戸田地区は沼津市の南の広い地域です
沼津市役所の南西約25km、沼津市役所戸田庁舎の西約3kmの所に御浜岬公園があります
沼津市役所戸田庁舎の北側の通り県道18号修善寺戸田線を西へ
約1kmの「戸田三叉路」信号を左(南)へ、県道17号沼津土肥線です
戸田の港を右に見て道成りに約1.3kmで斜め右の道路へ入ります、県道はここから坂道となって西へ登って行きます
約600mで御浜岬の付け根の交差点を右(北)へ、一番奥の「戸田造船郷土資料博物館」まで車で行けます
御浜岬公園トイレ3前の駐車場の車を止めました
「根上がり松」から戸田港側の砂浜を北へ進みます
大きなクロマツが見えて来まし(南東側から)
東側から
北東側から見ました
もう一本は直ぐ北側です
東側から
北東側から、太い枝が地に着いています、これが「下がり松」なのでしょうか
北側から見ました
先へ進みました
諸口神社の鳥居です、戸田の港向き(東向き)に建っています
参道を進みます
手水舎です
式内社 諸口神社の社號標です
拝殿です
本殿です
説明版です
諸口神社
祭神 橘姫命
例祭日 4月4日
由緒
当社の創建由緒等詳ならざれとも「増訂豆州志稿」によれば、廷㐂式神名帳伊豆国那賀郡22座の内、国玉姫命神社にて伊豆国神階帳従四位上もろき姫の明神に座すとな。
もろき姫、国玉姫、橘姫は同一神でもあろうか、現称諸口は「もろき」と同語にて古来当社を辨天と称し、女神なること明らかなり、航海及漁業者の守護神として崇敬あつく海上安全・大漁満足を祈願し、諸船この沖を通過すると言う。
応永8年(1402)3月再建、明治12年(1879)8月村社に列す。
現社殿は昭和28年(1953)4月改築。
社宝
応永8年3月吉日棟札
鰐口 武蔵国吉見郡久米田郷施主求敬白
諸口大明神 「応永八年(己辛)霜月十五日」とあり(日本金石年表に見える)
註・延㐂式内とは醍醐天皇の朝、延㐂年間(901~927)撰修の延㐂式神名帳所載の神社の意にて、単に式内社又は式社ともいう。
*一般的には「延喜式神名帳」と表記されます
境内社でしょうか
次は、「友愛の松」です
沼津市役所の南西約25km、沼津市役所戸田庁舎の西約3kmの所に御浜岬公園があります
沼津市役所戸田庁舎の北側の通り県道18号修善寺戸田線を西へ
約1kmの「戸田三叉路」信号を左(南)へ、県道17号沼津土肥線です
戸田の港を右に見て道成りに約1.3kmで斜め右の道路へ入ります、県道はここから坂道となって西へ登って行きます
約600mで御浜岬の付け根の交差点を右(北)へ、一番奥の「戸田造船郷土資料博物館」まで車で行けます
御浜岬公園トイレ3前の駐車場の車を止めました
「根上がり松」から戸田港側の砂浜を北へ進みます
大きなクロマツが見えて来まし(南東側から)
東側から
北東側から見ました
もう一本は直ぐ北側です
東側から
北東側から、太い枝が地に着いています、これが「下がり松」なのでしょうか
北側から見ました
先へ進みました
諸口神社の鳥居です、戸田の港向き(東向き)に建っています
参道を進みます
手水舎です
式内社 諸口神社の社號標です
拝殿です
本殿です
説明版です
諸口神社
祭神 橘姫命
例祭日 4月4日
由緒
当社の創建由緒等詳ならざれとも「増訂豆州志稿」によれば、廷㐂式神名帳伊豆国那賀郡22座の内、国玉姫命神社にて伊豆国神階帳従四位上もろき姫の明神に座すとな。
もろき姫、国玉姫、橘姫は同一神でもあろうか、現称諸口は「もろき」と同語にて古来当社を辨天と称し、女神なること明らかなり、航海及漁業者の守護神として崇敬あつく海上安全・大漁満足を祈願し、諸船この沖を通過すると言う。
応永8年(1402)3月再建、明治12年(1879)8月村社に列す。
現社殿は昭和28年(1953)4月改築。
社宝
応永8年3月吉日棟札
鰐口 武蔵国吉見郡久米田郷施主求敬白
諸口大明神 「応永八年(己辛)霜月十五日」とあり(日本金石年表に見える)
註・延㐂式内とは醍醐天皇の朝、延㐂年間(901~927)撰修の延㐂式神名帳所載の神社の意にて、単に式内社又は式社ともいう。
*一般的には「延喜式神名帳」と表記されます
境内社でしょうか
次は、「友愛の松」です