峰地区は、河津町役場の西約1kmのところ
河津桜の並ぶ河津川の西側を通る県道14号下佐ヶ野谷津線を北西に進むと峰温泉街です
踊り子温泉会館の入り口南に「新町の大蘇鉄」が有ります
日本一の大蘇鉄の案内板です
踊り子温泉会館の看板にも「新町大そてつ」の文字があります
入口脇の駐車スペースに車を止めさせて頂きました
新町の大ソテツ入口です
北側から
説明版です
新町の大ソテツ
昭和11年9月3日
国指定天然記念物
ソテツは、沖縄や九州南部に自生するソテツ科常緑低木で、スギ・ヒノキ・マツ・イチョウと同じ裸子植物である。
裸子植物中最古のもので、生きた化石ともいわれる。株は雌雄の別があり、幹の表面は一面に葉跡で埋まっている。
根に根粒があり、藍藻類を共生させており、その能力により、痩せ地でも生育できる。
葉は羽状で1~1.5m、かたい線状の小葉が互生しており、先端は鋭く尖り、刺さると痛い。
花は、8月ころ咲き、雄花は松かさを大きく長くして幹の先端に乗せたような形、雌花は茎の先端に丸くドーム状に膨らむ。
ソテツの名前は鉄によってよみがえる(蘇鉄)という伝承があり、衰弱したときには鉄くずを与えると元気を取り戻すといわれている。
新町のソテツは、根本より数本の大支幹に枝分かれし、主幹を中心にして東西南北方向に大蛇が這うように枝を伸ばし、さらに数十本の小枝で見事な株を作っている。
主幹の周囲は約2.5m、高さ10mにも達しており、樹齢も千年以上と推定されている。
昭和56年6月には昭和天皇皇后両陛下が鑑賞なされている。
河津町教育委員会
東側から
左(南側)の大枝です
真中に高さ10mの主幹です
右の大枝です
お万の井戸です、覗いたらかなりの深さでしたが水は見えませんでした
*徳川家康公の側室・養珠院が義父の蔭山氏の居城河津城に戻った(1584年)ころに住んだ住居の跡だそうです。
*養珠院(お万の方)は、勝浦城主正木頼忠を父に天正5年(1577年)4月に生まれたが天正12年(1584年)に母親が蔭山氏広と再婚して一族となった。文禄2年(1593年)三島で蔭山氏広の養女として徳川家康にお目見えし側室となった。
北西側から
では、次へ行きましょう
河津桜の並ぶ河津川の西側を通る県道14号下佐ヶ野谷津線を北西に進むと峰温泉街です
踊り子温泉会館の入り口南に「新町の大蘇鉄」が有ります
日本一の大蘇鉄の案内板です
踊り子温泉会館の看板にも「新町大そてつ」の文字があります
入口脇の駐車スペースに車を止めさせて頂きました
新町の大ソテツ入口です
北側から
説明版です
新町の大ソテツ
昭和11年9月3日
国指定天然記念物
ソテツは、沖縄や九州南部に自生するソテツ科常緑低木で、スギ・ヒノキ・マツ・イチョウと同じ裸子植物である。
裸子植物中最古のもので、生きた化石ともいわれる。株は雌雄の別があり、幹の表面は一面に葉跡で埋まっている。
根に根粒があり、藍藻類を共生させており、その能力により、痩せ地でも生育できる。
葉は羽状で1~1.5m、かたい線状の小葉が互生しており、先端は鋭く尖り、刺さると痛い。
花は、8月ころ咲き、雄花は松かさを大きく長くして幹の先端に乗せたような形、雌花は茎の先端に丸くドーム状に膨らむ。
ソテツの名前は鉄によってよみがえる(蘇鉄)という伝承があり、衰弱したときには鉄くずを与えると元気を取り戻すといわれている。
新町のソテツは、根本より数本の大支幹に枝分かれし、主幹を中心にして東西南北方向に大蛇が這うように枝を伸ばし、さらに数十本の小枝で見事な株を作っている。
主幹の周囲は約2.5m、高さ10mにも達しており、樹齢も千年以上と推定されている。
昭和56年6月には昭和天皇皇后両陛下が鑑賞なされている。
河津町教育委員会
東側から
左(南側)の大枝です
真中に高さ10mの主幹です
右の大枝です
お万の井戸です、覗いたらかなりの深さでしたが水は見えませんでした
*徳川家康公の側室・養珠院が義父の蔭山氏の居城河津城に戻った(1584年)ころに住んだ住居の跡だそうです。
*養珠院(お万の方)は、勝浦城主正木頼忠を父に天正5年(1577年)4月に生まれたが天正12年(1584年)に母親が蔭山氏広と再婚して一族となった。文禄2年(1593年)三島で蔭山氏広の養女として徳川家康にお目見えし側室となった。
北西側から
では、次へ行きましょう