ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

栃木県芳賀町、下高根沢「下高根沢安住神社のけやき」(町指定・とちぎ名木百選)です!!

2025-01-13 06:37:26 | 巨樹・大木
 下高根沢地区は、芳賀町役場の西北西約4kmのところ

 この地区は、昨年開業した宇都宮駅東口と芳賀・高根沢工業団地駅を結ぶLRT(路面電車)線路の東の端にあたります

 芳賀町役場の南西側の「役場前」信号から「芳真通り」西南西へ進み

 約200mの信号を右(西北西)へ、県道69号芳賀バイパスです

 約3.9kmの坂道を登った所の信号を右(北東)へ、約100mで一時停止のY字路を右(東)へ坂道を下ります

 約300mで左手に「下高根沢安住神社」の参道が南向きに開いています

 下高根沢安住神社社號標です

 一ノ鳥居を潜った右手の第二駐車場に車を止めさせて頂きました

 参道を進みます

 参道石段を上ります

 ニノ鳥居は赤い両部鳥居です

 更に参道を進みます

 参道左手には「下原稲荷神社」です、鳥居は赤くない石鳥居です

 参道右手に安住神社説明版です
     安住神社
 奈良時代前期(白鳳時代)、第45代聖武天皇の御代、神亀元年(724年)2月20日芳賀親字の一の宮として、素戔嗚命、大己貴命、少彦名命の御三柱を祭神に鎮座しています。
 地方の旧社にして、明治6年5月に郷社に定められ、明治10年区制改正の為村社に列せられる。
 その後、数度の修理をし、元禄13年(1706年)6月1日に再建し、更に明治31年(1898年)7月本殿屋根(銅版葺)等の大修理をしました。
 境内敷地は、3130㎡、境外地3652㎡、入口は花崗岩の大鳥居を建て、入口の第一の石段まで約70mの敷石を布敷して、神威厳かです。
 境内社として、下原稲荷神社、琴平神社、大杉神社、八坂神社、天満宮、皇大神宮、天岩戸別神社を祀っています。
     祭儀  春季大祭    3月27日
         秋季例大祭  11月23日
         他に、中小祭が数儀あります。
    芳賀町指定天然記念物  ケヤキ
    栃木県名木百選
           芳賀町教育委員会

 参道右手に目的のケヤキです

 とちぎ名木百選の標柱です

 宮司さんの詠んだ歌碑です・・・おおけやき 氏子のなりはえ(生活) あめかぜと 往来する年 見守り給う

 案内板です
   芳賀町指定天然記念物
     ケヤキ(欅)
 目通り4.6m、枝張り25.0m、樹高30.0m
 管理者 安住神社  昭和59年3月25日指定

 南側から

 南東側から見上げました

 朱塗りの手水舎です

 拝殿です


 本殿です

 拝殿前左手の境内社ですがお名前が分かりません、説明に有った内の一つでしょう

 右手の境内社には達磨が並んでいます

 本殿西側の境内社です、祠の下に大黒様等が並んでいます

 本で後ろ側にの境内社には布袋様です

 本殿北側には「御祭神御降臨之処」の標柱と石神様です

 境内東側の道路からケヤキの樹冠を見ました

 では、次へ行きましょう

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栃木県宇都宮市、上桑島町「金剛定寺のかや」(県指定・とちぎ名木百選)です!!

2025-01-12 06:57:42 | 巨樹・大木
 上桑島町は、宇都宮市役所の南東約8km、宇都宮市 瑞穂野地区市民センターの北北東約2kmのところ

 宇都宮市 瑞穂野地区市民センターの前の道路を東へ出ます

 約200mの押し釦信号のある交差点を左(北)へ進みます

 約1.1kmの田圃の中で右(東)へ、約300mで左(北)へ

 約200mで山門前です

 2025年1月10日、日の出前朝早くに埼玉を出て、日の出時間に到着しました

 境内の駐車場に車を止めさせて頂きました

 「真言宗 智山派 桑島山 金剛定寺」の寺号標です

 山門の落慶記念碑です
     山門落慶記念碑之文
 当山は今を去る事700有余年、弘安元年鎌倉時代、北条時宗の時に草創すると伝えられたり。
 伊豆北条の益田峰忍公この地に及んで、叢林の中に不動明王を見出し草庵を建てて、寺門興隆の願いを立てる。
 峰忍公、鎌倉幕府の命勅を受け、当病平癒の祈願に赴く。将軍惟康親王、病魔より快方し数棟の伽藍と寺領を寄進す。
 時移りて、明徳4年中興第1世祐請上人晋山、寺門再興を警願す。然し乍ら、その年日照りと干魃の為、多くの餓死者が多発するも、上人21日間の雨乞いの行法を修し、信心功を積み、一乗の経を写す。
 御法神衛りて、霊験を呈す。然るに大飢饉は終熄し、住民は皆救済せらる。
 後にこの事が時の朝廷後小松天皇に達し、上人の位と金剛定寺の額を賜る。
 その後は法門の拡張に務め、枝院88を数え、末寺200を有し、又御朱印寺として関東の屈指の定法檀林となり、本山の能化職をも兼任す。
 その後は歴代の住職の努力により旧態を一新して輪奐の美を済ふ。
 然るに明治初年の王政復古と廃仏毀釈の逆境は如何ともし難く、その上大火に遭い、一山は灰燼に帰す。
 明治44年成田山より当山第42世照尊和上普住す。総本山智積院の事務長を兼任して再建に務む。
 更に当山第43世照晋和上山門の再建を発願するも叶わず。茲に小衲前住職照晋和上の思いを叶えんが為、檀信徒と相謀り、建設委員会を立ち上げ、金剛定寺山門の再興を発願す。
 本日の佳日を貞して建立を祝し落慶の法会を営む。
 仰庶願くはこの功徳をもって檀信徒各家各人の安寧、殊には伽藍安穏・興隆仏法・天下泰平・五穀成就ならんことを。之至法界 平等利益
   維時 平成29年4月2日 (境内駐車場に在りました・以下略)
 

 山門を潜ると、少し右にずれた参道の右に目的のカヤが朝陽を受けています

 南側から

 南東側から

 西側から幹を見上げました

 とちぎ名木百選の標柱です

 説明版です
   栃木県指定 天然記念物
     金剛定寺のカヤ 1本
       所有者 金剛定寺
       昭和63年12月26日指定
   樹高 18.7m・目通周囲 4.25m・枝張り 東西 21m・南北 23.5m・推定樹齢400年
 このカヤは、均整のとれた大きな樹冠を持ち、盆栽のような見事な枝振りに育っている。
 主幹は、全く傷みもなく、真直ぐ天に向かい、地上3mあたりから枝が四方にバランス良く伸びている。
 樹勢は旺盛で、毎年たくさんの実をつけている。
 カヤはイチイ科の高木で、本県では北西部の山地にわずかに自生しているだけで、昔から神社仏閣などの庭木とされることが多い。
     栃木県教育委員会・宇都宮市教育委員会

 北側から見上げました

 参道左の鐘楼も朝陽を受けて輝いています

 本堂へお参りしましょう

 本堂です

 本堂前からカヤを見ました

 本堂東側には弘法大師様です

 では、次へ行きましょう
   
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栃木県佐野市、寺中町「東光寺の榧(カヤ)と広葉杉(コウヨウザン)」(市指定)です!!

2025-01-07 06:55:48 | 巨樹・大木
 寺中町は、佐野市役所の南南西約2kmのところ

 佐野市役所南側の「佐野駅入口」信号を西へ、県道67号線(旧国道50号線)を西へ進みます

 約300mの「本町」信号を左(南)へ、約800mで東武鉄道佐野線の佐野市駅前を斜め右(南西)へ進みます

 約700mの「海陸橋」手前の運送会社の間を斜め左(南)に入り、約100mの横断歩道の手前を左(東)へ

 間も無く左手に東光寺の山門です

 山門前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 仁王門(楼門)です

 楼門を潜ると左右にイチョウの大木です、左(西側)のイチョウの頂部には別の種類の木が根を下ろしています

 右(東側)のイチョウは、二股に枝を広げています、直ぐ東側にも大きなイチョウの切株がありました

 大きな薬師堂です

 薬師堂の東側に目的の「榧」です

 南西側から、太い幹ですが高さがありません、7から8m程度でしょうか

 天然記念物標柱には「榧」とだけの表記となっています

 離れて見ました

 西側から

 薬師堂の北側に「東光寺中門」です、堀田佐野城(植野城)の移築門です

 中門の左手(境内の内側)に次の目的の「広葉杉です

 南側から

 南西側から

 南側から見上げました

 文化財標柱です

 説明版です
   東光寺中門(とうこうじなかもん)
 文政9年(1826)植野の地に封ぜられた堀田摂津守正敦(まさあつ)が、同11年(1828)に植野城(堀田佐野城)を築いた。
 その陣屋の大手門(表門)を廃藩置県に伴い、明治9年(1876)に7月に堀田家の菩提寺である東光寺に移築したものである。
   榧(かや)
 榧は榧属に属し、この木の樹齢は300から500年とも言われているが、樹勢は今だ衰えていない。
  根回り   6.6m
  目通り   5.0m
  樹高   19.0m
   広葉杉(こうようざん)
 広葉杉は広葉杉属に属し、オランダモミ、リュウキュウスギ又カントンスギともいう。
 この木の樹齢は300から500年とも言われているが、樹勢は今だ衰えていない。
  根回り   4.5m
  目通り   3.1m
  樹高   19.0m
     平成19年2月28日  佐野市教育委員会

 「とちぎ名木百選 東光寺のコウヨウザン」の標柱です

 丸い表示版には・・・
   ふるさと佐野100選
 正面の広葉杉・東にあるイチイ科の榧の巨木・南にある3本の銀杏の古木、いずれも樹齢約300~500年といわれている。
 広葉杉と榧は樹高が約20mあり、昭和60年に市の天然記念物に指定されている。

 中門を入ると、右手に鐘楼です

 左手に六地蔵様です

 本堂です

 *亀峰山東光寺、臨済宗建長寺派、本尊は薬師如来です。
 寺伝では開山を最澄(伝教大師)とし開基を円澄とします。
 創建は延暦年間(782~806)、当初は天台宗だったが、康元元年(1256)に建長寺第7世鏡堂覚円(大円禅師)が月洲法乗禅師を勧請開山とし、自らは二世となり臨済宗の寺院として再興されました。
 天正5年(1577)兵火にかかり衰微するが、承応年間(1652~1655))に再興されました。
 江戸時代に入ると佐野藩主堀田家の領内菩提寺として庇護されました。
 この地域は、東光寺がかつては12の坊舎を有する大寺で、東光寺を中心に寺院が集中していた地域のため寺中と呼ばれました。
 (「北関東の装飾寺社を歩く」より、一部引用)

 参道(北東側)からコウヨウザンを見ました

 北側から

 北西側から



 では、次へ行きましょう
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東京都東久留米市、下里2丁目「下里氷川神社の名木百選No.26ケヤキ」です!!

2024-12-29 18:31:49 | 巨樹・大木
 下里2丁目は、東久留米市役所の西南西約3kmのところ

 東久留米市役所北側の「東久留米市役所前」信号を、西南西へ、都道234号「まろにえ富士見通り」を進みます

 約1.6kmで右からの道路に合流するように、左(南南西)へ、都道15号「小金井街道」です

 約1.4kmの「花小金井4丁目」信号を右(西北西)へ、都道5号「新青梅街道」です

 約2.0kmの「柳窪」信号を右(北北東)へ、新山通りです

 約1.2km先の右手のタイムズ駐車場へ、周辺を数か所取材予定なので、時間貸しの駐車場が便利でした

 駐車場から北東へ約200mの「西団地前」信号を越えてさらに約300m「新宮前通り」を進みます

 下りに差し掛かった左手に、東向き参道で「下里氷川神社」が鎮座します

 東側の参道から、参拝者用の駐車場が有ります

 氷川神社鳥居です

 右手に目的のケヤキです

 境内社の稲荷神社の鳥居のそばに「東久留米名木百選No.26ケヤキ」です

 東南東側から

 鳥居下から見上げました

 「東久留米名木百選No.26ケヤキ」のプレートです

 保存樹木の標識も有ります

 稲荷神社への石段を上ります

 赤鳥居前から見上げました

 戻って氷川神社の参道石段を上ると右手に手水舎です

 拝殿です

 本殿覆い屋です
 *下里氷川神社の創建年代は不詳ながら、長禄年間(1457-59)に再建したといい、下里村の鎮守社だったといいます。
  明治10年村社に列格、昭和45年白山神社を合祀したといいます。
  ご祭神は、須佐之男命、櫛稲田姫命、大己貴命
  境内社 下里招魂社、白山神社、妙義神社、榛名神社、御嶽神社、富士浅間神社、秋葉神社、八雲神社

 境内北側には境内社が並びます

 境内末社案内版です
   下里氷川神社 末社
 八雲神社・・・素戔嗚尊、 秋葉神社・・・火之迦具土神、 富士浅間神社・・・木花開真耶姫命
 御嶽神社・・・櫛真智命、 榛名神社・・・火産霊神、   妙義神社・・・日本武尊
 白山神社・・・白山比咩命、 下里招魂社・・・戦没英霊32柱

 社殿南側には赤い花をつけたツバキとオガタマノキです

 今回の取材はここまでにして、戻りましょう
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東京都東久留米市、柳窪3丁目「さいかち窪の名木百選No.12エノキ 」です!!

2024-12-25 06:44:55 | 巨樹・大木
 柳窪3丁目は、東久留米市役所の西南西約5kmのところ

 東久留米市役所北側の「東久留米市役所前」信号を、西南西へ、都道234号「まろにえ富士見通り」を進みます

 約1.6kmで右からの道路に合流するように、左(南南西)へ、都道15号「小金井街道」です

 約1.4kmの「花小金井4丁目」信号を右(西北西)へ、都道5号「新青梅街道」です

 約2.1kmで左手に小平霊園が見えて来ます、約400mで信号を右(北)に入って車を止めさせて頂きました

 北側の小平霊園入口の信号です、夜間は押しボタン式になるようです

 小平霊園案内図です、霊園自体は小平市ですが、図の下側の丸い出っ張りの雑木林(さいかち窪)は東久留米市です

 *さいかち窪は、東久留米市、埼玉県新座市、朝霞市を流れ朝霞市大字根岸で新河岸川へ合流する「黒目川」の源流となっています

 小平霊園に入って直ぐ斜め左(南南東)への道路脇に目的のエノキです(後方がさいかち窪の窪みです)

 南側から、目通り幹囲は大きく枝が広がっているため、6m(目測)くらいの巨木です

 「東久留米の名木百選No.12エノキ」のプレートです
 
 西側から見上げました

 この日も、多くの人達がエノキの前の小平霊園内の道路を通っています。

 小平霊園の中を通って南へ約1km進むと、西武新宿線小平駅北口ですので、東久留米市内からも便利に使わているようです

 では、次へ行きましょう

 
 


 
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東京都東久留米市、大門町1丁目「浄牧院のNo.15カヤ(市指定)とNo.3イチョウ」です!!

2024-12-24 06:32:56 | 巨樹・大木
 大門町1丁目は、東久留米市役所の東北東約1kmのところ

 東久留米市役所北側の「東久留米市役所前」信号を西北西へ

 約200mの丁字路信号を右(北東)へ、都道234号線です、周辺道路は制限速度30kmなので注意が必要です

 約400mで西武池袋線の踏切を越えます、約600mの信号を斜め左(東北東)へ

 間も無く左手に「浄牧院」の山門が見えて来ます、すぐ先の「⇐浄牧院大空会館」入口を入ると駐車場です

 山門です

 浄牧院寺号標です

 山門を潜ると大きな楼門です

 参道を進みます、開山580年の幟が賑やかです

 右手に鐘楼です

 左手に目的の「東久留米名木百選No.15カヤ」が見えました

 六地蔵様です

 南東側から

 東側から

 「東久留米名木百選No.15カヤ」のプレートと「保存樹」標識です

 説明版です
   東久留米市指定文化財
     浄牧院のカヤ  大門町1丁目3番
       天然記念物第1号
 この榧の木は、市内に生育する多くの樹木の中で数少ない種類の一つに数えられ、目通り幹周3.5m、樹高18mを計測する雌株です。
 樹齢は約400年と推定され、老木としての風格を備え、東久留米市の自然を記念するものとして貴重な植物です。
 榧は、イチイ科カヤ属の雌雄異株の常緑高木で、樹高は普通20m、胸高直径1m内外となります。
 種子の胚乳は脂肪に富み、油をしぼり、また食用ともします。
 分布は宮城県以西・四国・九州。
     平成6年3月7日指定  東久留米市教育委員会

 北側から

 西側から

 南西側から見上げました

 本堂です

 本堂西側には観音堂です 

 参道右手には「東久留米名木百選No.3イチョウ」です

 西北西側から

 北側から

 東側から


 「東久留米名木百選No.3イチョウ」と保存樹標識です
 
 南東側から見ました
 
 では、次へ行きましょう
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埼玉県和光市、新倉3丁目「長照寺の大イチョウ」(市指定)です!!

2024-12-22 06:44:55 | 巨樹・大木
 新倉3丁目は、和光市役所の南北東約3kmのところ

 和光市役所西側の桃手通りを北北東へ、約300mの「和光市役所入口」信号を右(東南東)へ、国道254号線です

 約400mの「⇐東京外環・和光」の標識に従って信号を左(北東)へ、県道88号線です

 約600mの和光インターチェンジ入口を右に別けて、側道の坂道を上ります

 約400mで信号の先を右へカーブします、そのまま「県道88号線大正通り」を進みます

 一度下って少し上ってまた下ってい行きます、約900mで、信号機手前を右(南南東)へ入ります、「坂下公民館通り」です

 約200mで右手に

 「真言宗 智山派 光明山 長照寺」寺号標です

 ここを右(西南西)へ入ると、道路右手に目的のイチョウが見えました

 東北東側から、右手に長照寺の庫裡入口です

 東側から、まだ塀があるので根元は見えません

 南南東側(坂下公民館の駐車場)から

 境内入口です

 境内に入って西南西側から見ました

 説明版です
   和光市指定天然記念物
     名称 大いちょう
       指定  昭和34年7月13日
       所有者 長照寺
   イチョウ科 落葉高木
   幹廻り 7.53m  樹高 29m  樹齢推定 700年(指定当時)
 和光音頭の一説に「ハァー空を抱えたあの大銀杏、雨やあらしに堪えてきた・・・」と唄われている。
 この大いちょうは、枝張り根張りともによく、根の先は、坂下公民館辺りまで達しており、樹乳もみごとである。
 以前は、その樹乳を煎じて飲むと乳がよくでるといわれ、地元の人達が服用したとのことえある。
 県内でも有数の大木で、秋の黄葉の時期は黄金色で覆われ、まことに雄大かつ美事な景観である。
 また、300kgを越える量の銀杏を実らせる。
 700年前というのは、鎌倉時代にあたりそれ以来現在まで新倉はもとより近郷の人々の生活や歴史を見つめつづけてきた生き証人と言えよう。
 *イチョウの葉のDNA調査では、国内でもわずかな特別の遺伝子を持つことがわかっている。また和光市のイメージキャラクターいちょうの妖精「わこうっち」のすみかでもある。
    昭和54年1月15日(令和2年3月1日一部加筆修正)
      和光市教育委員会・和光市文化財保護委員会

 本堂です

 本堂前から見ました

 北側から

 「名勝 大いちょう」の石柱です

 境内には、和光市のイメージキャラクター「わこうっち」です

 *2011年2月に誕生した「イチョウの妖精」趣味は散歩と日向ぼっこ、身体と頭は黄緑、顔は白ですが頭の扇状の部分は黄色く黄葉したイチョウの葉ですね

 では、次へ行きましょう
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茨城県潮来市、堀之内「二本松寺のマキ」(市指定)です!!

2024-12-21 18:36:12 | 巨樹・大木
 堀之内地区は、潮来市役所の北西約6kmのところ

 潮来市役所の南東側の国道51号線を南西へ進みます

 約3.6kmの「八代小入口」信号を右(北東)へ、県道189号線です

 約900mで信号を左(西)へ、約300mで「潮来市立牛堀中学校・小学校⇒」の案内板を右(北)へ

 約600mで「二本松寺⇒」の案内板を右(北東)へ、右手には「潮来市立牛堀小学校」です

 間も無く二本松寺参道入口が見えて来ます

 手前右手の駐車スペースに車を止めさせて頂きました

 参道石段を上ります

 参道を進むと

 参道右手には大きなスダジイの木です

 更に参道石段を上がると本堂が見えて来ます

 手水舎です

 左手には鐘楼堂ですが、釣鐘はありません

 右手の庫裡前にはボダイジュです

 説明書きです
   菩提樹(シナノキ科)
 正保年間(1644~47)、当山第10世天栄法印が比叡山から移植したと伝えられる記念樹である。
 仏教の三大聖木(菩提樹・無有樹・沙羅双樹)のひとつで、ブッダは菩提樹の木の根元で悟りを得た。
     目通り2m、樹高12m、樹齢約350年

 本堂です

 庫裡と本堂の間の本堂右手(東側)に目的の「マキ」です

 「二本松寺の槇」の天然記念物標柱です

 南東側から

 東側から

 説明書きです
   水戸光圀公お手植えの槇
 元禄4年(1691)、水戸光圀公が、本堂改築寄進したときに、お手植えされたとい言われてる記念樹である。
 平成元年、大阪市の「樹医」山野氏に依頼し樹勢回復手術を行った。
     目通り3.5m、樹高13m、樹齢約320年

 北側から見ましたが、周りの木々で良く解からなくなってしまいました

 潮来市の天然記念物の取材が終わりましたので、霞ヶ浦の北側を通って埼玉へ帰ることにしましょう



 2024・12・12・10・50
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茨城県潮来市、大賀「 文殊院のカヤノキ」(県指定)です!!

2024-12-21 17:56:34 | 巨樹・大木
 12月21日は冬至です、ユズ湯にはいってのんびりしていました

 では今回の投稿です・・・

 大賀地区は、潮来市役所の北約6kmのところ

 潮来市役所南東側の国道51号線潮来バイパスを北東へ進みます

 約900mの「須賀」信号を左(北)へ、県道50号水戸神栖線です

 約2.1kmで「鉾田・県道187号線⇒」の標識に従って、信号を左へ

 カーブして坂道を登って、丁字路を左(北東)へ、県道50号線の上を越えます

 約3.6kmで県道左手に文殊院入口です

 文殊院入口前の道路脇に車を止めさせて頂きました


  「天台宗 神宮寺」「大生山 文殊院」ですが並びが違いますよね

 説明版です
   潮来町指定有形文化財  建造物
     文殊院
       平成5年4月23日指定
 創立年代は、不詳ではあるが大生大神宮との関係は深く、大生山神宮寺文殊院と称し、牛堀町堀の内にある天台宗二本松寺の末寺となっています。
 阿弥陀堂・観音堂・地蔵堂の三堂が、横一列に建つ景観そのものが珍しく、建築としては、観音堂の宮殿棟札に元禄11年(1698)とあり、お堂そのものはそれよりも年代が古いと考えられるが、蟇股・束の様子からみて17世紀末のものと思われる。
 阿弥陀堂は、寛文5年(1631)奉納の厨子があり、阿弥陀如来像が安置されています。
 家内安全・厄除けなどの功徳があり、特に「いぼとり」の御利益には、近在からも参詣されています。
 観音堂には、十一面観世音菩薩像を本尊として、右に毘沙門天像、左に不動明王像の三尊が安置されていて、家内安全・安産・子育て・厄除けなど婦人方の信仰を得ています。
 また、観音堂は、行方坂東三十四札所の21番札所とされ、次のような観音巡拝御詠歌があります。
   おふらかに 浮身のかめと 思わひて 仏のみ法 いつも忘れじ
 地蔵堂には、地蔵尊像が安置されています。
 地蔵信仰には、極楽浄土に導くといわれる六地蔵、延命地蔵、水子地蔵などがあり、この信仰も厚く信仰されています。
          潮来市教育委員会

 南南東側入口から境内を進みます

 参道左手に目的のカヤです

 南側から

 南東側から、太い根が南側に伸びています

 東側から

 「文殊院のカヤノキ」の天然記念物標柱です、側面の文面には・・・
 高さ18m、枝張り15m、幹回り4.65m、推定樹齢約450年。
 平成7年(1995)10月25日、潮来市指定文化財天然記念物となる。

 北東側から

 北側から

 西側には大きな傷が縦に入っています

 薬師堂ですが、縁側が壊れてしまっています

 観音堂は比較的綺麗に管理されています

 地蔵堂です

 「文殊院(阿弥陀堂・観音堂地蔵堂)」の市指定文化財標柱です

 では、次は説明版にあった「堀之内の二本松寺」へ行った見ましょう



 2024・12・12・10・20
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茨城県潮来市、大賀「大賀のシイ」(市指定)です!!

2024-12-21 06:41:11 | 巨樹・大木
 大賀地区は、潮来市役所の北約6kmのところ

潮来市役所南東側の国道51号線潮来バイパスを北東へ進みます

 約900mの「須賀」信号を左(北)へ、県道50号水戸神栖線です

 約2.1kmで「鉾田・県道187号線⇒」の標識に従って、信号を左へ

 カーブして坂道を登って、丁字路を左(北東)へ、県道50号線の上を越えます

 約3.0kmで住宅先を斜め左(北西)へ入ります、両側には畑が広がっています

 約200m農道を進むと

 右手にスダジイの樹冠が見えました

 南側から見ました

 根元廻りは墓地に成っています

 「大賀のシイ」の天然記念物標柱です

 南西側から


 目通り幹囲6.2mの巨木です

 西南西側から

 では、次へ行きましょう



 2024・12・12・10・15
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茨城県潮来市、築地「妙光寺のカヤ」(市指定)です!!

2024-12-20 06:30:53 | 巨樹・大木
 築地地区は、潮来市役所の北約4kmのところ

 潮来市役所南東側の国道51号線潮来バイパスを北東へ進みます

 約900mの「須賀」信号を左(北)へ、県道50号水戸神栖線です

 約2.1kmで「鉾田・県道187号線⇒」の標識に従って、信号を左へ

 カーブして坂道を登って、丁字路を左(北東)へ、県道50号線の上を越えます

 約600mで「妙光寺参道」の看板の先を斜め右(北東)へ

 約400mで丁字路を右(東)へ

 すぐ左に、妙光寺の参道が南向きに開いています

 すぐ先の左側(北側)庫裡の入り口に駐車場があります


 日蓮宗 本圀山 妙光寺です

 山門をくぐって参道を進みます

 右手の土手の上に本堂の屋根と境内に太い幹が見えます

 さらに石段を上がります

 石段の中段から右手(東側)の本堂前境内に目的のカヤです

 北側から

 東側から、推定樹齢600年、目通り幹囲4.0m(目測)の大木です

 「妙光寺のカヤ」の天然記念物標柱です

 南側から見上げました

 本堂です

 説明版です
    本圀山妙光寺
 この寺は文永2年(1265)、宗祖日蓮大聖人の直弟子、中老僧一乗阿闍梨日門上人の開基、当時隣村の水原村に居住していた油井但馬守国光、横山遠江守勝光が鎌倉参勤の際、日門上人を招請し一宇を創立したのが始まりである。
 即ち本圀山妙光寺と号し、常陸国最初の日蓮宗の古刹である。
 その後、正応3年(1290)中道院日正上人によって現在地に移転される。
 往昔は朱印等があったが、記書消失のため上地となるなど一時退転の形勢となりまいしゃが、16世日遥上人の時、代官矢野九郎右衛門、郡奉行萩原庄右衛門、芦澤伊賀守、三木五兵衛等の力により水戸藩から費用を仰いで9間27間の客殿を建立した。
 元禄12年(1699)19世徳大院日具上人の時、徳川光圀公より費用を下附され4間4面の本堂を造営した。
 堂内の日蓮大聖人の御尊像も同時に奉納され、また法華三昧堂の正面の額は光圀公自筆の書である。
 20世日孝上人の時、徳川綱條公より祈祷料として玄米50俵を下附された。
 現在の本堂は、寛永年間(1624~1643)の再建にして、寺宝には、日蓮聖人直筆の御本尊並びに御消息断片、日門上人直筆御本尊、徳川光圀の書簡、光圀拝領の蒔絵法衣箱、状箱、硯箱、紺紙金泥法華教開結10巻などがある。
 行事に、春秋彼岸会、盂蘭盆施餓鬼会、4月28日の開宗会、10月13日のお会式法要、冬至の星祭法要がある。
           (41世住職 遠山 友隆)
        記
 市指定文化財   建造物   法華三昧堂   
          天然記念物 カヤの木
   平成30年9月     潮来市教育委員会

 さらに参道石段を上って見ました

 法華三昧堂です

 市指定文化財(建造物)標柱です

 さらに上への参道を進みます

 御堂がありますが、お名前が分かりませんでした

 では、次へ行きましょう



 2024・12・12・09・50
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茨城県潮来市、上戸「長国寺のマキ」(市指定)です!!

2024-12-19 18:32:58 | 巨樹・大木
 上戸地区は、潮来市役所の西北西約3kmのところ

 潮来市役所の南東側の国道51号線を南西へ進みます

 道成りに約2.5kmの「上戸」信号を斜め左(北西)へ、県道5号線です

 約1.2kmで右手に

 長国寺の参道が南西向きに開いています

 「曹洞宗 大興山 長国寺」寺号標です

 *大掾氏の一族で行方地方に進出した景幹の4人の子供が行方四頭(小高氏、島崎氏、麻生氏、玉造氏)となり霞ケ浦北側と北浦の地域を鎌倉時代から長い間支配が行なわれました。
 *長国寺の本尊は聖観音で、創建は島崎城主第13代島崎左衛門尉長国で、文明2年(1470)の開基とされ永正年間(1504~1521)に現在地に移転したといいます。

 参道を進みます

 途中で通行止めになりますので、右(東)へ入っると、庫裡の前に参詣者用駐車場が有りますので利用させて頂きました

 参道の真ん中には、スイレン鉢が並んでいます、今朝は寒かったので氷が張っています

 参道左手の墓地の中に目的のマキです

 南側から

 南西側から、マキは墓地の間に立っています

 「長国寺のマキ」の天然記念物標柱です
 
 *牛堀町指定天然記念物 第12号
     長国寺の槙   1樹
       管理者   長国寺
       指定年月日 昭和44年8月1日
 イヌマキの雄樹で、根回り4.10m、目通り3.20m、樹高約20mである。
 枝の張り東西16.70m、南北11.20m、樹齢は約400年です。
 主幹は地上約3m、5mのところから支幹を5岐に分株している。
 樹勢もよく、天然記念物としてきちょうである。
     平成4年3月1日   牛堀町教育委員会

 *平成13年(2001)4月1日に 牛堀町は潮来町に編入されました。

 西側から

 東側から見上げました

 北東側から

 本堂です

 本堂前から見ました

 では、次へ行きましょう



 2024・12・12・09・10
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茨城県潮来市、潮来「西円寺の潮来の大イチョウ」(市指定)です!!

2024-12-19 06:53:55 | 巨樹・大木
 潮来地区は、潮来市役所の西南西約1kmのところ

 潮来市役所の南東側の国道51号線を南西へ進みます

 約1kmの「土木事務所入口」信号を左(南)へ入ると、右手に市営駐車場が有ります

 ここに車を止めさせて頂きました

 100m程を南南東へ歩くと

 右手に目的のイチョウが見えました


 浄土真宗 大谷派 梅龍山 西円寺です

 東側から見上げました

 「潮来の大イチョウ」の天然記念物標柱です

 *総本山は東本願寺。
  元禄5年(1692)親鸞の嫡孫、如信(大洗磯原の願入寺を創建)の弟子、潤信が開基と伝わる。
  長勝寺・西円寺・普門院(現在は延方にあります)と並んでいたため「中寺(なかでら)」と呼ばれる。
 *長勝寺は前回紹介のボダイジュのお寺です。

 南東側から

 一茶の句碑です

 本堂です

 本堂前、(北側)から見上げました

 東側道路の南東側から境内のイチョウを見ました


 では、次へ行きましょう




 2024・12・12・08・50
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茨城県潮来市、辻「辻のアオガシ」(市指定)です!!

2024-12-18 06:31:15 | 巨樹・大木
 辻地区は、潮来市役所の有る地区です、市役所の北東約500mのところに「辻のアオガシ」があります

 潮来市役所を南東側へ出て、国道51号線(潮来バイパス)を北東へ進みます

 約450mでの感応式信号を右鋭角(南西)に入ると

 道路左手に大きな木が見えて来ました

 右手の墓地前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北側から見ました

 北西側から、アオガシの立つ高まりは古墳です

 西側から

 アオカシの立ている古墳は、「中辻古墳」です

 *円筒埴輪や土師器が見つかっている東西14m・南北17m・高さ約1.8mの方墳だそうです。

 「辻のアオガシ」の天然記念物標柱です

 南西側から

 南側から見ました

 では、次へ行きましょう



 2024・12・12・08・10
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茨城県潮来市、新宮「延方公民館のクスノキ」(市指定)です!!

2024-12-17 06:36:24 | 巨樹・大木
 新宮地区は、潮来市役所の東北東約3kmのところ

 潮来市役所を南東側へ出て、国道51号線(潮来バイパス)を北東へ進みます

 約2.9kmの「延方西」信号を左(北)へ入り、すぐ先の丁字路を右(東)へ

 間も無く左手(道路北側)に「延方公民館」があります

 公民館の駐車場に車を止めさせて頂きました

 駐車場の東側に目的のクスノキです

 「延方公民館のクスノキ」天然記念物標柱です、公民館の所在地はかつての「延方村役場跡」です

 *昭和30年(1955)2月11日に 延方村は潮来町・大生原村・津知村とともに合併し新「潮来町」が発足しました。

 西側から

 南側から、目通り幹囲約4.5m(目測)の大木です

 南東側から、公民館の職員の方が出勤してきました

 東側から

 北側から見上げました

 では、次へ行きましょう



 2024・12・12・07・50

 
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