ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岩手県奥州市、江刺米里荒田表「自徳寺のイトヒバとイチョウ(市指定)」です!!

2024-11-27 18:57:00 | 巨樹・大木
 江刺米里荒田表地区は、奥州市役所の東北東約18km、奥州市役所江刺総合支所の東北東約13kmのところですが

 今回は花巻市東和町田瀬21区(国道107号線と県道27号線・県道178号線の交差点)から南下して来ました

 花巻市と奥州市の界から、南へ花巻市学問沢地区です、約5.8kmの「荒町橋」手前で斜め右(南西)へ県道27号線から外れます

 約300mで丁字路を右(北東)へ、坂道を登って間も無く斜め左(北北西)へ進むと

 自徳寺前の駐車場に入りました

 南東向きに山門です

 山門脇にモミジの古木です

 幹に古木感が出ています

 幹の洞から根が出ています

 北東側から

 六地蔵様です

 参道石段を進みます

 鐘楼です

 手水舎です

 イトヒバです

 説明版です



  北東側から

 本堂です

 目的のイチョウは本堂西側の墓地入口に立っています

 東側から

 南側から

 南西側から

 西側から

 南東側の駐車場へ戻る時にふり返って見ました

では、次へ行きましょう




2024・10・19・12・00
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岩手県花巻市、東和町田瀬「田瀬舘跡の杉」(市指定)です!!

2024-11-27 13:07:00 | 巨樹・大木
 東和町田瀬地区は、花街市役所の南東約18km、花巻市役所東和総合支所の南東約12kmのところです

 こんかいは遠野市側から入りましたので、遠野市と花巻市の界からのルートで説明させて頂きます

 遠野市市内から東北横断自動車道の守谷インターを降りました、信号を右(北)へ、国道107号線です

 約800mの猿ケ石川の沢田橋を渡った「⇐盛岡・北上・花巻・国道283・107号線」の標識に従って信号を左(西)へ

 道成に猿ケ石川沿いを約3.9kmで「⇖横手・北上・国道107号線」の標識に従って斜め左(西)へ

 さらに道成りに猿ケ石川に沿う様に約3.8kmの「屏風岩」の先の切通しが遠野市と花巻市の境界です

 道成に約3.0kmの県道27号線と県道178号線の交差点を右(北)「宮森」方向へ、県道1768号線です

 約2.1kmで右手に「田瀬湖中通パーキング」があります

 駐車場に車を止めさせて頂きました

 かつて湖面で使われていた船が展示されています

 説明版です
   第二東和丸の歩み
 花巻市東和町の田瀬地区は、小倉、中通、白土の三つの行政区に分かれ、農協の支所や派出所、診療所、中学校があった中通集落が中心地となっておりました。
 しかし、昭和29年の田瀬ダムの完成に伴い中通集落が分断され、24戸が向田瀬側に取り残された格好となりました。
 田瀬大橋がまだ架設されておらず、田瀬湖の対岸に行くためのルートは、ダムの堰堤か、上流にあるつり橋の白金橋だけでした。
 当時はバスもなく、向田瀬と中通の約1kmを結ぶため、昭和35年に渡し舟「第一東和丸」が就航しました。
 その後、木造船の第一東和丸が老朽化し、昭和45年に鉄製の第二東和丸(展示船)に引き継がれました。 
 船体の長さ9.5m、幅2.5mの19人乗り。乗船は無料で通学や通院、荷物の運搬などに利用されておりました。
 最盛期は、1日7往復運航していましたが、冬場は砕氷して航路を確保するため、夜中も3回ほど運航し、所要時間は、夏場は10分、冬場は30分ぐらい要しました。
 その後、向瀬田地区まで道路が整備され乗合バスが運行されたことから昭和57年3月をもって渡し船は廃止となりました。
 その後、第二東和丸は、民間に払い下げられましたが、平成18年11月、この地に保存、展示することになりました。
       制作 平成21年12月 田瀬地域コミュニティ会議


 舳先側から見ました

 エンジンが載っています

 目的の「田瀬舘跡の杉」の案内図と説明版です
   花巻市指定天然記念物(植物)
     田瀬館跡の杉(たてだてあとのすぎ)
       法量  目通り幹囲4.65m、根元回り5.95m、樹高約25m、樹種 スギ
       指定年月日  昭和51年9月27日
       所在地    花巻市東和町田瀬
 田瀬舘は、天正19年(1591)に江刺氏(のちの土沢城主)の舘跡で、この杉は、その田瀬舘があった場所に生育しています。
 樹齢は400年以上あると推定されます。杉の根元には、祠が祭られています。
 🔳所在地
 田瀬舘跡の杉は、田瀬湖中通駐車場より歩いて3分ほどの場所にあります。
 途中、未舗装の道となり、土手を登らなければならない場所もありますので。足元には十分注意して探訪してください。
 なお、田瀬舘跡の杉の南東側は、斜面が急な崖となっておりますので、気を付けてご見学願います。
          花巻市教育委員会
       
 「田瀬舘跡の杉」を見に行きましょう

 ダム湖が見えました

 ここを入って行きますが、目的のスギの樹冠が見えています

 草苅がされていません

 小雨が降っているので、靴からズボンまでビショ濡れの上、草の種(ヒッツキムシ)が沢山付いてしまいました

 右手に目的のスギが見えています

 回り込む様に北東側から近付きます

 南側から

 根元に祠です

 南東側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

 東側から見ました

 では、濡れた服を着替えて、次へ行きましょう




 2024・10・19・11・20
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岩手県遠野市、土淵町栃内22地割「前厚楽沢のアカマツ」(市指定)です!!

2024-11-27 06:34:00 | 巨樹・大木
 土淵町栃内22地割地区は、遠野市役所の東北東約9kmのところ

  遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1.1kmの国道283号線の交差点信号からは国道340号線となって更に進みます

 約6.2kmの「貞任・山口⇒」の標識に従って交差点を右(東)へ
 
 約700mの三叉路を左の道へ

 三叉路に大槌街道説明版です
   大槌街道
 「遠野物語」第37話には、馬で荷物を輸送する駄賃付けが、大槌街道上にある界木峠で、度々狼に遭遇したという話がしょうかいされている。
 この街道は、近代になるまで駄賃付けを主とした、内陸部と沿岸部を結ぶ輸送の道で、情報や文化の行き交う街道であった。
 駄賃付けの賃金は、冬の夜間で3割増しにもなるが、積雪のために道がすっかり埋まり、命を落とす人も多かった。
     令和2年3月  遠野市教育委員会  協力 山口自治会
 *ここから約2kmで目的の「前厚楽沢のアカマツ」の前を過ぎて、界峠の北側に広がる約9km先の、このブログで紹介した釜石市の和山高原の「和山のシナノキ」の前を通り、更に約30kmで大槌町内へ抜ける事も出来ます

 重要文化的景観 遠野土淵山口集落案内図です
   馬産地・遠野と山口集落
 馬は移動や運搬、農耕などに役立つ大事な動物で、遠野一帯でも古くから飼養されていました。
 江戸時代には馬産の礎が築かれ、近代以降も基幹産業として営まれてきました。現在も、乗用馬などの育成が行われています。
 山口集落は江戸時代、山口村と杤内村の一部で、明治時代に土淵村となり、昭和29年の合併で遠野市となります。
 市の中心市街地から東方の三陸海岸へと向かう街道が通過しており、大槌方面と釜石方面に分かれる分岐点に立地しています。
 街道沿いに並ぶ家々では、馬を飼い、農耕や駄賃付け(運送業)に利用していました。
 以上より、馬産地・遠野の象徴する重要文化的景観「遠野荒川高原牧場土淵集落」の一部となっています。
  *「荒川高原牧場」は、先日このブログで「荒川高原のシナノキ」で紹介させて頂いておりますが、霧(雲の中)で風景を見る事が出来ませんでした。
  *グーグルマップの荒川高原牧場を開くと、沢山に馬たちの写真が載っています。
   柳田國男「遠野物語」と山口集落
 かつて人馬が行き交った山口集落では、旅人によってさまざまな話がもたらされたほか、家々や地域の由緒なども語られていたものと思われます。
 こうして当地に残った話を収集していた佐々木喜善が柳田國男に語り、まとめられたのが日本民俗学の記念碑的著作とも言われる「遠野物語」です。
 山口集落には、「遠野物語」に描かれるさまざまな場所が残っています。
 山男山女と出会うとされた峠、河童が出る淵、ザシキワラシがいたという屋敷跡などはその一例です。
 人が馬と一緒に暮らしていたころ、山々へ畏怖、危険な場所への警告、不思議な出来事などをどのように表現してきたのかを、物語と景観で感じてください。
   山口集落の「ながめづくり」
 山口集落では、住民自らが取り組む景観保全の指針として「おらほのながめづくりガイドライン」を定めています。
 また、市と「遠野市土淵町山口集落ながめづくり協定」を結び、協働で「遠野物語」の原風景を守っています。
     令和2年3月 遠野市教育委員会・協力山口自治会

 約1.9km坂道を登って行きます

 道路左手に鳥居が見えました

 前の道路脇に車を止めさせていただきました

 天然記念物標柱ですが、文字は消えてしまっています

 鳥居が登り口ですが草苅がされていないので登のは諦めました

 すぐ先から林が刈り払われた上に目的の「前厚楽沢のアカマツ」だけが残っています

 少し先から

 ズームアップして見ました

 少し先から

 またズームアップして見まました

 さらに少し先から

 では、次へ行きましょう




 2024・10・19・10・25
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岩手県遠野市、土淵町栃内11地割「爪喰稲荷境内の杉」です!!

2024-11-26 20:08:06 | 巨樹・大木
 土淵町栃内11地割地区は、遠野市役所の北東約9kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1.1kmの国道283号線の交差点信号からは国道340号線となって更に進みます

 約9kmの左手住宅入口に天然記念物標柱です

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 住宅の先のルートが分かりませ、少し先から左への農道に入ると、草苅作業をされている方に、あそこに見える稲荷神社にはどういったらよいのか聞いてみました

 天然記念物標柱の建っていた家の方でしたので、住宅のお庭を通らせて頂きました
 
 住宅の北側から畑の先に稲荷の社が見えます

 農道の西側には牧場の牛さんが「珍しい人が来た!!」みたいに見つめています

 畦道状の農道を進みます

 爪喰稲荷の社の北側に目的のスギです

 西側から

 南西側から、目通り幹囲6.1mの巨木です

 南側から、社殿前から見上げました

 東側から見ました

 教えて頂きた方が自宅に戻っていたので御礼を言って、次へ行きましょう




 2024・10・19・9・55
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岩手県遠野市、土渕町栃内6地割「八坂神社・天王様のモミの木」(市指定)です!!

2024-11-26 13:00:30 | 巨樹・大木
 土渕町栃内6地割地区は、遠野市役所の北東約10kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1.1kmの国道283号線の交差点信号からは国道340号線となって更に進みます

 約9.6kmの「一の渡」バス停の所で斜め右(東)へ小烏瀬川を琴畑第一橋で渡り坂道を上ります

 間も無く左手に「一ノ渡公民館」がります、

 公民館の影(東側)に、八坂神社参道の鳥居があります

 公民館前に車を止めさせて頂きました

 天然記念物標柱です

 遠野遺産第53号です

 鳥居を潜って

 山道の参道に入ります

 奥に鳥居が見えて来ました


 社殿と目的の「天王様のモミの木」です
 
 西向きに社殿です

*古来、川と川の合流点である落合は「神分かれ」と称し、神社が営まれた。上流から一の渡、二の渡、三の渡といい、小烏瀬川と琴畑川の合流地点には、農事の神様であり地元では「天王様」として慕われている八坂神社がある。祭神は牛頭天王であるがビンズル尊が祀られているという。また境内には樹齢約300年のモミの木があり、市の天然記念物にも指定されている。この樹木は、幹先が霞んで見えないほど天に突き出ており、神木として祀られている。(以上は遠野市公式ウェブサイトから)

 西側から

 こちらにも「市指定天然記念物 天王様のモミの木」の標柱があります

 南西側から、目通り幹囲3.55mの大木です

 南側から

 南東側から見上げました

 では、次へ行きましょう




 2024・10・19・9・40

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岩手県遠野市、土淵町土淵7地割「常堅寺からカッパ淵」です!!

2024-11-26 06:30:04 | ドライブ
 土淵町土淵7地割地区は、遠野市役所の北東約5kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1.1kmの国道283号線の交差点信号からは国道340号線となって更に進みます

 約3.3kmの「⇐附馬牛(つきもし)・県道160号線」の標識に従って信号を左(北西)へ

 約500mで「伝承園⇒」の案内板で信号を右(東北東)へ

 約300mで「伝承園・カッパ淵 無料大駐車場」が有りますので利用させて頂きました

 駐車場脇の説明版です
   新奥の細道 遠野物語の道(2)
 このコースは、起点伝承園からカッパ淵、たかむろ水光園、デンデラ野、山口水車を経て、終点和野に至る全長約5.8kmののどかな田園風景が広がる自然歩道です。
 カッパ淵は、人々を驚かし、いたずらをしたカッパがいまにも出てきそうな雰囲気です。
 近くの常堅寺境内には、全国的にも珍しいカッパ狛犬があります。
 たかむろ水光園には太陽熱を利用した「ソーラートロン温泉」た曲り家などがあります。約2時間の散策路です。

 周辺観光案内板です、2⃣のカッパ淵へ行きます

 横断歩道を渡って南への道路を進みます

 常堅寺入口です、午前9時を過ぎて観光客が大勢通って行きました

 入口の南東側にカッパ淵上流側の蓮池川です

 下流側です、この先にカッパ淵がありますが、常堅寺境内を通らないと行けないので戻ります

 常堅寺本堂です


 本堂南側の通路を西側へ、池があります
   説明版には・・・
    蓮池地区の常堅寺と河童
 古来、この地は「蓮池(はせき)」と呼ばれ、寺の名前も「蓮峰山(れんぽうざん)常堅寺(じょうけんじ)」という。
 その昔、常堅寺が火事のとき、淵の河童が、火を消してくれたことから、時の住職が河童狛犬を祀って感謝したといわれている。
 淵と阿部家の間には池があり、蓮の葉が浮いていたが、流れ入る水量も減り、今は池の形跡も見られなくなった。
 この池は、何れの時か、河童が戻ってきて、泳ぎ回ることを思いを寄せて、地元の有志で造成したものです。
       土淵町地域づくり連絡協議会・土淵町大杉自治会
       蓮池川を考える会・土淵地区環境保全活動協議会
 *カッパ淵は、池の対岸の直ぐ南側です

 説明版です
   河童
 馬を川に引きこむいたずらに失敗したカッパは、おわびをして許され、母と子の守り神となりました。
 常堅寺の火事のさいは頭の皿から水を吹き出して消し止め、今でも一対のカッパ狗犬として境内にその姿をとどめています。

 橋を渡るとカッパ淵です

 橋の上流側です

 下流側がカッパ淵です

 西へ進むとカッパだ

 御堂です

 説明版です、遠野遺産第22号「カッパ淵~蓮池川水域」の標柱です
   カッパ淵
 遠野の河童は顔が赤いといわれ、その伝説は数多く残っている。
 「小烏瀬川(こがらせがわ)の姥小淵(おばこぶち)の辺りに、新屋の家という家あり。ある日淵へ馬を冷しに行き、馬曳の子は外へ遊びに行きし間に、河童出てその馬を引込まんとし、却りて馬に引きずられて厩の前に来り・・・」遠野物語58話
 この淵には河童駒引きの伝説を伝える河童神様を祀っている。
 洞の中には乳首の縫いぐるみが奉納されており、乳の信仰に転化している興味深い民俗がある。
        遠野市・遠野市観光協会
        遠野ライオンズ クラブ

 釣り竿が立てられています

 糸の先にはキュウリがぶら下がっています

 館跡です

 説明版です
   阿部屋敷(別名 屯館)
 陸奥六郡に威勢を誇った安部氏の一族が、天喜・康平のころ(紀元1050年ごろ)から構えた屋敷で、豪壮な直家の母屋には数十名の家族がすみ、土塁と堀でかこまれていました。
 八幡座館(はちまんざだて)の八幡太郎の軍と小烏瀬川をはさんで矢をうちあった伝える的場跡もある。
 *北側に八幡座山(標高445m、カッパ淵の標高は280m附近です)があり、間を小烏瀬川(こがらせがわ)が東西に流れています

  屋敷跡

 説明版です
   安倍(阿部)屋敷跡
 「遠野物語」第68話に「安倍氏という家ありて貞任の末なりと云ふ。今も屋敷の周囲には堀ありて水を通す。刀剣馬具あまたあり」と記されている。
 昔からこの地は、屯館とも呼ばれ、平安時代後期に北上川流域に勢力を誇った安倍氏の一族(貞任の弟・北浦六郎重任)が屋敷を構えたと伝えられている。
 現在も堀の跡などの遺構が残り、この地に続く阿部氏は安部氏の転じたものと伝えられている。
 屋敷跡の東北にある稲荷社は、約400年前に安部氏の養子となった人が甲州(山梨県)より勧請し氏神としたもので、近郷でも古い社の一つといわれている。
 明治の始め頃まで旧暦2月15日の祭例日には「ダンビラケー(ダンビラ祭)」が行われていた。
 近郷の山伏を一堂に集めて、湯立の儀式を行い巫女が笹を振りながら巫女舞を舞ったといわれる。
 近くにカッパ淵がある。
         遠野市

 西側からカッパ淵側(上流)を見ました

 蓮池川の下流側です



 では、戻って次へ行きましょう


 


 2024・10・19・09・05
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岩手県遠野市、土淵町土淵7地割「常堅寺のケヤキ」です!!

2024-11-25 18:31:54 | 巨樹・大木
 土淵町土淵7地割地区は、遠野市役所の北東約5kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1.1kmの国道283号線の交差点信号からは国道340号線となって更に進みます

 約3.3kmの「⇐附馬牛・県道160号線」の標識に従って信号を左(北西)へ

 約500mで「伝承園⇒」の案内板で信号を右(東北東)へ

 約300mで「伝承園・カッパ淵 無料大駐車場」が有りますので利用させて頂きました

 観光案内図です、「常堅寺のケヤキ」と「カッパ淵」を見て行きます

 横断歩道脇の石像です、説明書きがあります・・・
   馬っこつなぎ
 6月15日の朝、わらで編んだ2頭の馬っこをつなぎ、家の川戸や田の水口などに立てて、豊作を祈ります。
 津島天王にこの日集まる農神たちの神馬とも伝えられていますが、疫病の牛頭天王の力で川に流してしまう素朴な水神まつりの原型です。
 馬のかたちを木版で刷った紙の小旗を大地に差し立てる所もあります。

 横断歩道を渡って南へ「ホップ畑」脇の道路を進みます

 約200mで常堅寺の墓地の北西端にケヤキが見えて来ます

 墓地の手前に「カッパ淵」近道の看板を右(西)へ

 今回の目的のケヤキです

 東側から

 北側から、目通り幹囲5.4mの巨木です

 西側から

 南側の墓地の中から

 戻って常堅寺の拝観時間午前9時を過ぎました

 東向きに山門です

 標柱です、山門の仁王像は・・・
 早池峰神社山門にあったが、明治3年この地に移されたものと云われる。
 慈覚大師(848年代)作伝。
*5回前の「早池峰神社のスギと御神木」の回で紹介させて頂きた山門には、新たに作られた随神像が祀られています。

 御堂の前には「カッパこま犬」です

 鐘楼です

 本堂です

  説明版です.
    蓮峰山 常堅寺
      宗派  曹洞宗  一関市大東大原長泉寺の末寺 
      本尊  釈迦如来
 延徳2年(1490)開創、開山は大聞秀宗禅師(だいもんしゅうすうぜんじ)である。
 開基は、大原弾正勝行、遠野郷の曹洞宗12ヶ寺の筆頭であると「遠野物語」88話にある。
 一説には、同寺はもと安倍家の菩提所といわれ、大原弾正勝行(本姓千葉氏、大原城主)が当地にきて土淵村を領有した時、大聞禅師を開山として開創、寺禄20石を与えた。
 第6世の時、南部家の守り本尊勢至観音像と、新たに寺領12石4斗を拝領したという。
 山門にある白木の仁王像2体は、もと市内附馬牛町の早池峰山妙泉寺にあったものを、明治維新の頃、妙泉寺が廃寺になる際移したもので、総丈3.5m、慈覚大師の作と伝えられ、また山門にあるスギの古木一株(高さ約20m、幹周り約7.8m)は、開祖が手植えしたものといわれる。
 仁王像と道元禅師像は、市の文化財に指定されている。
              遠野市

 説明版です
   遠野市指定文化財(有形文化財)
     道元禅師像
       指定 昭和34年3月10日
   木造寄木造 ・ 制作年代  室町時代 ・ 座面高 46cm
 本像は道元禅師像と伝える僧形像で、右手に払子、左手に数珠を持つ形とし、曲彔座に坐す。
 蓮峰山常堅寺は、延徳2年(1490)大原長泉寺大聞秀宗の開山、開基は大原弾正勝行と伝えられている。
     仁王尊像2体
       指定 昭和36年11月25日
   木造寄木造(ヒバ材) ・ 制作年代 江戸時代 ・ 高さ 325cm、頭長 67cm、顔幅 47cm、肩幅 80cm、掌 36cm
 もと早池峰山妙泉寺の仁王門に安置されていた仁王像で、明治3年神仏分離により、常堅寺に移されたものである。
           遠野市教育委員会
       
 では、「カッパ淵」へ行きましょう




 2024・10・19・09・00

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岩手県遠野市、土淵町土淵3地割「大木稲荷のトチノキ」(市指定)です!!

2024-11-25 12:30:00 | 巨樹・大木
 土淵町土淵3地割地区は、遠野市役所の北東約5kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1.1kmの国道283号線の交差点信号からは国道340号線となって更に進みます

 約3.3kmの「⇐附馬牛・県道160号線」の標識に従って信号を左(北西)へ

 約500mで「伝承園⇒」の案内板で信号を右(東北東)へ

 約300mで「伝承園・カッパ淵 無料大駐車場」が有りますので利用させて頂きました

 遠野市観光案内図です

 *常堅寺の拝観時間にまだ間が有ったので、今回の「大木稲荷のトチノキ」と次回の「常堅寺のケヤキ」と「カッパ淵」を順に見て行きます

 駐車場の向かい(南)側へ、カッパ淵への道路の一本東側の農道を南南東へ入ります

 約100mで左手(東側)奥にトチノキの樹冠が確認できます

 東へ農道を進むと鳥居が見えました

 境内を北東側から

 西向きの大木稲荷神社の社殿です

 「遠野市指定天然記念物 大木稲荷のトチノキ」の標柱です

 社殿を回り込んで西側から見上げました 

 南側から

 南東側から見ると横に広くなっています、目通り幹囲6.6mの巨木です

 東側から見上げました

 東側に離れて見ました

 では、戻ってカッパ淵へ行きましょう



 2024・10・19・08・50
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岩手県遠野市、附馬牛町上附馬牛「早池峰神社のサワラ」(市指定)です!!

2024-11-25 07:19:00 | 巨樹・大木
 附馬牛町上附馬牛地区は、遠野市役所の北約20kmのところに早池峰神社が鎮座します

 遠野市役所南側の仲町通を東南東へ、約200mで左(北北東)へ、途中から国道340号線に変わります
 
 約4.5kmで「⇐附午牛・県道160号線」の標識に従って左(北北西)へ

 道成に約10kmで「神遣神社4.1km⇒」・「重湍渓5.9km」・「7km大出⇒」や「早池峰神社」を右(北)へ
 
 さらに道成りに約4kmで「神遣峠」です、早池峰郷の案内図があります

 約3.5kmで「早池峰神社⇒」の案内板がありますので右(東)へ、間も無く早池峰神社参道入口です

 東側先左手の「遠野早池峰ふるさと学校」の駐車場に車を止めさせて頂きました

 ここから前回からの続きです

 本殿前境内に上がります

 境内案内図を確認しましょう

 大きな本殿です

 境内東側に手水舎と夫婦イチイを見ました

 本殿西側の斜面に大きな幹の木です

 二つ目の目的のサワラです

 市指定天然記念物標柱です

 南側から、目通り幹囲6.9mの巨木です

 北東側から見上げました

 サワラの南側には早池峰稲荷神社です

 参道を戻ります

 参道を東へ入ると社務所入り口の「中門(黒門)」です

 説明版です
   遠野市指定文化財
     早池峯神社の中門(別称:黒門)
       所有者   早池峯神社
       指定年月日 平成13年6月29日
   形式・構造  四却門・木造茅葺
   建造年代   慶応2年(1866)
 遠野南部氏の祈願所として200石を給された旧早池峯山妙泉寺の施設で、太守の御成門であった。
 遠野の大工の手によるもので大瓶束などに優れた意匠がみられ、江戸期の遠野における代表的な門建築として貴重である。
 平成25年に早池峯神社が市民の浄財を集めて屋根の葺替えを行なった。
      平成28年11月    遠野市教育委員会 



 では、次へ行きましょう



2024・10・19・08・10
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岩手県遠野市、附馬牛町上附馬牛「早池峰神社の夫婦イチイ」(県指定)です!!

2024-11-24 18:56:00 | 巨樹・大木
 附馬牛町上附馬牛地区は、遠野市役所の北約20kmのところに早池峰神社が鎮座します

 *前回の「早池峰神社の杉と御神木」でのルートとは別のルートで説明します

 遠野市役所南側の仲町通を東南東へ、約200mで左(北北東)へ、途中から国道340号線に変わります
 
 約4.5kmで「⇐附午牛・県道160号線」の標識に従って左(北北西)へ

 道成に約10kmで「神遣神社4.1km⇒」・「重湍渓5.9km」・「7km大出⇒」や「早池峰神社」を右(北)へ
 
 さらに道成りに約4kmで「神遣峠」です、早池峰郷の案内図があります

 約3.5kmで「早池峰神社⇒」の案内板がありますので右(東)へ、間も無く早池峰神社参道入口です

 東側先左手の「遠野早池峰ふるさと学校」の駐車場に車を止めさせて頂きました

 ここから前回からの続きです

 拝殿が見えて来ました

 境内案内図を確認しましょう

 拝殿です

 遠野市指定建造物 早池峰神社(本殿及び拝殿)です

 本殿が見えました

 説明版です 

 右手にイチイが見えました

 標柱ですが、「岩手県指定天然記念・・・峯神社・・」以外は剥がれてしまって読めなくなってしまっていますが
 1986年5月9日指定の「岩手県指定天然記念物早池峰神社夫婦イチイ」ですね
 イチイは、北海道、本州の中・北部および大和、四国、九州の山岳地帯や亜高山帯に生育する雌雄異株の常緑針葉高木で、岩手県内各地に点在するが、極めて稀であり、早池峰山や薬師岳の山腹にはやや稀に生育しています。
 早池峰神社の夫婦イチイは、神社の中門をくぐって右手に雌株、左手に雄株がある。
 雌株は、根元周囲4.98m、樹高16.2m。樹勢はすこぶる良好で、毎年赤い小粒の果実をつける。
 雄株は、根本周囲3.90m、樹高17.0m。下枝に枯れているものもあるが、樹勢はすこぶる良好である。
  以上はネットで調べった「いわての文化情報大辞典」の一部です

 ということは、こちらが雄株ですね、南西側から

 根元には水が出ていた手水となっていて、お不動様が祀られています

 南東側から見ました

 本殿前境内に上がります

 本殿前境内から一段下のイチイ(雄株)を見ました

 境内東側の手水舎脇に目的の「夫婦イチイ」の雌株です

 南西側から

 夫婦イチイの標柱です、こちらは読むことが出来ました

 南側から

 南東側から

 本殿東側から夫婦イチイを見ました

 長く成ってしまいましたので、続きとさせていただきます<m(__)m>




 2024・10・19・08・10
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岩手県遠野市、附馬牛町上附馬牛「早池峰神社のスギと神木」です!!

2024-11-24 12:31:00 | 巨樹・大木
 附馬牛町上附馬牛地区は、遠野市役所の北約20kmのところに早池峰神社が鎮座します

 *前回は附馬牛町へ北側の荒川高原から下って来ましたが、今回は南西側の達曽部側から二山越えて入りました

 遠野市宮守町達曽部46地割「上中斉の夫婦桂」の手前までを参照して頂くか、遠野市附馬牛町東禅寺7地割「新山神社のヒバ(サワラ)」の回を参照して頂きたいと思います

 「上中斉の夫婦桂」へ達曽川の橋の所から更に県道160号線を約5kmで宮守町達曽部稲荷穴キャンプ場入口を過ぎると人家が無くなりますが、通勤時間にということもあって意外と県道160号線は対向車が多かったです

 稲荷穴キャンプ場入口から約10.4kmで前日通った「常福院のサワラ2本」への入り口近く(附馬牛町東禅寺5地割)へ下って来ました

 約500mで、「新山神社のヒバ(サワラ)」への北側入り口です、側の橋の袂に「⇐早池峰神社8km」の案内板がありますので左(北)へ入ります

 道成りに約4kmで「神遣峠」です、早池峰郷の案内図があります

 約3.5kmで「早池峰神社⇒」の案内板がありますので右(東)へ、間も無く早池峰神社参道入口です

 東側先左手の「遠野早池峰ふるさと学校」の駐車場に車を止めさせて頂きました

 南向きに参道入口の鳥居です

 説明版です
   本社早池峰神社
 霊峰早池峰の山霊を祀り、併せて早池峰山と共に遠野三山とよばれる石神・六角牛の山霊を祀る。
 草創は、大同元年(西紀807)3月8日、猟師藤蔵(後に始閣と定む)が早池峰山頂に於いて権現垂跡の霊容を拝して発心、山道を拓いて、その年の6月18日山頂に7尺有余の宮を創建して祀ったのがこの社の始まりである。
 山頂の社は本宮と称し、承和14年(西紀847)6月18日籐蔵薙髪(髪をそり仏門に入ること)して、普賢坊の長子長円坊が本宮の傍に新たに建立した若宮と共に、現在この早池峰神社の奥宮として祀る。
 嘉祥年間天台の高僧慈覚大師(円仁)奥州巡暦の途次この地に至り、宮寺妙泉寺を創建して坊を大黒坊と称し、不動三尊・大黒一尊各々本尊を別に、新山宮と号し3間4面の宮を建立し早池峰大権現を祀り、脇士として薬師・虚空蔵菩薩を併祀、坊には高弟持福院を住職とし、神宮には長円坊を別当として、神徒として仕かうべきを命じた。
 祭祀に神仏混淆で盛大に行われて、信仰は県外に及び、阿曽沼親綱の時代に120石、その後南部直栄より65石計200石封禄寄進され、明治維新に至り、廃仏毀釈により妙泉寺は廃され、新山宮改め早池峰神社として現在に至った。
 その間寛治年中、妙泉寺の宗派が天台宗から真言宗にかわり、文治5年火災にて全焼する等の変革を経て、現在の神殿は享保3年の建築で、東西43尺1寸・南北33尺7寸有り、用材は主として楢・栗等を使用している。
 その他神楽殿・神門・黒門・社務所等の備有り。神門は文化年中建立で、もと仁王門と称し仁王を安置していたが、妙泉寺の廃寺と共に土渕の仏師田中円吉作の随神像に替えた。
 昔は古例として年7回の祭儀を執り行なったと伝えられる。今は年1回旧暦6月18日に例祭を行っているが、近くの滝川に神輿を渡御して川の水を灌ぐ行事は、京都の祇園御霊会の神輿洗いの行事と同じく、上代に於け 式を存じ他に余り例が無いと云われる。
         昭和58年6月     附馬牛町 長男会

 神門です

 遠野市指定建造物 早池峯神社神門の標柱です
  
 神門を潜ると右手(参道と遠野早池峰ふるさと学校の駐車場の間)に境内で一番太いスギの巨木が立っています

 西側から、目通り幹囲5.9mの巨木です

 北側から

 東側(駐車場)から

 「遠野早池峰ふるさと学校」をスギの直ぐ東側駐車場から見ました

 参道右手に注連縄の巻かれた御神木です

 西側から

 北側から、後ろに「早池峰神社のスギ」が見えます

 境内案内図です
  早池峰神社
 大洞元年(806)の春3月8日、来内村の四角藤蔵が神霊を拝し早池峯山大権現の宮を建てた。
 その後幾多の時代の変遷を経て、現在早池峯神社として昔日の威容をしのばせている。
 早池峯山(1913m)は日本八景山の一つである。古くより山嶽信の聖地として崇敬された山霊であり、それを祀る神社である。
 早池峯神社は、末寺20社を持ち、格式を有する神社である。広大な境内と杉・桧・一位の古樹が繁茂して風致が幽玄の趣き深く荘厳の感を受ける。
 社殿規模も、鳥居・山門・拝殿・神殿・深宮と続き修験道又一の滝・大横通り・河原の坊・天狗のすべり岩と不思議な神秘的な話がある。

 参道を進みます

 拝殿が見えて来ました


 長く成りそうなので、続きとさせて頂きます<m(__)m>




 2024・10・19・08・00

 
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岩手県遠野市、宮守町達曽部46地割「上中斉の夫婦桂」(県指定)です!!

2024-11-24 06:31:24 | 巨樹・大木
 宮守町達曽部46地割地区は、遠野市役所の北西約15km、遠野市役所宮守総合支所の北北東約9kmのところです

 遠野市役所宮守総合支所支所は、まだ行っていないので、距離は長く成りますが遠野市役所からのルート説明です

 遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1kmの「⇐盛岡花巻北上・国道283号線」の標識に従って信号を左(西北西)へ

 約5.3kmで「盛岡・大迫・国道396号線⇒」の標識に従って信号を右(北北西)へ

 JR釜石線の線路を綾織跨線橋で越えて進みます

 道成りに約16.6km進んで来ました「土淵・県道160号線⇒」の標識に従って信号を右(北東)へ

 「達曽部川」の右岸に沿って約5.4kmで右(南東)へ、達曽部川を「栗屋敷橋」を渡り次の交差点を左(東北東)へ

 間も無く右手にカツラの木が見えて来ました

 近付きます

 目的の「上中斉の夫婦桂」の2本のカツラが並んでいます

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南側のカツラです

 南西側から

 西側から、ヒコバエが沢山出ている所謂千本桂ですね

 北西側から

 北側から

 カツラの幹にプレートです、幹周820cm、樹高25m、推定樹齢300年の巨木です

 北東側から

 遠野遺産第122号 上中斉の夫婦カツラの標柱です

 北側の一本です

 根元には南向きに祠があります

 南西側から、幹周6mの巨木です

 西側から、根元に水が湧いています

 北側から

 北東側から見上げました

 北側の道路から見ました

 では、次へ行きましょう




 2024・10・19・07・20
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岩手県遠野市、綾織町上綾織10地割「田屋の大杉」(市指定)です!!

2024-11-23 19:46:26 | 巨樹・大木
 綾織町上綾織10地割地区は、遠野市役所の西約9kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1kmの「⇐盛岡花巻北上・国道283号線」の標識に従って信号を左(西北西)へ

 ここから道成りに約7.8kmで信号を右(北西)へ入って道成りに進みます

 約500mJR釜石線「岩手二日町駅」入口を過ぎの踏切を越えた直ぐの交差点を左(西南西)へ田圃の中の道路です

 真っ直ぐに約700mで丁字路を右(北東)へ

 道成りに約1.1km道路左手奥に杉の巨木が見えました

 すぐ先の道路からの「田屋の大杉」入口です

 すぐ脇に車を止めさせて頂きました

 説明版です
   遠野市指定文化財
     田家の大杉
       指定年月日 昭和32年7月16日
  目通り幹囲  7.10m
  径      2.44m
  樹高     約30m(推定樹齢1500年)
 ほとんど損傷されていない稀に見る大樹で、市指定文化財天然記念物の中でも最も太いスギである。
 所有者宇夫家の所蔵文書に別の場所から移し植えられたという記録が残っている。
 この老杉には、昔、ある人が杉を切ろうとしたところ木から出血したとか、西南にあたる幹のこぶにかねの地蔵が入っているなどの伝説がある。
 現在、幹の東側根元に高さ50cm程の金毘羅大権現の石碑が寄りかかるように立っている。
 石碑は長年の内に幹のくぼみに食い込み容易に引き抜くことはできなくなっている。
       平成28年11月     遠野市教育委員会

 案内図です、附近の住宅に不法侵入に成らないようにしましょう

 ここを入ります

 登って行くと先に目的の「田屋の大杉」です

 北西側から

 遠野遺産第92号「田屋の大杉」の標柱です

 北側から

 北東側から

 東側から

 東側から近付いて見ました、根元に説明版にあった金毘羅大権現の石碑です

 錆びだらけになってしまった天然記念物標柱です

 根本に社殿です

 南西側から

 西側から見上げました

 南側のイチョウです

 では、次へ行きましょう




 2024・10・19・06・50

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岩手県遠野市、宮守町上鱒沢「長泉寺のサワラとかやの木」(市指定)です!!

2024-11-23 12:32:50 | 巨樹・大木
 ここからは、2024年10月19日取材分です、前日迷いながら廻った所をまた巡る形になってしまいます

 宮守町上鱒沢地区は、遠野市役所の西南西約9kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1kmの「⇐盛岡花巻北上・国道283号線」の標識に従って信号を左(西北西)へ

 ここから道成りに約9.4kmで右(北西)へ入って、JR釜石線の踏切を越えて直ぐ左(西南西)へ坂道を上がるように進み

 下り始めた約900mで道路左脇に石碑が並んだところを右(北北西)へ坂道を登って行きます

 約200mで右手に長泉寺の参道が出ています

 参道西側の道路脇に車を止めさせて頂きました

 参道を進みます

 参道左手にサワラの大木です

 南東側から

 幹周3.65m・樹高25m・推定樹齢300年のサワラのプレートです

 北東側から

 北側から見ました

 更に進むと山門です

 山門前の六地蔵様です

 山門を潜ると境内に大きなカヤの樹冠です

 右手には若いコウヤマキです


 南東側からカヤを見ました

 東側から

 本堂です

 本堂前から

 幹周3.1m・樹高14m・推定樹齢300年のカヤのプレートです

 北側から

 北西側から

 本堂西側の北西側に離れて見ました

 南西側道路脇から

 「遠野遺産第50号 長泉寺かやの木」の標柱です

 説明版ですが一部剥がれてしまっています
   遠野市天然記念物指定
     榧の木
 鱒沢館跡近くにある長泉寺は竜興山と号して臨済宗妙心寺派であり、天正2年(1574)鱒沢広勝の開基と伝えられる。
 長泉寺は天正2年鱒沢広勝のより寺畑に草創され、後、羽場に移され文政11年に上町に転じている。
 上町の於ける境内に現存する榧は慶長年間鱒沢広勝の鱒沢館に在った当時の樹であると言う。
 広勝字を佐馬助と称していたので、一名佐馬之助手植えの榧と言われる。
 前住職藤屋禅道師談によれば、本樹は雌株で、2~3年毎に約1石の種子を収獲すると言う。
 由来
 長泉寺は、天正2年(1574)阿曽沼氏の一族鱒沢左馬之助の開基、僧蘭江開山と伝えられ、その頃の移入と考えれば、樹齢凡そ400年に及ぶと推定されている。
 此の木がこのように長年生存したことは南斜面で、日当たりが良く、林床植物にオオバジャノヒゲが生育するな、立地条件に恵まれた外、代々の住職が垂れる枝に支柱などして、丹精をこめ管理した賜であると察思われる
       平成9年3月   遠野市教育委員会


 もう一枚の説明版です
   鱒沢館之跡
 鱒沢館は、宮守町鱒沢上町北方、笠通山に連なる尾根末端の丘陵に築かれた山城です。
 斜面全体は、7・8段の平場に構築され、頂部の平場には土塁の跡も見られ、館神も祀られています。
 基部巾100mに及び、一部内堀で分離された外郭が守りを堅固にしています。
 周囲全体は空堀で囲まれ、特に上部東側は谷の急傾斜を利用し、深く広い堀は二重三重となって見事なものです。
 比高は100mを越え、面積は1万㎥にも及ぶ壮大な規模を有し、猿ケ石川沿いの山城としては最大級のものと言えます。
 この館は阿曽沼氏の一族、鱒沢盛綱が鱒沢・小友の2村を領有し、上町に築いたのが始まりと言われています。
 この地は、北上平地、三陸海岸への交通の要所として、又、隣接する伊達氏への押さえとして重要であり、天正20年の諸城破却令にもかかわらず、同城は残されたと伝えられています。
     平成8年3月    遠野市教育委員会

 南側から見上ました

 では、次へ行きましょう




 2024・10・19・06・30

 
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岩手県遠野市、綾織町鶚崎11地割「聞称寺・御止の藤」(市指定)です!!

2024-11-23 06:30:55 | 文化財・樹木
 綾織町鶚崎11地割地区は、遠野市役所の西約6kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1kmの「⇐盛岡花巻北上・国道283号線」の標識に従って信号を左(西北西)へ

 約5.3kmで「盛岡・大迫・国道396号線⇒」の標識に従って信号を右(北北西)へ

 JR釜石線の線路を綾織跨線橋で越えて道成りに進みます

 約1kmで右へ入って国道と平行する道路を西へ進みます

 約300mで右手に聞称寺の参道が南向きにあります

 手前の道路脇に車を止めさせて頂いて

 庫裏への道路に入りました

 庫裏入口から山の中への道へ入ると

 聞称寺裏手の沢沿いに目的のフジが見えました

 北東側から太い蔓がイチイの木に這い上がっています

 斜面を少し下ってみました

 天然記念物標柱ですが、文面は聞称寺の庫裡の方を向いています

 西側へももう一本の蔓が這い上がっています

 *「遠野物語現在進行形」さんの12年以上前のネットの文面の一部引用です
 *聞称寺本堂裏にあるイチイの木とともに清水の谷の中に立つているフジです。
  「御止の藤」の由来は、当時の殿様がこれは大そう珍しい藤だから動かしてはならぬという事から、「御止の藤」と呼ばれるようになったそうです。
 ここの藤は白い花でかすかに淡い藤色をまとっているそうです。天然記念物に指定された藤の奥にもう1本、これも古そうな藤の木がくねりながら伸びています、この木を含めて天然記念物なのかもしれません。

 少し早いですが、そろそろ陽が傾いてきましたので、今日の宿へ向かうことにしました




 2024・10・18・15・30
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