ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福岡県太宰府市、太宰府天満宮の夫婦樟です!!

2019-05-31 06:10:27 | 巨樹・大木
本殿裏側、(北側)の境内社の裏に

夫婦樟が有ります

摂社 御子社(三社)の後(南から見て)に夫婦樟が立ちます

北西側に回りました

説明版です





北側から

北東側から

では、次は天然記念物のヒロハアカシデへ行きましょう
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福岡県太宰府市、太宰府天満宮の大楠です!!

2019-05-30 06:21:31 | 巨樹・大木

西側の門(通用口か)を出ると正面に「太宰府天満宮の大楠」が在ります

天然記念物 大宰府神社ノ樟と成っています

説明版です
  大樟(楠)天然記念物
 本樹は樟の代表的な巨樹、樹齢は千年とも千五百年とも
言われている。大正11年国の天然記念物に指定さる。
 高さ39m、根廻20m、目通12m貴重なる樹木とし
て保護を要す。

大正13年3月     文部省


南東側から

南西側から

西側道路から

木の上に赤い実の木が根付いています、マンリョウでしょうか

北東側から

次は、夫婦樟に行って見ましょう
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福岡県太宰府市、大宰府天満宮です!!

2019-05-29 06:16:41 | 文化財・寺社
皆さんご存知の菅原道真公を祀った天神様の大本です

大宰府天満宮へは、西鉄天神大牟田線ふつかいち駅で

大宰府線に乗り換えて二駅です

だざいふ駅です、多くの観光客で混雑しています

西から東へ表参道の商店街を進みます

大宰府天満宮です


直角に北へ曲がります、寝牛の所ですが観光客(話し言葉から中国人か?)で占領されています

南側にはクスノキの大木です

北へ参道を進むと右手に、末社の今王社です


左手の池の対岸にはクスノキの大木が並びます(巨木サイズでしょうが・・・)

末社の志賀社です、祭神は綿津見三柱神だそうです

太鼓橋の上からこちら側参道脇にもクスノキの大木が並びます

手水舎です

拝殿です

拝殿に向って右側が「飛梅」です

三本の梅ノ木が植えられています

拝殿に向って左が側には「皇后の梅」です、こちらは二本の幹が確認できます.

さらに左手には「橘」です

本殿の屋根は、西側通路を出てようやく見る事が出来ました

では、次は大宰府天満宮の大楠です
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福岡県大野城市、白木原「地禄神社の木々標識」です!!

2019-05-28 12:39:16 | 巨樹・大木
西鉄天神大牟田線しろきばる駅の南側

ビルの蔭に地禄神社が鎮座します

境内の木々の標識が変わっていたので見て回りました


東側から境内入口の鳥居です

手水舎です

参道脇の猿田彦大神の石碑です

狛犬です

拝殿です

本殿です

説明版です
 祭神  埴安命(はにやすのみこと)
 縁起 
  神社創建の時期は詳かではない。
  日本創生神話の中に伊邪那岐命と伊邪那美命が
 大八嶋國を創り諸々の神々をお生みになったと記
 されている。
  祭神埴安命は、伊邪那美命が火の神迦具土命を
 お生みになったため、その火に炙かれておなくな
 りになろうとする時に、生まれた神と伝えられる
 。
  古事記には、波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神
 とあり、日本書紀には、土神埴山姫と記され土地
 の神といわれる。埴は和名類聚鈔に「土薫而細密
 日埴、和名波邇」とある。
  この神を祀る、地録神社の地禄とは、大地から
 与えられる幸であり、土地を富ませる意味である
 ことから、農耕社会の生産を司る神として崇めら
 れてきた。



クスノキです

標識が変わっています、樹齢とその頃何が有ったのか書かれています
 樟 推定樹齢420年  樹木医 岡野昌明
   御陽成天皇が聚楽第に行幸になった頃です。


こちらもクスノキです


 樟 推定樹齢420年
   豊臣秀吉が諸国に刀狩りを行った頃です。

もう一本のクスノキです

樟  推定樹齢420年
   豊臣秀吉が小田原城や薩摩島津を攻めた頃です。

モッコクです

モクコク 推定樹齢120年
     大日本帝国憲法が公布されました。

イチョウです

銀杏 推定樹齢110年
   これは実がならぬ銀杏です。東京電灯会社が開業しました。

椎 推定樹齢120年
  この椎はスダ椎といいます。これは実のならぬ椎です。
  尾崎紅葉、正岡子規、島崎藤村が活動したときです。

こちらの樟には標識がついていませんでした

では、駅に急ぎましょう 
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福岡県宇美町、宇美八幡宮奥宮「応神天皇御胞衣浦」です!!

2019-05-27 21:38:23 | 文化財・寺社
宇美町役場の北約600mのところに宇美公園が有ります

宇美八幡宮の裏参道から応神周遊コースで向かいましょう

応神周遊コース案内です
 宇美町では、平成8年2月に自然と調和し
た快適生活環境の創造に向けてをテーマに、
「宇美町緑のオアシスネットワーク構想」を
作成し、平成8年度から平成12年度までの
5ヶ年計画で緑道及び公園整備事業を完成し
ました。その中で、宇美町を訪れる多くの人
々が宇美八幡宮の参拝を目的としていること
や、周辺の歴史的資源を紹介するため、宇美
八幡宮を拠点に、応神周遊コースを設定し、
これらの存在を案内するものです。

宇美の地名
 応神天皇御誕生の宇美について、その地名
は上古神武天皇時代から蚊田と語られていた
が、応神天応御誕生により宇彌と号するよう
になった。また、魏志倭人伝(西暦240年)
には邪馬台国への道程の地名の中に帯方郡-
任那-対馬国-一支国-末虚国-伊都国-奴
国-不彌国(宇美)-投馬国-邪馬台国で初
めて宇美の地名が出てくる。
 邪馬台国の論争でも、新井白石や本居宣長
も「不彌国を応神天皇の生まれた伝説の筑紫
国宇彌」としている。
宇美八幡宮
 神功皇后様が、応神天皇を御誕生の地で御
創建は敏逹天皇の御代とされている。古典に
宇美の地に応神天皇を御安産されたことから
昔、蚊田の里と称していたこの地に宇美の地
名が起こり鎮祭され安産信仰の伝説を数々今
日に伝えている。
応神天皇
 誉田別尊、胎中天皇とも称し仲哀天皇(香
椎で逝去)と神功皇后の御子様で宇美八幡宮
で御誕生された。幼くして聴明思慮深く天賦
の才を備え稀なる聖天子と古典に記されてい
る。御陵は大阪にあり全体の長さが415m
の前方後円墳として全国でも有名である。
神功皇后(息長足姫命)
 仲哀天皇の御皇后様で仲哀天皇御逝去の後
、九州動乱の原因が朝鮮半島にあるとし男の
装いをして海を渡られ新羅を討ち九州動乱の
元を断ち、日本の防衛を図りさらに高句麗と
戦い半島侵略の野望を砕いて百済を救われた
。朝鮮三韓を平定され宇美八幡宮の地で応神
天皇を御誕生され摂政として永く幼帝を助け
られたという伝説がある。

本殿東側から鳥居(裏参道か?)をくぐって進みます

赤い欄干の橋が見えてきます

橋の上から宇美川の東側です

宇美川の西側です

橋を渡って石段を上ると公園入口の鳥居です

ニノ鳥居です

宇美八幡宮奥の院(応神天皇御胞衣浦)の祠です

応神天皇御胞衣浦の木柱です

鳥居前から宇美八幡宮方向を見ました

では、JRうみ駅に戻って次へ行きましょう
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福岡県宇美町、宇美八幡宮の「蚊田の森」(県指定)です!!

2019-05-27 06:20:16 | 巨樹・大木
宇美八幡宮は、宇美町役場の北西約400mのところ

県道69号線に面し西南西向の参道で鎮座します

湯蓋の森と衣掛の森に代表される大樟ですが


宇美八幡宮の大樟2本の外の樟林を「蚊田の森」とよんでいます
由緒書
  蚊田(かた)の森
 当宮境内の樟樹は、枝張り樹勢共に至って旺盛、外観は
一大樟林の壮観を呈し亭亭として聳える様は”生命の息吹”
を強く感じます。社地の古名から「蚊田の森」として昭和
34年に県の天然記念物に指定されています



参道入口から見ました

参道の両側にも樟の大木が並びます

まずは、衣掛の森の西側社務所の東側の樟の巨木です

南側駐車場奥稲荷神社の樟の巨木です

稲荷神社です

南側駐車場から見た湯蓋の森の南側の樟です、こちらも巨木です




本殿の後側の南側から聖母宮です
由緒書
  聖母宮(しょうもぐう)
 安産に因む信仰から、母后に対する特別な崇敬を以て、
宝永3年に造営され県下の代表的秀作とされる「聖母宮御
神像」(県指定文化財)が奉安されており、25年に一度
御開帳の神事が斎行されます。




恵比寿社です




武内宿禰を祀った武内神社です

武田鉄矢の詩が書かれています「子らの笑い声 響くところぞ わが故郷は」

「子安の石」の前の母子像です

「銀も金も玉もなにせむに 勝れる宝 子にしかめやも」山上憶良の詩です

万葉集にも収録されている良い詩ですね

では、奥宮へ行って見ましょう
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福岡県宇美町、宇美八幡宮の「衣掛の森」( 国指定)です!!

2019-05-26 08:44:40 | 巨樹・大木
宇美八幡宮は、宇美町役場の北西約400mのところ

県道68号線に面して西南西向の参道で鎮座します

宇美八幡宮には、湯蓋の森より大きいクスノキが在りますので

拝殿を左側へ周ってみましょう


拝殿と社務所の間に「子安の木」が在ります

説明版です
  宇美宮 御神樹 子安の木(こやすのき)
 神功皇后(聖母神)が、この槐(エンジュ)の木の枝に
取りすがり、應神天皇(八幡神)を安産にて御出産された
と伝えられている御神樹で、現在もその種を絶やさず、平
産の幸ある木として、「子安乃木」と称され、その枝にす
がれば安産するという信仰が今に伝えられています。
   福岡県有形民俗文化財 昭和30年9月指定
(エンジュは、マメ亜科エンジュ属の落葉高木、中国原産
で、古くから植栽され、和名は古名「えにす」の転化した
もの、街路樹や庭木として植えられ、開花は7月で白色の
蝶形花を多数開き、蜂などの蜜源植物となっている、材は
堅く手斧の柄などに使われる。*ウィキペヂアから抜粋)

本殿の左手にある「衣掛の森」(きぬかけのもり)です
由緒書から
 大樟 湯蓋(ゆふた)の森 衣掛(きぬかけ)の森
 御降誕の時、この樟樹にて産湯を仕え奉りしに其の枝葉
茂りて湯槽の上を覆いたりし形に「湯蓋の森」、御降誕の
時この樟樹に御衣を掛けたる故「衣掛の森」と名付けられ
、両大樟とも大正11年に国の天然記念物に指定されてい
ます。

  

南西側から、天然記念物 衣掛の森 大正13年7月指定です

南側から

東側から、こちら側にも大きな洞が出来ています

北側から
西側から、目通り幹回り20,0mの巨木です(クスノキで日本第6位の幹周です)


離れて見ました

衣掛の森の北側に産湯の水です


境内には多くのクスノキの巨木が在ります、境内社と共に見て回りましょう

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福岡県宇美町、宇美八幡宮の「湯蓋の森 」(国指定)です!!

2019-05-25 07:17:27 | 巨樹・大木
今回は電車移動です

博多からJR香椎線の終点うみ駅です

宇美八幡宮は、宇美町役場の北西側約400mのところ

県道68号線沿いに西南西向き参道で宇美八幡宮が鎮座します、参道入口です

別表神社 宇美八幡宮です

応神天皇御降誕地の石碑です

由緒書です
  御由緒
 当宮は記紀にもある通り大15代應神天皇(八幡大神)
御降誕の聖地として、神功皇后との母子大神を中心とした
特別な由緒を有し「敏逹天皇3年」創建と伝えられており
安産育児の子安大神とも称され、古来より皇室を始めとし
て多くの人々に崇敬されています。
  祭神
應神天皇、神功皇后、玉依姫命、住吉三社大神、伊弉諾尊
  聖母宮(しょうもぐう)
 安産に因む信仰から、母后に対する特別な崇敬を以て、
宝永3年に造営され県下の代表的秀作とされる「聖母宮御
神像」(県指定文化財)が奉安されており、25年に一度
御開帳の神事が斎行されます。
  湯方神社(ゆのかたじんじゃ)
 應神天皇御降誕の時に、御産の職を仕え奉りし女官を祀
る「日本助産婦の祖神」の社として古くより皇室を始め、
妊婦及び助産師の信仰が特に篤い、国内唯一の神社です、
安産祈願を受けた妊婦が、安産の鎮めとして「子安の石」
を預かり帰り目出度くご出産の後に別の石に生まれた子の
名などを書いて宮参りの際にお預かりした石と共に奉納し
御礼参りを行う慣わしとなっています。
  子安の木(こやすのき)
 神功皇后三韓より御帰還の後、此処に産殿を営ませ槐の
枝を折りて取りすがり安々と御産、その枝を地に刺し次第
に生茂れり、当時の木は世を経る毎に代れども、その種子
は絶えず芽生えて今日に至っています。
  産湯の水(うぶゆのみず)
 御降誕の際、産湯として用いられた御神水で今日に至る
まで妊婦拝受して安産を祈り又産湯に和して産児の成長を
祈る信仰が伝えられています。
  御胞衣ヶ浦(えながうら)
 皇子の御胞衣を納めし聖地として神苑に奥宮としてお祀
りされています。
  大樟 湯蓋(ゆふた)の森 衣掛(きぬかけ)の森
 御降誕の時、この樟樹にて産湯を仕え奉りしに其の枝葉
茂りて湯槽の上を覆いたりし形に「湯蓋の森」、御降誕の
時この樟樹に御衣を掛けたる故「衣掛の森」と名付けられ
、両大樟とも大正11年に国の天然記念物に指定されてい
ます。
  蚊田(かた)の森
 当宮境内の樟樹は、枝張り樹勢共に至って旺盛、外観は
一大樟林の壮観を呈し亭亭として聳える様は”生命の息吹”
を強く感じます。社地の古名から「蚊田の森」として昭和
34年に県の天然記念物に指定されています。
 右記由緒により当宮御神域全てが「安産信仰に関する伝
説地」として昭和30年に福岡県指定文化財(民俗資料)
とされています。


参道入口の狛犬です

参道を進みます


手水舎です

二対の狛犬です

拝殿です


大きな本殿の屋根です

拝殿脇の奉献馬像です

拝殿の右手に目的の湯蓋の森が在ります

西側から、天然記念物 湯蓋ノ森(樟)

本樹は樟の代表的な巨樹の一にして樹齢の古きものなれば
之を保護するを要すとあります

南西側から

南側から、小さな鳥居と右手の洞には蓋がされていて避雷針の電線のようなものが見えています

東側から


外側境内の東側から見ました、境内を囲む玉垣の赤が綺麗です

では、本殿北側の衣掛の森へ行きましょう
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福岡県糸島市、川付「宇美八幡宮のカシ」です!!

2019-05-24 08:43:20 | 巨樹・大木
川付地区は、糸島市役所の南約6kmのところ

県道12号前原冨士線を南へ

長糸小学校のところで長野川左岸の道路に入ります

間も無く参道を東向きに宇美八幡宮が鎮座します

境内に車を止める事が出来ました

参道の始まりは、東側を流れる長野川河岸の石段です、船で海から来ることが出来たのでしょうか

注連縄の張られた石門が出発点です

参道脇に大きな石が有ります

説明版です(汚れて見えずらくなっていますが~)
   長野宮ノ前支石墓
 この支石墓は現在地から300m東に位置する
長野宮ノ前遺跡から発見され、当地に移築復元し
たものです。
 移籍は弥生時代の初めころ(今から230年前)
の総数40基にのぼる共同墓地で、1987年の
県営ほ場整備工事の際に発見されました。
 この花崗岩の大石は重さが約3トンあり、石下
から大きな壺の棺が出土しました。
 支石墓とは墓穴に遺体を埋葬した後、地表に大
石を据えて墓石としたものです。通常は大石と地
表の間に人頭大の支え石を挟んでおり、これが墳
墓の名称の由来となりました。
 支石墓は朝鮮半島から伝えられた墓制で、糸島
市の志登支石墓群(国史跡)、    石崎矢風
遺跡、    新町遺跡、唐津市の葉山尻支石墓
群(国史跡)など糸島から唐津にかけての玄界灘
沿岸地域から多く発見されています。古代のわが
国と朝鮮半島の人々との活発な交流を物語る資料
として貴重です。
   平成7年3月31日 糸島市教育委員会

一の鳥居でしょうか

境内入口の二の鳥居と大石に縣社 宇美八幡宮の文字です

鳥居をくぐると左手に神楽殿のようです

説明版です
  宇美八幡宮縁起
祭神 
   上宮  仲哀天皇
   本宮  気比大神・応神天皇・神功皇后・清瀧権現・玉依姫・瓊々杵尊
  由緒
上宮
  長嶽山南方に鎮座丸型山稜(周囲45間)頂上に石祠がある。
 祭神は、仲哀天皇、当社の縁起によれば、神功皇后の摂政元年、
 武内宿禰に命じ、香権に在る先帝のお棺を当山に収めて、築陵し
 たとある。皇后の三韓遠御渡航の折の御殯斂(もがりのみや)の
 地か。
本宮
  古命を長野八幡宮と言う。神功皇后、三韓御渡航のおり、船上
 に神あり。吾は新羅の神、清龍権現なりと皇后の国土を守護せん
 。因って、神功皇后が無事御帰朝の際、当山にて奉賽の祭を執り
 行ったという。その後、第16代に仁徳天皇の治天10年(98
 3年)平郡木兎の宿禰(へぐりずくのすくね)の子博公(はくこ
 う)を神官として、この霊蹟に神社を建立し気比大神天日鉾尊を
 祀らせたのが本宮の起源である。
  下がって、第48代称徳天皇の神護景雲元年(1427年)社
 務公実(こうじつ)が、八幡宮、聖母宮、宝満宮の三社を勧請さ
 れ、以後八幡宮の威徳霊験があらたかになって、社名を宇美八幡
 宮と称するようになった。
祭日
  新年祭       1月1日
  寿齢祭      みどりの日
  春季大祭 上宮祭 5月2週日
  夏季大祭     7月2週日
  末社祭      9月2週日
  秋季大祭    10月2週土日、二日間
〇 奈良平安の頃は大社であり、2月初卯日には、七日間の大祭が
 行われ神輿三輦、供奉行列とともに深江子負ヶ原海岸至り、筑前
 ・筑後国の大競技会が行なわれていたという。
〇 江戸の頃、怡土郡、中津領12ヵ村の総社として、風雨疫病の
 祈願祭などがあり、中津藩の藩吏が出役して祭時にあたっていた
 という。社殿の改修には、中津藩費を充てていた。
  現社殿は、奥平大膳太夫昌邦の建立によるものである。
〇 明治維新の頃、長野庄の氏神社で明治5年郷社となり、大正4
 年県社に昇格した。
           奉納 宇美八幡宮奉賛会

参道の左手に境内社です

中を覗くと「両神神社」「亥地岳山社」「風神神社」三枚の額が掲げられていました

左の境内社です

こちらの石碑には郷社 宇美八幡宮とあります


斜面の上の方を見ると、目的のスダジイの巨木①と

②が見えます

参道右手の手水舎です

参道石段を上がりましょう

石段の中段から②のイチイガシを見ました

真横から、幹回りは4m程でしょうか

石段上から見下ろすように見ました


手水舎です

狛犬です


もう一対の狛犬です

拝殿です

拝殿の懸額です

本殿です

本殿軒下の懸額です、気比宮・寶満宮・八幡宮・聖母宮・天降宮の名前が並びます

説明版です
 糸島市指定史跡
   長嶽山古墳群
 宇美八幡宮の両脇に広がる丘陵は長嶽山と呼ばれ、その稜線上に、
大小14基(前方後円墳1基・円墳13基)の古墳が築かれています
。これらは、起源5世紀から7世紀ごろ(古墳時代後期から終末期)
にかけての古墳群です。
 この場所から見渡すことのできる、現在の川付・飯原・長野などの
地域を、当時支配していた一族のお墓だと考えられています。
 このうち、1号墳は、後円部に比べて前方部が短い前方後円墳(帆
立貝式古墳)で、墳頂には宇美八幡宮の上宮の祠があり、神社の縁起
では仲哀天皇の棺を収めたとされていて、古くから重要な(中心的)
古墳と考えられていたことが想像できます。また、この場所には「奥
の院」と呼ばれ、1号墳は「奥の院古墳」とも呼ばれています。
 この古墳群に眠る一族が治めていたこの地域には、発掘調査によっ
て、川付宮の前遺跡、飯原門口遺跡、長野宮の前遺跡などの、弥生時
代前期(紀元前5世紀ごろ)から古墳時代後期(紀元7世紀ごろ)に
かけての集落遺跡や墓の存在が明らかになっています。
 糸島市では、長嶽山古墳群を平成21年に市の史跡に指定し、大切
な文化財として、保存・活用することにしました。
  平成28年3月  糸島市教育委員会
 

西から宇美八幡宮のカシ①です

南西側から

保存樹版です
 宇美八幡宮のカシ 保存樹5
   樹種名 :     イチイガシ
   所在地 :前原市大字川付785
   樹高  :    26,03m
   幹回り :     6,56m
   推定樹齢:   1000年以上
●幹は傾いているが、迫力ある裂目とともに
より存在感を感じさせる。
●幹に小さな巻貝が生息している。
 指定年月日:平成14年4月15日 前原市

長くなりました、では、次へ行きましょ
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福岡県糸島市、雷山「雷山神社のイチョウとイスノキ・イロハカエデ」です!!

2019-05-23 07:12:39 | 巨樹・大木
雷山地区は、糸島市役所の南南東約8kmの所

佐賀県境の雷山(標高955,3m)の麓です

県道564号雷山前原線を南へ

公民館を過ぎると道路は山を登るようになります

千如寺(雷山観音)を過ぎて約1km

雷(いかずち)神社が鎮座します

観音杉からの続きです


拝殿への石段の左側に目的のイチョウが在ります


東側から見上げました

拝殿前石段の中段から見ました、着生しているツバキが分かります

石灯篭です、自然石をそのまま使っています

狛犬です

拝殿前から見ました

説明版(駐車場脇に有ります)です
  雷山神社のイチョウ
    県指定天然記念物(昭和35年4月12日指定)
 雷神社の社殿石段の右側に立っており、その樹齢は900年
を超えるといわれています。毎年秋には鮮やかに紅葉し、数え
きれないほどの銀杏が実ります。根元の南半分が明治時代の石
垣建造の際埋め立てられており、根回りを測定することが困難
となってしまいました。幹の北側2mにはツバキ、南側6mの
ところにはネズミモチが着生しています。
樹木データ 樹種   イチョウ
      高さ   約37m
      幹回り  約 7m
      根回り    不明
      樹齢  約900年
            糸島市教育委員会

紅葉でなく黄葉ですよね


境内側(西側)から見ました



本殿です

本殿北側の境内社です

本殿の裏側の大木です

イスノキです

案内板が有ります、前原市保存樹11(2009年に合併前は前原市でした)



南側の境内社です

石段を下の境内に戻ります


イチョウの南東側にカエデの大木です

東側から見上げました

保存樹標識です
  雷神社のカエデ(保存樹12)
樹種名  イロハカエデ
所在地 : 前原市大字雷山148
樹高  :     17,50m
幹回り :      3,14m
推定樹齢:     400年以上
・秋には常緑樹(スギ・オガタマノキ・モミ等)
をもつ境内林を背景に本種とイチョウによる紅葉
・黄葉の競演が楽しめる。
 指定年月日:平成14年4月15日 前原市


境内はシャガが見頃でした

では、次へ行きましょう
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福岡県糸島市、雷山「雷山の観音杉」(県指定)です!!

2019-05-22 06:52:46 | 巨樹・大木
雷山地区は、糸島市役所の南南東約8kmの所

佐賀県境の雷山(標高955,3m)の麓です

県道564号雷山前原線を南へ

公民館を過ぎると道路は山を登るようになります

千如寺(雷山観音)を過ぎて約1km

雷(いかずち)神社が鎮座します

広い駐車場が有りますので利用させて頂きました

背振雷山県立自然公園です中央が雷山ですね

駐車場入口です、正面に見える二本の大杉が目的の観音杉です

駐車場から北側の杉(2号木)です

東側から

北側から

西側から


南側の杉(1号木)を北東側から

東側から

南東側から

西側から

説明版です
  雷山の観音杉
    県指定天然記念物(昭和35年4月12日指定)
 雷神社の社前には見上げるほどの大木が多くありますが、
その中でもひときわ目をひく2本の巨大なスギ、樹齢はとも
に1000年を越えるといわれ、その幹回りは7mにおよび
ます。
 雷山神社のイチョウとともに昭和35年4月12日に福岡
県指定天然記念物となりました。
樹木データ
 1号木 樹種     スギ
     高さ   約32m
     幹回り  約 6m
     根回り  約11m
     樹齢 約1000年
 2号木 樹種     スギ
     高さ   約32m
     幹回り  約 7m
     根周り  約17m
     樹齢 約1000年
               糸島市教育委員会

*雷山神社は雷神社の間違いではないでしょうか


雷神社参道入口です、参道は千如寺の脇から雷川沿いに続いています

鳥居です

手水舎です

石段の上に拝殿が見えます

では、次は雷山神社のイチョウです
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福岡県糸島市、桜井「桜井神社のクスノキ」と「大神宮」です!!

2019-05-21 07:56:01 | 巨樹・大木
桜井地区は糸島市役所の北約8kmのところ

六所神社のある馬場信号を更に北へ

県道507号線の峠を越えると

県道567号線を北へ桜井川沿いを下ります

桜井神社の案内板があちこちに有ります

では、クスノキと大神宮を見に行きましょう

神楽殿でしょうか

大神宮への鳥居です、伊勢神宮外宮の鳥居だったものです

大神宮への石段ですが、鳥居脇から左側の山道を行きます

南側から見上げます

道路脇に根を露出しています

北側から、目通り幹囲6,0mの巨木です

北側から見上げました

東側石段の上側から見ました

大神宮へ行きましょう

大神宮側からクスノキが見えました

大神宮入口の鳥居です

平成5年の伊勢神宮第61回式年遷宮佐美長神社一の御鳥居だったものだそうです

大神宮一番目の建物です

二番目の建物には藁を編んだ菰が敷かれています

三番目の建物が本殿に当たる建物です

建物の向かい側正面の斜面にある杉の木に注連縄が巻かれています

では、次へ行きましょう
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福岡県糸島市、桜井「桜井神社・与止姫大明神」です!!

2019-05-20 06:44:56 | 文化財・寺社
桜井地区は糸島市役所の北約8kmのところ

六所神社のある馬場信号を更に北へ

県道507号線の峠を越えると

県道567号線を北へ桜井川沿いを下ります

桜井神社の案内板があちこちに有ります

東公民館を過ぎて右へ入ります

間も無く鳥居が見えて来ました

一の鳥居でしょうか

道なりに進むと第一駐車場が有ります

糸島市観光マップです

駐車場から上がった参道入口です、二の鳥居でしょうか

縣社 桜井神社です

桜井神社案内図です

 桜井神社
   与止姫命宮(よどひめみや)
   桜井大神宮
 桜井神社(創立寛永6年)は黒田藩主黒田忠之に
よって造営された筑前の守護神で、与止姫大明神を
祭っています。
 神明造り三殿の桜井大神宮(創立寛永2年)は、
与止姫大明神の御神託で建立され、伊勢皇大神宮の
分神が祭られており、筑前の神耺の信仰の拠点にな
っていました。現社殿は慶応2年(1866)に新
築今日に至る。

参道の太鼓橋と注連縄の巻かれた杉の大木です

丸石が敷かれた参道を進みます

手水舎です

正面には参拝順路①桜井猿田彦神社です

手前右手には丸石の積まれた②塞の神です

手前を直角に曲がって与止姫宮への入口です

説明版です
   桜井神社 福岡県糸島郡志摩町大字桜井
 筑前国の守護神と仰がれた桜井神社創建の起源は、
慶長15年(1610)の豪雨により古墳の入り口が
開き、霊験あらたかな神様が現れたことに始まります
。このことが筑前二代国主黒田忠之公の知るところと
なり、寛永9年(1632)に現在の社殿境内が創建
されています。
 当初より「輿止姫大明神」と称されていましたが、
桜井八ヶ所の氏神を合せ祀り、桜井神社と改称され、
今日にいたっています。
  本殿 県指定文化財(昭和52年4月9日指定)
 寛永9年(1632)の棟札が残り、建造年代がは
っきりしています。構造は「三間社流造浜床付き」で
、一部に後世の補修が見られるものの、全体的には当
時の姿をよく残したものとなっています。
 社殿のいたるところに絢爛豪華な安土桃山様式の彫
刻があり、鮮やかな色彩が施されていました。
 この色彩は、長年の風雨によりかなり退色していた
のですが、平成3年から4年にわたる保存修理工事に
より復元を試み、現在は創建当時の色彩をみることが
できます。
  拝殿 県指定文化財(平成9年7月25日指定)
 本殿とほぼ同時期に建てられたと思われる拝殿は、
正面三間、側面三間の切妻造の構造を持ちます。
 現存する古絵図では、東側に入母屋造の張り出しが
みられますが、現在では礎石しか残っていません。屋
根には銅板が葺かれていますが、やはり古絵図による
と瓦が葺かれていたようで、昭和6年の屋根修理で葺
変えられたものと思われます。
 このように古絵図と比較すると相違点はいくつかあ
るものの、ほぼ創建当時のまま現在にいたっているよ
うです。
 正面上部の蟇股も見事な彫刻です。
  楼門 県指定文化財(平成9年7月25日)
 三間一戸の構造で、黒田家尊崇の神社の楼門にふさ
わしく、静かな木立の中に威風堂々とした姿を今に伝
えています。
 拝殿同様資料が少ないのですが、古絵図に描かれる
楼門とほとんど相違ありません。
 屋根は銅版葺で覆われていますが、創建当時は瓦葺
きであったと思われます。本殿と比較すると部材の形
状が若干違う箇所があるので、本殿完成後間もなく拝
殿とともに建造されたものと考えられています。
 正面に掲げられる扁額には「正一位輿止姫大明神」
とあり、これは享保元年(1716)に掲げられたも
のです。
  平成12年3月25日 糸島市教育委員会

楼門です


拝殿との間に狛犬が二対並びます


拝殿です




境内のイチョウの大木にも注連縄が巻かれています







社殿の西側から③八神殿・須賀神社です


④と⑤春日神社です

本殿です、本殿に外壁が張られているようです

本殿裏側には⑥岩戸宮の扉が有ります

岩戸宮の前を通り社殿の東側へ抜けると⑦八幡宮です

⑧金刀比羅神社です

⑨二見ヶ浦遥拝所です

クスノキの大木の周りはおみくじ掛に成っています

拝殿前から見ました

では、北側に目的の大樟と大神宮を見に行きましょう





   
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福岡県糸島市、馬場「六所神社のクスノキ2本」(県指定)その2です!!

2019-05-19 06:46:15 | 巨樹・大木
馬場地区は、糸島市役所の北約4kmのところ

県道507号宮ノ浦前原線を北へ

県道85号線を東へ進むと道路右側に鳥居が有ります

間も無く県道右手に西向きの六所神社が鎮座します

境内に車を止めることが出来ます

六所神社一の鳥居のようです

鳥居から300m程で西向きの参道入口です

縣社 六所神社です

参道の二の鳥居でしょうか

参道正面に拝殿が見えました

説明版です
  六所神社の大樟
      福岡県指定天然記念物
 六所神社の社前(1号木)とその横(2号木)にある樟の木は、
県内屈指の大きさを誇る巨木として貴重である。
 六所神社の創建は神功皇后伝説に由来があり、社殿造営は、中世
初期頃まで遡れる。神社には享禄4年(1531年)の大伴義鑑に
よる社殿改築の棟札が伝わっており、その頃に一旦大幅な社殿の改
修があったとみられる。天正年間に兵火に遭い、その後、荒廃して
いたが、寛永8年(1631年)福岡藩主黒田忠之によって再興さ
れ、近世志摩郡の総社となった。
 このような幾度の社殿の興廃の歴史に耐え、境内の大樟は樹勢旺
盛でよく繁茂しており、樹齢はおよそ800年を越えるものと推定
される。1号木が、胸高幹周8,5m根廻り24m、樹高28m、
2号木は、胸高幹周7,5m、根廻り24m、樹高29mを測る。
現在、胸高幹周に比して、根廻りが大きいのは、後世の社殿の再興
造営に際し、地面を切り下げたため根元が露出したものと考えられ
る。
   平成22年1月  糸島市教育委員会



社殿の北東側に大樟の2号木があります

土塁の上の2号木です

北側から

北東側から

県道85号線の馬場信号から見ました

では、次へ行きましょう
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福岡県糸島市、馬場「六所神社のクスノキ2本」(県指定)です!!

2019-05-18 06:23:32 | 巨樹・大木
馬場地区は、糸島市役所の北約4kmのところ

県道507号宮ノ浦前原線を北へ

県道85号線を東へ進むと道路右側に鳥居が有ります

間も無く県道右手に西向きの六所神社が鎮座します

境内に車を止めることが出来ます

六所神社一の鳥居のようです

鳥居から300m程で西向きの参道入口です

縣社 六所神社です

水盤です

こちらは「郷社 六所神社」と成っています

参道の二の鳥居でしょうか

参道正面に拝殿が見えました

参道左手に猿田彦神などの石塔が建ちます

右手には石の祠です

拝殿左手に目的のクスノキです

北西側から石垣上の大樟を見上げました


石段登り口(南側)から見上げました

手水舎です

拝殿の額には「熊野三所大神」「住吉三所大神」の文字が並んでいます

拝殿前から見上げました

本殿覆い屋です

境内社です

社殿脇(東側)から

北側から

北側根元にも説明版があります
 県指定天然記念物
   六所神社の樟 2本
     糸島郡志摩町大字馬場
     昭和35年4月12日指定
 旧志摩郡の総鎮守社として著名な六所神社は
数度の兵火にあいながら境内のクスノキは、そ
れに耐えて今日におよび、なお樹勢は旺盛でよ
く繁茂している。
 このクスノキの規模は次の通りである。
 1号木(熊野神木)
   胸高周囲    8,5m
   根回り    24,0m
   樹高     28,0m
 2号木(住吉神木)
   胸高周囲    7,5m
   根回り    24,0m
   樹高     29,0m
 胸高周囲に比較し根回りが大きいのは、神殿
造営に際し地面を切り下げたため根元が露出し
たものと言われている。
 昭和52年1月10日  志摩町教育委員会      

では、次は2号木(住吉神木)です    
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