ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県常陸大宮市、上利員「熊野神社のケヤキ」です

2019-02-28 06:39:51 | 巨樹・大木
上利員地区は、常陸太田市役所の西北西10kmのところ

県道62号線常陸那珂湊山方線を進むと

広域農道のビーフラインを過ぎ、鏡徳寺入口を過ぎて間もなく

県道右手に大きなケヤキが目に入ります

県道沿いの集会所の駐車場を利用させて頂きました


国道の東側に並行して参道が有ります

社殿です





常陸太田市 みどりの文化財 登録樹 第0009号 熊野神社のケヤキです

社殿軒下から見上げました

本殿脇から


玉垣が厳重で本殿ははっきり見ることが出来ませんでした


南西側(駐車場)から見上げました、目通り幹周り5.6mの巨木です

では、次へ行きましょう
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茨城県常陸太田市、上利員「鏡徳寺のイチョウ」です!!

2019-02-27 07:32:49 | 巨樹・大木
上利員地区は、常陸太田市役所の西北西10kmのところ

県道62号線常陸那珂湊山方線を進むと

広域農道のビーフラインを過ぎて約2km

浅川の対岸、西側の山裾に鏡徳寺が有ります

入り口は解らいにくいですが、道路沿いに赤い幟が立って居ますので

寺院があることが分かります

浅川を木の橋で越えて、車一台がやっとの農道を進むと鏡徳寺入口です

参道脇に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました


参道入口です

真言宗智山派 五仏山五智院 鏡徳寺です


山門の仁王門です

山門を抜けると正面にイチョウの巨木が見えて来ます

目的のイチョウです、かなり痛みが目立っています

石段を上がると境内です

石段から見ました

境内側から、目通り幹周り7,0mの巨木です

関東八十八ヵ所霊坊前から見ました

手水舎(心水)です

関東八十八ヵ所霊坊です

延命地蔵菩薩像です

聖観世音菩薩像です

本堂です

弘法大師様です

六地蔵様です

不動明王像です

鐘楼です

では、次へ行きましょう
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茨城県日立市、東河内「玉簾寺の常念杉」です!!

2019-02-26 06:21:26 | 巨樹・大木
東河内地区は、日立市役所の西北西約10kmのところ

県道36号線を西へ、国道349号線の高架下を過ぎて

東の国道旧道へ回り込むと玉簾の滝が有ります

瀧のすぐ南側道路沿いに常念杉は在ります

前の道路脇に車を止めさせて頂きました

玉簾保全地域案内板です
  この地域は、寺院の西側、国道(旧道)沿いにスギの巨木が
 そびえ立ち裏側には玉簾の滝が岩石の間から落下しています。
  滝の周辺には、ウラジロカシ・アカシデの大径木を主とする
 常緑樹と落葉樹の混交林が調和して冷涼な環境を保っており、
 その周辺と山頂付近には、コナラ等の二次林という構成をなす
 森林です。
  特に、滝周辺の岩壁には、湿地性を好む多年草のイワタバコ
 が群生して特異な分布状態を有しています。
  また、自然林と川、滝などの清流があるため小動物の個体数
 が多く、多種にわたり棲息しています。
    昭和57年2月22日指定        茨城県

南側から常念杉です

玉簾寺入口ですが侵入禁止になってしまっています

高鈴山ハイキングコース玉簾の瀧御岩山々通口の石碑です

本堂です

茨城県指定文化財 木造観世音菩薩坐像の説説明版です
  





南側から見上げました、目通り幹周り6,3mの巨木です

玉簾の滝です、乾燥続きで水量が減っているようです

北側から見ました

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茨城県日立市、入四間「梨久保のカエデ」です!!

2019-02-25 07:01:48 | 巨樹・大木
入四間地区は、日立市役所の北西約7kmのところ

県道36号線の本山トンネルを貫けると入四間です

間も無く三本杉で有名な御岩神社が鎮座します

そのまま県道を西へ約2km進むと地区の西端近く

カーブの内側(道路の北側)に赤い鳥居が見えます

手前の旧道と思われる道路に車を止めさせて頂きました

このカーブです

目印は龍神大吊橋17km・袋田の滝32kmの表示板ところです

道路向い(南側)から見ました

赤い鳥居のところの斜面上にカエデの大木が在ります(葉が落ちてしまっている時期には良く分かりませんが・・・)


登ってみました

祠が並んでいます

根元から見上げました

祠の前から見下ろすように見ました

北側から観ました、目通り幹周り4,1mの大木です



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茨城県日立市、入四間「入四間宿の五本杉?」です!!

2019-02-24 06:52:13 | 巨樹・大木
入四間地区は、日立市役所の北西約7kmのところ

県道36号線の本山トンネルを貫けると入四間です

間も無く三本杉で有名な御岩神社が鎮座します

神社の有る集落の西端の墓地の中に五本杉が在ります

墓地の入り口で山の斜面の雑木の切り払い作業をしていたので

車を西側の道路(広域農道)から入った道路脇に止めさせて頂き

畔道を伝って墓地へ行きました

西側道路からスギのある山を見上げました

目的の五本杉です

斜面の切り払い作業をしていた方が近付いて来ました

お話をうかがうと、スギの持ち主の方です

(杉の名前は八本杉と云うかは不明でした)

数年前に樹木医の診断と治療を受けたそうです

今は幹が二本を残すだけになりましたが

幹の切り口には防水板を取り付けてあったりしています

後に写って居るのが持ち主の方です


保存樹標識です指定番号第69号、平成8年3月13日指定で「スギ」とだけ表示されています。

南側から

北東側から、目通り幹周り7,1mの巨木です

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茨城県日立市、小木津「澳津説神社のシイ」です!!

2019-02-23 09:05:54 | 巨樹・大木
小木津地区は、日立市役所の北北東約5kmのところ

JR常磐線おぎつ駅の北東側約300mのところに

澳津説神社が参道を西向きに鎮座します

参道入口信号の北側に報徳集会所がありその敷地の北西角に

シイの巨木が在ります、ここは澳津説神社の飛び地だそうです

集会所の前に車を止めることが出来ました




報徳集会所です

集会所前の南南東側から

文化財標柱です、昭和48年8月23日指定 日立市指定天然記念物2号です

東側から

南側から

北東側から

北西側から

西側から見ました、目通り幹周り7,1mの巨木です

澳津説神社へ行って見ましょう


参道入口鳥居です

参道ニノ鳥居です

参道を進みます

水準点が有ります

三の鳥居は赤鳥居です

南向に祖霊社です

手水舎です

こちらが南向きの澳津説神社拝殿です

本殿です

境内社です



本殿西側のスギの大木です

東側から見ました

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茨城県高萩市、下君田「大(王)塚神社の大杉と大樅」です!!

2019-02-22 06:20:28 | 巨樹・大木
下君田地区は高萩市役所の北西12kmのところ

県道22号線と県道111号線の交差点の北西側に

大塚神社が鎮座します

前の道路脇に車を止めさせて頂きました



参道入り口です

村社 王塚神社です(大塚神社の間違いだはありません)

王塚神社の由来の石碑です
  王塚神社の由来
 延喜式年(902年)出羽湯殿山権現の分霊を鎮斉したのが
始まりとされ、湯殿山大権現または王塚権現とも云う。
当初は石の社に始まり、紋は菊花十六単片で皇塚神社の号称で
あった。その他は明治21年に遷宮された時の棟札や、大正4
年の素人相撲大会の木片にも 我があり大正9年の大鳥居が建
立された時に、王塚神社に諸般の事情により改称されたものと
思われる。当時の記念碑や社前の大旗にも王塚の同号が記され
て 現在も利用・使用されている。
 昭和に入り大塚神社に改号されたが、この度の立替えを期に
王塚神社に改号する。
 市内有数の古社であり、境内には茨城県指定天然記念物の大
杉・大樅があります。高萩市指定無形文化財のきさらがあり毎
年祭礼に獅子舞が奉納され、氏子の子孫繁栄・五穀豊穣・無病
息災・家内安全を祈願し地域の隆盛発展の心の拠り所として崇
められております。ささらの先達様・露払い役は湯殿山修験者
が務めていたと云われておりますが現在は地元の若衆が代役を
果たしている。
 氏子の汗と努力の結晶が永遠と引き継がれ、歴史的遺産とな
ることを願う。

鳥居脇に説明版があります
 県指定文化財 天然記念物
   大塚神社のスギ・モミ
     昭和49年3月31日指定
     所在地 高萩市大字下君田1377番地
 スギは樹高約45m、根周り8,6mで、樹齢は約500年
である。拝殿の後方にあり、樹高がこの森一番で神木とされて
いる。
 モミは樹高約40m、根周り8,05mで、樹齢は約500
年である。モミの大木は伐採されて少なく、このモミは県下有
数の大木である。
  平成3年3月        高萩市教育委員会

石段を上がります

二本の大杉(門スギ)の間に人一人やっと通れる参道です

石仏が有ります


更に石段を上がります


参道の石灯籠が見えてきました

社殿です

社殿前にも石碑がありますが、東日本大震災の時に台座から落ちてしまったままになっているようです



社殿前にモミです

天然記念物標柱です

東側から


西側から見ました、目通り幹周り5,0mの巨木です




社殿の裏側に目的の杉です


天然記念物標柱です



西南西側から



東南東側から、目通り幹周り6,8mの巨木です

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埼玉県川口市、芝「長徳寺のビャクシンとその他樹木」です!!

2019-02-21 06:58:16 | 巨樹・大木
芝地区は、川口市役所の北西約5kmのところ

外郭環状道路と県道35号線・JR宇都宮線に囲まれた所です

慈星院の北側、芝中学校の南側に長徳寺が有ります

参道は南側ですが、駐車場は参道の東側に有ります



参道入り口です

山門です

軒の額です

参道は先で通交止めになっています


龍派和尚史跡の石碑が立って居ます

マキの大木は保存樹木です

離れて見ました

本堂前の山門です

立派な彫刻があります、上から鳳凰、午?、中国の故事の彫刻で囲碁と琴でしょうか


内側の彫刻です、上から大きな翼のある龍、亀(玄武?)、中国の故事の唐子と獅子舞でしょうか

目的のビャクシンです

説明版です
  長徳寺のビャクシン
 ビャクシンはヒノキ科に属する常緑樹であり、和名をイブキと
いう。このビャクシンは雌雄異株であり、本寺のものは雌木であ
る。その特徴は、葉が2種類存在することである。ひとつは鱗片
状のものであり、もうひとつは針葉状のものである。実は6~8
mmの毬果で、紫黒色。
 この木は樹形が美しいことから、広く庭園・社寺などに植えら
れることが多く、本寺のビャクシンは、古く中国から渡ってきた
と伝えられている鎌倉建長寺のビャクシンの実生といわれている
。大きさは、根回り4,0m、樹高13,0m、枝張り7,4m
四方になる巨木である。
      昭和12年3月31日 県指定)



根元から幹を見上げました


東側に離れて見ました


本堂よりにヒノキの大木です

保存樹木標識です、第2号です

東側に離れて見ました

墓地の入り口に六地蔵様です

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埼玉県川口市、芝「慈星院のカヤ」(市指定)です!!

2019-02-20 06:13:50 | 巨樹・大木
芝地区は、川口市役所の北西約5kmのところ

外郭環状道路と県道35号線とJR宇都宮線に囲まれた所です

芝小学校のすぐ東側に南向きに慈星院が有ります

南側参道脇に駐車場が有りますので利用させて頂きました


参道入口です

左手に六地蔵様です

山門です

正面に本堂です

参道右手に保存樹のイチョウです

保存樹木表示版です、第61号です

手水舎です

目的のカヤは手水舎の後側(東側)に在ります

南側から

説明版です
 川口市指定天然記念物 慈星院のカヤ
   昭和42年2月22日指定
 カヤは、裸子植物、イチイ科に属し、本州北部から九州南部
までの山地に自生する常緑の高木である。葉は堅く、先端が鋭
く尖った被針形で、螺旋状に互生するか、それがよじれて同一
平面上で左右に展開し、羽状となっている。雌雄異株で、花は
春咲き、その年の秋結実する。雄花は長楕円形で葉の脇、雄花
は卵形で枝の先につく。種子は厚い仮種皮に包まれ、長さ2~
3cm、幅1~2cmの楕円体状で薬用、または焙って食用と
したり、搾って油をとったりする。また、庭園樹としても植え
られ、材は水湿に耐える性質が強いので土木用材としたり、質
が緻密なので碁盤や将棋盤として常用されている。
 このカヤは、本寺最古の樹で雌木であるが、最近は樹齢のた
めか、実のつきがやや少なくなったようである。根本から幹の
内部を通って、上まで突き抜けている洞穴がある。樹の大きさ
は、樹高18,0m、目通り4,1m、根回り7,8m、枝張
りは、東方7,7m、西方7,7m、南方4,7m、北方7,
7m、である。
 カヤには種々の変種があり、ハダタガヤ、ツナキガヤ、コツ
ブガヤの名で呼ばれ、天然記念物に指定されているものも多い

  昭和63年6月23日
          川口市教育委員会・慈星院


もう一つ説明版があります
  慈星院
 天台宗山門派に属し、慈覚山清月寺と号する。浦和市
中尾吉祥寺の末寺で、寺領七石を賜っていた。
 開山は慈覚大師と伝えられているが、当寺は寛永年間
(1624~44)の中頃火災に遭い、旧記、資料など
一切を焼失したため、詳しいことは分かっていない。
 しかし、文化年間(1804~18)に亮応師が本堂
を再建したと伝えられ、また、本尊の虚空蔵菩薩は慈覚
大師の作と伝えられている。・・・




東側から

本堂前から見上げました

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埼玉県草加市、瀬崎「浅間神社の富士塚」です!!

2019-02-19 06:41:18 | 遺跡・史跡
瀬崎地区は、草加市役所の南約2kmのところ

県道49号線(国道4号線の旧道)を南へ

東武スカイツリーラインやつか駅入口を過ぎてすぐ左(東側)に

浅間神社が西向きに鎮座します

社殿の東側、少し離れて富士塚が有ります

浅間神社の東側に富士塚が有ります、まずは鳥居が見えて来ます

説明版です
 市指定文化財
  瀬崎の富士行及び富士塚
    平成26年1月24日指定
    草加市瀬崎3丁目3番24号
 富士山を信仰する人々で組織された富士講は、各地で独自な
展開を見せて来ましたが、草加地域では旧瀬崎村で「冨士行」
と呼ぶ一連の行為を伝え、今なお受け継がれています。
 「冨士行」は、富士山頂で神霊に祈警を捧げることのほか、
地元では元日と7月1日(富士山の山開きの日)は浅間神社の
拝殿で、その他の月は社務所で「オツタエ」と呼ぶ冨士の神霊
を称える唱言が節を付けて唱えられます。
 富士講の隆盛は、富士登山者の増加をもたらしましたが、当
時の富士山は女人禁制で、しかも往復に相当の日数を要したた
め、容易に登れる山ではありませんでした。そこで、誰もが身
軽に登山できるように築かれた富士山を、富士塚と呼んでいま
す。
 瀬崎の冨士塚は大正5年(1916)8月に竣工し、地元は
もとより、近隣の富士講の講員が今なお巡拝に訪れています。
 各地の富士講・富士塚が廃れていく中、往時に近い形で今に
伝わる瀬崎の「冨士行」・「富士塚」は全国的に見ても貴重な
存在であり、大切な文化遺産となっています。
  *富士塚の規模・・高さ約4m、
           横幅10,4m、奥行8,6m
 平成26年6月      草加市教育委員会


規模の大きな富士塚です

数多くの石碑が有ります、”瀧”の文字を中心に丸く”北口””登山”の文字と人名が刻まれています

南側には女坂と

御胎内があります

男坂は北側です

南東側道路から見ました

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茨城県小美玉市、小川「素鵞神社のケヤキ」(市指定)です!!

2019-02-18 06:14:37 | 巨樹・大木
小川地区は、小美玉市役所の南約7kmのところ

県道144号線役場入り口信号の東に素鵞神社が鎮座します

鳥居前に駐車スペースが有ります



参道入口鳥居です

由緒石碑です
  特別社 小川総鎮守 素鵞神社 御由緒
 享禄2年、橋本源左衛門尉重長・橋本孫左衛門尉重孝、
薗部川より神像を御掬ひ申上げ、これを花蔵院に祀る、
薗部宮内小輔小川鎮守として、城内へ陰神たる櫛稲田姫
を、城外へ建速素戔嗚命を祀る。天保年間、天王宮を素
鵞神社と改め、昭和22年神神道指令により、陰神を現
在の地に鎮祭し盛大なる祭事を行うに至る。
 御大典記念   平成2年11月吉日


参道を進みます

境内社の稲田姫神社です

説明版です
  櫛稲田姫神社
御祭神 櫛稲田姫命
     素鵞神社の御祭神である建速須佐男命(陽神)
    とはご夫婦の神様(陰神)です。
例祭日 7月23日
     素鵞神社の神輿渡御の際には、神前にて両神が
    対面する出会いの神事が執り行なわれます。
御社殿 享禄3年(1530年)の創建時より。
     旧薗部城内(現小川小学校)に祀られていまし
    たが、終戦後現在地に移されました。今の社殿は
    平成22年に改築されたものです。正面御拝には
    、御祭神に因んだ櫛の彫刻が施されています。
御神徳  神話の中で櫛稲田姫命は八岐大蛇の生贄になる
    ところを建速須佐男命に救われます。やがて二人
    は結ばれ力を合わせて新しい国づくりに励むこと
    になります。
     この故事から、素鵞神社と当社の両方に参拝す
    ることで、男女の縁が結ばれ、夫婦和合し、また
    女性の願いが叶い幸せになると云われています。
 八雲立つ 出雲八重垣夫婦ごみに 
               八重垣作るその八重垣に




境内社の稲荷神社です

注連縄の巻かれたケンポナシです

説明版です
小美玉市指定史跡名勝天然記念物 天 第10号
  素鵞神社のケンポナシ
    指定年月日   平成27年3月18日
    所在地     小美玉市小川1658番地1
    所有者・管理者 素鵞神社
 クロウメモドキ科ケンポナシ属の落葉高木である素鵞神社の
ケンポナシは、樹高25m、目通り幹周囲約3,7mを誇りま
す。球状の果実をつけた果軸は、秋に肥厚して生食でき、煎じ
れば二日酔いに良く、嘔吐や消臭に効用があるとされています

 文化元年(1804)現在の素鵞神社隣接地に医学修練所で
ある稽医館が創設されました。かつて、茨城県指定文化財(天
然記念物)であったケンポナシは、稽医館の本草学研究のため
に植樹されたとされています。しかし昭和55年(1980)
枯死のため、伐採されてしまいました。素鵞神社のケンポナシ
は、稽医館にゆかりのある樹木であると思はれます。
  平成27年7月     小美玉市教育委員会




手水舎です

拝殿前左側に目的のケヤキです

拝殿前から見ました

説明版です
小美玉市指定史跡名勝天然記念物 天 第9号
  素鵞神社のケヤキ
    指定年月日   平成27年3月18日
    所在地     小美玉市小川1658番地1
    所有者・管理者 素鵞神社
 ニレ科ケヤキ属の落葉高木である素鵞神社のケヤキは、樹高
35m、目通り幹周囲5,9mを誇ります。市を代表するケヤ
キのひとつであり、幹がまっすぐに伸び、放射状に大きく枝を
張る雄大な姿は、目を見張ります。
 ケヤキは、強度や耐久性があり、古来より、家屋や神社仏閣
の建築材として多用されています。また、磨くと光沢があり、
木目が美しいことから、家具材などにも用いられます。
 平成18年12月25日、小美玉市を象徴する「市の木」と
して、ケヤキが選定されています。
  平成27年7月     小美玉市教育委員会


拝殿です

本殿です

本殿西側のけやきの大木です


本殿裏側に並ぶ石塔や祠です

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茨城県小美玉市、下馬場「鹿島神社のケヤキと大杉」(市指定)です!!

2019-02-17 13:42:26 | 巨樹・大木
下馬場地区は、小美玉市役所の南約9kmのところ

県道8号線の南側に鹿嶋神社が鎮座します

小川南中学校の東側にあたります

参道東側道路脇に駐車場が有ります



参道入口です

鹿島神社です

参道です

説明版です
 「元郷社」鹿島神社
御由緒 鹿島の大神東海より霞ヶ浦に入り、薗部川を遡って馬場村の
   金輪田に来臨された。里人らこれを久殿の森に奉紀したが、神
   慮にかなわず、羽木上成山等を経て大同2年現在地に鎮座され
   たという。
    長禄元年(1457年)小河の城主園部兼房公神田を寄進さ
   れて依頼歴代の城主みな先例にならわされた。
    慶長17年城主戸澤右京太夫安盛公は、天正末の兵火で焼失
   した社殿を再建し続いて三代家光公からは朱印状が下賜された
   。以来小河十二郷大鎮守として尊崇され江戸時代当初は、元道
   神官11人の社人が常駐し慶安元年制度の祭礼日限帳に基つい
   て大の祭り小の祭りが連日斉行された。
    明治5年郷社に列した。現在の社殿は明治16年に改築され
   て、更に昭和2年社殿を銅板に吹替えされた。
          平成19年8月26日 御鎮座千二百年奉祝祭
    


スダジイの大木です


目的のケヤキです

西北西側参道から見上げました

文化財標柱です、小川町指定天然記念物となっています、合併前のままですね

説明版です
 小川町指定 天然記念物 ケヤキ
     昭和51年12月1日指定
   所在地 小川町下馬場530
   管理者 小幡好亮
 目通り周囲11,6m、根本の周囲16,5m、高さ約15m、
ニレ科の落葉喬木。関東平野では防風林として人家の周りに植える

 小川のケヤキとしては巨木である。樹勢はきわめて旺盛で樹齢は
500年ぐらいと思われる。
              小川町教育委員会 
 


南南東側道路から

手水舎です

井戸神様です

拝殿です

本殿です

説明版です
 元郷社 鹿島神社
祭神 武甕槌大神外二柱
(由緒に関しては参道の説明版とほぼ同じなので省略しました)

拝殿西側には境内社が集められています


社殿東側に御神木のスギが在ります

根元から見上げました

文化財標柱です、大杉となっています

説明版です
 小川町指定 天然記念物 
   大杉
     平成6年5月25日指定
  所在地 小川町下馬場530番地
  管理者 小幡好亮
 目通り周囲5,4m、樹高約40m、樹齢は約800年と推定さ
れる。
 小川町唯一の元郷社鹿島神社の神木である。
 杉は長寿を保ち得る樹種であり、従って各神社には杉の大木が多
く見られるが、鹿島神社の神木である大杉は小川町一の巨木である

                     小川町教育委員会



参道から見還りました

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茨城県小美玉市、倉数「潮宮神社のスダジイと御神木のスギ」です!!

2019-02-16 11:11:37 | 巨樹・大木
倉数地区は、小美玉市役所の南東約12kmのところ

県道8号線を北に入ったところに潮宮神社が鎮座します

鳥居脇から参道脇を入った所に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました



参道入口の鳥居です

村社 潮宮神社です

参道は多くの参拝客が歩いたのでしょう一段低く成っています

目的のスダジイのようです、これ以上太い樹は見当たりませんね

参道社殿側から

参道脇の車道側(北東)から、目通り幹周り5,7mの巨木です

社殿前参道左側のスギの大木です

社殿前参道から見上げました

手水舎です

拝殿です

本殿です

本殿裏側には御神木のスギが在ります

西側から

北西側から

北東側から

南東側から

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茨城県鉾田市、徳宿「沼尾神社の大ケヤキ」(市指定)です!!

2019-02-15 09:23:47 | 巨樹・大木
徳宿地区は、鉾田市役所の北約4kmのところ

県道114号線を北へ、県道の東側の道路沿いに徳宿城跡が在ります

城跡を過ぎた右側に参道入口の鳥居が西向きに建ちます

鳥居脇に車を止めさせて頂きました


参道入口です

村社沼尾神社です

参道を進みます

参道が北に向きを変えると社殿が見えました

まずはスギの大木が迎えてくれました

北側から見上げました

スギの陰に隠れていた目的のケヤキが見えました


手水舎です

拝殿です

本殿です

拝殿前(北東側)から見上げました


説明版です
  沼尾神社と大けやき
鎮座地 鉾田市徳宿字沼尾神社境内983
祭神  武甕槌命
由来  鹿島成幹の長子親幹が徳宿を領地として
   徳宿権守を名乗り、守護神として鹿島大神
   を勧進し、天福2年(1234)11月2
   1日社殿が竣工した。その後数度の造営を
   重ねた。
    明治12年5月 村社列格
    大正2年11月10日 供進指定
    昭和27年11月22日 宗教法人設立
    当社の祭日は早朝の祭りとして有名であ
   る。
    飛地境内内に曲松稲荷神社がある。
   大欅
    ご神木の大欅は天然記念物として昭和4
   8年10月1日旧鉾田町指定文化財となっ
   た。
    樹齢 推定700年
    幹囲  6m余
    樹高 19m余
       鉾田市・鉾田市観光協会


北西側から

西側から


本殿裏側のケヤキの大木です

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茨城県行方市、化蘇沼「化蘇沼稲荷神社のモミ」です!!

2019-02-14 07:17:53 | 巨樹・大木
化蘇沼地区は、行方市役所の北北東約13kmのところ

国道354号線の両宿北信号で県道184号線を北へ

県道184号線沿いに化蘇沼稲荷神社が鎮座します

参道入り口の木の鳥居をくぐるり進むと

玉垣の境内鳥居前に出ます

県道側(東側)に駐車場が有りますので

利用させて頂きました


案内板です

参道鳥居です、車で参道を進みます

境内玉垣と鳥居です

鳥居脇のイチョウの大木です


手水舎です


やはり稲荷神社には狛狐ですね


拝殿です

本殿です

社史石碑です
  正一位化蘇沼稲荷神社々誌
 古来この地方を芸津郷といい聖地は郷内にあり、
神社裏手に沼あり御神体出現し化神蘇生の由を以て
人これを自然体信仰として崇め祀る。
 和銅年間以後に至り芸津郷より内宿邑木崎を本郷
として高家郷が分離し芸津郷は成田庄となる、その
後高家郷は武家の字を用い更に成田庄と武家郷を併
せて武井郷と改め聖地はこの郷内となる。
 第60代醍醐天皇の延喜元年常陸大掾平国香公、
当社を創建すると云う。
 應永24年新羅三郎源義光公10代の後裔甲斐源
氏武田信春の子五良七良信久公上杉禅秀の乱に敗れ
難を逃れんとし式部太夫武田高信公固有の地武井郷
来り住す。
 天文3年信久公6代の後裔民部大輔通信公社殿を
再建相撲を奉納武運を祈り武田郷9ヶ村の郷社と定
め正一位化蘇沼稲荷大明神と称号する。
 天明8年11月10日野火により本殿・舞殿・篭
殿全焼する。
 文化元年領主水戸徳川家御連枝奥州守山藩主松平
大学頭賴慎公郷民に喜捨令を出し本社の再建復興を
なす。
 安政5年12月本殿・万延元年舞殿の葺替奉行に
より領主松平大学頭賴誠公より八角三葉葵の紋章を
寄進せらる。これを当社の社紋と定む、時の社掌薬
師山円長寺代47世俊澄なり。
 明治32年12月氏子の浄財により本殿を銅板、
舞殿を亜鉛板にて葺替奉行す社掌権中講義宮司宮内
北湖なり。篭殿老朽に伴い廃屋とし、昭和40年8
月現在地に社務所を建設する。宮司鬼沢閲美なり。
 昭和61年3月昭和天皇御在位60年を奉祝し氏
子の総意により浄財をもって舞殿の銅板葺替を奉行
す宮司宮内則美なり。
 特に当社は江戸時代には歌人墨客訪れ「お江戸見
たけりゃ武田へおいで武田三宿江戸勝り」と歌われ
門前茶屋9軒あり、遠く奥州武州より善男善女来り
盛況を呈す境内の松尾芭蕉はせを山居由之等の句碑
は往時を語る証なり。
 例大祭は明治43年七区輪番制と改め成田・次木
・長野江・内宿・三和・小貫・両宿の順位にて区長
祭典長となり執行する。祭典の中核は古来より伝承
せらるる青年相撲と巫子舞の奉納にあり。この由緒
ある無形文化財の保持を希求す茲に皇紀2650年
聖上陛下御即位の佳年を卜し社史を刻し後世に伝え
んとす。
 平成2年11月吉日  北浦村文化財保護審議会



拝殿前参道からモミを見ました

拝殿前から

拝殿脇から見上げました

文化財標柱です

説明版です
 行方市指定有形文化財(建造物)(天然記念物)
   化蘇沼稲荷神社・モミ
          所在地   行方市内宿1572-2
 (化蘇沼稲荷神社)指定年月日 昭和48年3月1日
 文明10年(1478)、当時の領主大掾氏が武田の地の守護神
として創祠した。天文3年(1534)武田通信公が再建した。
 この時「正一位化蘇沼稲荷大明神」の神号が贈位され、武田九ヶ
郷の鎮守として崇敬された。祭神は倉稲魂命で、本殿屋根は赤銅葺
き、総ケヤキの柱である。また、拝殿から本殿まで30mの玉垣を
巡らしている。
 大祭は8月25日に執行される。特殊神事として巫女舞と相撲を
奉納する。相撲が盛んなため別名関取稲荷とも呼ばれている。
 (モミ)指定年月日  昭和61年7月28日
     幹囲  約  4m
     樹高  約 16m
     樹齢  約360年
        平成23年3月   行方市教育委員会


境内社です

スギの大木が在ったようです

本殿裏側には立派な土俵が在ります



寸津毗古と寸津毗女の銅像です

説明版です



モミを駐車場から見ました

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