荒橿神社は、茂木町役場の北約1kmのところ
茂木城趾入口を東側に進みます
細い道路が切通の様に成る所を東へ入ると鳥居前に出ました
参道杉並木の間に
駐車スペースが有ります
参道鳥居です
延喜式内 懸社 荒橿神社です
大きな懸社昇格記念碑があります
説明版です
荒橿神社
大同元年(806年)、茂木桔梗城主の鬼門除社として城の丑寅の方、字高藤山に
創祀されたと言われている古社です。
國常立尊(くにのとこたちのみこと)、國狭槌尊(くにのさつちのみこと)、豊斟
渟尊(とよくむすのみこと)の三神が祀ってあり、延喜式神社に列しています。
境内は、県指定天然記念物である「荒橿神社のケヤキ」をはじめ、樹齢数百年のス
ギ、カシなどに囲まれ、夏でも薄暗くひんやりとし、平安の神威を誘ってくれます。
環境省・栃木県
参道杉並木です
覆い屋の下の壊れかけた建物は何でしょうか
説明版が有ります
荒橿神社三重塔(現阿弥陀堂)
この荒橿神社の三重塔(現 阿弥陀堂、以下阿弥陀堂という)の創建時期については、
わずかに桔梗城の完成した元弘3年(1333年)先勝祈願のために「三階阿弥陀堂」
を建立した説があるが、それを確認できる資料は見当たらない。
いかし、昭和63年にこの阿弥陀堂の様式、構造等について詳細に調査を行った結果
最も重要な上層の組上げ構法を初め、細部の様式に至るまで、西明寺三重塔(1543
年、国指定重要文化財)との共通点が多く、時期的な近さが感じられる。
また、全体として簡略化された部分が目立つことなどから、西明寺三重塔より若干時
期が新しい可能性が強い。それを裏付けるものとして、阿弥陀堂に安置されていた阿弥
陀像の体内に残された墨書きに、永禄7年(1564年)作とあること等から、この阿
弥陀堂の創建は永禄年間(1558年~1569年)頃と推定することができる。
栃木県内に残る木造塔婆は、西明寺三重塔の外、輪王寺三重塔(1685年国指定重
要文化財)高勝寺三重塔(1751年県指定文化財)東照宮五重塔(1818年国指定
重要文化財)の4棟で、一部(初重部分)いか残されていないとはいえ、この阿弥陀堂
は大変貴重なものといえる。
左図は、現在の阿弥陀堂をもとに、創建当時の三重塔を復元したものである。
平成2年8月 茂木町教育委員会
阿弥陀堂の参道向かい側(東側)にケヤキの巨木があります
東側道路に出て南側から見上げました
説明版です
栃木県指定・天然記念物
荒橿神社のケヤキ
所有者 荒橿神社
平成2年1月26日指定
樹高 44,8m 目通周囲 6,8m
枝張り 東西24,0m 南北29,0m
推定樹齢 700年
この木は、荒橿神社境内のスギの大木に囲まれており、地上10m位までは太枝がなく、
根元はがっちりと、八の字型に下がふくらんでいる。
幹はほとんど垂直に立ち、西と北はスギに遮られて太枝はないが、東には太枝が2本あり
地上20m位から東と北に枝を張って、全体として上に広がった樹形である。
また、幹における空洞もほとんど認められず、樹勢は旺盛である。
栃木県教育委員会・茂木町教育委員会
社殿に向いましょう
井戸でしょうか
手水舎です
案内板です
荒橿神社(案内)
所在地 芳賀郡茂木町小井戸
主祭神 國常立尊
國狭槌尊
豊斟渟尊
境内地 2014坪
社 殿 本殿権現造り 6、0坪
幣殿権現造り 3,7坪
拝殿権現造り10,0坪
手水舎・神餅所・社務所・神庫・鳥居2基
境内木 目通り4m以上 杉 5本・樫1本・欅1本(樹齢千余年)
目通り3m以上 杉19本・樫4本
目通り2m以上 杉18本・樫8本
其の他 百数十本
例 祭 4月17日
11月26日
由 緒 平城天皇の御字大同元年9月9日茂木桔梗城主の鬼門除社として城の丑虎の方
字高藤山上に創祀された、地方著名の古社である。
延喜5年醍醐天皇の勅拼により、延喜式所に其の名を載せられ、式内社として
下野12社の一つに数えられ、茂木城主細川家に崇敬殊の外篤く、享保6年茂木
領主細川長門守、工費を寄進、本殿を造営された。
昭和11年より県社に昇格、郷土の守護神として家内安全・商売繁盛・交通安
全等々の祈願のため、近郷近在はもとより遠く県外からの参拝者が多いところで
ある。
拝殿です
本殿です
境内社です
参道で一番太いと思われる杉の大木です
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