ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県安曇野市、豊科のビャクシンです!!

2018-05-31 12:14:44 | 巨樹・大木
豊科地区は、安曇野市の中心部です

安曇野市役所の南東約2kmのところに「長野県立こども病院」が有ります

病院の北西すぐにビャクシンの巨木があります

前の道路脇に車を止めさせて頂きました



吉野熊野権現神社の祠です西向きに建っています

後に見えるオレンジ色屋根の建物が「長野県立こども病院}です

北西側から

近付いてみましょう

北東側から、緑色に葉を茂らせているツルマサキがビャクシンの枝をつたって生長しているようです

東側から

南東側から

根元に安曇野市天然記念物標識が有ります、吉野熊野権現神社のビャクシンとツルマサキですね

説明書きです
  ビャクシン、ヒノキ科の常緑高木、別名イブキ。日本、
 中国、朝鮮半島に分布する。海岸近くの岩場に生える。所
 によると内陸の山地にも生える。伊吹山には多く生えてい
 る。園芸用として庭や生け垣によく使われる。
  推定樹齢約600年、胸高直径約1,9mの巨木であり
 安曇野市内で第一である。旧長野県指定天然記念物でもあ
 った。
  ツルマサキ、ニシキギ科の常緑籐本、日本、東南アジア
 に分布。ビャクシンの巨木に着生している。その太さは安
 曇野市の中で第一である。

では、次へ行きっましょう
  

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長野県安曇野市、三郷温住吉神社のヒノキと社叢です!!

2018-05-31 07:00:19 | 巨樹・大木
三郷温地区は安曇野市役所の南西約4kmのところ

県道321号線(安曇広域農道)と

日本アルプスサラダ街道の交差点の東側に

参道を東向きに住吉神社が在ります

境内の社務所前に車を止めさせて頂きました

東向きに参道入口の鳥居です

縣社 住吉神社です

道路沿いに手水舎が出ています

安曇野市天然記念物標柱には住吉神社の社叢と成っています

境内には、天然記念物の桧(ヒノキ)が在るようです

鳥居を入ると右手に境内社があります

かなりデフォルメされた狛犬です

月讀尊の石碑です

石灯篭の並ぶ参道を進みましょう

采女像でしょうか

坂上田村麻呂公神像です

向かい側には坂上田村明神が祀られています

大きな石にも注連縄が巻かれています

舞殿です

額が飾られています

社殿です

本殿はやっと覗ける程でした

安曇野市 有形文化財 住吉神社本殿の標柱です

説明です
  間口16尺(483cm)、五間社流造、角柱、銅板葺(元
 柿葺)。棟札に「住吉社建立候者(中略)、天明6丙牛年 水
 無月23日 敬白」とあり、装飾の少ない復古様式の特徴から
 天明6年(1786)頃の建築とされる。母屋の組物は舟肘木
 で、古代から続く社殿の雰囲気を持つ。棟に置千木と3本の鰹
 木をのせ、住吉大社(大阪市)の屋根飾りの形式をとる。向拝
 も舟肘木を組み、頭貫の上に菊の彫刻が入る。


境内社の住吉神明社です

こちらは秋葉神社です

本殿の右手にヒノキがあるようです

目的のヒノキの巨木です


安曇野市 天然記念物 住吉神社御神木「ヒノキ」の標柱です

説明が有ります
  ヒノキ科の常緑高木、本州(福島以南)、四国、九州の山地帯に
 生える。自生地では乾燥した尾根筋に純林をつくる。和名は「火の
 木」で、古来この木をこすり合わせ火をおこしたという。極めて有
 用な材で各地に植林される。
  胸高直径約1,8m、樹高約33m、住吉神社の社叢では最大の
 巨木で御神木としての風格がある。
  この地方では、希にみる大木である。樹勢も極めて良い。

直径1,8mとは、5,65mですね

神馬舎です


こちら北側にも境内社が並びます

では、次へ行きましょう
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長野県安曇野市、三郷温津島神社のケヤキです!!

2018-05-30 12:11:59 | 巨樹・大木
三郷温地区は、安曇の市役所の南南西約5kmのところ

県道315号線の南野沢信号を西へ

温郵便局のすぐ西側に津島社が有ります

道路沿いに鳥居が南向きに出ています

前の道路脇に車を止めさせて頂きました


鳥居です

社殿です、御祭神は牛頭天王と須佐之男命のはずですが~社殿のガラス面には違う名前が記されています


境内東側に大きく根を張ったケヤキの巨木が在ります

目通り幹周り 5,2mです

樹齢は不明だそうです

ケヤキの根元の境内社には、狐の置物がありますので稲荷神社ですね

養蠶神の石碑です注連縄が巻かれています

社殿の裏側(北側)にもケヤキの大木が在ります

では、次へ行きましょう
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長野県松本市、中塔のツガです!!

2018-05-30 06:37:12 | 巨樹・大木
中塔のツガが在るのは、松本市役所の西約12kmのところ

大宮熱田神社の北西約3kmのところ

県道25号線が南黒沢を越えて

大きく右にカーブするところを西に入ったところです

駐車場は在りませんが、人通りの少ないところでしたので

道路脇に車を止めさせて頂きました

立派な鳥居が建ちますが、屋敷神様のようです

個人宅ですので道路からの撮影とさせて頂きました

手前の木々が重なってしまって思うように撮影できませんでいた

説明版です
  中塔のツガ
    松本市指定 天然記念物
   高さ   約30,0m
   目通りの周囲 4,1m
  ツガはマツ科ツガ属の常緑針葉高木で、
 別名ツガの木、トガ、ツガマツとも云う。
  本州福島県以西、四国、九州に分布し、
 雨量の多い温暖地の尾根筋や、それに接す
 る斜面に群生する。
  幹は、直立分枝、通常20~25mに及
 ぶ。材は、堅牢で建築、器具製造、製紙等
 用途が広い、樹皮よりタンニンを採る。
  中塔のツガは、梓川区においても、県内
 においても有数の巨樹で樹姿端で、樹勢旺
 盛で他をしのいでいる。

では、次へ行きましょう
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長野県松本市、大宮熱田神社本殿は重要文化財(旧国宝)です!!

2018-05-29 17:51:24 | 文化財・寺社
長野市役所の西約10kmのところに鎮座する大宮熱田神社は

旧国宝、現在は重要文化財にしていされています


大宮熱田神社です

鳥居を入ると

左手に大きな手水舎です

真中の参道です、周りの樹が茂っていて余り歩かれていないようです

左側の参道には、境内社が並んでいます


舞台越に社殿を見ました

社殿です

説明版です
 大宮熱田神社 
   祭神 梓水大神 熱田大神 天照大神 八幡大神
   由緒  当神社は、安曇地方開発の大昔に、梓川
      の恩恵をうける里々の守護神として、松本
      平を眼下に一望できる眺望絶佳、山紫水明
      の本神山頂に奉斎された、梓水大神を祭神
      として創建された古いお社であります。
       梓水大神は、約1100年前の歴史書で
      ある三代実録に、清和天皇の貞観9年に神
      徳の高きにより、従五位下が贈られたと記
      載されている霊験あらたかな神で広く崇敬
      されてきました。
       後世に到り、祭事や参詣者の使いのため
      に、清浄な地を選び神殿を造営して遷座し、
      更に熱田大神、天照大神、八幡大神が合祀
      されたのが現在の神社であります。
       今日、神鎮ります御本殿は、室町時代(
      約450年前)の建築であり、国宝に指定
      され、現在は国の重要文化財として保護さ
      れています。本神山麓一帯には、「神道原
      」「宮ノ上」「大門」「宮ノ前」「朱引内
      」などと神社につながる地名が現存じて居
      り、昔の神域の広大さを偲ぶことが出来ま
      す。
       旧幕時代には二町四方の広き境内を有し、
      古来地方の希に見る大社として「大宮」又
      は「大宮大明神」と尊称されて来ました。
       江戸時代には、代々の松本藩主の崇敬が
      厚く、度重なる御祈祷が行なわれ、神領を
      始め、神額や各種の金品の奉納があり、境
      内の整備や社殿の修復のためしばしば重職
      が派遣されたと伝えられています。
       昭和の終戦時までは、県社の社格を有し、
      毎年の例大祭には、長野県より献幣使が派
      遣され幣帛料が奉納されていました。
        例祭  4月28日、29日



本殿を見る事ができます


説明版です


  大宮熱田神社本殿
      重要文化財指定
    桁行(間口) 向拝 1,28m
           本屋 1,82m
    梁間(奥行)    1,91m
    棟高        5,67m
    一間社流れ造り 柿板葺(こけらぶき)
  特徴
   1、本屋、向拝共に円柱で特に向拝柱が円柱で
     あることが特色である。
   2、柱貫の上に透彫のある蟇股を置いているが
     蟇股の線及び彫刻は優美で室町時代の特色
     をよく表している。
   3、棟を受けて大瓶束(たいへいづか)と妻虹
     梁(つまこうりょう)とがあり、破風板の
     下にはかぶら懸魚を付けているが、何れの
     手法も室町時代の様式を表している。
   4、屋根の流が優美で相対的に均整のとれた、
     建物でる。
            松本市教育委員会

  国宝指定    昭和24年2月19日
  重要文化財指定 昭和25年8月29日 

     


末社御本殿も国宝でした
  この本殿には、更に地方色と云ものがみられない。
 見世棚造りとしては、全国的に見て規模の大きな方で
 立派な建築物である。
  室町時代建立の、一間社見世棚造りで、母屋は面を
 とらない角柱をたて、縁長押、内法長押をつけ、斗栱
 は桁と造り出となっている舟肘木で、妻は梁を架し、
 扠首組で棟木を支えている。向拝は面取角柱で、虹梁
 状頭貫を入れ、その先を木鼻としてつれ三斗をおく、
 縁は母屋側面と一段下がって向拝部分とにあるが、高
 欄などはない。
  軒は繁捶一軒向拝部分に飛擔捶があり、妻には懸魚
 がかかり、屋根は「こけら葺」である

こちらの境内社は交通安全の神様です

絵馬殿の中には、たくさんの絵馬がかざられています

では、次へ行きましょう
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長野県松本市、梓川梓大宮熱田神社の樅の大樹です!!

2018-05-29 06:48:11 | 巨樹・大木
梓川梓地区は、松本市役所の西約10kmのところ

本神山(標高1283m)の東側山裾に

県道25号線が南北に通っていて家並みの中

県道沿いに大宮熱田神社が東向きに鎮座します

神社境内に駐車スペースが有りますので利用させていただきました


参道入口鳥居です、鳥居の左手に目的の樅が見えます

大宮熱田神社です

御祭神は四柱ですね

モミの巨木です

天然記念物標柱には、樅の大樹とあります

境内側北西側から見ました

説明版です
  長野県天然記念物梓川のモミ
    文化財保護条例(昭和35年長野県条例第43号9
    第2条の規定により昭和37年9月27日指定
   マツ科モミは、別名モミソ・トウモミなどといい、わが国の
  特産種で、本州・四国・九州の山地または低地にみられるもの
  である。建築用材としての用途がひろきため大木の数は少ない、
  本県内にも人目を引くものが数本あるが、この木はその中の第
  1の巨木である樹姿端正、樹勢おう盛な点これをしのぐものは
  みられない。
    目通り周囲  6,3m
    高さ    43,0m
   平成17年4月
    長野県教育委員会 松本市教育委員会
    
  


ねづこの古木です

御神木の長生きの木です

神社一番の古木 目通り 4,5m 高さ 40m 樹齢 推定1000年以上


松杉相生の木です

縁結び仲良しの木ですね

では、重要文化財の大宮熱田神社を見て行きましょう

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長野県松本市、梓川上野八幡宮鞠子社のメグスリノキです!!

2018-05-28 05:52:50 | 巨樹・大木
梓川上野地区は、長野市役所の西約12kmのところ

梓川が松本平に出る要の位置で、梓川の左岸段丘上にあります

地区の北側、リンゴ畑と北側山地の境目に八幡宮鞠子社が有ります

境内入口に車を止めさせて頂きました

境内へは、鹿柵の大きな扉を開けて入らなければなりませんが

鍵は付いていないので開ける事が出来ました


県道287号線から八幡宮への入り口に案内板があります

リンゴ畑の中を進むと、リンゴの消毒や除草をしているリンゴ農家の方々が作業している脇を通って行きます


神社は鹿柵の中です

チェーンで固定されている扉を開けて境内へ入ります


柵を入るとすぐ左手にメグスリノキです


説明版です
  長野県天然記念物
    八幡宮鞠子社のメグスリノキ
      文化財保護条例(昭和35年長野県条例第43号)
      第2条の規定により平成15年9月16日指定
     カエデ科メグスリノキは温帯な山地に生える落葉高木。
    日本固有の植物で、本州(宮城県以南)四国・九州に分布
    するが、北陸地方や近畿地方以西では少ないといわれてい
    る。市内でも地理的に北陸に近いためか、まれにみられる
    程度である。
     樹皮を煎じて洗眼薬として使ったことから、名づけられ
    たものらしい。幹が真直ぐに伸び、上方で四方に分かれて
    いて、これだけ大きなメグスリノキは、北相木村に生育す
    る天然記念物より樹高は高く、近隣市町村はもちろん県下
    にも数少ないものである。
      目通り周囲   3,06m
      高さ     28,00m
   平成17年4月   長野県教育委員会 松本市教育委員会
    

東側から観ました

八幡宮鞠子社へ行きましょう、鳥居です 

水盤です

参道を進みます

拝殿を見上げます

また水盤が有ります

拝殿越に社殿です

見上げるような高い位置にあります

では、次へ行きましょう

    
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長野県松本市、安曇大野田のフジキ(ナンジャモンジャの木)です!!

2018-05-27 17:48:53 | 巨樹・大木
大野田地区は、松本市役所の西南西約17kmのところ

国道158号線を梓川に沿って上高地方向の西へ向います

松本電鉄しんしましま駅から更に2kmほど

国道が梓川を右岸から左岸に渡った北側の集落です

家並みの中(旧道)沿いに案内板が有ります

道路脇に車を止めさせて頂きました




案内板が有ります、100mです

伊勢二宮神社への参道を進みましょう

鳥居が見えて来ました

水盤です


夫婦ひのきです

ケヤキの大木ですね、目的の樹ではありません

拝殿です

社殿です

拝殿の西側に「フジキ」が在りました

説明版です
   長野県指定天然記念物
     大野田のフジキ
    所在地 松本市安曇394番地1
    所有者 伊勢二宮神社
    指定年月日 昭和43年5月16日
   指定内容
     フジキは、本州(福島県以南)、四国、九州に
    分布するマメ科の植物です。長野県内では、諏訪
    大社上社の社叢に数多くの大木があり、そのほか
    各地に点々と分布しています。
     この付近では見かけない種類なので、地元では
    「ナンジャモンジャの木」と呼んでいました。幹
    の周囲は3,5m、高さは20mに及ぶ大木です
    。6月ごろ、白い花を咲かせます。
        松本市教育委員会  平成17年4月


社殿前から見ました幹の半分が傷んでしまっていますが長生きしてもらいたいものです

では、次へ行きましょう
     
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長野県松本市、波田山城跡(秋葉城)です!!

2018-05-27 06:10:16 | 城跡・館跡・陣屋跡
波田山城跡は、松本市役所の西南西約14kmのところ

若澤寺跡の南側の山頂部に有ります

車を置いたまま林道を歩いて行きます

はた「歴史の遊歩道」案内図では直ぐそこです

では行きましょう

道路脇を水が流れています

なんと倒木で林道が塞がれています、まだ倒れたばかりのようです

水音が消えると城址入口まで100mの案内板があります

もうすぐです

入り口が近付いて来ました


説明版です
  町指定史跡(昭和47年11月1日指定)
    波田山城跡(秋葉城)
      標高970.5m  比高差240m(登り口より)
    波田町上波多光明寺峰にある山城跡は南北に細長い山頂の
   尾根を「堀切」にした深さ約5mの「竪堀」でそれぞれの郭
   に分割造営されている。中央の本城(主郭)が最も高く、次
   いで北城、南城と南北に横並びで連立している。各城郭の山
   腹には3段から4段の「帯郭」が取り囲み、「腰郭」、馬溜
   りの平場も作られている。
    本城(主郭)は南北の長さ約44m・東西の幅8m~16
   mの長方形で、四方の縁は「土塁」がめぐらされている。南
   寄りに「井戸の跡」と呼ばれる窪みが有り、昔は水が湧き出
   していたという。
    本城の中央に秋葉神社の小祠が祀られたことから城の別名
   となった。本城に築かれて土塁の切れ口の一部が「虎口」と
   呼ばれる郭の出入口で、直下には5mの四角形の「馬出」ら
   しき平場が設けられている。なお北城と南城には土塁は作ら
   れていない。山城の大手筋は北城から北尾根を下り、寺山水
   道沢から、「御殿城」(町浄水場)附近を経て上波多集落の
   内城(西光寺城跡)に出る道筋が大手道とみられる。
    「搦手筋」は、、城の南側の沢道に下り水沢川沿いの若澤
   寺参道(大木戸)にでるのが搦手である。
中世豪族の武将と家臣団が日常生活を営む場所は山城の山
   麓の根城(内城・根小屋)であり、山城は「詰城」として、
   平時は物見番を置き、非常時に避難して戦闘に使用したとい
   う組合わせが一般的である。したがって装備も質素なもので、
   後世の城郭のような壮麗な天守や瓦屋根に白壁等はなく、粗
   末な板張りの山小屋に萱ぶきか桧皮ぶきの屋根で、丸太の物
   見やぐら、城門、矢倉、板塀、木柵などが施され、空堀の土
   を掻き揚げた城郭であった。
    山城には15世紀以降の室町から戦国時代に発達した「竪
   堀」の工法や「馬出」などの施設がみられる。伝承によれば
   文化年間(1804~17)に近くの若澤寺造営の際、山城
   の石垣を取り壊し使用したともいわれ、石垣は戦国末の工法
   である。「波田町誌」によれば寛正3年(1462)ごろに
   守護小笠原氏の一門櫛木市正一俊が波多郷地頭となり正光寺
   内城と、波田山城を築き、飛騨・木曽方面の境を固め、対岸
   の西牧氏(梓川村)に備え、子息紀伊守政盛まで2代在城し
   たといわれている。
    戦国時代には小笠原長時の旗本波田数馬が城主であった。
   武田氏に敗れた後は、甲州の深志城代日向大和守により天文
   21年(1552)に山城と内城は破却されている。



こちらは搦手口ですね、本城へ向かいましょう

登り始めて直ぐ右手に「秋葉城趾」の小さい石碑があります

木の階段で急な登城路を進みます

登城路の左手の山腹には平場が段々に繋がっています

大きな腰郭です、「馬溜まり」でしょうか

もうすぐ本城です、竪堀の脇を登って行きます

北城との間の「堀切」です

本城西側の切岸と腰郭です

本城に上がって来ました

町指定史跡 波田山城跡の標柱です

中央部には祠が有ります「秋葉神社」でしょうか

井戸跡のようです

掘り切りの先は南城です

南北に細長い本城です、南側から見ました

本城北側の腰郭です

北城です、戻りましょう

良く整備されていますので、むやみに歩き回らずに保存していきたいものです

では、次へ行きましょう
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長野県松本市、波多若澤寺跡です!!

2018-05-26 15:02:13 | 遺跡・史跡
若澤寺跡は、松本市役所の西南西約13kmのところ

波多神社前から西へ家並みの中を山の中に向かいます

白山(標高1387m)の北東山麓です



この分かれ道を右へ約1,5kmのところです

丁目石10丁目は下の遊歩道にあるようです

祠の脇を更に登ります

間もなく林道はゲートで行き止まりになります

はた「歴史の遊歩道」案内図です

若澤寺跡入口です

説明版が有ります
  松本市特別史跡
     若澤寺跡
    所在地   松本市波多9103
    所有者   水沢山共有林組合 ほか
    指定年月日 平成23年3月22日
  指定内容
   若澤寺は、山号を慈眼山あるいは水沢山といい、新義真言宗
  京都智積院の寺院で、江戸時代には広大な伽藍が整備されて多
  くの人々が訪れ、「信濃日光」と呼ばれていた。しかし、明治
  初年の廃仏毀釈により廃寺となり、多くの建物は取り壊された
  り、移築された。現在寺跡に残っているのは、田村堂、金堂、
  中堂、護摩堂、方丈の石垣と一部の礎石だけだが、その規模の
  大きさは賑わった時代を彷彿とさせる。
   若澤寺は、室町時代に2kmほど山中に入った元寺場から水
  沢谷の現在地に下りたと伝えられ、戦国時代から江戸時代初期
  には、武田勝頼や小笠原氏により寺領を安堵された。江戸時代
  後期の文化年間(1804~17)に、「若澤寺一山之絵図」
  に描かれている伽藍ができあがったといわれている。
    平成24年3月   松本市教育委員会


ここを登って行きます


方丈・護摩堂跡です?

草花が咲きほこる中を進みます


こちらが方丈跡のようです

礎石が残っています

護摩堂跡です、大きな柱礎石が並んでいます


石垣が続きます


若澤寺絵図です

中堂救世殿跡です

水澤観世音霊場の石碑が立っています

石垣沿いの道を上へ行きます

金堂跡です

もう一段上にも郭が有ります



宝篋印塔の台石です

隣の石には仏託功徳経白が刻まれています

田村堂・宝篋印塔跡です

方丈や護摩道跡を見下ろしました

若澤寺跡の山側斜面上に石塔が並びます

石塔から降りて来ました、中堂救世殿跡です

では、波多山城跡へ行きましょう

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長野県松本市、青木原波多神社のコナラです!!

2018-05-26 07:05:29 | 巨樹・大木
冉青木原地区は、松本市役所の西南西約kmのところ

国道158号線を上高地方向西へ進みます

松本電鉄えんどう駅の手前を南へ入ります

「田村堂」の案内板が目印です

梓川右岸の河岸段丘の上です

神社前の地区センターの駐車場を利用させて頂きました


阿弥陀堂仁王門前参道から見た神社鳥居です

神餅幣帛共進神社の石碑です

説明版です
 波多神社
  所在地 長野県東筑摩郡波田町字青木原
  由緒  波多神社は、康治2年(西暦1143年)に
     紀伊国牟婁郡有馬より熊野権現(旧官幣大社・
     正一位)を勧請して合祀したと伝えられている
     。当神社には既に素戔嗚尊・事解男尊が祀られ
     ており、ここに他の4柱の神を合祀して、熊野
     権現6柱の神を祀ったと推測されている。
      この時の祭主は櫛木紀伊守正盛、神官は森井
     仙大夫、藤原利久であった。
      安筑史料書に記載されている波多神社の棟札
     には
      永正17年庚辰年弥生生28日辰刻
      36世 神主 森井千大夫
      大工 木曽宮越 川原地藤内
     とありこの時(西暦1503年)に現神殿が建
     築され、その後改修されてきたものと推測され
     ている。
      境内南側にある小楢の木は、長野県の天然記
     念物であったが、現在は波田町の文化財となっ
     ている。
  御祭神(六柱)
    家津御子大神(別名 素戔嗚尊)
     けつみこのおおかみ すさのおのみこと      
    伊弉諾大神
     いざなぎのおおかみ 
    速玉男大神
     はやたまおのおおかみ
    熊野牟須美大神(別名 伊弉冉尊)
     くまのむすみのおおかみ いざなみのみこと
    事解男大神(別名 一言主尊)
     ことさかおのおおかみ ひとことぬしのみこと
    天照皇大神
     あまてらすすめのおおかみ
  境内摂社(末社) 神殿南側
   北側社    御祭神(五柱)
    神明社    大日孁貴尊(別名 天照皇大神)
    八王子社   田心比売尊
    山の神社   大山祇尊
           木花咲耶媛尊
    天神社    菅原道真公
   南側社    御祭神(四柱)
    水神社    罔象女尊(別名 弥都波能売尊)
    大黒社    大貴己尊(別名 大国主尊)
    諏訪社    建御名方尊
    戸隠明神   天手力男尊
      平成12年9月吉日


鳥居です

手水舎と水盤が有ります

拝殿です

本殿です

立派な鳥居の末社(境内社)です

阿弥陀堂墓地との境、境内内に目的のコナラが在ります

町指定天然記念物 小楢  昭和47年11月1日指定です



大きな傷が途中の枝の痕から根元まで入ります


仁王門の下から見上げました


また阿弥陀堂仁王門前の参道に戻ってコナラを見上げました

では、若澤寺跡へ行きましょう
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長野県松本市、上波田田村堂です!!

2018-05-25 12:19:33 | 文化財・寺社
上羽田地区は、松本市役所の西南西約13kmのところに

田村堂は、梓川右岸の河岸段丘の上に有ります

国道158号線を上高地方向西へ進みます

松本電鉄えんどう駅の手前を南へ入ります

波多神社前の集落センターの駐車場を利用させて頂きました

田村堂とは、寺の厨子です



田村堂はもうすぐです

上羽田地区の歴史です

阿弥陀堂参道入口の仁王門です

仁王様です

説明版です
  長野県宝です

仁王尊と股くぐりの案内板です

研き石の水盤です昭和6年4月吉日の日付が有ります

板碑です

松本市重要文化財です

仁王門の先には阿弥陀堂が見えて来ます


若澤寺参道丁石 第4丁目です

若澤寺の丁石説明版です

阿弥陀堂参道右手に田村堂の覆い屋が在ります

重要文化財 田村堂の標柱です

多いウ屋の中には、立派な厨子が有ります、田村堂です

説明版です
  重要文化財 田村堂
    昭和28年8月29日指定
   この田村堂は、今は廃寺となってしまった若澤寺の一宇であった。
  建築年代は明らかでないが、元来、厨子として作られたものと見られ
  、形式手法から室町時代末期と推定される。


周辺文化財の案内板です


阿弥陀堂の左手には、こちらも重要文化財の線刻閻魔王座像です

阿弥陀堂の札が掛かります

阿弥陀堂前右手の水澤不動尊です

では、次は隣の神社へ行きます
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長野県松本市、波田安養寺の三本杉とコウヤマキです!!

2018-05-25 06:22:12 | 巨樹・大木
シダレザクラで有名な安養寺は、松本市役所の西南西約8kmのところ

上高地に向う国道185号線沿い北側に有ります

国道沿い(裏門)に駐車スペースが有ります

本堂東側に表門側にも駐車スペースが有りましたので今回はこちらを利用させて頂きました

表門側からの境内のシダレザクラです

表(東)側から本堂を見ました、参道脇にはシダレザクラで一杯です来年の春花の時期に来たいものです


国道沿いの駐車スペースの脇に、裏門が有ります

真宗本願寺派 諏訪山 安養寺です

楼門です

鐘楼です

目的の樹が見当たりません国道沿いから本堂裏側の境内に眼をやりました

見つけました、本堂南側の木々の中に目的の杉です

西側から見た三本杉です

町指定天然記念物 安養寺の三本杉の標柱です

北側から見上げました

三本杉の北側にはコウヤマキが在ります


町指定天然記念物 安養寺の高野槇の標柱です

南東側から見上げました

説明版等が無いのは残念です

では、次へ行きましょう

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長野県松本市、島立南栗栗林神社の三本松は枯れてしまっていました!!

2018-05-24 12:14:56 | 巨樹・大木
栗林神社は長野市役所の西南西約4kmのところ

長野自動車道の西側田圃に囲まれてに有ります

自動車道の側道脇に車を止めさせて頂きました


高速道路の側道(東側)から見ました

すっかり赤く成っています

説明版です
    松本市特別天然記念物
     島立南栗の三本松
      所在地  松本市大字島立4961番地
      所有者  島立南栗町会(栗林神社)
      指定年月 平成19年3月30日
    指定内容
      栗林神社参道にそびえているアカマツで、樹高は約25m、
     目通り幹囲は4,65m、枝ぶりは東9m、西9,8m、北
     9,3mの立派な松である。幹の途中から3本に枝分かれし
     ていることから「三本松」とよばれ、南栗地区のシンボルと
     なっている。
      このアカマツは栗林神社の森から独立していて、四方から
     姿を見る事が出来るが、どの方向から見ても樹形がよく、盆
     栽のようでもある。樹齢は300年位と考えられ、市内でも
     有数のアカマツである。
      また三本松が神社の森から離れ、独立して生育しているが、
     かつては千国街道が栗林神社の脇を通っていたので、もとも
     とは街道沿いに生えていたものと思われる。
             松本市教育委員会  平成20年3月


神社境内側から

鳥居です

水盤です

拝殿です

本殿です

境内社の山神社です、境内社は拝殿に向って左(西)側に有ります

蚕玉社です

横内稲荷神社です、ロープが張られて近づけません、鳥居に倒壊の危険が在るのでしょうか

本殿裏側のケヤキの大木です

南東側から

こちらも境内社です

では、次へ行きましょう
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栃木県小山市、小宅八幡宮のカヤです!!

2018-05-24 05:49:20 | 巨樹・大木
小宅地区は、小山市役所の北約6kmのところ

思川右岸沿いの市道を進むと間もなく隣の栃木市との境

地区の中ほどの住宅地の中に参道鳥居が建っています

参道鳥居から更に細い道路を進むと境内入口の赤鳥居が見えて来ます

鳥居脇に車を置かせて頂きました




参道入口の鳥居です、住宅の間の道路が参道です

境内入口の赤鳥居です

手水舎です

拝殿です

本殿です

本殿の右手に目的のカヤが在ります

とちぎ名木百選です

説明版です
   小宅八幡宮のカヤ(天然記念物)
  カヤは裸子植物イチイ科の常緑高木で、本州北部から四国・九州
 を経て屋久島まで分布する。
  このカヤには、落雷や暴風で樹幹がさけ折れた形跡がはっきりと
 見られる。基部には空洞もある。しかし樹勢はよく、周囲の枝は途
 中から下垂し、古木として独特の風格を示している。樹齢は500
 年余と推定される。
  いいつたえによると、御神木として代々大切に保存され、この間、
 文禄年間(1592~1595)の洪水により本殿が流されたにも
 かかわらず、御神木はそのまま残り、本殿のみ北西500mの位置
 に移され、宝永年間(1704~1710)に元の位置、即ち現在
 の場所に戻されたという。
   樹高 28m・目通り約4m・
   枝張り東西約14m・南北約14m
     指定年月日 昭和43年1月9日
     所在地   小山市大字小宅1289番地
     所有者   小宅八幡神社
                      小山市教育委員会
(説明版が古いので、日本樹木医会のデーータでは目通り幹周りは4,2mに成っている様です)
  

本殿脇から見上げました、傾いて立っているのが良く解ります

本殿裏側(北西)から

北側から

北東側から

南東側から見ました

では、次へ行きましょう
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