東木倉地区は、那珂市役所の南約5kmのところ
県道38号線の南側の段丘崖上に清水寺が有ります
すぐ東側の清水洞の上公園駐車場を利用させて頂きました
公園駐車場入口です
説明版です
清水洞の上・清水寺について
この辺りは「清水洞」と称され、古来清水がこんこんと湧き流れている。
江戸時代、徳川光圀公の招きで水戸の祇園寺を開山した東皐心越禅師の高
弟呉雲宝曇禅師が、元禄10年(1697)、この地に祇園寺末寺となる曹
洞宗清水寺を建立したという。
本尊は白衣観音で、心越が明から日本へ亡命の時、杭州永福寺の観音を持
参したものと伝える。世人の信仰深く、ことに婦人は講を結び、安産を祈り
報恩の供養をした。その頃、光圀公はこの辺りの情景を山城(京都)の音羽
瀧とやらにかわらぬとして、
爰もまた 国こそ替わる山城の 心の住める おなし清水
と、詠んでいる。これは、この地の人々は京都の清水寺に行くことが出来な
いので、同じ清水の地に清水寺を建立して近隣18か村の農民が参詣できる
ようにしたと伝える。
その清水寺も明治2年(1869)、旧藩神祗局の命により廃寺となった
。その跡へ、千波村笠原神社から木花咲耶姫命を分祀し清水神社とした。ま
た、境内清水池の中には、弁財天に代って市杵島姫命を祀る厳島神社が末社
として建てられた。当時の景観を表して「那珂郡郷土史」には、
池は水量豊かに此所彼所に湧出清澄鏡の如く冽なること氷の如し
三伏猶暑さを知らす老樹水に臨み真に仙城たり水流れて落下する
を雙瀧という
とある。
その後、明治43年(1910)清水神社は、末社厳島神社と共に村社吉
田神社に遷宮合祀され、元の地に清水寺が再興された。大正10年1月には
本堂が焼失し、昭和7年(1932)7月に再建された。本尊の白衣観音は
、再建時の住職他界後行方不詳となり、現在は元茨城学園長安原氏から寄進
された観音菩薩である。なお、現在は無住寺で区が管理している。
境内の清水池の側に、昭和49年那珂町指定天然記念物「清水寺の杉」が
ある。清水寺北側一帯はかつて清水原といい、水戸藩徳川斉昭時代には、城
外武術訓練所(鉄砲場)があった。
この地域は現在、歴史のある清水寺や渓谷、大学、高校、小学校を控え、
新那珂八景の一つ「清水寺と五台文教地区」に指定されている。
清水洞の上自然を守る会・那珂市観光協会
平成22年10月
公園の案内板です
目的のスギです
南側から
南西側から
西側から
南西側から
案内板です
清水寺のスギ 市指定天然記念物
指定年月日 昭和49年7月15日
所在地 那珂市東木倉166-2
管理者 清水寺
樹齢推定・・・500年
根まわり・・・9,47m
樹幹まわり・・5,20m
樹高・・・・・約30m
那珂市教育委員会
桜が咲き始めています
弁天様です
参道入口(北東)から見上げました、目通り幹囲5,6mの巨木です
清水寺本堂へ行って見ます
本堂前境内から見下ろしました
本堂です
説明版です
東皐山清水寺
開基 徳川光圀公
開山 心越興儔禅師
宗派 曹洞宗
1、開山時の御尊像・・・白衣観音菩薩
当山に安置されていた御尊像は開山禅師が大明国より
来朝の折、寺参せしお守り本尊であたと伝えられている
。
禅師は義公の招請によって長崎より水戸の地に将来し
、天徳寺や水戸祇園寺などを再興し、開山なられた唐僧
である。当山は、水戸祇園寺の末寺として、祇園寺二世
宝曇禅師隠棲の地として開創された。
開創・・・・・元禄10年春 (1697年)
本堂焼失・・・大正10年1月(1921年)
本堂再建・・・昭和 7年7月(1932年)
2、現在の御尊像・・・・聖観世音菩薩
再建時の御住職他界後、旧御尊像行方不詳のまま今に
至っている。
現在安置されている御尊像は、元茨城学園長の安原氏
から寄進された「観音菩薩」である。
帰り際に、駐車場入口から杉を見下ろしました
では、次へ行きましょう
県道38号線の南側の段丘崖上に清水寺が有ります
すぐ東側の清水洞の上公園駐車場を利用させて頂きました
公園駐車場入口です
説明版です
清水洞の上・清水寺について
この辺りは「清水洞」と称され、古来清水がこんこんと湧き流れている。
江戸時代、徳川光圀公の招きで水戸の祇園寺を開山した東皐心越禅師の高
弟呉雲宝曇禅師が、元禄10年(1697)、この地に祇園寺末寺となる曹
洞宗清水寺を建立したという。
本尊は白衣観音で、心越が明から日本へ亡命の時、杭州永福寺の観音を持
参したものと伝える。世人の信仰深く、ことに婦人は講を結び、安産を祈り
報恩の供養をした。その頃、光圀公はこの辺りの情景を山城(京都)の音羽
瀧とやらにかわらぬとして、
爰もまた 国こそ替わる山城の 心の住める おなし清水
と、詠んでいる。これは、この地の人々は京都の清水寺に行くことが出来な
いので、同じ清水の地に清水寺を建立して近隣18か村の農民が参詣できる
ようにしたと伝える。
その清水寺も明治2年(1869)、旧藩神祗局の命により廃寺となった
。その跡へ、千波村笠原神社から木花咲耶姫命を分祀し清水神社とした。ま
た、境内清水池の中には、弁財天に代って市杵島姫命を祀る厳島神社が末社
として建てられた。当時の景観を表して「那珂郡郷土史」には、
池は水量豊かに此所彼所に湧出清澄鏡の如く冽なること氷の如し
三伏猶暑さを知らす老樹水に臨み真に仙城たり水流れて落下する
を雙瀧という
とある。
その後、明治43年(1910)清水神社は、末社厳島神社と共に村社吉
田神社に遷宮合祀され、元の地に清水寺が再興された。大正10年1月には
本堂が焼失し、昭和7年(1932)7月に再建された。本尊の白衣観音は
、再建時の住職他界後行方不詳となり、現在は元茨城学園長安原氏から寄進
された観音菩薩である。なお、現在は無住寺で区が管理している。
境内の清水池の側に、昭和49年那珂町指定天然記念物「清水寺の杉」が
ある。清水寺北側一帯はかつて清水原といい、水戸藩徳川斉昭時代には、城
外武術訓練所(鉄砲場)があった。
この地域は現在、歴史のある清水寺や渓谷、大学、高校、小学校を控え、
新那珂八景の一つ「清水寺と五台文教地区」に指定されている。
清水洞の上自然を守る会・那珂市観光協会
平成22年10月
公園の案内板です
目的のスギです
南側から
南西側から
西側から
南西側から
案内板です
清水寺のスギ 市指定天然記念物
指定年月日 昭和49年7月15日
所在地 那珂市東木倉166-2
管理者 清水寺
樹齢推定・・・500年
根まわり・・・9,47m
樹幹まわり・・5,20m
樹高・・・・・約30m
那珂市教育委員会
桜が咲き始めています
弁天様です
参道入口(北東)から見上げました、目通り幹囲5,6mの巨木です
清水寺本堂へ行って見ます
本堂前境内から見下ろしました
本堂です
説明版です
東皐山清水寺
開基 徳川光圀公
開山 心越興儔禅師
宗派 曹洞宗
1、開山時の御尊像・・・白衣観音菩薩
当山に安置されていた御尊像は開山禅師が大明国より
来朝の折、寺参せしお守り本尊であたと伝えられている
。
禅師は義公の招請によって長崎より水戸の地に将来し
、天徳寺や水戸祇園寺などを再興し、開山なられた唐僧
である。当山は、水戸祇園寺の末寺として、祇園寺二世
宝曇禅師隠棲の地として開創された。
開創・・・・・元禄10年春 (1697年)
本堂焼失・・・大正10年1月(1921年)
本堂再建・・・昭和 7年7月(1932年)
2、現在の御尊像・・・・聖観世音菩薩
再建時の御住職他界後、旧御尊像行方不詳のまま今に
至っている。
現在安置されている御尊像は、元茨城学園長の安原氏
から寄進された「観音菩薩」である。
帰り際に、駐車場入口から杉を見下ろしました
では、次へ行きましょう