ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

千葉県旭市、倉橋天神社のスダジイです!!

2017-03-31 06:14:26 | 巨樹・大木
倉橋地区は、旭市役所の東北東約6kmのところ

JR総武本線くらはし駅の北側台地の上に天神社が在ります

参道鳥居前に車を置かせて頂きました





参道入り口の鳥居です、大きな樹冠が鳥居を覆っています

倉橋北野 天神社です

市指定天然記念物 天神様の森の標柱です

説明版です
  倉橋天神社縁起
     当天神社の御祭神は北野天満大自在天神(菅原道真公)と大納言平時忠卿が合祀され、
    しかも倉橋北野に建てられておる、回顧すれば時に嘉永4年(1185年)3月源平の
    戦に山口県壇ノ浦に源氏に敗れた平家一門の大納言平時忠卿は、娘が源義経に嫁いでい
    る縁により、義経の跡を慕い銚子の戸川迄来たが、既に兄頼朝に追われる義経は奥州(
    平泉高舘)へ落ちた後なのでこの倉橋の地に引き返したと云う。
     倉橋は、鞍橋村として明治初期迄、天神社の昇日旗にその名を留めている。それは平
    時忠が戸川よりここ迄来たところ海上川の源流の小川の水溢れ、馬が進むことができず
    鞍をおろし橋として渡ったという故事が起因している。そして時忠は家来2人を伴い、
    此の地に住みつき、村人達に都の話や学問を教え、村人に慕われ一生を終えたと云う。
    村人達は生前の恩顧に報い、学問の神、北野天満大自在天神と合祀し天神社として現在
    も崇敬を集めており、尚、家来2人も、1人は上倉橋権現、他の1人は1299番地に
    下倉橋権現として、一間四方の宮があり、共に祀り現存し氏神として崇められている。
     因みに天神社の例祭は、1月25日初天神の日に行われ、近郷の子供達の書遺展など
    で大層賑いを呈したと言う、地区では毎月25日に小祭を行っている。
     



水盤です


参道が鍵の手に左に曲がって

社殿です





スダジイの巨木は、鳥居を潜って直ぐ右手に立っています、目通り幹回り5,1mの巨木です

では、次へ行きましょう

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千葉県旭市、見広城址です!!

2017-03-30 06:42:28 | 城跡・館跡・陣屋跡




見広城址は、旭市役所の北東約5kmのところ

県道71号線と県道73号線の間の台地上

雷神社の南側に有ります

雷神社の駐車場を利用させて頂きます




雷神社の駐車場の南側に見広城址への案内板が有ります

住宅の間の道を西に進むと、また案内板が有ります、この先が堀切の様です

堀切です

右側に本郭跡が有ります

説明版が有ります
   市指定史跡  見広城址
      昭和46年10月1日 指定
     永禄(1558~1570)年間、里見氏臣下正木時忠に攻められ落城した嶋田三河守忠廣、
    義廣の居城と伝えられる。
     南側に突き出した舌状台地に立地する。西側は急峻な海蝕崖を活かし、堀により台地先端部を
    切り離す。南側及び東側に向けて大小の郭で構成された直線連郭式の中世城郭である。標高は5
    7m~20mで、南北300m、東西90mの規模を測る。台地整形によりひな壇状に区画され
    た郭や堀、土塁が良好に遺存している。
      平成25年12月                旭市教育委員会

本郭への入り口です

上がった右側です、郭北側先端部です、祠がります

上がった左側に回り込むと、城跡碑がありました、立っている所が標高57mの部分の土塁上です

史蹟碑の前から本郭を見ました、左手です

こちらが右手です、中心部は笹薮のため見通せません、まずは右から反時計周りに見て行きましょう

本郭へ降りるところで土塁を見上げました

左側の道の脇には、低い土塁が残ります

西側の海蝕崖です、下まで一直線に下っています



本郭と二の郭の間の虎口の様ですが、竹藪になっています

二の郭です

物見台跡の様です、近所のお宅のテレビアンテナが設置されています

薮越しに南西側が見通せました

二の郭から腰郭への虎口の様です、この先腰郭の先は藪で道が無くなっています

二の郭に戻ります高度差が5m程あります

二の郭の東端を北へ進みます

東側に回り込むように腰郭が続いています


二の郭から本郭への東側琥口のようです

本郭東側の通路です

東側に低い土塁が残っています

城跡碑の前まで戻って来ました

では、次へ行きましょう




(雷神社に見広城の説明パンフレットが有りました、城跡見学の参向にさせて頂きました)
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千葉県旭市、見広雷神社のスダジイです!!

2017-03-29 06:52:52 | Weblog
見広地区は、旭市役所の東北東約5kmのところ

県道71号線を東へ、鶴巻小学校の先を北へ入ります

道路沿い東向きに大きな赤い鳥居が見えて来ます

参道を進むと、境内入口鳥居の左手に広い駐車場が有ります


参道入り口です、大きな赤鳥居あ有ります

境内入口です、左手に駐車場が有ります

由緒書きです
    雷神社由緒(雷大神)
      御祭神  天穂日命(アメノホヒノミコト)
           別雷命 (ワケイカツチノミコト)
      鎮座地  海上郡海上町見廣1371番地
創建
      雷神社(ライジンジャ)は、第12代景行天皇が皇子日本武尊の東征の跡を御巡幸された際、
     椿湖を望むこの地に立たれ、東国の総鎮守として創建された。
      古来より見広城主嶋田三河守を始め、千葉氏・源氏・松平氏等の崇敬も篤く、江戸時代からは
     海上郡の総鎮守として現在に至っている
    御祭神  鎮地の神々
      雷神社の神々は自然を治め、地上に起こる災を鎮め、人々を守護し賜う神である。
      主祭神の天穂日命は天照大神の御子で、当地方の祖神である。大神は天照大神から地上の悪神
     を鎮める命を受け、地上の乱れを平定した。国土開発・商売繁盛・産業振興の守護神として信仰
     されている。
      別雷命は、平安時代の始め(桓武天皇の延歴12年・西暦793年)に京都の賀茂別雷神社(
     上加茂神社)より御迎えした大神で、これにより桓武天皇から「雷大神」の称号を賜った。大神
     は雨と治水を司り、大自然を支配する神である。祈雨止雨、河川の治水、更に農業・漁業・天蚕
     業のほか諸産業の守護神として崇敬を集めている。
      また人類の邪悪を祓い除き、地鎮・緒災厄除け・開運・方位除災・平和福祉の増進を達成され
     る神である。

手水舎です

町指定 雷神社の森の標柱があります




御神木でしょうか

拝殿です

本殿です

拝殿北側には津島大神の祠です

こちらにも立派な鳥居が有ります




疱瘡神・金毘羅宮・石尊大権現の祠と椎の古木です

結びの樹へ行って見ました




杉とスダジイが仲良くしています


境内南東側の境内社です、稲荷社・田の神・天王宮が並びます




脇に立っているのが目的のスダジイの巨木です



南側から見上げました、目通り幹回り5,1mの巨木です

では、次は見広城址へ行きましょう
           
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千葉県旭市、岩井大宮神社の大椎です!!

2017-03-28 06:36:57 | 巨樹・大木
岩井地区は、旭市役所の北東約6kmのところ

県道73号線を進むと、海上キャンプ場・海上体育館の案内板が有ります

その少し先を東に入って、児童養護施設の手前を左手前に入ると大宮神社があります

鳥居前に車を置かせて頂きました

社殿は西向きに建っています


鳥居です

手水舎です

拝殿です

本殿です神社の説明版などは有りませんが、公園化されて遊具もあり綺麗に保たれています




境内の一番端に大椎があります、南西側から見上げました




北西がわから、目通り幹回り6,1mの巨木です


岩井大宮神社の大椎の標柱です

境内には、立派な鳥居の大きな祠もあります


参道脇の椎です


社殿前の椎です


境内南側の椎です



拝殿南側には杉の大木が在ります、注連縄が巻かれているので御神木の様です

境内には、椎の大木が他にもあります

では、次へ行きましょう
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千葉県東庄町、大東社の大杉2本とケヤキです!!

2017-03-27 06:32:53 | 巨樹・大木
大東社は、東庄町役場の南東約4kmのところ

県道267号線の南側に在ります

参道の東側に駐車スペースが有ります

駐車スペース脇に、御神木の大杉が立っています




参道入り口鳥居です

東海鎮護 東大社です

手水舎です



鳥居の後ろに大杉が在ります、目通り幹回り5,2mの巨木ですが、御神木の杉ではありません

略記です
   大東社略記(御神名と皇子の御名は古事記と日本書記の表示を混用しました)

    御鎮座地  
     大東社の御鎮座なさっている此の所は、千葉県香取郡東庄町宮本字八尾406番地である。
    御祭神
     主神に玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)、相殿に鵜茅葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)
     を祀る。
     玉依姫は海神の御娘と生まれ、鵜葺草葺不合尊の后になられ、人皇第一代神武天皇外三柱の皇子を
     挙げられた。
    社名
     創建当時は東宮、八尾社と称したが、康和4年に朝廷から総社王子大明神の号を賜り・・・




神輿舎です

祭りの説明版です

文化財の説明版です



駐車スペースの脇に御神木の杉が在ります



南側から



北西側から

拝殿前の参道から見上げました、目通り幹回り5,7mの巨木です

神楽殿です

拝殿です

本殿です

本殿西側には弓道場です

本殿北東側には、北参道が伸びています

境内社の子安宮です

神明社です

境内南西側には、相撲の神様「野見宿禰」の像と力石が有ります

西側道路脇には、ケヤキの古木があります


幹周り5mの巨木です



駐車スペースの脇に本殿跡の石碑です
      大正6年この地方を大暴風雨が襲った、その為現在社殿の建っているあたりの
     
      樹齢数百年の杉の大木が全て倒れ広い空き地になった

      当時本殿は此処に拝殿はその南にあり、社頭が余りに狭く、氏子の総意により

      現在の地に遷し建てた

      大正7年3月22日遷座祭を執行し、本殿の跡に銀杏の木を植えて石で囲い、

      参道には石畳を敷き、有志の寄付による春日燈籠を配置した

      雨来80年銀杏は大木となり石囲いを押し上げ、又ここ本殿の跡であることを

      知る人も少なくなった

               金谷隆氏より多額の奉斎があり、それを用い石囲いを整備し

      本殿跡を示す石碑を建立する事と定め、工を起こし、平成10年月3月完成した

      ここに概要を刻し後世に伝える

      平成10年3月吉日
              
            宮司 飯田眞也代
            題字 菅谷香城書

では、次へ行きましょう
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千葉県東庄町、小南小野神社の大イチョウです!!

2017-03-26 16:49:41 | 巨樹・大木
小南地区は、東庄町役場の南南東約5kmのところ

県道265号線が県道74号線へ出る手前に

参道入り口に車を置かせて頂きました


小野神社です


由緒説明版です




手水舎です

東向きの参道の鳥居です

拝殿も東向です

本殿です

本殿後ろ側に神輿庫があります



御神木のカヤの木です





北側から見上げました




目的の大銀杏です、本殿の北側道路と境内地の境に立っています



道路に出て北西側から見ました、目通り幹周り5,3mの巨木です

社殿との位置関係が解かると思います

では、次へ行きましょう

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千葉県旭市、熊野神社の大杉です!!

2017-03-25 03:42:51 | 巨樹・大木
清和地区は、旭市役所の北北西約kmのところ

県道28号線を北へ進み東総運動場の西に熊野神社が在ります

神社の参道脇に車を止めさせて頂きました




参道入り口です

参道入り口に大杉の案内板が有ります

参道入り口の鳥居です

参道を進むと


境内入口の左手に大杉が在ります

由緒の説明版です
    熊野神社の由緒

     御祭神 速玉男命 伊邪那美命 事解男命

     平城天皇の御代大同元年(806年)紀国(和歌山県)に坐す熊野の大神の御神託により

    東国開発の守護神として三川浦を経て此の地に祀られたお社である。古来より松沢荘の総鎮

    守として豊年大漁・授子安産・開運の霊験著しく、氏子はもとより朝廷武門の崇敬篤く曾て

    後鳥羽天皇の御代建久5年(1194年)正一位熊野三所大権現の神階を贈られ、又千葉氏
  
    を始め鎌倉・江戸幕府より神殿の造営並びに神領等を寄進せられている。・・・




神楽の説明版です




大杉を東側から見上げました

説明版です
   市指定天然記念物 熊野神社の大杉

        昭和52年4月20日指定

     熊野神社には、かつて老杉が鬱蒼と繁茂していたが、大正6(1917)年には台風により
    
    大半が倒伏し、昭和43(1968)年の大火では社殿ほか周囲の樹木が焼失したが、それで
   
    もなお生き残った。樹齢は800年と推定され、目通り6,0m、樹高30,0mの大樹であ

    る。ひときわ偉容を誇り、当地域の信仰を集めてきた大杉である。

        平成23年3月

                              旭市教育委員会
    





境内から見ました

手水舎です

神楽殿です

拝殿です

懸額です

本殿です

本殿東側に境内社や石塔が並んでいます

本殿西側の女男石です

説明版です

では、次へ行きましょう


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千葉県多古町、次補惣態神社のスダジイです!!

2017-03-24 05:47:41 | 巨樹・大木
次補地区は、多古町役場の北北東約6kmのところ

県道120号線お北へ

永台寺の北西側に惣態神社が在ります

惣態神社は、前の道路の影響でしょうか、南西向の参道社殿と成っています

境内北西側の道路沿いに駐車スペースが有ります
.
惣態神社鳥居から拝殿です

手水舎です

案内板です

懸額には惣態大明神と有ります

本殿です




鳥居の東側にスダジイの大木が在ります

幹には大きな傷があります



北西があから見ました、目通り幹周り5,7mの巨木です



境内には、シイの大木が在ります




本殿西側にもケヤキの大木が在ります

では、次へ行きましょう
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千葉県多古町、東松崎厳島神社の大杉です!!

2017-03-23 04:09:23 | 巨樹・大木
東松崎は多古町役場の、北東約7kmのところ

県道127号線を東へ進むと

北向きに大きな鳥居があります

鳥居脇に車を置かせていただきました





県道脇の鳥居です、参道は鍵の手に曲がっています

案内板が有ります
   厳島神社
     御祭神  市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
          彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
          菅原道真(すがわらみちざね)

     由緒   創建は承応2年(江戸時代 西暦1653年)正月と云われ
          明治45年王子社と菅原神社を合祀する   

赤鳥居から石段を上がります

手水舎です


拝殿です、後ろ側に杉の大木が立ちます


本殿です、御神木の杉です




本殿脇左手から、目通り幹回り5,1mの巨木です


拝殿脇から

境内右手端から見ました

では、次へ行きましょう
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千葉県匝瑳市、全国代4位の椎、安久山の大シイです!!

2017-03-22 03:09:12 | 巨樹・大木
安久山地区は、匝瑳市役所の北西約6kmのところ

県道16号線と県道74号線の交差点の北西側です

日枝神社を目印に細い道を進むと


車3台分ほどの無料駐車場が有ります

駐車場の直ぐ西側に、シイの巨木が在ります


南側から見上げました、目通り幹周り5,2mの巨木です

でも、木の根元に、安久山のシイは他に在るようです

こちらです

母屋の西側です、玄関のポストに維持管理協力金を入れて行きます


見えて来ました




前のシイノキよりはるかに大きな物です

標柱です
  匝瑳市指定天然記念物
     
     安久山の大シイの木  一樹

    学名をスダジイと呼び、日本全土広く分布している樹種である。しかし本樹は高さ25m
 
    幹周囲10,0mを測る巨樹で環境省の調査によれば、全国で4番、千葉県内最大のシイ

    であることが判明している。
  
    古くから信仰の対象物ともなっており、本市において貴重なものでもある。



東側から



北東側から、根元には祠があります




北側から



北西側から




南側から見上げました

日本の里山100選の地の案内板です、椎木のある台地の周りには谷地が入り込んでいます

では、次へ行きましょう
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千葉県多古町、妙光寺の杉です!!

2017-03-21 05:57:51 | 巨樹・大木
妙光寺は、多古町役場の東約2kmのところ

県道74号線沿いにあります

74号線と127号線の分岐の南側です

県道沿いの広場に駐車させて頂きました



道路沿いに杉の大木が見えて来ます

冠木門が有ります

日蓮宗 竹林山 妙光寺です




南西側から見ました、目通り幹回り5,5mの巨木です

山門は東側に入った所にあります

手水舎です

本堂です

境内南側には板碑が並びます

説明版です
   多古町指定有形文化財
      竹林山妙光寺板碑群
        平成10年4月2日指定
     板碑とは、板石塔婆のことで、板状の石を用い、卒塔婆の一種として発生した供養塔であるが、
    副次的には墓石の意味もつようになっていく。
     竹林山妙光寺に所在する下総型の題目板碑14基は、応安4(1371)から永享10(143
    8)年にいたる67年の間に造立された下総型題目板碑の典型を示すものである。・・・




東側から見上げました

では、次へ行きましょう
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荒川土手は、菜の花満開です!!

2017-03-20 13:15:29 | 草花
3月20日春分の日、春霞の穏やかなひになりました


荒川土手には、菜の花が満開でした

北側

南側

まだまだ蕾も多く花を楽しめそうです

足元には、小さなオオイヌノフグリや

ナズナ

オドリコソウに

タンポポ

綿毛に成って居るものも

ユキヤナギも白い花を点けています

では
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千葉県匝瑳市、入山崎妙見社の夫婦杉です!!

2017-03-20 08:17:59 | 巨樹・大木

入山崎は、匝瑳市役所の北西約6kmのところ

飯高壇林の西南西約2kmの東総広域農道の南側の集落です

妙見社が在るのは台地の上、北側から集落に入って間もなく

右手の台地に上る急な道を登ります

登り切った所、右手に稲荷神社の新しい社があります

参道に車を置かせて頂きました

左手の薮の中に隠れるように妙見社はあります

参道入り口です、木製の立派な鳥居が有ります


妙見社の社ですが・・・屋根の傷みが目立ちます




夫婦杉は、鳥居の後ろ道路との境に在ります、2本の融合木の様です




西側(道路)から見上げました

妙見社についても、夫婦杉についても説明版等は有りませんが

目通り幹回り6,2mの巨木です

では、次へ行きましょう






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千葉県匝瑳市、飯高壇林跡、天神社のスダジイ樹叢です!!

2017-03-19 11:42:52 | 巨樹・大木
飯高壇林跡は、匝瑳市役所の北西約5kmのところ

飯高寺(国指定重要文化財)の直ぐ東側台地の上に天神社が有ります

飯高寺側の台地から一度下って、また天神社の参道を登り返します

台地上の境内には、スダジイの巨木・大木が並びます


参道入り口の鳥居です

天神社です

急な石段を上がります


登り切った正面に、スダジイの巨木が現われます

右手に天神社社殿です

説明版があります

   天神の森

     この森はスダジイ(椎の木)を主体とする自然林で特に南側斜面にはその発達した樹木でおおわれている。
     
     社殿のある平坦面には、スダジイの巨老木が数多く存在している。その中の一本に以上に発達した板根が認
 
     められ、この形状は南洋地方でよくみかける板根に劣らぬもので学術上貴重である。

     このように発達した天神の森は自然林の生態を知る上で重要な森である。
    
     周辺部には、シラカシ・モチノキ・ヒサカキ・アカガシ・ヤブツバキ・アオキなどが育成している。

                                     匝瑳市


説明版にある、大きな板根のスダジイが最大の巨木で、目通り幹回り5,3mです





東側から見上げました



社殿前のスダジイです



社殿東側のスダジイです




社殿東側のもう一本です




境内南端のスダジイです

境内北東側の薮の中にもスダジイの大木がみえました

では、駐車場までも度り次へ行きましょう
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千葉県匝瑳市、飯高壇林跡、飯高寺です!!

2017-03-18 23:57:04 | 文化財・寺社
飯高寺は、匝瑳市役所の北西約5kmのところ

飯高壇林跡の中心部です

駐車場から北側に進むと
案内板が有ります、国指定重要文化財 飯高寺 飯高壇林跡 順路です

台地上へ上がります


石段を上がると総門です

国指定重要文化財 総門の標柱です




総門を潜ると右手に杉の大木です

説明版です
   千葉県指定史跡

      飯高壇林跡

         指定  昭和50年12月12日
      
         附   総門・経蔵・題目堂・鐘楼・鼓楼・講堂・庫裏 各一棟

         地積  67、667平方m

        天正18年(1580)土地の豪族平山刑部少輔常時は日生を招き、城内に寺をつくり学問所

       (壇林)としたのが始まりと伝えられています。

        天正19年に徳川家より日蓮宗の宗門根本壇林として公認され、以後徳川家の保護を受けてき
    
       ました。特に、家康の側室養珠院「おまんの方」の信仰が厚く、その子水戸頼房・紀伊頼宜の寄

       進等により規模が整えられました。以後、寺は日蓮宗の根本壇林として遠近各地から参集する僧
 
       たちでにぎわい、名僧を輩出しました。

        慶安3年(1650)に火災にあい、衆寮・楼門・大講堂を焼失し、現在の建物はその翌年(

       慶安4年)に再建されてものといわれています。

        明治7年に壇林の制が廃止され、不要の建物は取りはらわれ、今では講堂、総門・鐘楼・鼓楼

       等が往時の盛大さをしのばせてくれます。

         昭和54年2月                    千葉県教育委員会
                                    匝瑳市教育委員会

案内図です




参道は北東に延びています、杉の大木の林立する参道を先へ進みましょう

飯高壇林の森郷土環境保全地域の説明版です、200年から300年の杉が林立しています


空堀です、城として使われていた名残でしょうか


空堀脇の杉の大木です

経蔵です

立正大学発祥の地の石碑です

説明版です
  
   立正大学発祥の地
    
     法華経の思想を建学の精神として高く掲げる立正大学は、日蓮宗の最高教育機関であった飯高壇林に

    淵源を発する。

     天正元年(1573年)、日統上人によって飯塚の地に談所が開かれ、同8年(1580年)ここに
 
    移って飯高壇林の礎が築かれた。やがて大壇林として多くの学徒お集めて栄えたが、明治5年(187
  
    2年)東京の芝二本榎に設けられた宗教院にその使命を譲った。これが後に日蓮宗大学となりさらに立

    正大学に発展する。
   
     飯高壇林を立正大学の淵源とするのはこのような由緒によるもので、その輝かしい歴史と伝統は今日

    に受け継がれている。

                               学校法人立正大学学園


題目堂です

講堂です


鐘楼です


鼓楼です

庫裏の入り口です




講堂の裏側に牡丹園が有ります、北側の境内端に杉の巨木が在ります、南に傾いで立っています、目通り幹回り5,6mだそうです

房総の魅力500選 飯高壇林跡と森のプレートがありました

では、次は天神社へ行きましょう

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