ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

三重県亀山市、野村3丁目「野村一里塚のムクノキ」です!!

2025-02-20 06:32:05 | 巨樹・大木
 野村3丁目は、亀山市役所の西約1.5kmのところ

 亀山市役所北側の県道302号線を西へ進みます、緩く左カーブしながら下って行きます

 約300mで右(西)へ、県道647号旧東海道で亀山城の南辺を進みます

 約1.2kmで道路右手に大きな「一里塚」が有ります
 すぐ先の道路脇に車を止めさせて頂きました

 *この日は多くの人達がウォークラリーのイベントを楽しんでいます、一里塚の写真をスマホで撮影する方で賑わっていました

 南側から

 「史蹟 野村一里塚」標柱ですムクノキについている枝の部分はエノキだそうです。

 説明石碑です
   史蹟 野村一里塚
 一里塚は、江戸時代のはじめ、徳川幕府が江戸日本橋を起点とし、街道に沿って一里ごとに設けさせた里程標で、塚を築き、その上に樹木を植えた。
 この一里塚は、東海道の一里塚の一つとして築造されたもので、もと街道をはさんで南北に塚があったが、大正3年に南側のものは取り去られ、北側の塚のみとなってしまった。
 塚の上には、目通り幹囲5m、高さ20mの椋(ムク)の木がある。
 本県における旧東海道においては、桑名宿から坂の下宿の間に12ヶ所の一里塚が設置されていたが、いま、残るものは、この一里塚だけであり、わが国交通史上、貴重な遺跡として、昭和9年1月22日、国の史跡として指定された。

 *Wikipediaのによると、南の塚にはエノキが3本、北にはムクノキが植わっていたといい、「往昔は、道の両側に塚あり、塚上に榎ありて両樹繁茂して街道に一大楼門をなせし」と記録されている。
 しかし、南の塚は1914年(大正3年)に取りさられた。
 また、現存する北の塚のムクノキも幹が斜めに伸びて人家に倒れかかり危険であったため、明治時代の晩期に地上3mくらいを残して一度切断された。・・・と有りました

 南南西側から、現在の目通り幹囲は5.4mを越えているそうです

 南西側から

 道路南側に離れて見ました

 では、次へ行きましょう



 2025・1・25・12・00

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 三重県亀山市、阿野田町「正... | トップ | 三重県津市、芸濃町椋本「椋... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (hakusiyu)
2025-02-20 09:11:12
思い出した!懐かしい
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
返信する

コメントを投稿

巨樹・大木」カテゴリの最新記事