ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

栃木県真岡市、沖のけやき(大沖神社)です!!

2015-11-30 23:51:18 | 巨樹・大木
大沖神社は、真岡市役所の南南西約6kmのところ

五行川左岸の沖地区に在ります

中村八幡宮から東へ、真岡鉄道てらうち駅の南側県道187号線で

五行川を高畦橋で渡って400m程の所を南に進むと

沖地区にはいります、地区の中心にあります

沖集落センターの駐車スペースを利用させていただきました

大沖神社です

社殿の直ぐ東側にあるのが沖のけやきです

とちぎ名木百選 沖のけやき

栃木県指定 天然記念物名木百選の石碑です




鳥居脇、北側から





東側から





南側から

サイズは、目通り幹回り6.7mの巨木です

では、次へ行きましょう

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栃木県真岡市、中村八幡宮の御神木と古墳です!!

2015-11-30 09:44:37 | 巨樹・大木
中村八幡宮は、真岡市役所の南西約9kmのところ

中村城跡(遍照寺)の北西約500mです

遍照寺から県道316号線を挟んで等距離にあります

社殿前に駐車場が有ります


一の鳥居です

南に続く参道です、この大きさはもしかして、中村城の外堀かも

赤鳥居は二の鳥居です

中村八幡宮です

社殿前の鳥居です

説明版です



社叢は栃木県指定天然記念物です



手水舎です

神楽殿です

拝殿です

本殿です



大欅です、北西側から



南西側から

御神木です、目通り幹回り5.5mです

拝殿前から

本殿西側の境内社です

本殿裏から北へ

中村大塚古墳へいきましょう

古墳です、祠が乗っています

史蹟中村大塚古墳の石碑です

説明版です

では、次へ行きましょう
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栃木県真岡市、中村城跡と遍照寺の大カヤです!!

2015-11-29 08:39:22 | 城跡・館跡・陣屋跡
中村城跡は、真岡市役所の南西約5kmのところ

国道408号線の松山町信号の南側から県道318号線を西へ

道なりに南へ進み県道が西に向いた南側に城跡が有ります

廓の真ん中に遍照寺が有ります

遍照寺の駐車場が西側に在ります


駐車場入口の脇には堀跡です

北側には堀と土塁が残っています

駐車場入り口から南に延びる堀跡です

堀の内側の墓地は、馬場だったようです

南側入り口に、史蹟中村城跡の石碑です

説明版が有ります
    栃木県指定史跡 中村城跡
          昭和三五年六月二十四日指定
          所有者 遍照寺
      中村城跡は遍照寺の全境域である。東西191m、南北182mの長方形の遺跡が残されている。
     堀の深さは約6m、幅約9mである。地域内には遍照寺、天然記念物のかやの木や中村大明神(祭神
     =中村小太郎朝宗)があり、ほとんどが築城当時のまま保存され、城跡を研究する上で貴重な史料で
     ある、中村朝宗が保元元年(1156)から中村の地に住み、館を築いて中村荘を管理した。中村荘
     は藤原摂関家の荘園であった。朝宗の子常陸介朝村は頼朝の奥州征伐に従軍し、戦功をたて伊達・信
     夫の2郡の地頭職となり、その子朝定が中村の地を継いだ、それ以来代々中村氏の居城であったが、
     天文13年(1544)中村玄角が水谷播龍と戦って敗れ、それ以来廃城となった。
                            真岡市教育委員会 平成4年3月



大きな堀跡が残ります

東側の道路の脇にも堀跡が残ります

遍照寺です

参道です



大きな杉の木が有ります

説明版です


続きです

祈願所の石碑です

山門から本堂への参道です


参道の右手には、大きなヤブツバキがあります、真岡市の古木・名木に指定されているようです

参道左手に有るのが、カヤです

本堂です





とちぎ名木百選 遍照寺かやです、本堂前から

天然記念物 榧(かや)の木  文治五年奥州伊達祖 中村城主宗村公植樹 奥州藤原氏討伐凱旋記念樹です



西側から




南側から


重要文化財の不動堂です

では、次へ行きましょう
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栃木県真岡市、長沼八幡宮のケヤキです!!

2015-11-28 21:14:33 | 巨樹・大木
長沼八幡宮は、真岡市役所の南西約9kmのところ

嘗ての二宮町の西の端、鬼怒川左岸にあります

県道44号線が鬼怒川を渡る大道泉橋の東側が長沼地区です

県道の南側に郵便局が有ります

南に延びる参道が郵便局等も利用する駐車場になっています


関東ふれあいの道・アシそよぐ水辺のみちの案内板です

郷社 八幡宮です

参道から鳥居です、鳥居脇にケヤキと銀杏の大木が見えますが

銅鳥居も県指定建造物です



大欅です

手水舎です


大銀杏です

総門です

拝殿です

本殿です

神楽殿です

境内社です

境内社の千勝大明神です

神仏混交の石像です

こちらも境内社です

祠の前に切株です

こちらも立派な境内社です


大欅は御神木です

真岡市指定天然記念物 長沼八幡宮のケヤキです





大欅です

記念碑に神社の由来が有ります



社殿脇北側の公孫樹の大木です


由来の記された石碑です

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栃木県小山市、梁・八幡神社のケヤキです!!

2015-11-27 09:46:03 | 巨樹・大木
梁地区の中心部に八幡神社が有ります、小山市役所の東約8kmですが

結城市役所からは北東に2kmほどの所になります

結城市役所から県道35号宇都宮結城線を北上します

行人橋を渡ると栃木県小山市梁です

1kmほど進んだ右手奥の家並みの中に森が見えます

八幡神社の森です

神社の参道脇に車を止めて見学しました




鳥居は参道の二の鳥居です

村社 八幡宮です



二の鳥居の直ぐ後ろに大欅が有ります



社殿側から

社殿前の鳥居です

手水舎です

神楽殿です

拝殿です

本殿です



見事な彫刻が見られます



西側から見ます

大きなこぶの所が目通り幹回りになっています、サイズへ6.5mの及ぶとのことっです

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栃木県小山市、本郷町・愛宕神社のケヤキです!!

2015-11-27 03:51:46 | 巨樹・大木
本郷町の愛宕神社は、小山市役所の北東約500mの所

国道4号線の東を並行して走る県道265号線に面して入口があります

社殿南側の駐車スペースを利用させていただきました

県道に面して、本郷町公民館が愛宕神社社務所です


村社 愛宕神社です

鳥居です

参道です

手水舎です

参道の南側社殿の前に切株が有ります

方面の皮がはがれて無残な状態になってしまっています、嘗ての姿が想像できません

拝殿です

本殿の覆い屋です

境内社です

小山市内では、宮本町愛宕神社のケヤキに次ぐ大きさで、目通り幹回り6.2mの巨木だっと

非常に残念です

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栃木県小山市、宮本町・愛宕神社のケヤキです!!

2015-11-26 07:31:42 | 巨樹・大木
愛宕神社は、小山市役所の直ぐ南側、文化センターの南側にあります

国道4号線から、文化センターの南側を入って直ぐ左手に参道が有ります

参道入り口に車を停めさせていただいて見學します


小山市立文化センターの南側を入った所です

神社への参道です



境内に入った左手に大けやきが有ります





南側より

説明版です
    愛宕神社のケヤキ(天然記念物)
      ケヤキはニレ科の落葉高木で本州の各地に分布している。ケヤキの名はケヤキ木、すなわち
     目立つ木の意味を持つという。それほどの大木となる。
      このケヤキは、小山義政が康暦元年(1379)領内の五穀豊穣と領民の家内安全を祈願し
     て愛宕神社を勧請したとき、御神木として植えたとの言い伝えがあり、樹齢六百年余と推定さ
     れる。稀にみる古木である。
      現在の樹形は大正二年(1913)の大火により樹冠が類焼、これが原因で樹幹上部を欠い
     ている。
      樹高二十四・目通り約7m、枝張り東西二十五・南北二十一m
        指定年月日   昭和四十七年十二月十八日
        所 在 地   小山市宮本町一丁目一番七号
        所 有 者   愛宕神社             小山市教育委員会

                          



鳥居です

社殿は有りません、この中に納められているのでしょうか


社殿跡前から見上げます

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栃木県小山市、下国府塚・国府神社のケヤキです!!

2015-11-25 04:57:34 | 巨樹・大木



国府塚神社は、小山市役所の西約2kmの所

国道50号線の北、旧国道の県道36号線の中間点にあります

西側から神社前へ、神社は古墳の上にあるかのような、または水塚の上の様な佇まいです

直ぐ東側の社務所の前に車を止めて見學です





東側から




南側から

説明版です
    国府神社のケヤキ(天然記念物)
      ケヤキは、ニレ科の落葉高木で山地に生え、社寺の境内・人家の周囲によく植えられる。直射日光
     を好み成長は早い。その分布は本州・九州・四国の他、台湾、中国に及ぶ。
      国府神社のケヤキは、御神木として代々大切に保存されてきた。
      置かれている環境もよく、周りに成長を妨げるものはない、そのため根張り、枝張りともケヤキ本
     来の特徴をよく現している。
      樹勢も盛んで、自然に整った樹形は貴重である、特に、早春の芽ばえのとき、見事な新緑を見せて
     くれる、樹齢四百年以上と推定される。
       樹 高  約25m   目通り 約5m
       枝張り東西約22m     南北約21m
          指定年月日       昭和六十三年十一月二十八日
          所 在 地       小山市大字下国府塚654-1番地
          所 有 者(管理者)  国府塚神社(国府塚自治会)
                               小山市教育委員会





目の前に大欅が有ります







大きく伸びた根張りです

手水舎です

社殿は一段上に在ります

本殿は覆い屋の中です

境内社です



社殿前から見下ろす見上げるケヤキです

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栃木県小山市、東箭神社のケヤキです!!

2015-11-24 08:55:33 | 巨樹・大木
東箭神社は、小山市役所の西約5kmのところ

国道50号線の下川原田信号の北側、県道36号線の南小林信号の北東側にあります

南小林信号の直ぐ西側の道路を北へ入ると直ぐ道路脇に鳥居とケヤキの巨木が有ります

鳥居前の道路に車を置かせていただいて見学しました

東箭神社鳥居です


村社 東箭神社です

手水舎です

拝殿です


金網の隙間から本殿の見事な彫刻を見る事が出来ました

説明版です
    東箭(とうや)神社本殿
      小規模な一間社流造の本殿で。屋根は木羽葺き、高欄付きの縁をまわして両側奥に脇障子を立て、
     前面に向拝を設ける。建物本体は文化九年(1812)に建設されたことが現存する棟札によって
     知られるが、この本殿の大きな特徴は、二十年ほど後に付け加えられたと考えられる豊富な装飾彫
     刻にある。
      即ち、胴羽目と脇障子には中国の故事を題材にした透し彫彫刻がはめ込まれるほか、木鼻の象や
     唐獅子、向拝虹梁上の龍などが丸彫彫刻となり、欄間、妻飾、手鋏、縁下小壁にも花鳥や波、魚、
     亀などおあしらった透し彫彫刻が施されている。いずれも欅材を素木のまま用いており、精巧で生
     き生きとした表現は、県内各地のこの時期の神社建築の中でも水準を越えた質を誇っている。
      なお、胴羽目彫刻の作者は、背面に刻まれた銘によって、下野随一の彫刻物大工集団として知ら
     れた礒邉一族の名工「礒邉周次正秀」であることが確認できる。
         指定年月日   平成七年二月二十八日
         所 在 地   小山市大字南小林91番地
         所 有 者   東箭神社                小山市教育委員会


境内社です


社殿前から鳥居南側のケヤキです



鳥居前道路から


社殿前から鳥居北側のケヤキです



鳥居前道路から、こちらの目通りが5,1mの巨木のようです


境内北側のカシノキの大木です

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栃木県小山市、寒川・胸形神社のエノキです!!

2015-11-23 22:46:30 | 巨樹・大木
胸形神社は、小山市役所の南西約6kmのところ

寒川小学校の南約1kmの巴波川の左岸堤防沿いにあります

県道174号線南小林松原線から西に入ります

東向き社殿の入口に駐車場が有ります


胸形神社入り口です

延喜式内社胸形神社です

鳥居の南側に大エノキです

とちぎ名木百選 胸形神社のえのき

説明版です
   胸形神社のエノキ(天然記念物)
 エノキはニレ科の落葉高木で温帯・亜寒帯に広く分布する。日本では本州・四国・九州の平地・丘陵地に普通に生える。
 古来、エノキには神霊が宿ると考えられ多くの伝説を生んできた。
 胸形神社のエノキは御神木として代々保護の手が加えられ、美しい枝張り・樹形を保つ。
 「栃木の名木百選」の一つにも選ばれている。地際は、巴波川の氾濫によって土砂が流失してか、見事な根張りをみせている。樹齢三百年以上と推定され、独特の風格を備えている。
 平成六年(1994)、栃木県と小山氏の補助を受け樹勢回復作業を行った。
  樹 高 ― 約23m
  目通り ― 約 6m
  枝張り ― 東西約25m 南北約27m
  指定年月日  昭和五十一年八月一日
  所 在 地  小山氏大字寒川1730番地
  所有者(管理者) 胸形神社 
 小山市教育委員会


殆んど枯れてしまっている様で残念です


鳥居から社殿の間にも大木がありますが、まだまだ若木です

手水舎です

万葉集の歌碑が有ります、防人の歌です

拝殿です

本殿は覆い屋の中です


説明版です
  胸形神社 小山市寒川1370番地
 当社は創建古く、九州の宗像大社より当地に勧請されたものといわれ、延喜式(927年制定)内の一社で格式の高い神社といわれています。祭神は田心姫命・市着杵島姫命・多岐津姫命の三女神です。
 当社は古くから寒川郡の総社として住民の尊崇あつく、かつては神田も多く、社殿も宏荘でしたが、中世以降は衰微しました。
 風水害の被害も多く、その後再建され、弘化元年・明治十四年・大正十三年・昭和十六年と改築修復を重ね現在に至っています。
 合社とされている天満宮の年初の縁日は「初天神」と称し、毎年一月の第四土曜に華やかな祭りの行事があります。「花桶かつぎ」と称し、御輿の先導者として着飾った七才の稚児が造花で飾った花桶をかつぎ奉仕するもので、多数の見物人に囲まれて村内を練り歩きます。
 (昭和四八年小山市指定民俗文化財)
   間々田商工会
   小山歴史研究会
では、次へ行きましょう

*2022年8月21日神社名間違い他変更しました
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栃木県野木町、友沼八幡神社ケヤキです!!

2015-11-23 06:46:30 | 巨樹・大木
友沼八幡神社は、野木町役場の北約1kmのところ

国道4号線の友沼小学校入口に在ります

神社境内入口に駐車スペースが有ります


八幡神社です

鳥居です

説明版です
   友沼八幡神社「将軍御休所跡」
     元和二年(1616)、徳川家康が没すると、これを駿河の久能山にいったん葬ったが、翌3年の
    一周忌んい久能山から日光へ改葬した。
     東照大権現社が完成すると、将軍秀忠は日光参詣(社参)のため、四月十二日に江戸を出発してい
    る。さらに寛永十三年(1636)に東照宮が完成すると、徳川家最大の廟所として将軍はじめ諸大
    名、武家や公家、さらに庶民にいたるまで参詣するようになった。
     将軍の社参は、秀忠の第一回社参をはじめとして、天保十四年(1843)の十二代将軍家慶の社
    参まで十九回に及んだ。寛永十三年四月、遷宮後の第十一回社参から行列の規模も拡大された。
     社参の行程は四月十三日に江戸を出発し、岩槻・古河・宇都宮で各一拍、十六日に日光に入り、十
    八日には帰途につく。復路もやはり三泊四日でかえるのが恒例となった。それとともに昼食、休憩の
    宿や寺社なども決まり、大沢宿(現今市市)のようにそのための御殿が建てられた例もあった。
     友沼の将軍御休所は、将軍が江戸を出発し、二泊めになる古河城を朝出て、最初に小休止をした場
    所で、八幡神社の境内にあった。次は小金井の慈眼寺で昼食をとり、石橋へという道順をとった。
     ところで、近世における八幡神社は、「日光道中略紀」によると、別当法音寺の支配下にあった。
    野木村の野木神社の場合、元和二年(1616)に別当満願寺の支配がはじまるから、八幡神社も早
    くはほぼこの時期かと思われるが、小祠から拝殿・本殿をそなえた神社に整備されたのは、社参の規
    模が拡大する寛永十三年以降のようである。将軍御休所の建物は境内に在り、西運庵と呼ばれた。日
    光社参と八幡神社の整備が深くかかわっているとすれば西運庵の成立もこの時期賀茂しれない。なお
    文化期(1804~17)の宿駅のようすを描いたとおいわれる「日光道中分間延絵図」では運西庵
    となっている。
     八幡神社からの眺めはすばらしく、「日光道中略記」では、はるかに丸林村、潤島村の林が、さら
    に遠方には若林村の森が見え、正面には筑波山を眺望できる景勝の地と記されている。
     肥前国平戸藩主松浦静山は寛政十一年(1799)八月、四十才のとき、日光参詣の途中、友沼の
    「石の神門建てたる八幡の神祠のまえにしばしこ輿をとめ」、休憩している。
     天保十四年(1843)四月、「続徳川実記」によると、十二代将軍家慶の社参では、享保(第十
    七回)、安永(十八回)の社参では設けなかった幕張りが小休止の場所まで行われた。友沼の御休所
    でも幕が張られ、一行は疲れをいやしたとある。
      平成三年三月二十五日                  野木町教育委員会


拝殿です

本殿です


本殿の東側にあるのが、友沼八幡神社ケヤキです

境内社が根元に並びます

説明版です
    町指定文化財   友沼八幡神社ケヤキ
        指定年月日  平成二十二年三月二十五日
        所 在 地  野木町大字友沼912
      友沼八幡神社は将軍が江戸を出発して三日目に、「将軍御休所」として最初に小休止をした場所
     であったという。小祠がら拝殿、本殿をそなえた神社であり、将軍御休所の建物は境内にあったと
     されている。当時はケヤキ、スギ、イチョウなどの大木が境内を囲むようにあったといわれる、
      明治十一年頃の友沼村の地誌には、スギ、ケヤキの「大木あり」と記されており、昭和三十~四
     十年頃おこの木の他に太いケヤキもあったが、樹勢の衰えにより伐採されている。現在、推定樹齢
     五百五十年のこのケヤキは、向き合うようにあるイチョウとともに、神社を代表する巨木として、
     その勇壮な美しい姿で立っている。             野木町教育委員会

銀杏の木です



北東側から



野木町名木八幡神社のいちょうです、太さはまだまだ巨木には足りませんが、名木です

友沼八幡神社ケヤキのサイズは、目通り幹回り5.8mの巨木です

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栃木県野木町、野木神社の巨木達です!!

2015-11-22 20:28:41 | 巨樹・大木
野木神社は、栃木県の南の端野木町と茨城県の西の端古河市の境に在ります

国道4号線と県道261号線の交わるところで、直ぐ西側に参道入り口です

境内手前右側に駐車場が有ります


参道入り口の鳥居です

参道を進みます

大きな切株が有ります

二の鳥居です

社殿前の鳥居です

手水舎です

野木神社沿革です
    野木神社由緒沿革
      仁徳天皇の時代(約千六百年前),下野国造奈良別命が当国赴任の折、抃菟道稚郎子命の遺骨を
     奉じ、下野国笠懸野台手函の地に斎奉る。その後、延暦年間(約千二百年前)に坂上田村麻呂が蝦
     夷平定し都へ凱旋の途中、当社に鎮撫の功を奏し、その報寳として現在の地に社殿を造り遷座した
     と伝えられる。
      鎌倉時代には、幕府より社領として旧寒川郡八ヶ村の寄進、及び神馬の奉納が有り、又元冦の際
     北条時宗公より攘夷祈願の命を受けて、右殿左殿に息長足比売命を始め、あらたに五祭神を合わせ
     祀った。
      文化三年(約百九十年前)火災により社殿悉く焼失したが、時の古河城主、土井利厚公は領民の
     協力を得、現在の社殿を再建した。
      明治時代には乃木大将も当社を厚く崇敬し、度々参拝に訪れ、所縁の品々を御神宝として奉納し
     た。                  平成十一年五月建之




境内入口の右手に大欅があります





北側から

説明版です
    町指定文化財 野木神社ケヤキ
         指定年月日  平成二十二年三月二十五日
         所 在 地  野木町大字野木2404
      野木神社は、五世紀に創建され、延暦年中(782~806)に、坂上田村麻呂が現在の野木神
     社の西約800mの所より社殿を移したといわれています。その後、足利氏の執政の末に乱にあい
     神領を奪われて社殿の破壊しましたが、長禄三年(1459)、神官海老沼常基により再興された
     ということです。
      常基は、鎮守の森に育つよう社前に数多くの木々を植えたといわれますが、このケヤキは、それ
     以前にあったものと推測されます。
      このケヤキは、高さ太さとも県内の名木と言われるケヤキに匹敵する大木で、樹齢も六五〇年以
     上と推定されます。                   野木町教育委員会


拝殿殿です

本殿です


見事な彫刻があります

神楽殿です




社殿の右手に大イチョウが有ります

とちぎ名木百選です

説明版です
    町指定文化財 公孫樹(大イチョウ)
         指定年月日  昭和五十二年十一月三十日
         所 在 地 野木町大字野木2404番地
      この大イチョウは、今から約1200年前(平安時代延暦年間)に征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷
     討伐に成功し、凱旋の途中、野木神社に参りその功を奏でました。
      その奉黲寳として、神社を笠懸野台手函(現在の野渡大手箱)から現在の「身隠の森」に移築し、
     記念にイチョウの木を奉稙したものと伝えられています。
      この大イチョウには、婦人たちが乳が出て乳児が健全に育つように米ぬかと白布で作った模型の乳
     房で祈願する民間信仰があります。
         昭和五十七年三月                 野木町教育委員会



北側から



 
東側から

南側根元に、切られた幹が保存されています



神楽殿脇の欅の大木です

野木神社ケヤキのサイズは目通り幹回り6.2m
公孫樹のサイズは目通り幹回り9.7mとのことです

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茨城県古河市、雀神社の大欅です!!

2015-11-21 21:14:49 | 巨樹・大木
雀神社は、JR宇都宮線こが駅の北西約一キロのところ

渡良瀬遊水地の土手が直ぐ西側にある古河市の西の端です

神社南側には古河ゴルフリンクスのクラブハウスが有ります

クラブハウス側から、雀神社参道の間に駐車スペースが有ります


西葛飾郡と猿嶋郡の郷社です

東側参道から望む神社入口の両脇に大きなケヤキの木が見えます

南側のケヤキが雀神社の大欅ですが・・・



北側も十分の巨木です

説明版です
  古河市指定天然記念物  雀神社の大欅
                  昭和四十九年五月二十三日指定
                  古河市宮前町四番
    ニレ科落葉高木で、雀神社の御神木になっている。市内最高の欅で、平坦地にある巨木として注目
   に値する。この欅は元来二本あった木が合体したもので「夫婦欅」とも呼ばれている。
    目通り周囲8.8m。根元周囲18m、樹高25m程である。
       昭和五十一年二月                   古河市教育委員会



境内が輪からの大欅です、半分以上が傷んでしまって、モルタルで形作られているようです




北側の欅は元気です

参道は鳥居をくぐり九十度に曲がって南から北へ進んでいます


狛犬です

手水舎です

社殿前の鳥居です

拝殿です

本殿です

神楽殿でしょうか

説明版です
   (武家時代文化ライン)   雀神社
     雀神社の祭神は、大己貴命、少彦名命、事代主命の三神であるが、その創立は明らかでない。
     伝承によれば、貞観年間(859~876)に出雲大社から勧進したものだという。鎮宮が転
    化して雀宮となったというその後、康正元年(1455)足利成氏が古河公方となってから、初
    代成氏はもとより代々の公方の崇敬が高く、また、徳川将軍家、並びに累代古河藩主の崇敬もあ
    つく、御朱印地十五石を賜った。したがって、社殿の造営修理なども累代の藩主が行ない、現在
    の社殿は、慶長十年(1605)松平丹波守康永の造営したものである。

社殿裏側の森にも大きな木々が並びます

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茨城県古河市、本町八幡神社の大イチョウです!!

2015-11-20 09:15:51 | 巨樹・大木
八幡神社は、JR宇都宮線こが駅の南西約300mのところ

第二小学校の南側に成ります

駅から歩いて5分程です


八幡神社です

提灯竿もみ祭りの準備が行われていました

鳥居です

手水舎です

拝殿です

本殿です

境内社です

案内板です
  八幡町の八幡宮
    元村社であった当社は、古河公方足利政氏の命によって、今を去る四百九十二年程前の、大永 
   元年(千五百二十一年)というに、鎌倉鶴岡八幡を勧進して古河城第三郭に祀り、田畠十五石を
   社料として寄付されあったと伝うが。其後百二十二年にあたる寛永十九年(千六百四十二年)と
   云うに、時の城主土井大炊頭利勝によって、城外鬼門にあたる地を検べて、今の地に遷されたも
   ものである。
     平成二十五年一月      (「古河史跡と古河藩のおもかげ」より抜粋)

本殿西側に大イチョウが有ります




根元のひこばえが刈り取られていて幹がはっきり見えています

説明版です
   古河市指定天然記念物   八幡神社の大イチョウ
                  昭和四十九年五月二十三日指定
                  古河市本町二丁目十五番十五号 
     この大イチョウは、寛永十九年(1642)、それまで古河城内にまつられていた八幡神社
    を、城主土井利勝が古河城の鬼門よけとして、現在地にうつした時に植えられたものと推察さ
    れ、市街地の中心部に残る巨木として価値の高いものである。
     元は目通り周囲6,4m。樹高30.73mであったが、倒木のおそれがあったため、平成
    十二年一月十一日に上部の切除作業が行われ、現在は、樹高14,20mである
       平成十二年一月                   古河市教育委員会
     説明版には、切除前のイチョウの姿が有りました


北側より




北西側から

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埼玉県坂戸市、多和目のカゴノキです!!

2015-11-19 21:19:40 | 巨樹・大木
天神社は、坂戸市役所の南西約6kmのところ

県道74号線日高川島線で東武越生線に沿って進みます

にしおおや駅をすぎて約1km、日高市との境で右斜めの道路へ進むと間もなく

天神社が有ります、隣の多和目普御世会館の前に車を止めさせてもらいました


多和目普御世会館の隣です

村社 天神社です

鳥居です

手水舎です

社殿です

社殿東側にカゴノキがあります



木肌に特徴のある木です

説明版です
    坂戸市指定天然記念物   カゴノキ(鹿の子木)
      この樹木は、正式名称が判明するまで「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれていました。
      昭和五十九年に埼玉大学の永野教授の鑑定により、学名をクスノキ科に属する「カゴノキ」
     で、名称は「鹿の子木」と判明しました。
      この樹木は、暖地性の常緑喬木で、沖縄・九州・四国を中心に分布している樹木で、関東以
     北ではほとんど生育していない、植生上も貴重な樹木であることがわかりました。
      樹木の名称の由来は、淡褐色を帯びた樹皮が、円形に点々と剥落し、この部分に次々と白い
     木肌が現れます。この様子が、鹿の子の斑点と同じようにみえることから、この名称が付けら
     れたと考えられます。
      樹木の規模は、樹高十五mを計り、樹齢千年といわれていますが、樹木医の診断では、八百
     年程といわれています。
       平成十五年十二月                  坂戸市教育委員会

     目通り幹回りは、4.7mと巨木にはもう少し足りないようですが、立派な木です





西側から



北西側から

社殿北側に天然記念物多和目の大杉の石碑が有ります

嘗てここには、スギの巨木がありました

石碑が有ります
    天然記念物 多和目の大杉跡
      県指定   昭和七年三月
      樹 高   三十五m
      周 囲     九m
      樹 齢   千三十二年
     樹勢旺盛で地上四mの処で二幹に岐されているので夫婦杉とも呼ばれていた、昭和三四年の伊勢
    湾台風の為先端十m程折られ以来年と共に衰退し枯死寸前となった
     茲に於て氏子総会えお開き天然記念物の解除並びに神社本庁統理の承認を求め伐採の許可を得て
    多和目の象徴の大杉は終焉を告げた
     此の折埼玉県林業試験場の配慮に依り大杉の分身二世が得られ植樹後世に残す
       維時                      昭和五十六年五月



元の杉が切られて五七年の年月を経て、大きく育っています

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