號標が建っています

 参道脇に車を止めさせて頂きました

 参道左(西側)の馬山小学校側にクスノキが立っています

 東側から

 説明版です
   下仁田町観光名木10選
     通称  馬山小学校のクスノキ
     所在地 下仁田町大字馬山2697番地1
     樹齢  推定120年
     樹高  16m
     幹周  3.05m
 このクスノキは約100年前、地元の大河原茂平さんが伊勢参りから持ち帰り、子供たちの幸せと安全を祈願して栽植したもので、大河原さん宅の裏庭にあるクスノキと兄弟と言われている。
 校庭の片隅で大きな枝を広げ、子供たちの成長と馬山地区の歴史を見守り続けている。
 *下仁田町観光名木10選は、2000年度下仁田町観光協会が、地域で親しまれ、先人が守り育ててきた名木で、樹齢・樹高・幹周が立派な樹木10本(群)を名木に選定し、広く紹介すすとともに後世に守り育てていかれる事を願って選定したものです。
  2000年指定    下仁田町観光協会

 因みに・・・
 このブログの
 2016年6月28日の、下仁田「諏訪神社の大欅」
 2022年9月 8日の、大桑原「八幡神社のスギ」も下仁田町観光名木10選です
             南野牧「荒船神社の夫婦杉」・・・行ったはずですが
 次に紹介します「馬山神社のケヤキ」も下仁田町観光名木10選です

 そして上小坂「中之嶽神社のイチョウ」
     本宿「長楽寺のシダレザクラ」もまだ見ていません
 では、馬山神社のケヤキとカヤを見に行きましょう

 北側から見ました

 では、馬山神社に行きましょう



 2024・8・23・14・50
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群馬県上野村、楢原「白井関所のイチイと白井の大クワ」です!!

2024-08-31 06:31:15 | 巨樹・大木
 楢原地区は、上野村役場の西約7kmのところ

 上野村役場北側の道路を西へ出て、約100mで左(南)へ、道成りに進みます

 約400mで右(西)へ国道299・462号重複線です

 道成りに約5kmで「小海・ぶどう峠⇐」「御巣鷹の尾根」の標識に従って斜め左(南西)へはいります

 約1.3km「白井関所ののイチイ⇒」の案内板が有りますので鋭角に坂道を上って行きます

 約800mで「休憩所」前の駐車スペースに入りました

 地区の案内図です、右側に目的の「白井関所跡のイチイ」・「白井の大桑」も載っています

 裏面の説明書きです
   白井集落の歴史
 1、十石(峠)街道の白井の市
 十石(峠)街道は中山道新町宿から神流川に沿って、上流の山中領を通り上信国境の十石峠を越えて甲州街道に合流する。
 「十石峠」の由来は、信州から佐久米が1日10石(約1500kg)馬で白井へ運び込まれたことによる。
 白井集落には米穀屋を始め、宿屋、質屋、酒造業、飲食店などがあり、毎月、定期市が開かれ繁栄した。
 市には、上州、武州、信州から商人が集り、米を中心に各地の物産交易が明治中頃まで続いた。白井集落の真ん中に寛文13年(1673)の銘のある市神様(村指定重要文化財)の祠が祭られている。
 2、白井関所
 寛永8年(1631)江戸幕府が中山道の脇往還として信州への往来取締りのため設置、番人2人ずつを板葺き屋根の番屋(5間×5間半)に配置しました。
 関所は集落東の「白井関所跡のイチイ」付近にあった。主な通行人は参詣人、廻国巡礼、湯治客、職人、商人などであり。明治2年(1869)廃止された。
 3、秩父事件の宿営地
 明治17年(1884)11月1日、明治政府のデフレ政策などで困窮した秩父地方を中心に西南上州などからも加わった農民らが椋神社(現・秩父市)へ終結、国民党軍を組織し政府、警察、軍隊と戦った。(秩父事件)
 国民党軍の本体が解体後、菊池寛平(現・長野県北相木村出身)の率いる一隊百数十人は、11月6日、上山郷(現・上野村)へ入り、山中領中山郷の同行者含め数百人が白井集落に宿営し、村民などが焚出し等にあたった。
 翼7日、一行の多くは十石峠へ向かい、途中山越で帰村する者もいたが信州での戦闘の末、9日、野辺山の原で潰滅した。
 当時、上山郷には公認自由党員や賛同する村民もいて困民党軍の行動に理解を示す者もいたらしい。
 事件は長い間「秩父暴動」として悪事、犯罪とされてきたが、近年、自由民権運動の一環で正当な行動として評価・顕彰されている。
    平成21年3月    上野村教育委員会

 東へ進みます

 道路左手に「市神様」です

 説明版です
   上野村指定有形民俗文化財
     白井の市神様
       所在地   上野村大字楢原字白井1167番地
       管理者   白井集落
       指定年月日 昭和55年7月7日
 十石峠の名の由来は、信州から1日10石(約1500kg)の佐久米が「十石馬子唄」を歌いながら馬で信州から運ばれてきたことによるといわれています。
 この地に毎月、3・7・11・16・20・24・28の7日間、市が開かれ上州・武州・信州から商人が集り、信州から味噌・醤油・衣類・日用品など、上州からは木炭・木鉢・下駄・和紙・薬草・栗の実・繭など、各地の物産の交易が行われました。
 米問屋7軒を始め、宿屋・酒屋・質屋・飲食店など多くの商店があり、活気のある集落で明治中頃まで繁栄していました。
 旧街道端に寛文13年(1672)の銘がある市神様を祀った石宮が現存しています。
 集落東端の「白井関所跡のイチイ」附近には、白井関所が寛永8年(1631)に設置され、江戸幕府が中山道の脇往還として取り締まっていましたが、明治2年(1869)に廃止されました。
    平成22年3月    上野村教育委員会

 更に東へ進みます

 目的の「白井関所のイチイの樹冠」が見えました

 案内図に”声を掛けて下さい”とありましたが、お留守のようでしたのでここまでにしました

 ズームアップしました(イチイに根元には説明版があるはずですが、見えませんね~)

 南西側から

 更に南東へ、車庫の脇に「白井関所跡」の石碑です

 ここを左上へ進みました

 石仏が並びます

 一番大きなお地蔵様です

 すぐ東側にも石仏が並びます、後ろの建物は「白井集会所」です

 三面八臂像です

 坂道を登って行くと左手に目立つ木が見えて来ます

 ズームアップしてみました、目的の大クワです

 東側へ登って来ました

 では、戻って次へ行きましょう



 2024・8・23・13・55
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群馬県上野村、楢原「神行阿弥陀堂の大サワラ」(県指定)です!!

2024-08-30 18:32:53 | 巨樹・大木
 楢原地区は、上野村役場の西約7kmのところ

 上野村役場北側の道路を西へ出て、約100mで左(南)へ、道成りに進みます

 約400mで右(西)へ国道299・462号重複線です

 道成りに約5kmで「小海・ぶどう峠⇐」「御巣鷹の尾根」の標識に従って斜め左(南西)へはいります

 途中に「白井関所ののイチイ」の案内板が有りますが後に回して少し先へ進みます

 約2kmで「県指定天然記念物 神行阿弥陀堂の大サワラ800m⇒」の案内板に従って斜め右(西)へ

 約200mでまた案内板が有りますので斜め右上へ進みます

 道成りに坂道を上って行くと「⇐神行大サワラ」の看板を左下へ下ります

 間も無く左手に目的の大サワラが見えて来ます

 大きく見えて来ました

 下り切った所に車を止めさせて頂きました

 北側から

 西側から

 「群馬県指定天然記念物 神行阿弥陀堂の大サワラ」の標柱です

 説明版です
   群馬県指定天然記念物 神行阿弥陀堂の大サワラ
 1、名称    神行阿弥陀堂の大サワラ
 2、指定年月日 昭和50年9月5日
 3、所在地   多野郡上野村大字楢原1910番地
 4、説明    神行の大サワラは、地区住民の信仰の厚い阿弥陀堂の境内にあり、昔からこの霊験あらたかなる阿弥陀如来の霊がのりうつっていて、このサワラの木に赤子がさわると強い子に育つという伝説が伝えられている。
 この樹は指定物件のなかでは珍しい自生のサワラである。
   樹高    約32m
   枝張 東西 約16m
      南北 約15m
   目通り   約5.3m
   樹齢    約500年
 平成10年3月26日   群馬県教育委員会・上野村教育委員会

 南側から

 阿弥陀堂です


 石幢です

 説明版です
   神行阿弥陀堂の石幢
     所在地   上野村大字楢原1910番地
     管理者   神行集落
     指定年月日 平成20年5月28日
 幢身の六地蔵配置は四角柱の場合、多くは3面に2体ずつ、他の1面には別の仏像または造立年などの銘文を刻むのが普通といわれます。
 この塔は4面全体で六地蔵を配しているのが珍しいです。
 また、笠の上部は宝珠か相輪をのせ、多くは別石で組み込みますが、笠と宝珠が一体で一つの石で作られているのも特徴です。
 村人が集り念仏供養をした記念に造立されました。
 長禄3年(1459)「奉▢▢念仏供養拾二世」の銘が刻まれています。
   法量  総高 123cm  最大幅 37cm
   材質  安山岩
   造立年 長禄3年(1459)
 平成22年3月   上野村教育委員会

 では、次へ行きましょう



 2024・8・23・13・30
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群馬県神流町、平原八倉「八倉の大杉」(町指定)です!!

2024-08-30 06:30:24 | 巨樹・大木
 平原八倉地区は、神流町役場の西約15kmのところ
 
 神流町役場南側の国道462号線(十石街道)を西へ道成りに進みます

 「道の駅 万葉の里」・「丸岩」・「神流町恐竜センター」などを素通りして

 約12.3kmの尾附地区で、「クリーンセンター奥多野」・「山室・橋倉・八倉方面⇒」の案内板を右(北)へ入ります、標高450m附近です

 急な坂道を上ってクリーンセンター前を過ぎ、橋倉川の砂防堰堤をこえると左側には崩壊地が現われます「山室⇐」を過ぎ

 さらに直進して橋倉集落を過ぎると間も無く八倉集落に入ります

 約4.4km登って来ました、手前のゴミ集積所脇に車を止めさせて頂きました、標高は780m付近に達しています

 右手に「八倉の大杉 30m」の案内板です、グーグルマップでは「八倉下り山の大杉」で表示されています

 南東へ進みます

 太い幹が見えて来ました

 目的の「八倉の大杉」です

 下側の道から見上げました

 北西側から

 南西側から

 南側から南に離れて見上げました

 東側に登り返して墓地の中から見ました

 では、次へ行きましょう



 2024・8・23・12・55
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埼玉県小鹿野町、飯田「飯田八幡神社のスギ」です!!

2024-08-29 18:44:34 | 巨樹・大木
 飯田地区は、小鹿野町役場の西北西約5kmのところ

 小鹿野町役場北側の県道209号線を北西へ道成りに進みます

 約1.1kmの「小鹿野高校南」信号を斜め右(北)へ、県道37号線です

 約400mの「小鹿野高校前」信号を左(北西)へ、国道299号線です

 矢蓺2.8kmで右手に「小鹿野町立三田川小学校」があり、間も無く右手に

 八幡神社参道が南東向きに出ています

 八幡神社社號標です

 参道を進み大きな鳥居です、小学校西側の道路が参道に成っています

 更に参道を進むと社務所前から境内です

 前の参道脇に車を止めさせて頂きました

 石段左手に手水舎です

 社殿です

 西側には神楽殿(舞殿)です

 東側に目的のスギの木が見えますが、幹にはキツツキの開けた穴が見えます

 境内社です、左側から「住吉神社・琴平神社・正一位稲荷神社・諏訪神社・高根神社・稲荷神社の合殿」です。

 雷が落ちたようで丸焦げで幹には大きな穴が開いています、東側の樹皮は無事の様で高いところの枝には緑の葉が見られました、目通り幹囲6mの巨木ですが、今年は台風が本州を連続的に襲っていますので心配ですね~

 焦げた幹ですが、御神木として注連縄が巻かれています

 炭に成ってしまっていて、向こう側が見えました

 南東側から

 境内社が並びますがお名前が有りませんでした

 では、次へ行きましょう



 2024・8・23・11・55
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埼玉県小鹿野町、伊豆沢「文殊堂・諏訪神社のトチノキ」です!!

2024-08-29 07:04:32 | 巨樹・大木
 伊豆沢地区は、小鹿野町役場の南西約3kmのところ

 小鹿野町役場北側の県道209号線を北西へ直ぐに左(西)へ「南裏通り」を進みます

 約900mの横断歩道の手前に「秩父十三佛霊場 文殊菩薩 伊豆沢入口」の案内板がありますので左(南西)へ入ります

 約100mで道路は左右に分かれますが、何方を進んでも同じ所へ行きますが、左に行く方が道路幅が広いので安全です

 道成りに、赤平川を渡って坂道を登って道成りに約3km進むと、雲龍寺前を過ぎて 

 約2kmで、沢を渡った所に赤い鳥居が見えました

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 秩父十三佛霊場 文殊堂の看板で丘の上に建物が見えます
 
 秩父十三佛霊場 伊豆澤文殊堂の石碑です

 文化財説明版です

 諏訪神社の鳥居です

 苔むした石段を上がります

 境内へ上って来ました

 文殊堂です

 二千年記念碑です
   二千記念碑
 おもんみるに、当文殊堂は幕末の頃、地元の武州は下より、遠く江戸・伊勢・越後の国の人々から600巻におよぶ大般若経の寄進いただき、諸縁吉利の法縁を結んで賑わっていた。
 歳月の流れとともに堂内の諸仏諸典も痛みひどくなり近年氏子一同は保存修理に全力で取組み継続してきた。
 一方、雲龍寺住職は永く月日をかけて経典の修善に務めた。よって当町の教育委員会は我が町の文化財(典籍)として認可をくださった。
 願わくは、家内安全・万難消除・諸縁吉祥を証せんことを。
      雲龍寺住職  井上寶成  謹記
 小鹿野町指定有形文化財
  文殊菩薩像    1軀  昭和54年 2月21日指定  
  木造大日如来座像 1軀  昭和63年 3月22日指定
  木造千手観音座像 1軀  昭和63年 3月22日指定
  木造普賢菩薩座像 1軀  昭和63年 3月22日指定
  大般若経600巻     平成11年11月24日指定
 氏子一同は堂内保存修理と西暦2000年を記念して平成12年11月吉日この碑を建之す。

 社殿です、中に本殿が納められた覆い屋となっています

 昭和63年2月22日指定の「小鹿野町指定有形文化財 (建造物)諏訪神社本殿 1棟」の標柱です

 説明版です(下の文化財説明版の脇に有ります)
   諏訪神社御由緒   小鹿野町伊豆沢1959
 ♢天気占いの的神事が行われる
 伊豆沢の地名は「新編武蔵風土記稿」によると、小鹿野村の別郷の名である「いずる沢」から名付けられたものと伝えられる。
 当社の境内は上郷沢浦のやや小高い山の上にあり、社伝によると寛永年間(1624~1644)に村人が信濃国(長野県)に鎮座する諏訪明神の御分霊を当地に奉斎したのが創建であると云う。
 古くは正月27日、7月27日が祭日とされ、「宮本」と呼ばれる萩原家2軒と黒沢家が天気占いの的神事を執り行っていた。この3軒は、もとは甲州武田氏の落人であったと伝えられ、萩原家では戦前まで鎧・兜のほか多数の太刀を所属していた。また、黒沢家には信玄公拝領の弓矢があったという。
 本殿は一間社流造り見世棚の小祠で、蟇股や木鼻などから江戸中期以降の建造と思われる。また合殿内の本殿脇には、稲荷社・春日社・鵜戸社が並祀されている。なお、社殿前には「奉納諏訪大明神・江戸西村和泉守作・天保11子年正月吉日」の銘文のある釣鐘が掛けられている。
 境内にある文殊堂には文殊菩薩が祀られており、古くは当社の祭日と同様に正月27日がその縁日であった。
 ◇御祭神・建御名方神
 ◇御祭日・元旦祭
     ・春祭り
     ・秋祭り

 また、二千年記念碑です
  小鹿野町指定無形文化財  的矢の神事    昭和37年9月20日指定
  小鹿野町指定有形文化財  諏訪神社本殿1棟 昭和63年3月22日指定
  埼玉県選択無形民俗文化財 伊豆沢の天気占い 平成 9年3月18日選択

 更に南側の尾根の上に目的のトチノキです

 北西側から見上げました

 山肌を太い根が覆っているのが分かります、目通り幹囲5.7mの巨木です

 北東側から

 作業道を下って、細いトチノキの間に太い幹を見ました

 下の道路に降りて、木々の間にトチノキを見ました

 では、次へ行きましょう


 2024・8・23・11・20

   
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埼玉県小鹿野町、伊豆沢「伊豆沢雲龍寺のイロハモミジ」です!!

2024-08-28 19:48:42 | 巨樹・大木
 伊豆沢地区は、小鹿野町役場の南西約3kmのところ

 小鹿野町役場北側の県道209号線を北西へ直ぐに左(西)へ「南裏通り」を進みます

 約900mの横断歩道の手前に「秩父十三佛霊場 文殊菩薩 伊豆沢入口」の案内板がありますので左(南西)へ入ります

 約100mで道路は左右に分かれますが、何方を進んでも同じ所へ行きますが、左に行く方が道路幅が広いので安全です

 道成りに、赤平川を渡って坂道を登って道成りに約3km進んで来ました

 分かれ道のところで、モミジの大きな樹冠が見えました、直ぐ右側道路を進んだ右上には「臨済宗寺院の雲龍寺」があります

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 砂防指定地の案内図です

 北側下から見上げました

 東側から

 南東側から、戻って上側け行ってみましょう

 道路南西側から見ました

 伊豆沢 雲龍寺「楓の巨樹 根元周り4.55m いろはもみじ 紅葉に色付くのは11月後半です」の案内板です

 西側から

 南側から

 雲龍寺に行ってみました

 道路沿いに祠が並びます

 雲龍寺入口です

 寺号標です

 南側にも石仏等が並びます

 石段を上がって「いろはもみじ」の樹冠を見ました


 左右に分かれて六地蔵様です

 本堂です

 南側の庫裡の前に鐘楼です

 境内は「伊豆澤小学校」小鹿野小学校の分校として明治41年まで使用されていたようです

 石碑があります
   雲龍寺の伝統と歴史の碑
 當寺は泉佐山雲龍寺と称し、臨済宗(禅宗)に所属しています。
 〔御本尊〕聖観世音菩薩で、佛祖釈迦牟尼佛とともに奉安しております。
 〔開創〕は1465年(寛政5年)室町幕府8代将軍足利義政の時代、浅間山が大噴火した年に開創されました。
 当時は飢饉や農民の土一揆が全国で頻発し、幕府は徳政令を出しましたが政治の乱れはますます酷くなり「応仁の乱」など起きた時代であります。
 こうした室町幕府の動乱期、秩父市田村郷の大寶山圓福寺第3世竹卯昌岩大和尚を勧請して開山、臨済宗南禅寺派に列し、以来住職は代々後継し現在第25世にいたるまで法灯連綿として相続されております。
 建物・什器や旧記類は、何度か衰退し消滅した時代があったため詳細な寺歴は不明であります。
 寺裏手には歴代の墓所があり、数基の上人の墓石と一緒に「七佛薬師」の碑や供養塔もあることから、密教寺院に属していたものと思われます。
 また、2km奥には村持の文殊堂がありますので、毎年2月11日が縁日で受験生に参詣等もあり賑わっています。
      令和6年 中秋  第25世   寶成代
      寄進者 千葉市稲毛区山王町   田中義雄
             雲龍寺 総代   黒澤純男

 では、文殊堂へ行ってみましょう


 2024・8・23・11・05
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埼玉県東秩父村、奥沢「槻川左岸のケヤキ」です!!

2024-08-28 06:48:41 | 巨樹・大木
 毎日暑い日が続いていますが、久しぶりに巨木・大木の取材に出かけましたよ

 奥沢地区は、東秩父村役場の直ぐ東側の地区です

 自宅から国道254号線で、東松山市から小川町を通って、県道11号線を進んできました


 左側の建物が東秩父村役場です

 槻川の大門橋を渡って役場の駐車場に車を止めさせて頂きました

 槻川の橋の上から、左岸側に並ぶ4本のケヤキの木を見ました

 槻川の川底には大きな岩盤を見る事が出来ます

 県道11号線を渡って南東側から見ました

 北へ移動します、目的のケヤキの巨木は一番北側の一本です
 
 ゴツゴツした古木感が有ります

 東側から、目通り幹囲5.6mの巨木です

 北東側から見ました

 県道を渡りなおして、北側から見上げました

 南側から

 南南東側から見ました

 では、次へ行きましょう

 
 2024・8・23・9・50
 
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徳島県吉野川市、山川町宮島「山崎八幡神社のイチョウ」です!!

2024-08-27 19:05:12 | 巨樹・大木
 今回で、6月に10日間で行って来た、兵庫県淡路島・徳島県・高知県東部の取材報告は終了に成ります、197回のブログお付き合い頂きありがとうございます

 次回からは一日の回数を減らしてブログ投稿を進めて行きたいと思っています

 山川町宮島地区は、吉野川市役所の西約10km、吉野川市役所山川支所の東約4kmのところ

 吉野川市役所山川支所の西側へ出て県道248号線を北へJR徳島線の踏切を越えて進みます

 約500mの「山川町湯立」信号を右(東)へ、国道193号線です

 約3.1kmの「忌部神社⇒」の案内板の建つ信号を右(南南西)へ入ります

 約300mで変形十字路を直進方向(南)へ、約100mでJR徳島線の踏切を渡り直します

 踏切を渡って直ぐに右(西)へ、JR徳島線に沿って線路南側を進みます

 約600mで道路右手に山崎八幡宮の玉垣が見えて来ました

 境内入口鳥居です

 山崎八幡宮西側の日の出第二自治会集会所の前に車を止めさせて頂きました

 山崎八幡宮の社號標です

 立派な手水舎です

 拝殿です


 本殿です

 本殿西側の境内社です

 社殿東側の境内社です

 多くの祠が並んでいます

 境内北西端に目的のイチョウです

 南西側から

 乳柱(気根)を見ることが出来ます


 JR徳島線を車両が通過して行きます、(ピントが手前でした

 南側から、目通り幹囲6.4mの巨木です

 東側から

 北側から

 西側から見ました


 では、これで取材を終わって埼玉へ帰りましょう




 2024・6・15・11・15
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徳島県吉野川市、山川町春日「山川町春日神社のクスノキ」です!!

2024-08-27 06:38:21 | 巨樹・大木
 山川町春日地区は、吉野川市役所の西約11km、吉野川市役所山川支所の北北東約1.5kmのところ

 吉野川市役所山川支所を西へ出て、県道248号線を北北東へ、JR徳島線や国道193号線を越えて進みます

 約1.5kmの信号で右からの県道3号線に合流する様に左(北)へ

 約100mで西側奥に大きな樹冠が見えますので、左(西)へ入ります

 道路脇の草むらではヤギが草苅作業(食事)しています

 鳥居です

 参道です

 参道脇に車を止めることが出来ました

 北東側から、目的のクスノキです

 北側から、細い注連縄が巻かれた御神木です

 北西側から、目通り幹囲7.1mの巨木です

 手水舎です

 拝殿です


 本殿です

 拝殿北側からクスノキを見ました

 西側から、大きな根張りが分かります

 南側から見上げました


 境内社です

 では、次へ行きましょう
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徳島県吉野川市、山川町川田「野郷神社のクスノキ」です!!

2024-08-26 19:29:11 | 巨樹・大木
 山川町川田地区は、吉野川市役所の西約12km、吉野川市役所山川支所の北西約1.5kmのところです

 吉野川市役所山川支所を西へ出て、県道248号線を北北東へ、JR徳島線を越えて進みます

 約500mの「山川町湯立」信号を左(西)へ、国道193号線です

 約1kmの「芳川顕正の生家150m⇒」の案内板のある「山川町北島」信号を右(北東)へ入ります

 約100mで斜め左(北北東)への道を進むと、右手に芳川顕正の生家跡があって

 *芳川 顕正(よしかわ あきまさ、(1842~1920)は、日本の官僚・政治家で栄典は従二位勲一等伯爵です。
 官僚時代は、藩閥の後ろ盾がなく苦労するが、銀行制度の確立に貢献し、山縣有朋に認められて政界へ進出しました。
 東京府知事(第8代)、貴族院議員。司法大臣(第5代)、文部大臣(第3代)、内務大臣(第12・16・23代)、逓信大臣(第9・12代)、枢密院副議長(第4代)を務めました。
 東京府知事では市区改正や築港に尽力し、第1次山県内閣の文部大臣では教育勅語の制定に関与しました。
   (ウィキペディア一部抜粋です)

 約200mで右手に大きな樹冠が見えました

 目的のクスノキです

 野郷神社境内に車を止めることが出来ました

 南側から

 西側から、目通り幹囲6.9mの巨木です

 北側から

 離れてみました

 東側から、野郷神社は東向きに鎮座します

 では、次へいきましょう



 
 2024・6・15・10・35
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徳島県吉野川市、山川町槻原「西川田の大グス」(市指定)です!!

2024-08-26 06:32:36 | 巨樹・大木
 山川町槻原地区は、吉野川市役所の西約13km、吉野川市役所山川支所の西北西約3km

  吉野川市役所山川支所を西へ出て、県道248号線を北北東へ、JR徳島線を越えて進みます

 約500mの「山川町湯立」信号を左(西)へ、国道193号線です

 約1・9kmのガソリンスタンド跡のすぐ先を斜め右(北北西)へ入ります

 間も無く吉野川の土手ですので土手上に上がりると県道247号線です

 約300mで吉野川右岸土手上の東側からクスノキが見えました

 土手上の県道脇に車を止めさせて頂きました

 土手道から降りて来ました

 西川田の大グスです

 南東側から

 東向きに「楠木神社」が鎮座して、鳥居前から見上げました

 南側から

 説明版です
   吉野川市指定文化財
     天然記念物 西川田の大グス
       指定年月日:平成9年9月17日
       所在地  :吉野川市山川町槻原27-2
 木の根元にある小さな庚申塔には、寛文4(1664)年12月3日の日付があります。
 附近のたたずまいからしても、この木は約350年ごろ前にはこの地にあったものと考えられています。
 「川田名跡志」によれば、楠木神社というのは楠木神ともいい、祭神は素戔嗚命であり、この楠木神にお祈りする人は白羽の矢を供えて祈ったと記されています。
       吉野川市教育委員会
 *前の写真の鳥居右に写っている石碑が説明版に記されている「庚申塔」のようです
 *説明版表記の所在地の山川町槻原は、グーグルマップではJR徳島線の川田駅南側の場所に表示されてしまっています。
  また、地理院地図には、同名の表示は有りませんでした、現地は「山川町川田市」表示の場所です。
  更に、グーグルマップでは「山川町川田」で表示されました。

 南西側から

 西側から、目通り幹囲12.4mの巨木です

 *徳島県内では、板野町「岡の宮の大クス・幹周17.7m:全国第11位?」(このブログの2024年6月29日に)
         阿南市「大宮八幡神社の大クス・幹周14.0m」(同2024年7月27日に)
         東みよし町「加茂の大クス・幹周13.0m」(同2024年8月日に)
         小松島市「櫛淵天満神社のクスノキ・幹周12.6m」(同2024年7月23日に紹介済)
 に次ぐ、県内第5位のクスの巨木です

 離れて見上げました

 では、次へ行きましょう



 2024・6・15・10・25
 
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徳島県阿波市、阿波町東島「東島のクスノキとムクノキ」です!!

2024-08-25 18:37:56 | 巨樹・大木
 阿波町東島地区は、阿波市役所の西南西約10km、阿波市役所阿波支所の西南西約4kmのところ

 阿波市役所阿波支所東側の県道3号線を南へ、約800mの信号を右(西)へ、県道12号線です

 約3.2kmの「林郵便局」手前を左(東南東)へ、約500mで右(西南西)へ、工場の間の道路を進みます

 約300mで右手の「十川ゴルフ練習場」のところから大きな樹冠が見えます

 もう少し西へ進んで

 ズームして撮ります

 更にズームアップして撮ります 

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 ここの水路沿いを入ります

 田圃の間を進みます

 これ以上近付けませんのでズームアップして撮ります


 北側にクスノキです、目通り幹囲5.5mの巨木です


 南側にはムクノキです、こちらは目通り幹囲4.7mの大木です

 クスノキは幹は見えませんね~

 ゴルフ練習場の中にも形の良いクスノキです

 では、次へ行きましょう



 2024・6・15・10・10
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徳島県美馬市。脇町西赤谷「金刀比羅神社のエノキ」です!!

2024-08-25 07:37:45 | 巨樹・大木
 脇町西赤谷地区hあ、美馬市役所の北東約2kmのところ

 美馬市役所を南へ出て、信号を右(北西)へ、国道193号線です

 約300mで右(北)へ、吉野川を穴吹橋で渡ります

 約1kmで信号を右(東)へ、県道12号線です

 約1,4kmで左(北北西)へ、直ぐの「脇町共進」信号の北東側に「金刀比羅神社」が南南東向き参道で鎮座します

 車道からの境内入口に車を止めさせて頂きました

 東側に参道が出ています

 鳥居です

 手水の丸い水盤です

 社殿です、後方に大きな樹冠が見えます

 目的のエノキが見えました

 社殿の左(西)側から

 北西側から目通り幹囲5.6mの巨木です

 北側から見上げました

 では、次へ行きましょ



 2024・6・15・9・55
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徳島県美馬市、脇町拝原「脇町八大龍王神社のクス2本」です!!

2024-08-24 19:29:44 | 巨樹・大木
 脇町拝原地区は、美馬市役所の北約1.5kmの吉野川対岸のところです

 美馬市役所を南側の国道192・193号重複線に出て北西へ進みます

 直ぐに国道193号線を右(北)に、吉野川を穴吹橋で渡ります

 約900mの「⇐三好市・県道12号線」の標識に従って左(西)へ

 約200mで右(北)へ入って

 脇町八大龍王神社の南側のスーパー駐車場に車を止めさせて頂きました

 北へ進みます、川に架かる橋の上から

 境内入口は境内北東側から入ります

 境内南端に南向きで鳥居です

 社殿です

 社殿西側に目的のクスノキが二本並んでいます

 東側のクスノキです

 南側から、目通り幹囲6.5mの巨木です

 南西側から

 北西側から

  西側のクスノキです南東側から

 南側から

 西側から、目通り幹囲5.8mの巨木です

 北西側から

 北側から

 北東側から見上げました

 では、次へ行きましょう



 2024・6・15・9・45
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