今日は、川口市に赤山陣屋を見に行きました
場所は、東京外環自動車道の直ぐ脇にありました
国道4号線を草加で外環の下を通る
国道298号で西に向かいます
川口東インターチェンジの手前安行西の信号先うを
側道に入って直ぐ左に案内が有りました
細い道を南にはいていくと
石碑に赤山城祉とあり、ここが本丸のようです
外環と首都高川口線の間に挟まれた一帯です
近くに、植物振興センターや農協園芸センター等も有って
城跡碑の周りは、植木の畑や、植木農家の家などがあり
静かなたたずまいの所です
今も、陣屋敷や曲輪といった地名が残っています
帰りに西側から、本丸一帯を見ました
赤山城は、関東郡代伊奈氏の居城でした。
伊奈氏は、家康の関東入国とともに鴻巣・小室領一万石を給され、熊蔵忠次以後12代に
わたって関東郡代職にあたり、関八州の幕領を管理し、貢税・水利・新田開発等にあたっ
た、三代忠治の時に、赤山領として幕府から七千石を賜り、寛永六年に小室から赤山の地
に陣屋を移した。これが赤山城で、以来十代163年間伊奈氏が居城としたものであるが
現在では、東側に堀と土塁を一部残すのみである。
城祉の南方に隣接する源長寺は、伊奈氏の菩提寺として、四代忠克以後の代々の墓があり
五代忠常建立の”しょくとく碑”には、忠次・忠政・忠治の業績が刻まれている。
場所は、東京外環自動車道の直ぐ脇にありました
国道4号線を草加で外環の下を通る
国道298号で西に向かいます
川口東インターチェンジの手前安行西の信号先うを
側道に入って直ぐ左に案内が有りました
細い道を南にはいていくと
石碑に赤山城祉とあり、ここが本丸のようです
外環と首都高川口線の間に挟まれた一帯です
近くに、植物振興センターや農協園芸センター等も有って
城跡碑の周りは、植木の畑や、植木農家の家などがあり
静かなたたずまいの所です
今も、陣屋敷や曲輪といった地名が残っています
帰りに西側から、本丸一帯を見ました
赤山城は、関東郡代伊奈氏の居城でした。
伊奈氏は、家康の関東入国とともに鴻巣・小室領一万石を給され、熊蔵忠次以後12代に
わたって関東郡代職にあたり、関八州の幕領を管理し、貢税・水利・新田開発等にあたっ
た、三代忠治の時に、赤山領として幕府から七千石を賜り、寛永六年に小室から赤山の地
に陣屋を移した。これが赤山城で、以来十代163年間伊奈氏が居城としたものであるが
現在では、東側に堀と土塁を一部残すのみである。
城祉の南方に隣接する源長寺は、伊奈氏の菩提寺として、四代忠克以後の代々の墓があり
五代忠常建立の”しょくとく碑”には、忠次・忠政・忠治の業績が刻まれている。