ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県魚沼市、外山の大杉です!!

2016-08-31 00:34:12 | 巨樹・大木
外山地区は、魚沼市役所の北約10kmのところ

国道252号線親柄信号から酷道352号線へ

和田川ダムを過ぎてトンネルを貫けると間もなく外山です

国道脇の外山バス停から北に入って約200mの道路脇に大杉があります

大スギの前の道路脇に車を止めさせていただきました


外山バス停の所を北に入ります

まもなく大スギが見えて来ます




道路側から





幹が分かれています

根元には、幹が折れた跡があります、合体木なのかもしれません




南側から見上げました、目通り幹周り5,3mの巨木です

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新潟県魚沼市、栗山十二神社の大杉です!!

2016-08-30 17:18:48 | 巨樹・大木
栗山地区は、魚沼市役所の北約8kmのところ

国道252号線を北へ、JR只見線うおぬまたなか駅前から

西の山裾へ入ったところに十二神社が有ります

参道から西側の道路わきに車を置かせてもらいました


参道手前から十二神社です

参道です




境内入口に大杉があります、でも目的のスギではありません



社殿です

庚申塔、石塔や仏像などが並びます


これは入口のスギです

これが目的のスギです、境内南東端に有ります




北側から見上げました



西側から、目通り幹周り5,2mの巨木です

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新潟県魚沼市、二分十二神社の大杉です!!

2016-08-29 06:46:12 | 巨樹・大木
二分地区は、魚沼市役所の北西約15kmの守門岳西麓にあります

国道252号線の渋川信号で国道290号線へ、北へ約5kmで県道347号線を東へ入ります

守門岳の西登山口への道路です、約4kmほどで道路右手に神社の旗竿が見えて来ます

県道道路脇に車を置かせていただきました


参道入り口です、住宅脇の細い道が丘の上へ続いています

急なコンクリート舗装になっています

草だらけの参道をすすみます



神社が見えて来ました

十二神社社殿です



社殿の左手に大杉があります





社殿前から見上げました





社殿脇から




下側の境内から




西側から

大きな石碑です、御嶽山・八海山・・・左側は読めませんでした

社殿の脇まで道路が来ています、県道沿いの参道入り口の「手前からも先からも車で入ることができる」と

参道脇のお宅のお年寄りのかたが教えてくれました

目通り幹周り5,2mの魚沼市指定天然記念物の巨木です

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新潟県長岡市、熊袋神明社の大杉です!!

2016-08-28 06:16:53 | 巨樹・大木
熊袋地区は、長岡市役所の東北東約19kmのところ

神明社は河岸段丘の崖際にたっていますが新しい道が途中で途切れています

国道351号線を東へ、県道9号線に入って1,5kの北側にあります

この看板が目印です

お堂の脇道を進みます




薬師堂の境内です

参道は一度下って階段をのぼります、元々は北側からの参道だったのでしょうか


大杉です





北東側から



南東側から

鳥居です

社殿です


道祖神様が「耳の神様」のようです

道祖神様です

一段上に薬師堂です



薬師堂まえから



境内社や石塔が並びます

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新潟県燕市、八王子安了寺の大藤です!!

2016-08-27 18:15:58 | 巨樹・大木
安了寺は、燕市役所の南東約6kmの八王子地区のあります

北陸自動車道三条燕インターチェンジの南西約2kmのところです

市役所からは国道289号線を東へ、中之口川の手前で県道18号へ

南に進むと八王子地区です、八王子交差点の直ぐ東側に安了寺が有ります

山門です、後ろの人達は、朝のラジオ体操を待っています

天然記念物安了寺の大藤の石碑がります

山門の上の鐘です


新潟県指定天然記念物の説明版です

本堂です、ラジオ体操が終わって静かになりました

大藤です

根元です

南側

東側

北側


大藤の前に新しい説明版があります

新潟県指定天然記念物 八王子の白藤の石碑です

南側からの大藤です

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静岡県湯河原町、城願寺のビャクシンです!!

2016-08-26 20:53:19 | 巨樹・大木
城願寺は、湯河原町役場の西約1kmの所

JR東海道線ゆがわら駅の直ぐ北側です

細い山道を登り、境内東側に駐車スペースがあります


城願寺参道です

鐘楼です




参道を登った境内入口にビャクシンがあります




鐘楼の前から


国指定天然記念物ビャクシンの標柱です

説明版が有ります
   フレッシュゆがわら
     びゃくしん
      (文部省指定天然記念物)
      びゃくしんの巨樹として、本樹の如く直幹をなし、かつ樹幹の堅固にして損傷のなきは
      希有のものである。
        樹   高     約20m
        根 まわり     約 8m
        目通まわり     約 6m
        枝張あわり     約 6m~11m
        樹   齢     約800年


西側から

七騎堂です

謡曲「七騎落」と成願寺の石碑です

七騎堂の由来です



なぎの木です

ここにも縁結びの樹なぎの木が有ります

ここにも伝 頼朝腰掛の石です

本堂です

宗道宗の説明版です

文殊堂です

文殊堂由来の石碑です

土肥一族の墓所です

土肥一族の墓所の説明版です

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静岡県熱海市、伊豆山神社です!!

2016-08-25 21:49:21 | 巨樹・大木
伊豆山神社は、熱海市役所の北東約2kmの山の上にあります

県道102号線で熱海市内からリゾートマンションの立ち並ぶ坂道を登って行きます

伊豆山神社参道脇に社殿脇まで登る坂道を上がりました

伊豆山神社境内から熱海の海を見下ろします

手水舎です

伊豆山神社拝殿です

懸額です

本殿です

伊豆山神社略記です




コウヤマスギの大木です



見上げました

楠の大木です




拝殿側から




北側から

社殿の向かって右側です

白山神社が有ります




クスノキです




左側の方が大きいですね

伊豆山開山の三仙人の説明版です


頼朝・政子腰掛の石です

頼朝政子伊豆参詣の説明版です

保存樹木図です

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静岡県函南町、丹那皇産霊神社の御神木です!!

2016-08-25 05:00:55 | 巨樹・大木
皇産霊神社は、丹那断層公園の北1kmのところ

参道入り口に車を置かせえ頂きました




参道です

皇産霊神社です

案内板です


参道を進むと御神木です

認定証です

社殿です

境内社です



拝殿前から





境内端から

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静岡県函南町、丹那断層公園です!!

2016-08-24 14:47:24 | 遺跡・史跡
丹那断層公園は、函南町役場の東約7kmのところ

県道11号線熱函道路から県道135号線に入って広い農地を回り込むと

国指定天然記念物 丹那断層公園に入ります

案内板にしたがって進みましょう

丹那断層公園です






説明版です

ジオラマが有ります


公園内の地下断層観察室と伊豆地震関係説明版です


断層の横ずれで石済みがずれています

震災時の写真です

地下断層展示室です





説明版が並びます


展示です





休憩舎にある伊豆地震時の写真です

丹那断層公園から南の田園地帯の様子です

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静岡県伊豆の国市、願成就院北條時政供養塔です!!

2016-08-24 08:47:37 | 遺跡・史跡
願政就院は、伊豆の国市役所の北約3kmnところ

伊豆箱根鉄道にらやま駅の南西側、国道136号線から西へ入った所にあります

山門前に駐車場が有ります


山門です

六地蔵様です

略縁起の石碑です
    願成就院略縁起
      当山は、山号を天守君山と称し、阿彌陀如来を本尊とする、高野山真言宗の寺である。
      創建は、鎌倉時代初頭の文治5年(1189)に遡る、この地で源氏再興の旗揚げをし、鎌倉
     幕府を開いた、源頼朝公の奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して、幕府初代執権北條時政公が建立し
     「願成就院」と称したことに始まる、幕府の亊蹟を伝える「吾妻鏡」には、時政公が大御堂と南
     塔を建立し、二代執権北條義時公が亡き父時政公の供養のため南新御堂を建立、三代執権北條泰
     時公が、北條御堂と北塔を建立したことが記されており、堂塔伽藍の営作は北條氏三代にわたる。
      貞應元年(1222)には、「定額寺」(官寺)とする宣旨が朝廷より下されており、この地
     に、守山を借景として、中之島のある池を配した「浄土様式」の壮大な寺院が、北條氏の氏とし
     て造営されていたのである。
      数回の発掘調査で、その遺構が概ね明らかになり、昭和48年境内を中心に周辺一部地域を含
     めて「願成就院跡」として国指定史跡となる。
      鎌倉時代の伽藍は、15世紀末、伊勢新九郎長氏(後の北條早雲)の堀越御所(北條時政館跡)
     攻めの兵火で焼失するが、創建時に祀られた大仏師運慶謹作の五仏を中心とすろ七体の仏像と、
     仏像胎内造像銘札4枚は、奇跡的にも今日に伝えられており、この尊き御仏様を拝観すると、幕
     府最大の権力者北條氏とこの寺の盛時を偲ぶことができよう。
      本尊阿乎彌陀如来・不動明王・矜羯羅童子・制吒加童子・毘沙門天の5体の仏像は、文二2年
     (1186)の造像で、運慶三十代半ばの謹作、日本彫刻史上、運慶様式の成立を考える上で大
     きな意義を有する尊像とされ、造像銘札4枚と共に重要文化財の指定を受ける。
      本堂(茅葺御堂)本尊阿彌陀如来、宝物館に祀る北條政子尼七回忌供養地蔵菩薩両像も、13
     世紀前期の慶派正統仏師による秀作とされ、県指定文化財である。
      境内には、北條時政公と足利茶々丸公(堀越御所二代公方)の墓所があり、両公の菩提寺であ
     る。
      運慶作五仏、胎内銘札四枚は平成25年に国宝に指定される。
                            天守君山 願成就院山主

 

弘法大師様です

鐘楼です

本堂です

北條時政の供養塔です

説明の石碑が有ります
     北條時政公没後800年忌供養として造立
     北條時政公(1138年生、1215年没、享年78歳)は、願成就院の創建者で、今日に伝わる
    国宝指定、運慶作緒仏の檀越である。時政公は、この地、伊豆国北條に居館を有した平家一門の伊豆
    における有力豪族の一人で、伊豆国府在庁官人であった。
     1160年14歳で伊豆配流のなった源頼朝を伊豆祐親と共に監視する立場にあった。激動する歴
    史の中、娘政子が流人頼朝に嫁し、一転して頼朝の岳父となる。
     1180年8月17日の頼朝の伊豆挙兵では平家目代山木兼隆攻めの主将となりてこれを成功させ
    る、以後、平家討伐、鎌倉幕府創設では、頼朝の参謀役、智将として大いに活躍してその立役者とな
    る。
     頼朝亡きあとも、幕府初代執権に就任して、東国武家政権の確立に努め、北條氏繁栄の礎となり、
    鎌倉北條氏の祖と呼ばれる幕府草創期の最重要人物の一人である。     現住 祥道


山門の南側に国指定史跡 願成就院跡の石碑です

説明版です
    国指定史跡 願成就院跡     (昭和48年2月24日指定)
      願成就院は、鎌倉時代初期、北條時政によって創建された寺院です。鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」
     文治5年(1189)6月6日丈には、源頼朝の奥州平泉攻めの成功を祈願して建立されたと書かれ
     ています。
      また、大御堂に安置されている国宝の仏像群のうち、4体から胎内銘札がみつかっていますが、そ
     こには北條時政と仏師運慶の名もみることができます。
      時政の死後も、子の義時、孫の泰時によって、「南新御堂」や「北塔」などの建立があり、伽藍が
     整えられていきました。
      当時の願成就院の姿は、発掘調査によって明らかになっています。昭和36年から現在まで、境内
     やその周辺20か所以上で発掘調査が行われ、建物の礎石や雨落ちの溝の一部が見つかっています。
     特にこの一帯は、発掘調査のよって、基壇や大量の瓦がみつかっている場所で、承元元年(1207)
     時政が建立した「南塔」の遺構と推定されています。また、周辺の地形測量によって広大な池の存在
     も想定されています。
      鎌倉時代の願成就院は、西側の守山を背景にして、池の周囲に堂や塔が建ちならぶ「臨池伽藍」と
     呼ばれる様式の寺院でした。臨池伽藍は、浄土の世界を御堂や庭園の姿であらわす、当時を代表する
     寺院様式です。                      文化庁  伊豆の国市


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静岡県伊豆の国市、蛭ヶ小島です!!

2016-08-23 21:38:37 | 文化財・寺社
蛭ヶ児島は、伊豆の国市役所の北東約4kmのところ

伊豆箱根鉄道にらやま駅の東約1kmの所に公園が有ります

蛭ヶ小島公園駐車場です

蛭ヶ小島です

頼朝・政子の像が有ります

頼朝政子の縁結び説明版です
    頼朝と政子(梛の葉の縁結び)
      北條時政が大番役の一人として京に上り伊豆を留守にしている間(1177年頃)、31歳の
     源頼朝と21歳の北條政子は恋に落ちました。
      源氏の御曹司と結ばれたことが表沙汰になると面倒なことになると考えた時政は、政子を伊豆
     国目代である山本判官平兼隆の元へ嫁がせようと企てますが、祝言の晩政子は山本館を脱出し、
     熱海の東方伊豆山の走湯山権現に逃げ込みました。
      当時の伊豆山権現は格式の高い神社である上、多数の僧兵が山にこもっていたので、平兼隆も
     北條時政も手出し出来ず、政子のしたためた手紙を受け取った頼朝は、伊豆山に行き、政子と相
     会することができたのです。
      かくて頼朝と政子は、伊豆山権現の保護によって、そこでめでたく夫婦になることができまし
     た。
      近世中期の投節のひとつに
        こんどござらば持って来てたもれ、伊豆のお山の梛の葉を。
       という歌があります。
        「こんどおいでになるときは、伊豆のお山のなぎの葉を持って来てくださいね」
       という願いのうちに「それをお守りにしたいから。」との意がこめられています、女の方から
      男に言った言葉です。
       当寺の俗信では、梛の葉を鏡の裏に入れて「お守り」にすると願がかなう(結ばれる)とされ
      ていました。
      「伊豆のお山」とは伊豆山権現のことです。
      源頼朝と北條政子の熱烈な恋愛は伊豆山権現で成就したのですから、この故事にならって梛の葉
      は、当時の娘たちのあこがれであり、願であったことでしょう。
       梛を鏡の裏のお守りにすることは、寛永の頃こら享保の頃まで流行したようです

古い石碑でしょうか

案内板です
    蛭ヶ島(源頼朝配流の地跡)
      このあたりを、韮山町四日町蛭ヶ島といい、平治の乱で敗れた源義朝の嫡子、兵衛左頼朝配流の
     地といわれている。
      狩野川の流路変遷の名残をとどめてか、近在には古河・和田島・土手和田等の地名が現存すると
     ころから、往時は大小の田島(中州)が点在し、その一つが、この蛭ヶ島でったことが想像される。
      永暦元年(1160)14歳でこの地に流された頼朝は、治承4年(1180)34歳で旙挙げ、
     やがては鎌倉幕府創設を成し遂げることとなるが、配流20年間における住居跡等の細部は詳らか
     でない。しかし、「吾妻鏡」や治承4年の記事によれば、山木攻め(頼朝旗挙げ)の頃は、妻政子
     の父、北条時政の館(当地より西1,5kmの守山北麓)に居住し館内で挙兵準備を整えたとある。
     このことから考えrと、頼朝は、政子と結ばれる治承元年(1177)頃までの約17年間を、こ
     こ蛭ヶ島で過ごしたものといえよう。
      当公園中央部にある「蛭島碑記」の古碑は、源氏が天下支配の大業を果たした歴史の原点を後世
     に伝承すべく、寛政2年(1790)伊豆志稿の著者、秋山富南の撰文により、江川家家臣飯田忠
     晶が建立したもので、韮山町の有形文化財に指定されている。また、この碑の西側にある高い碑は
     秋山富南の顕徳碑で豆州志稿の増訂に当たった萩原正夫が、明治26年に建立したものである。
                                  伊豆の国市


旧上野家住宅です

説明版です
  静岡県指定有形文化財  旧上野家住宅
    伊豆の国市 歴史民俗資料館
      この民家は、韮山間土手和田地区に江戸初期から続く上野家の住宅で、記録こそないが18世紀
     中頃以前に建造されたものと推定される。
      軒が低く、土間が広く、暗い内部は架構も単純で、中央通りに建つ二本の太い柱は棟持柱となっ
     て上まで伸びている。この形式は重要文化財、江川家住宅の四天柱の構造と同じもので現存する庶
     民農家の住宅としては、県下にも例の少ない古い形式である。
      昭和50年1月、所有者上野唯雄氏から韮山町へ寄贈された。その後昭和50年12月20日、
     静岡県の有形文化財(建造物)に指定されたことを契機に、町は国庫及び県費の補助をうけ、韮山
     町歴史民俗資料館として昭和54年3月30日解体、移築復元したものである。
         平成17年4月1日                  文   化    庁
                                    静岡県  教育委員会
                                    伊豆の国市教育委員会


観光案内板です

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静岡県伊豆の国市、荒木神社の大楠です!!

2016-08-22 20:25:39 | 巨樹・大木
荒木神社は、伊豆の国市役所の北約4kmのところ

国道136号線沿い東側に参道入り口がありますが

車では入れないので、境内南側へ回り込み

道路脇に車を置かせて頂きました

参道から境内です

手水舎です

拝殿です

本殿覆い屋です

神楽殿のようです


境内東側に大楠が有ります


御神木の大楠です




北側から




東側から、目通り幹周り6,6mの巨木です

境内社です

こちらは神輿殿でしょうか




境内東端のクスノキの大木です

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静岡県伊豆の国市、原木愛宕神社の大楠です!!

2016-08-22 14:14:03 | 巨樹・大木
原木地区は、伊豆の国市役所の北北東約5kmの函南まちとの境にあります

クスノキの巨木のある愛宕神社は伊豆箱根鉄道はらき駅の北約1km

周りをパチンコ店の駐車場に囲まれたところです


西側駐車場から社殿の裏側から見ます

東側道路から樹冠が境内一杯に広がります

境内が狭いので鳥居と社殿が入り切りません

案内板です
    愛宕神社
    鎮座地  伊豆の国市原木1229番地
    祭 神  火之迦具土神
    神 徳  鎮火・火難除け・郷土守護など
    例祭日  10月18日
    由 緒  往昔は愛宕堂と呼ばれもとは実相寺に祀られており、元禄年間(1695年頃)此地に
         遷されたと伝えられる。




大楠は御神木です

目通り幹周り7,1mの巨木です

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台風9号が来ます!!

2016-08-22 06:55:45 | Weblog
台風がせまっています

関東地方から静岡県に、昼ごろ上陸の可能性が高く成ってきました

埼玉も1時間ほど前から、雨が降り出しました
ニュースでは、交通機関の情報が流れて、飛行機や電車の運休が有ります

天気予報では、川の増水や浸水、土砂崩れに注意が叫ばれています

台風情報には注意してくださいね

巨木・大木を回っていると、台風による被害の多いことに気付かされます

8月18日の大胡田天神社のイチョウにも台風被害が有りましたね~

枝が折れたり、根こそぎ木が倒れたりしますので注意してください

不要、不急な外出は控えてくださいネ

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静岡県函南町、平井天地神社の大楠です!!

2016-08-22 06:37:41 | 巨樹・大木
天地神社は、函南町役場の東北東約2kmのところ

県道11号線を東へ、住宅地の細い道を南に入った所です

社殿脇に駐車スペースが有ります

(取材時、御昼どきと言う事で、工事車両が大楠の木陰で昼休みをしていました)


参道鳥居です、後ろにクスノキの巨木が控えます

天地神社です




御神木です

説明版です
    昭和27年4月1日県指定
      天然記念物
     天地神社大楠
       伊豆地方では最大のクスノキである、樹姿は未だ若々しく樹葉がよく繁っている。
       幹は著しく肥大して巨大えあるが、その割に樹齢は長くないように思われる。(推定800年)
         根廻り    30,0m
         目通り    13,5m
         樹 高    21,5m
         枝張り  東西35,0m
              南北25,0m
     このほか境内には数本の大きなオガタマノキがある、この木は後世に残したい文化財50選である。
     昭和61年9月15日
      柵改修記念に之を建てる
      田方郡函南町平井  天地神社
       




東側から

拝殿です

本殿覆い屋です

掲示版です
    天地神社概要
      社 名   天地神社   社 格  村社
      所在地   函南町平井1124-1番地
      境内地面積 1714㎡
      創 建   延喜6年6月(西暦906年)
      祭 神   天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)
     瓊瓊杵尊は稲作を広めた神、天照大神の孫で、天照大神の命によってこの国を統括するため
    高天原から日向国の高千穂に降り、大山祇神の娘、木華之開耶姫を娶り、火照命(海幸彦)と
    火闌降命、彦火火出見命(山幸彦・神武天皇の祖父)を設けた。
     天地神社は、平安時代前期、伊豆山大権現から遷したの棟札があり、稲作の豊作を願い、天
    (天候)、地(土、地力)の恵みを祈願した。
 

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