川付地区は、糸島市役所の南約6kmのところ
県道12号前原冨士線を南へ
長糸小学校のところで長野川左岸の道路に入ります
間も無く参道を東向きに宇美八幡宮が鎮座します
境内に
車を止める事が出来ました
参道の始まりは、東側を流れる長野川河岸の石段です、船で海から来ることが出来たのでしょうか
注連縄の張られた石門が出発点です
参道脇に大きな石が有ります
説明版です(汚れて見えずらくなっていますが~)
長野宮ノ前支石墓
この支石墓は現在地から300m東に位置する
長野宮ノ前遺跡から発見され、当地に移築復元し
たものです。
移籍は弥生時代の初めころ(今から230年前)
の総数40基にのぼる共同墓地で、1987年の
県営ほ場整備工事の際に発見されました。
この花崗岩の大石は重さが約3トンあり、石下
から大きな壺の棺が出土しました。
支石墓とは墓穴に遺体を埋葬した後、地表に大
石を据えて墓石としたものです。通常は大石と地
表の間に人頭大の支え石を挟んでおり、これが墳
墓の名称の由来となりました。
支石墓は朝鮮半島から伝えられた墓制で、糸島
市の志登支石墓群(国史跡)、 石崎矢風
遺跡、 新町遺跡、唐津市の葉山尻支石墓
群(国史跡)など糸島から唐津にかけての玄界灘
沿岸地域から多く発見されています。古代のわが
国と朝鮮半島の人々との活発な交流を物語る資料
として貴重です。
平成7年3月31日 糸島市教育委員会
一の鳥居でしょうか
境内入口の二の鳥居と大石に縣社 宇美八幡宮の文字です
鳥居をくぐると左手に神楽殿のようです
説明版です
宇美八幡宮縁起
祭神
上宮 仲哀天皇
本宮 気比大神・応神天皇・神功皇后・清瀧権現・玉依姫・瓊々杵尊
由緒
上宮
長嶽山南方に鎮座丸型山稜(周囲45間)頂上に石祠がある。
祭神は、仲哀天皇、当社の縁起によれば、神功皇后の摂政元年、
武内宿禰に命じ、香権に在る先帝のお棺を当山に収めて、築陵し
たとある。皇后の三韓遠御渡航の折の御殯斂(もがりのみや)の
地か。
本宮
古命を長野八幡宮と言う。神功皇后、三韓御渡航のおり、船上
に神あり。吾は新羅の神、清龍権現なりと皇后の国土を守護せん
。因って、神功皇后が無事御帰朝の際、当山にて奉賽の祭を執り
行ったという。その後、第16代に仁徳天皇の治天10年(98
3年)平郡木兎の宿禰(へぐりずくのすくね)の子博公(はくこ
う)を神官として、この霊蹟に神社を建立し気比大神天日鉾尊を
祀らせたのが本宮の起源である。
下がって、第48代称徳天皇の神護景雲元年(1427年)社
務公実(こうじつ)が、八幡宮、聖母宮、宝満宮の三社を勧請さ
れ、以後八幡宮の威徳霊験があらたかになって、社名を宇美八幡
宮と称するようになった。
祭日
新年祭 1月1日
寿齢祭 みどりの日
春季大祭 上宮祭 5月2週日
夏季大祭 7月2週日
末社祭 9月2週日
秋季大祭 10月2週土日、二日間
〇 奈良平安の頃は大社であり、2月初卯日には、七日間の大祭が
行われ神輿三輦、供奉行列とともに深江子負ヶ原海岸至り、筑前
・筑後国の大競技会が行なわれていたという。
〇 江戸の頃、怡土郡、中津領12ヵ村の総社として、風雨疫病の
祈願祭などがあり、中津藩の藩吏が出役して祭時にあたっていた
という。社殿の改修には、中津藩費を充てていた。
現社殿は、奥平大膳太夫昌邦の建立によるものである。
〇 明治維新の頃、長野庄の氏神社で明治5年郷社となり、大正4
年県社に昇格した。
奉納 宇美八幡宮奉賛会
参道の左手に境内社です
中を覗くと「両神神社」「亥地岳山社」「風神神社」三枚の額が掲げられていました
左の境内社です
こちらの石碑には郷社 宇美八幡宮とあります
斜面の上の方を見ると、目的のスダジイの巨木①と
②が見えます
参道右手の手水舎です
参道石段を上がりましょう
石段の中段から②のイチイガシを見ました
真横から、幹回りは4m程でしょうか
石段上から見下ろすように見ました
手水舎です
狛犬です
もう一対の狛犬です
拝殿です
拝殿の懸額です
本殿です
本殿軒下の懸額です、気比宮・寶満宮・八幡宮・聖母宮・天降宮の名前が並びます
説明版です
糸島市指定史跡
長嶽山古墳群
宇美八幡宮の両脇に広がる丘陵は長嶽山と呼ばれ、その稜線上に、
大小14基(前方後円墳1基・円墳13基)の古墳が築かれています
。これらは、起源5世紀から7世紀ごろ(古墳時代後期から終末期)
にかけての古墳群です。
この場所から見渡すことのできる、現在の川付・飯原・長野などの
地域を、当時支配していた一族のお墓だと考えられています。
このうち、1号墳は、後円部に比べて前方部が短い前方後円墳(帆
立貝式古墳)で、墳頂には宇美八幡宮の上宮の祠があり、神社の縁起
では仲哀天皇の棺を収めたとされていて、古くから重要な(中心的)
古墳と考えられていたことが想像できます。また、この場所には「奥
の院」と呼ばれ、1号墳は「奥の院古墳」とも呼ばれています。
この古墳群に眠る一族が治めていたこの地域には、発掘調査によっ
て、川付宮の前遺跡、飯原門口遺跡、長野宮の前遺跡などの、弥生時
代前期(紀元前5世紀ごろ)から古墳時代後期(紀元7世紀ごろ)に
かけての集落遺跡や墓の存在が明らかになっています。
糸島市では、長嶽山古墳群を平成21年に市の史跡に指定し、大切
な文化財として、保存・活用することにしました。
平成28年3月 糸島市教育委員会
西から宇美八幡宮のカシ①です
南西側から
保存樹版です
宇美八幡宮のカシ 保存樹5
樹種名 : イチイガシ
所在地 :前原市大字川付785
樹高 : 26,03m
幹回り : 6,56m
推定樹齢: 1000年以上
●幹は傾いているが、迫力ある裂目とともに
より存在感を感じさせる。
●幹に小さな巻貝が生息している。
指定年月日:平成14年4月15日 前原市
長くなりました、では、次へ行きましょ