ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

青森県深浦町、深浦浜町「円覚寺の竜灯杉(町指定)とイチョウ」です!!

2023-06-30 18:31:17 | 巨樹・大木
 深浦浜町は、深浦町役場の南西約1kmのところ

 深浦町役場から国道101号線を南へ深浦漁港を回り込むように進むと

 消防の屯所の先を斜め左に入ると

 円覚寺の山門(仁王門)前です

 左に進んで、旅のオアシス風待ち館の駐車場に入りました

 「川原町のイチョウ」と「円覚寺」を見た続きです・・・


 附近の案内図です

 円覚寺山門(仁王門)です

 真言宗醍醐派 春光山 円覚寺です


 山門を潜ると直ぐ左に目的の「竜灯杉」です

 北側から、目通り幹囲7.4mの巨木です

 町の巨樹・古木の標柱です

 説明版です
   町指定天然記念物
      円覚寺の竜灯杉
          平成5年12月24日指定
 江戸時代、西廻り航路(北前船)の海の男たちが、この沖で暴風雨に見舞われ、髷(ちょんまげ)を切って一心に祈ると、この杉の梢から一条の光が放たれたそうです。
 九死に一生を得てたどり着いた船乗り達は、常日頃篤く信じていた澗口観音円覚寺にその髷を納めました。(重要有形民俗文化財 髷額)
 このような伝説が、いつごりからか、北前船の船乗り達に「竜灯杉」(龍神が宿って船乗りに助けを与える神木)といわれるようになりました。
    深浦町教育委員会

 北西側から

 西北西側から

 西側から


 山門前からイチョウを見ました


 目通り幹囲7.0mの巨木のイチョウです


 北東側から見上げました



 本堂(観音堂)です


 本堂前から竜灯杉を見ました


 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青森県深浦町、深浦浜町「真言宗醍醐派 春光山 円覚寺」です!!

2023-06-30 06:32:41 | 文化財・寺社
 深浦浜町は、深浦町役場の南西約1kmのところ

 深浦町役場から国道101号線を南へ深浦漁港を回り込むように進むと

 消防の屯所の先を斜め左に入ると

 円覚寺の山門(仁王門)前です

 左に進んで、旅のオアシス風待ち館の駐車場に入りました、まずは「川原町のイチョウ」を見て来ました


 附近の案内図です

 円覚寺山門(仁王門)です

 真言宗醍醐派 春光山 円覚寺です

 説明版です
   円覚寺(真言宗醍醐派)
 本寺は大同2年(807)に坂上田村麻呂が聖徳太子作十一面観音像を安置し、創建したと伝えられる。
 貞観10年(868)に円覚法印により再興され、その後、豪族や弘前歴代藩主の厚い庇護を受けていたことが文献等に記されている。
 海上交易が盛んになると海上の安全を祈願する船乗りが数多く参詣し、船絵馬や髷額を奉納して澗口観音として信仰を集めた。これらは、室町時代初期の作と言われる薬師堂内厨子とともに国の文化財に指定されている。

 仁王様です

菅江真澄の道(春光山円覚寺9の標柱です、文面には・・・寛政9年(1797)2月10日(「つがるのおち」)、この寺で語り暮らした真澄は、「春雪にふり埋もれたる雪の梢」を眺めて次の一首を詠む・・・
  木々の芽も 春の光の やまのはは 花とみゆきの 霜も長閑さ

*秋田では彼方此方に菅江真澄の足跡を辿って来ましたが、青森の西の端にも彼の足跡を見るとは驚きです

 円覚寺略記です
 「津軽一統志」に、次のように書かれています。
 「大同2年(807)、征夷大将軍・坂上田村麿、観音堂をこの地に建立し、厩戸皇子の妙巧なる十一面観音像を安置す。今の本尊これなり」と、
 その後、貞観10年(868)、泰澄大徳の弟子・浄定行者の末弟の円覚法印が、修験道(山伏)を奉じ、諸国の霊山を遍歴して、この地に来て「観音堂」を再興しました。
 円覚法印は、大和国(奈良県)の人で、寺号の「円覚寺」は開山の「円覚法印」の名前から付けられてのです。
 当寺は、当山派修験(真言宗の山伏)の寺院で、「お葬式」をする寺ではありませんでしたので、江戸時代、幕府の「檀家制度」の発布後も、「檀家」はありませんでした。
 それで、江戸時代以前は、各時代々々の豪族の帰依をうけ、江戸時代には、津軽藩主の庇護によって続いていたのです。
 「深浦」は、上方(京大阪)と蝦夷地(北海道)を結ぶ経済文化の大動脈「北前航路」の蝦夷地へ渡る最重要港でした。
 そのため、ここの「観音様」は「澗口観音」と称されて信仰されました。
 「澗口観音」と云うのは、澗(港)の入り口にあって、海上安全・商売繁盛の御利益のある観音様と云うことです。
 事実、数々の「船絵馬」「髷額」<国重要有形民俗文化財>や「奉納品」がその事柄を物語っています。
 明治5年(1872)新政府による「修験道禁止令」の法難の嵐によって、全国の多くの修験寺院は消えて行きましたが、当寺は生き残り、真言宗醍醐派末寺の「祈祷寺」として現在に至って居ります。
 本堂の後ろに、「寺宝館」(篤学館)があります。
 国指定文化財「船絵馬」「髷額」(106点)や県指定の文化財、また当寺26世・義観僧正の仏道修行の遺品の数々が展示されて居ります。
 中でも圧巻は、僧正が日露戦役の両国殉難者供養のために、5ヶ年費やして、全国有信男女8万4千人の毛髪を以て刺繍した「八相釈尊涅槃図」でしょう。



 境内社です

 北端の祠です


 海南供養碑です

 宝篋印塔(青森県重宝・建造物)です


 本堂(観音堂)です

 拝殿軒下の鰐口です


南側の弁財天堂です

 では、次は境内の「竜灯杉」と「イチョウ」を見て行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青森県深浦町、深浦浜町「川原町のイチョウ」(町の巨樹・古木)です!!

2023-06-29 18:29:33 | 巨樹・大木
 深浦浜町は、深浦町役場の南西約1kmのところ

 深浦町役場から国道101号線を南へ深浦漁港を回り込むように進むと

 消防の屯所の先を斜め左に入ると

 円覚寺の山門(仁王門)前です

 左に進んで、旅のオアシス風待ち館の駐車場に入りました

 *風待ち館は、深浦町の総合観光案内所。近世の日本海で隆盛した北前船の歴史を多方面からとらえて、様々な角度から紹介しています。
 貴重な資料の内容や、それが持つ意味をわかりやすく伝えることで、北前船に興味を抱き、知識を深め、往時に思いを馳せながら、創造できる展示空間になっています。北前船模型や古い海図などを見学することができます。


 駐車場の北前舟(深浦丸)の大きな模型(船尾のみ)が有りました

 駐車場から南への道路を進み、川を左に見て進むと

 JR五能線の高架が見えます

 高架の下を斜め右へ

 住宅の先の空き地の西に大きなイチョウが見えます

 ズームアップしてみましたが幹は分かりませんね~

 少し戻って、線路沿いを西へ入ります

 北側から見る事が出来ました

 下草の中に「町の巨樹・古木」の標柱の頭がみえましたが、踏み込むわけにもいきませんね~

 では、戻って「円覚寺の竜灯杉とイチョウ」を見て行きましょう

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青森県深浦町、横磯下岡崎「横磯のエノキ」(町指定)です!!

2023-06-29 06:34:02 | 巨樹・大木
 横磯下岡崎地区は、深浦町役場の南西約5kmのところ

 国道101号線を南へ進み、道成りに深浦漁港を回り込んで進みます

 約5.5kmでJR五能線の踏切を渡って直ぐに右後方へ入ります

 また直ぐ左後方へ「えの木保育園」へ下るように入ると

 右下に入ることが出来るようにガードレールの切れ間があります

 下の岩場に目的のエノキです

 道路脇に車を止めて、坂道を下ります

 南向きに鳥居が有ります

 町の巨樹・古木の標柱です

 南側から見ました


 町指定天然記念物標柱です

 説明版です
  町指定天然記念物
    横磯のエノキ
       昭和49年8月16日指定
 この木は、北方系のエゾエノキと違い、もともと温暖な地方に見られるものですが、この地域は暖流が岸近くを流れているため植生したものと思われます。
 このエノキのそばをかつて旧道が通っており、西浜下通りといわれ、鰺ヶ沢から岩崎や秋田側へ抜ける唯一の道路でした。
 旅人に木陰を提供し、甘い味のする実で疲れをいやしたというのが定説となっているそうです。
 激しい潮風に堪えて岩に寄り添うように生きている姿は、見る人に生命力の強さを感じさせ、樹齢200年以上も経った今も、いきいきとした新緑に葉を身につけています。
    深浦町教育委員会

 青森県環境指標植物の標柱です

 祠です

 東側から

 北東側から見ました

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青森県深浦町、岩崎浜野「武甕槌神社・岩崎のタブノキ」(町指定)です!!

2023-06-28 18:30:02 | 文化財・樹木
 岩崎浜野地区は、深浦町役場の南南西約7km、深浦町役場岩崎支所の西北西約2kmのところ

 深浦町役場岩崎支所から国道101号線を北西へ進みます

 約1.7kmで国道脇に武甕槌神社の社號標があります

 ここが参道への入口です

 JR五能線の高架を潜って細い坂道を進みます

 境内入口の鳥居前に出ました

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 鳥居には珍しい形の注連縄が懸けられています

 鳥居を入ったすぐ右手に目的のタブノキです

 鳥居脇(南側)から

 天然記念物標柱です

 説明版です
  町指定天然記念物
    岩崎のタブノキ
         昭和51年12月24日指定
 タブノキはクスノキ科の常緑高木で、本州・九州・沖縄に分布しています。初夏になると枝先に黄緑色の小さな花を咲かせ、実は秋に黒紫色に熟します。
 イヌグスとも呼ばれクスノキより劣るとされていますが、樹皮は染料や線香に、材は家具や建築用に用いられるなど、有用な樹種として知られています。
 また、耐風性、耐潮性に優れ、太平洋側では岩手県中部、日本海側では、当地域の沿岸が北限域となっていることから、植物地理学上極めて貴重なものとされています。
     深浦町教育委員会

 二本のタブノキが指定されているようです

 ニノ鳥居を潜って社殿へ行きます

 社殿です

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田県能代市、磐杉沢台「外野神社跡のケヤキと杉沢台遺跡(国指定史跡)」です!!

2023-06-28 06:28:55 | 遺跡・史跡
 磐杉沢台地区は、能代市役所の北北東約6kmのところ

 能代市役所から国道101号線を北へ、米代川を能代大橋で渡り約3.5km進みます

 交差点を右(東)へ県道209号線です、すぐにJR五能線の踏切を越えてまた直ぐに斜め左(北東)へ

 まだまだ県道209号線を進みます

 約1.4kmで斜め右へ小土集落へ入って行きます、そのまま集落を貫けると

 正面にケヤキの森です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 祭神 馬ヶ相染神 外野神社跡の石碑です

 祠です

 *蒼前様(そうぜんさま)は、東日本に分布する馬の守護神で,相染,勝善とも書く。正月あるいは年に数度の厩祭をする場合が多く,厩に蒼前様のお札を貼り,祈禱してもらう。近世期には猿回しを専業とする猿太夫と称する者が厩祈禱と守護札の配札にまわっていた。秋田では,旧佐竹北家の厩番に伝えられてきたが,神仏分離以降祈禱師に転じたといわれ,彼らは厩祭だけではなく,獣医の役割や馬に関するいっさいの世話をしていたという
 
 祠の後ろ側のケヤキです

 南側のケヤキです

 南西側のケヤキです

 西側から見上げました、主幹が枯れてしまった形になっています


 東へ農道を進むと「杉沢台遺蹟」の標柱です


 説明版です
   国指定史跡 杉沢台遺蹟
      昭和56年9月3日指定
      所在地 能代市磐字杉沢台
 杉沢台遺跡は、東雲台地北側とその斜面にかけて形成されており、範囲は35000㎡に及ぶ。縄文時代前期を中心とする集落遺跡で、昭和55年秋田県教育委員会により4672㎡の範囲で発掘調査が行われた結果、多数の遺構が発見されている。
 大形住居跡4軒を含む、合計44軒の竪穴住居跡が検出されたほか、貯蔵穴などに使われたフラスコ状ピットも100基以上発見されており、中には土器片や貝殻などが捨てられているものもあった。とくに長軸31m、総面積222㎡におよぶ竪穴住居跡は縄文期では日本最大級と注目を浴びた。この住居は、柱穴の重複関係から、少なくとも3回の建替えがおこなわれたと考えられている。大形住居を中心とした集落は東日本全般にわたって存在することが知られており、本遺跡は当時の集落や社会構造を解明していくうえで重要な遺跡である。
 平成15~17年の能代市教育委員会の調査でもフラスコ状ピットや住居跡が史跡周辺から発見され、縄文集落が広がっていることが判明した。これまでの調査で、縄文時代前期・後期・晩期・弥生時代、平安時代の複合遺跡であることが確認されている。
      能代合教育委員会

 説明版の北側です


 説明版の北西側です

 南側です

 杉沢台遺跡前から西側のケヤキのある社叢を見ました

 では、次へ行きましょう
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田県能代市、二ツ井町飛根富根「愛宕神社のケヤキ」(能代の名木・古木)です!!

2023-06-27 18:32:56 | 巨樹・大木
 二ツ井町飛根富根地区は、能代市二ツ井庁舎の西北西約5kmのところ

 代市二ツ井庁舎から県道317号線を西南西へ、米白橋で米代川を左岸へ渡ります

 秋田自動車道二ツ井白神インターチェンジの切石入信号で右(北北西)へ国道7号線です

 約300mで信号を右(北西)へ、県道205号線です、すぐJR奥羽本線の踏切を渡ります

 約300mで左手に愛宕神社が西向きに鎮座します

 村社 愛宕神社の社號標です

 境内に車を止める事が出来ました

 手水舎です

 拝殿です

 本殿です

 本殿の北東側に目的のケヤキです

 能代の名木・古木標柱です、文面には・・・
 ケヤキは元はツキノキといわれ、本州・四国・九州に産する落葉高木である。
 この木の樹齢は400年を超えるといわれている。
 愛宕神社は、明治9年の大火は免れたものの、当時の神主の自宅も焼失し、古文書もなく、由来は不明である。

 南側から幹を見上げました、目通り幹囲5.1mの巨木です

 東側から

 北側から見ました

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田県能代市、二ツ井町仁鮒坊中「銀杏山神社の連理のイチョウ」(県指定)です!!

2023-06-27 06:29:46 | 巨樹・大木
 二ツ井町仁鮒坊中地区は、能代市役所二ツ井庁舎の南東約1kmのところ

 能代市役所二ツ井庁舎から県道317号線を南西へ、中坪信号を左(南南東)へ、県道203号線で米代川を渡ります

 銀杏橋を渡った右カーブで左(北東)へ入ります、約700mで銀杏山神社(いちょうさんじんじゃ)の案内板を右(南東)へ

 「銀杏山神社の乳柱イチョウ」の続きです

    銀杏山神社(いちょうさんじんじゃ)
 銀杏山神社は658年、阿部比羅夫の蝦夷征伐遠征の際、勝利祈願のために建立したといわれ、1300年以上の歴史があると伝えられています。
 境内にある3本のイチョウは、「連理のイチョウ」「乳柱のイチョウ」と呼ばれ、秋田県の天然記念物に指定されています。
 「乳柱のイチョウ」には気根が垂れ下がっており、昔から乳の出ない女性が願掛けをしたといわれています。
以下略・・・
     能代市二ツ井地域局総務企画課:作成
 

 説明版です
   秋田県指定天然記念物
      昭和30年1月24日指定
 名称 いちょう 3本
 所在 秋田県山本郡二ツ井町仁鮒字坊中146
  いちょうと銀杏山神社の由来
 中略・・・
 他の2本(男銀杏と女銀杏)は、枝状に結びついていることから「連理の銀杏」と名付けられている。この2本の銀杏の周りを息を止めて8の字に三周すると願いがかなえられるという言い伝えもある。
 文化2年(1802年)に菅江真澄がこの地を訪れ、「みかべのよろい」に銀杏の絵と文を書き残している。
       平成12年8月   二ツ井町教育委員会


 連理のイチョウが見えました

 遊歩道を進むと左手に

 連理のイチョウの二本です

 天然記念物標柱です

 連理になっている枝です、枝越しに祠が見えました

*連理とは、1本の木の枝が他の木の枝と連なって木目が通じ合っていることです。

 北側の一本です、目通り幹囲5.5mの巨木です

 南側の一本です、目通り幹囲5.2mのこちらも巨木です

 北東側から

 北側から

 北西側から

 西側から見ました

 祠の後ろ側から連理になった枝です

 北側の一本です

 南側の一本です

 では、次へ行きましょう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田県能代市、二ツ井町仁鮒坊中「銀杏山神社の乳柱イチョウ」(県指定)です!!

2023-06-26 18:39:14 | 巨樹・大木
 二ツ井町仁鮒坊中地区は、能代市役所二ツ井庁舎の南東約1kmのところ

 能代市役所二ツ井庁舎から県道317号線を南西へ、中坪信号を左(南南東)へ、県道203号線で米代川を渡ります

 銀杏橋を渡った右カーブで左(北東)へ入ります

 約700mで銀杏山神社(いちょうさんじんじゃ)の案内板を右(南東)へ

 銀杏山神社社號標です

 社號標の脇に車を止めさせて頂きました

 鳥居です

 イチョウの案内板です、目的のイチョウは、社殿の北側にあるようです
    銀杏山神社(いちょうさんじんじゃ)
 銀杏山神社は658年、阿部比羅夫の蝦夷征伐遠征の際、勝利祈願のために建立したといわれ、1300年以上の歴史があると伝えられています。
 境内にある3本のイチョウは、「連理のイチョウ」「乳柱のイチョウ」と呼ばれ、秋田県の天然記念物に指定されています。
 「乳柱のイチョウ」には気根が垂れ下がっており、昔から乳の出ない女性が願掛けをしたといわれています。
 江戸時代、秋田藩主の佐竹公の奥方様も願掛けし詣でたところ、その願いが叶ったことから、銀杏山神社は佐竹家の家紋をつけることが許されたと伝えられています。
     能代市二ツ井地域局総務企画課:作成



 参道左手にスギの大木です



 手水舎です

 境内社です、三柱の神様が祀られているようですがお名前が有りませんでした

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 説明版です
   銀杏山神社 御由緒
 祭神 天照大神 豊受大神 大名持神 少彦名神 思兼神
 創立年月日は不詳であるが、古老の口碑によると、古くは五社堂とも言われ人皇38代斉明天皇の臣、阿部比羅夫が東夷征伐の際、軍舟180艘を率い戦勝を祈願して建立されたものである。
 境内には、神代出現という子授けの銀杏霊樹があり、伊邪那岐、伊邪那美の二柱夫婦大神を崇祭しており、古来より乳足らずの女性に崇拝され神効あることは諸人の知るところである。
 明治5年郷社となり代々知事の直拝社であります。

 目的の「乳柱のイチョウ」です

 説明版です
   秋田県指定天然記念物
      昭和30年1月24日指定
 名称 いちょう 3本
 所在 秋田県山本郡二ツ井町仁鮒字坊中146
  いちょうと銀杏山神社の由来
 銀杏山神社は大和朝廷時代、阿部比羅夫が東征の際に(658年)勝利祈願のために建立したものといわれ、境内にある3本の銀杏の木も、しの時に植えられたものと伝えられている。その樹高は25m、根回りが9mもある巨木である。
 3本の内の1本は「もとめ木」といわれ、枝元から気根が乳状に下がり、その先端から樹液が滴るので、お乳の少ない女性が願いを書いた紙を枝に結びつけ、白い布で作った袋をかけるとお乳が出ると信じられていた。そのため、参拝する人が絶えなかったといわれている。
 江戸時代、藩主佐竹侯の奥方も祈願に詣でたところしの願いがかなえられたことから、当神社は佐竹家の家紋の使用が許されたといわれる。
 中略・・・
 文化2年(1802年)に菅江真澄がこの地を訪れ、「みかべのよろい」に銀杏の絵と文を書き残している。
       平成12年8月   二ツ井町教育委員会
* 二ツ井町(ふたついまち)は、2006年(平成18年)3月21日に能代市と合併し、新たに能代市となりました。

 「乳柱のイチョウ」です

 天然記念物標柱です

 東側から幹を見上げました、目通り幹囲8.4mの巨木です


 北側から

 大枝の付け根から出た乳柱が長く垂れ下がっています

 北西側から

 西側から

 南西側から見上げました

 長く成ってしまいましたので次回「連理のイチョウ」に続きます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田県北秋田市、井川家ノ上「家ノ上共同墓地のケヤキと延慶の板碑」です!!

2023-06-26 06:42:36 | 巨樹・大木
 川井家ノ上地区は、北秋田市役所の南西約8kmのところ

 北秋田市役所西側の通りを南へ、鷹ノ巣橋で米代川を渡ると直ぐの信号を右(南西)へ

 道成りに約700mで県道24号線に出て南へ、道成りに約7.8kmの井川信号を右(西)へ

 約400mで右手に墓地が見えました

 前回の「井川のケヤキ」の南側に一段下がったところです、前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南側からケヤキを見ました

 南東側

 墓地に入って南西側から

 太い幹を見上げました、目通り幹囲5.0mの巨木です


 根元に石碑があります

 説明版です
  北秋田市指定 有形文化財(歴史資料)
    板碑「延慶の碑」 平成4年(1992)5月25日指定
 この板碑は、鎌倉時代末期、延慶2年(1309)に建てられました。
 鎌倉時代から室町時代を通して武士の間に流行した浄土教の死者の霊を供養するための板碑です。
 供養される人物として“松石殿”という名前が刻まれていますが、どんな人物かは分かっていません。
 延慶の碑は、ここから数百メートル離れたところに埋まっていたのを、享保年間(1716年~1736年)に川井村の人々が運び、村の墓地内に供養のため再び建立したといわれています。
   令和2年度文化庁文化芸術振興補助金(地域文化財総合活用推進事業)
   北秋田市教育委員会生涯学習課


 西側にはイチョウです

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田県北秋田市、川井家ノ上「川井のケヤキ」です!!

2023-06-25 18:46:44 | 巨樹・大木
 川井家ノ上地区は、北秋田市役所の南西約8kmのところ

 北秋田市役所西側の通りを南へ、鷹ノ巣橋で米代川を渡ると直ぐの信号を右(南西)へ

 道成りに約700mで県道24号線に出て南へ、道成りに大館能代空港の下を潜って約7.3kmで

 県道3号線交差点です、右(西)へ進むと左手の井川家ノ上集落の一軒の住宅前に

 

 県道3号線から畑越しに大きなケヤキが見えました

 県道脇には車を止めることが出来ないので、車の窓から撮影させて頂いました

 ズームアップしてみました


 東へ戻って、県道交差点を南へ、すぐに斜め右へ入ると右手に欅の樹冠が見えます

 ここを入って御宅の庭に生育しています、目通り幹囲5.8mの巨木です

 *「井川のケヤキ」は、グーグルマップのストリートビューでも確認できますので、見てみて下さい

 ここまでにします、では次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田県上小阿仁村、大林「自然教育林の大杉と東京科学博物館展示の秋田杉切株他」です!!

2023-06-25 06:30:17 | 巨樹・大木
 大林地区は、上小阿仁村役場の南西約5kmのところ

 国道285号線を道成りに南へ進みます、約4.3kmで標識にしたって右(西)の三種方面の県道37号線に入ります

 約600mで右に「コブ杉まで約15分の案内板が有ります、約800で斜め左へ入り、道成りに進むと駐車場に入ます、遊歩道でコブ杉を目指しました

 では、前回「自然教育林のコブ杉」の続きですが、少し戻った自然教育林入って間も無くより始めます

 スギの間に東屋が見えました

 コブ杉まで100mの案内板です

 大きなスギの木が見えて来ました

 西側から見ました

 上大内沢天然杉指標です、付近のスギ704本の中で高さ・太さ・材積共に1位のスギです

 南側から見ました、目通り幹囲7.0mの巨木です

 南側のスギの大木です

 上大内沢天然杉指標です、付近のスギ704本の中で高さ40位・太さ8位・材積9位のです

 説明版です
   精英樹展示木
    上大内沢の天然秋田スギ
 精英樹とは?
 山に植える木は高く、太く、早く、素直に育ち、大きくなったときに木材として利用価値が高くなるような苗木を植える必要があります。
 このことから全国の山で成長が良く、まっすぐで病虫害にかかっていない木を精英樹として選んでいます。
 これら清英樹の子供苗は、東北地方の森林造成に貢献しています。
  精英樹の名前:この精英樹は上小阿仁101号です。
  精英樹として指定した年:昭和38年(樹齢=推定200年生)
  直径:96cm・・*こちらの数値はここの704本の平均値のようです、平均幹囲3mというところでようか
  樹高:44m
 *直径は、地際より1.2mの高さを測定
 *直径・樹高は平成15年に測定したものです。
     平成16年度設置
     上小阿仁村
     東北森林管理局
     林木育種センター東北育種場

 「コブ杉」です、後ろ側のスギの大木は、樹高が4m、704本の168位、直径は31位、幹材積は36位です
 

 コブ杉前の東屋の広場から、南西へ東京科学博物館展示の秋田杉切株を見に行きましょう

 少し下るように進むと

 屋根の掛けられた切株が有ります

 東京科学博物館展示の秋田杉の切株(伐根)です

 南側から見ました、綺麗に切り口を整えるような事は行われていませんね~

 東屋の所まで戻ります

 コブ杉の北側に広がる自然観察教育林を右回りに遊歩道を見て回りましょう

 綺麗な背の高いスギが並びます

 二本のスギの根元が癒着した杉が有ります、自然観察林の中では珍しいもので、前出の大杉に次ぐ大きさかもしれません

 遊歩道を、自然観察林の入り口方向へ戻りましょう

 入口が近くなってきました

 上大内沢天然杉指標です、樹高51m30位、直径140cm(胸高幹囲4.4m)の17位、幹材積16位の大木です

 では、戻って次へ行きましょう
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田県上小阿仁村、大林「上大内沢自然教育林のコブ杉」(森の巨人)です!!

2023-06-24 18:31:55 | 巨樹・大木
 大林地区は、上小阿仁村役場の南西約5kmのところ

 国道285号線を道成りに南へ進みます、約4.3kmで標識にしたって右(西)の三種方面の県道37号線に入ります

 約600mで右に「コブ杉まで約15分の案内板が有ります

 約800までここは斜め左へ

 すぐ上の駐車場に案内板が有りますが、まだ奥へ行けます

 トイレと水場のある駐車場に入りました

 駐車場の案内板で「コブ杉」への道を確認しましょう

 駐車場から「コブ杉」まで約500mです、案内板に従って南西への道を進みましょう

 明るい遊歩道を進みます

 沢に出ます

 コブ杉まで300mの案内板です

 ぬかるんだ沢伝いに進みます

 木の階段が見えて来ました

 一本目の階段を上がったらすぐに右へ

 コブ杉迄200mの案内板です

 トラバース気味に登って行きます

 自然教育林に入ります


 東屋です

 説明版です
   上大内沢自然観察教育林概要
      (旧名:上大内沢天然林収穫試験林)
 この試験地は大正13年12月に秋田営林局の要請にもとづいて、寺崎博士が、天然林収穫試験地に設定され、杉天然生林の間伐について指導し、現在まで2回の間伐が行われている。
 杉天然生林の林分、成長量、単木成長量について更に林分構造の変について調査してきたが、昭和61年この役目も遂げたので、永年にわたり高品質の天然杉を生産してきたことを後背に伝えるため、天然杉の美しい姿を保存し、村民の憩いの場、小・中学生等の自然科学教育及び森林の役割森林施業等について認識を高めるなど敵地として、昭和63年4月12日に自然観察教育林に選定された。
 1,場所 上小阿仁事業区上大内沢国有林133林班ろ1小班
 2,面積 3.85ヘクタール
 

 説明版の後ろに目的のコブ杉が見えました、特異なコブが目印です

 コブ杉です、周りには木道と手すりが設けられています

 森の巨人たち100選です
  No.12「コブ杉」  秋田県上小阿仁村
 ■樹種/スギ
 ■推定樹齢/230年
 ■樹高/40m
 ■樹周/3.77m
  林野庁/上大内沢コブ杉保存協議会
 *決して高くも太くも、また古いわけでもなく、ましてや林業の貢献するような樹姿ではありませんが、保存会が出来るような威厳や神秘性が有るのでしょう
 
 西側から

 南西側から

 南側から

 東側から幹を見上げました

 北側から

 北西側から見ました

 
 少し長くなりましたので続きにさせて頂きます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田県五城目町、神明前「五城目神明社のイチョウ」(町指定)です!!

2023-06-24 06:29:33 | 巨樹・大木
 神明前地区は、五城目町役場の北東約600mのところ

 五城目町役場から国道285号線を北東へ、次の酒屋さんのある信号を鋭角に左(西北西)へ建小津220号線に入ると

 間も無く正面右に東向き参道で神明神社が見えて来ます

 参道入口手前に車を止めさせて頂きました

 参道入口です

 神明神社の社號標です

 参道右手のケヤキの大木です

 南側から見ました

 鳥居です

 参道を進みます

 参道左側には境内社が並びます

 
 参道右手に目的のイチョウです

 南側から見上げました、推定樹齢300年・根回りは11m・目通り幹囲4.4mの御神木です


 天然記念物標柱です 

 左手に神楽殿です

 神楽殿脇のスギの大木です

 拝殿です

 本殿です

 説明版です
  町指定文化財
    五城目明神社
      所在地 五城目町字神明前115
 元徳年間(1330年頃)修験日桂山泉蔵院の創祀と伝えられるが、詳細は不明である。
 二度以上の回禄にあったと思われるが、神明造の本殿には、文化6年(1809)の棟札が残っている。近世を通じ鎮守として土地の人びとの崇敬をあつめお伊勢堂とよばれていた。
 昭和年代に本殿と拝殿の間に反橋を新築、拝殿後方部も改造している。正面・側面とも三間であったが、それにより側面四間にかわった。中央一間は円柱、両側が角柱であるのは珍しいといえる。
 軒見上げなどに江戸時代末の特徴を示す多くの彫刻が施されているが、五城目大工のすぐれた力量の証といえよう。
 神楽殿も見逃せない建造物である。
  本殿 神明造 正面・側面ともに一間 銅板葺(もと萱葺)
  拝殿 入母屋造 正面三間 側面四間 向拝一間 萱葺
        五城目町
        五城目町教育委員会
 *現在は拝殿も銅板噴きです

 拝殿脇(西側)からイチョウを見ました

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田県五城目町、内川小倉「小倉共同墓地のスギ」です!!

2023-06-23 18:34:11 | 巨樹・大木
 内川小倉地区は、五城目町っ役場の東北東約4kmのところ

 五城目町役場から国道285号線を北東へ進みます、約3kmで「道の駅五城目」を右にみて更に東へ

 約1.2kmで標識に従って「三種 県道4号線⇐」方面へ左(北東)へ

 道成りに約900mで斜め左へ「⇐小倉」の案内板があります

 約800mで三叉路に

 菅江真澄の歩いた道の標柱です、文面には・・・
 (風の落葉1)小倉村に「温泉あり涌かし湯諸病によし」と記す。


 左に進んで間も無く、右手の丘の上に墓地が見えて来ます

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 目的のスギです

 墓地への入り口です

 関係者以外進入禁止ですので入ってはいけません

 前の道路から見上げました、目通り幹囲5.5mの巨木です

 もう少しだけ東側から幹の根元が見えました

 道路脇にはアヤメが綺麗に咲いていました

 では、次は行きましょう

 前年秋(2022年10月29日紹介)に「小倉神社のモミとかすみ桜(町指定)」を訪れた時は、道路が土砂崩れの為通行止めになっていましたが、流れ出た木材などはそのままですが、道路は通行できるようになっていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする