ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

栃木県大田原市、薄葉「高性寺のかや」(とちぎ名木百選・令和の名木選)です!!

2025-01-18 06:46:03 | 巨樹・大木
 薄葉地区は、大田原市役所の南西約7kmのところ

 大田原市役所南側の道路を東へ出ます、約200mで信号を右(南南東)へ、「市役所通り」です

 約900mの「神明町」信号を右(南西)へ、国道461号線です

 約800mの「美原」信号を左(南東)へ、「南大通り」です

 約200mの信号を右(南西)へ、「なんじゃもんじゃ通り」を進みます

 約5kmの「中薄葉」信号を過ぎて直ぐ右手に「高性寺」が南東向きで山門を開いています

 山門を入って広い駐車場に車を止めさせて頂きました

 門柱の「西光山」の山名と

 「高性寺」の寺名です

 仁王門を潜ってカヤを見ました

 北東側から

 とちぎ名木百選の標柱です

 案内板が二枚並んでいます、左側は「おおたわら令和の名木選」です
   *おおたわら令和の名木選
     高性寺のカヤ
 樹種  カヤ、   樹齢  約700年
 樹高  約20m、目通り 4.44m
   おおたわら令和の名木選 第6号 
   令和2年3月    大田原市

   *カヤ
 指定 昭和36年12月8日  薄葉高性寺境内
        所有者  高性寺
 樹高 21.5m
 目通り周囲 3.85m
 枝張り  16m
 推定樹齢  約700年

 *雌雄異株のイチイ科カヤ属の常緑針葉樹で,宮城県以南に分布します。
 成長は遅いが、寿命の長い樹木です。耐陰性が強く樹林内部であまり日のあたらないところでも育つことができます。
 実は直接煎って食べたり、食用油、薬用、駆虫剤、灯火油としても使われ、古くから寺社の庭木や、農家の庭先に植えられました。
 和名は「榧(かや)」で、根や枝葉を燻(いぶ)して「蚊遣り(蚊を追い払う)」に使ったからという説もあります。
 「高性寺のカヤ」は境内に一本のみ直立し、東側がやや樹勢の強い円錐形に繁っています。

 本堂です

 南東側から

 南側の駐車場から見ました

 今回は、ここまでとして埼玉へ帰ります
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栃木県さくら市、穂積「穂積小学校学校記念の松」(とちぎ名木百選)です!!

2025-01-17 06:45:00 | 巨樹・大木
 穂積地区は、さくら市役所の北東約14km、さくら市喜連川支所の北東約6kmのところです

 *さくら市(さくらし)は、栃木県の中部に位置する市で、平成17年(2005)3月に塩谷郡氏家町と喜連川町による合併によって発足しました。
 市の名前は、植物のサクラに由来します。市の木・市の花はサクラで、市の鳥はセキレイが選定されています。

 さくら市喜連川支所北側の道路を東北東へ出て、約200mで信号を左(北西)へ、県道74号線です

 約100mの「仲町」信号を右(北東)へ、県道167号線です

 道成に約4.9kmで一時停止交差点を右(南東)へ、約1.8km山裾を左へ廻る様に進みます

 一時停止の交差点を左(北西)へ、約1.3kmで右手にかつての「さくら市立穂積小学校」が見えて来ます

 穂積小学校入口です

 *「市有地につき、許可なく入らないで下さい」の看板が有りますので、外側から見ることにしました

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 まだ穂積小学校の名前が残っていますが、穂積小学校は2010年3月に閉校して今は「喜連川丘陵の里杉インテリア木工館」として使用されています

 校門脇から校庭に目的の「穂積小学校学校記念の松」が見えました

 ズームアップして見ました、アカマツですが傘の様な立派な樹冠が見事です

 校庭西側のフエンス越しに見ましたが、写真に成りませんね~

 校庭南側に廻って見ました、南南西側から

*平成元年(1989)年6月15日に、とちぎ名木百選に指定されました、穂積小学校の開校記念に植樹されたアカマツです。
 非常に枝張りが良く、校庭の中央東端に雄姿を見せています。
 毎年このマツの前で職員児童が一緒に記念写真を撮るのが恒例になっていましたが、穂積小学校は2010年に廃校となりましたが、引き続き地域の方に見守られています。

 南側から、目通り幹囲3.0mの大木です

 これ以上近付けないので、次へ行きましょう

 





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栃木県那須烏山市、滝「竜門の滝」(とちぎの百様)です!!

2025-01-16 07:03:44 | ドライブ
 車を止めさせて頂いた「龍門ふるさと民芸館」前から、「竜門の滝」を見に行きます


 那須烏山市案内板です

 左下の図をアップで撮影しました、太平寺と竜門の滝が並んでいます

 東へ進みます

 龍門ふるさと民芸館に説明版があります
     竜門の滝
 高さ約20m、幅約65mの焼きの中段には、直径4mにもなる男釜(A)と直径2mの女釜(B)と呼ばれる2つの縦穴があります。
 そこには、神通力を持った龍神様が棲み、村人たちの願いを叶えたといわれており、民話として伝えられています。
 龍門ふるさと民芸館内にある龍神洞には、龍神様が鎮座し、あなたの願いを叶えてくれます。

 竜門の滝への下り口に句碑があります・・・大滝や とどろと放つ 神の虹・・・三郎

 裏面に作者の経歴が記されています
   水沼三郎「けごん」俳句会主等
 大正14年栃木県烏山町生まれ。 「南風」山口草堂に師事、主要同人。下野新聞俳句選者。
 平成12年俳詩「けごん」創刊、主宰。俳人協会名誉会員。栃木県文化功労者賞受賞。
 「けごん」5周年記念に当たり、その御高恩に報いるべく、ここに水沼三郎主宰の句碑を建立する。
      平成17年11月吉日  「けごん」俳句会一同

 滝への遊歩道を下りましょう

 すぐ左手に白い水飛沫を落とす滝が見えます

 ササの間に滝の流れが見えます

 更に遊歩道を下って中段の展望所です

 *竜門の滝は、とちぎの百様(とちぎのひゃくさま)に選定されています。
 栃木県が選定した、100の地域資源で、県民が自慢できる文化財や特産品を選定したものです。

 更に下って、滝の南西側の展望所から見ました

 近付いて北側の大きな滝の流れです

 川原に下りられます

 川原から

 滝に近付ける中州へ行きます

 滝に近付いて北側の大きな流れを斜めから見ました

 岩の表面に氷が張っています、真ん中部分に「男釜」と「女釜」があるようですが下からでは分かりませんでした

 *竜門の滝の案内には、大蛇伝説も残る壮観な大滝とされています

 南端の部分です
 

 *那須烏山市の郊外にあり、那珂川に注ぐ江川にかかる、高さ約20m、幅約65mの大滝。
 大蛇が住むという伝説があり、名前の由来にもなっています。
 滝を間近で見れる遊歩道があり、滝つぼの周辺まで降りることも可能です。
 また、近くにある「龍門ふるさと民芸館」には、烏山に伝わる民話のコーナーや展望台もあります。

 では、戻って次へ行きましょう
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栃木県那須烏山市、滝「太平寺のかや」(市指定・とちぎ名木百選)です!!

2025-01-15 06:45:45 | 巨樹・大木
 滝地区は、那須烏山市役所烏山庁舎の南西約2kmのところ

 那須烏山市役所烏山庁舎東側の城山通りを南へ出て、直ぐの「那須烏山市役所前」信号を右(西)へ、県道10号線です

 道成りに一山超えるように約1.6kmの「滝入口」信号を左(南)へ

 約1.2kmでJR烏山線の踏切を越えます、約300mで斜め右(南)へ入り「竜門橋」を渡ります

 約100mで右手に太平寺の東向き参道石段が見えて来ます

 左手(東側)に入って「龍門ふるさと民芸館」の駐車場に車を止めさせて頂きました

 「天台宗 瀧尾山 太平寺」寺号標です

 龍門の滝周辺案内図に説明書きです
    瀧尾山正眼院太平寺
 延暦22年(803)坂上田村麻呂が、蝦夷討伐の折り逆賊調伏の祈願のため、千手観音菩薩を安置し大願成就を祈って堂宇を建立したと言われております。
 太平寺は、烏山城主代々の御領地南滝村に祭祀されていた、天台宗の寺院で、将軍吉宗公に信任厚かった大久保佐渡守常春公が轉領の祈寺社係りに命じ、観音堂を大改築したと言われ、千手観音立像、天蓋(県指定)、二十八部衆木像、風神雷神像、仁王像、額絵馬(間引絵馬)、榧(天然記念物)等は文化財指定を受けています。
 境内には「特殊墓域」があり二代城主大久保忠胤公の三女於十、四女於志賀(通称蛇姫様)、五女於霜の墓があります。

 参道石段を上りましょう

 三門の仁王門です

 文化財標柱です

 説明版です
   那須烏山市指定文化財 太平寺仁王門
 太平寺は、延暦22年(803)坂上田村麻呂が蝦夷討伐の大願成就を祈願し、のの地に堂宇を建立したのが始まりで、嘉祥元年(848)慈覚大師により再興されてち言われています。
 中世以降、この地を領していた那須氏により崇敬され庇護を受けていました。しかし、天祥13年(1585)那須氏の内紛により一族の千本城主千本資俊、隆継親子が本寺で誅殺されるという事件も起こっています。
 天祥18年(1590)那須氏が小田原征伐への遅参を理由に豊臣秀吉より領地没収され、領主が短期間で交代する状況が続きます。
 仁王門は、寛文元年(1661)烏山城主堀親昌が、父親良の菩提を弔うため東江寺を建立した時の建築で、寛文12年(1672)信州飯田に転封の際、太平寺に寄進、移築されたものです。
 市内で唯一残る楼門で、仁王像を安置しています。
 このほか、太平寺の歴史を物語る多くの文化財が指定されています。
  *栃木県指定有形文化財ーーー木造 千手観音菩薩立像(室町時代)・天蓋(江戸時代)
  *那須烏山市指定有形文化財ーーー鎌倉時代ーーー木造 風神・雷神像
                  室町時代ーーー木像 二十八部衆像、透かし彫り嵌込み扉
                  江戸時代ーーー本堂、木造仁王像、烏山城主大久保家累代位牌、間引絵馬、宝篋印塔、阿弥陀堂千体仏、太平寺カヤ
      平成28年3月  那須烏山市教育委員会

 仁王門を潜ると正面に本堂(観音堂)です

 右手奥には南向きの阿弥陀堂です

 右手に目的のカヤの木が見えました

 位牌堂の北側にカヤの木は立っています

 位牌堂の案内板に位牌の一覧が記されています
   烏山城主大久保家暦代
 初代 享保10年~享保13年(1725~1728)大久保佐渡守常春
 二代 享保13年~宝暦 9年(1728~1759)大久保山城守忠胤
 三代 宝暦 9年~明和 6年(1759~1769)大久保伊豆守忠郷
 四代 明和 6年~文化 2年(1769~1805)大久保山城守忠喜
 五代 文化 2年~文政10年(1805~1827)大久保佐渡守忠成
 六代 文政10年~嘉永 元年(1827~1848)大久保佐渡守忠保
 七代 嘉永 元年~元治 元年(1848~1864)大久保佐渡守忠美
 八代 元治 元年~明治 2年(1864~1869)大久保佐渡守忠順
 大久保家は、享保10年から明治2年の版籍奉還まで144年の間続いた。

 位牌堂右手に市指定有形文化財で江戸時代の「宝篋印塔」です

 南東側からカヤの幹が見えました

 「那須烏山市指定文化財 太平寺のカヤ」と「とちぎ名木百選」の標柱です

 南側から、目通り幹囲3.5mの大木です

 西側から見上げました

 では、次へ行きましょう
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栃木県市貝町、市塙「日枝神社のすぎ」(とちぎ名木百選)です!!

2025-01-14 06:53:54 | 巨樹・大木
 市塙地区は、市貝町役場のある地区です、日枝神社は役場の南約1kmのところです

 日枝神社にはケヤキの巨木があり一度取材して2017年6月18日に投稿させて頂いております、今回のスギも取材していましたが、時期(冬場)であることで違った雰囲気に成っています

 市貝町役場北側の駐車場を東へ出て、直ぐの押し釦信号機側の交差点を右(南南西)へ、県道163号線です

 約150mで左(東南東)へ入って丘を越えます、約550mで押し釦信号を右(南西)へ、県道69号線です

 約200mの「市塙駅入口」信号を左(南東)へ、県道135号線です、約250mで「市塙駅」前を右(南西)へ

 約300mで右手に日枝神社(グーグルマップでは日枝神社・熊野神社となっています)が南向き参道で鎮座しています

 境内南端に、2017年に取材したケヤキが見えて来ます

 東側の真岡鉄道の踏切を汽車が通過して行きます(踏切前の道路は踏切を渡らなくても一時停止に成っていますので注意です)

 南側からケヤキを見上げました

 南西側から、目通り幹囲5.8mの巨木ですが、幹は途中で伐られて屋根が架けられています

 日枝神社参道入口です、境内西側の駐車場に車を止めさせて頂きました

 日枝神社と熊野神社が並記された社號標です

 両神社の由緒書です
   日枝神社御由緒
      主祭神 大山咋命 配祀 大物主命
 第74代鳥羽天皇の永久年間(1114年頃)に市高の字結谷に創立され、現在地に勧進されたのは第76代近衛天皇の久寿2年(1155年)と伝えられる、その後社殿は数回にわたる改築を受けているが、現存する本殿は第118代御桃園天皇の安永8年(1779年)の完成で、昭和63年4月5日市貝町指定有形文化財に指定される。
   祭礼日(熊野神社も同日)
     2月3日 節分祭 2月17日 祈年祭  4月第(二)日曜 春祭り
     8月第一日曜 例大祭(八朔祭) 11月23日 新嘗祭
   熊野神社御由緒
      主祭神 伊弉冉命 速玉男命 事解男命
 第69代御朱雀天皇の長暦2年(1038年)紀貫之五代の茵裔市花十郎直正が館の守護神として祀ったのが始めと伝えられている、社殿は市塙字古宿(境内地貮反七畝)に在ったが、明治30年4月に日枝神社境内内に移転、現在に至っている。
 現存する本殿は第119代光格天皇の享和元年(1801年)の再建で、昭和63年4月5日市貝町指定有形文化財に指定される。

 参道を進みます

 参道右手の建物は神楽殿のようです

 社殿が並んでいます 

 目的のスギは、日枝神社社殿の西側に在ります

 説明版です
   日枝神社本殿
 現存する本殿は典型的な一間社流れ造りで、保存状態は良い。
 最大の特徴は建物全体にほどこされた彫刻装飾である。
 丸彫や浮彫、地紋彫などの江戸時代中期の装飾は華美過ぎなく貴重である。
     町指定有形文化財(建造物) 昭和63年4月5日   市貝町教育委員会
   熊野神社本殿
 彫刻はすべて素木造りで、小壁と柱は地紋彫、胴羽目には特徴あるもっこ型の浮彫で飾られている。
 保存状態も良く、江戸時代初期から後期にかけての典型的な一間社入母屋造りの本殿として貴重である。
     町指定有形文化財(建造物) 昭和63年4月5日   市貝町教育委員会 

 もう一枚説明版です
   日枝・熊野神社八朔祭
 八朔祭は、日枝・熊野両神社の夏の大祭で、祭礼の中で最も盛大で華麗な祭典である。
 祭礼は、市塙の各地区が年番制を採用し、御仮屋を建て両社ご神体が渡御する。
 このような祭り方を執るようになったのは、御神輿が建立された宝永7年(1710)からといわれており、およそ300年の歴史がある。
 祭礼は、大正年間に入り8月30日から9月1日のかけて二夜三日、盛大に執行するのを例としてきたが、現在は8月第1土曜日から2日間となった。
     行列の順序
 先導者ー万燈ー太鼓ー榊ー鉾ー小旗ー獅子・横笛奏者ー御神輿ー大傘ー神官ー神刀奉持者ー当番組祭典委員長ー社総代ー氏子一同
     町指定無形民俗文化財  平成17年8月10日  市貝町教育委員会

 左(西側)に日枝神社拝殿です

 本殿覆い屋です、隙間から本殿を見ることができました、龍の彫物が見られます

 市貝町指定有形文化財建造物「日枝神社本殿」の石碑です 

 右(東側)に熊野神社拝殿です

 熊野神社本殿を屋根の下に見ることが出来ます

 市貝町指定有形文化財建造物「熊野神社本殿」の石碑です

 南側から

 平成天皇(上皇様)御大典記念 栃木百選夫婦杉の石碑です

 とちぎ名木百選の標柱です

 東側から

 北東側から見ました

 熊野神社拝殿前東側に手水舎と井戸が有ります

 熊野神社東側の社叢の中に西向きに境内社の「淡島神社」です

 北側には南向きに「市花神社」です

 では、次へ行きましょう
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栃木県芳賀町、下高根沢「下高根沢安住神社のけやき」(町指定・とちぎ名木百選)です!!

2025-01-13 06:37:26 | 巨樹・大木
 下高根沢地区は、芳賀町役場の西北西約4kmのところ

 この地区は、昨年開業した宇都宮駅東口と芳賀・高根沢工業団地駅を結ぶLRT(路面電車)線路の東の端にあたります

 芳賀町役場の南西側の「役場前」信号から「芳真通り」西南西へ進み

 約200mの信号を右(西北西)へ、県道69号芳賀バイパスです

 約3.9kmの坂道を登った所の信号を右(北東)へ、約100mで一時停止のY字路を右(東)へ坂道を下ります

 約300mで左手に「下高根沢安住神社」の参道が南向きに開いています

 下高根沢安住神社社號標です

 一ノ鳥居を潜った右手の第二駐車場に車を止めさせて頂きました

 参道を進みます

 参道石段を上ります

 ニノ鳥居は赤い両部鳥居です

 更に参道を進みます

 参道左手には「下原稲荷神社」です、鳥居は赤くない石鳥居です

 参道右手に安住神社説明版です
     安住神社
 奈良時代前期(白鳳時代)、第45代聖武天皇の御代、神亀元年(724年)2月20日芳賀親字の一の宮として、素戔嗚命、大己貴命、少彦名命の御三柱を祭神に鎮座しています。
 地方の旧社にして、明治6年5月に郷社に定められ、明治10年区制改正の為村社に列せられる。
 その後、数度の修理をし、元禄13年(1706年)6月1日に再建し、更に明治31年(1898年)7月本殿屋根(銅版葺)等の大修理をしました。
 境内敷地は、3130㎡、境外地3652㎡、入口は花崗岩の大鳥居を建て、入口の第一の石段まで約70mの敷石を布敷して、神威厳かです。
 境内社として、下原稲荷神社、琴平神社、大杉神社、八坂神社、天満宮、皇大神宮、天岩戸別神社を祀っています。
     祭儀  春季大祭    3月27日
         秋季例大祭  11月23日
         他に、中小祭が数儀あります。
    芳賀町指定天然記念物  ケヤキ
    栃木県名木百選
           芳賀町教育委員会

 参道右手に目的のケヤキです

 とちぎ名木百選の標柱です

 宮司さんの詠んだ歌碑です・・・おおけやき 氏子のなりはえ(生活) あめかぜと 往来する年 見守り給う

 案内板です
   芳賀町指定天然記念物
     ケヤキ(欅)
 目通り4.6m、枝張り25.0m、樹高30.0m
 管理者 安住神社  昭和59年3月25日指定

 南側から

 南東側から見上げました

 朱塗りの手水舎です

 拝殿です


 本殿です

 拝殿前左手の境内社ですがお名前が分かりません、説明に有った内の一つでしょう

 右手の境内社には達磨が並んでいます

 本殿西側の境内社です、祠の下に大黒様等が並んでいます

 本で後ろ側にの境内社には布袋様です

 本殿北側には「御祭神御降臨之処」の標柱と石神様です

 境内東側の道路からケヤキの樹冠を見ました

 では、次へ行きましょう

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栃木県宇都宮市、上桑島町「金剛定寺のかや」(県指定・とちぎ名木百選)です!!

2025-01-12 06:57:42 | 巨樹・大木
 上桑島町は、宇都宮市役所の南東約8km、宇都宮市 瑞穂野地区市民センターの北北東約2kmのところ

 宇都宮市 瑞穂野地区市民センターの前の道路を東へ出ます

 約200mの押し釦信号のある交差点を左(北)へ進みます

 約1.1kmの田圃の中で右(東)へ、約300mで左(北)へ

 約200mで山門前です

 2025年1月10日、日の出前朝早くに埼玉を出て、日の出時間に到着しました

 境内の駐車場に車を止めさせて頂きました

 「真言宗 智山派 桑島山 金剛定寺」の寺号標です

 山門の落慶記念碑です
     山門落慶記念碑之文
 当山は今を去る事700有余年、弘安元年鎌倉時代、北条時宗の時に草創すると伝えられたり。
 伊豆北条の益田峰忍公この地に及んで、叢林の中に不動明王を見出し草庵を建てて、寺門興隆の願いを立てる。
 峰忍公、鎌倉幕府の命勅を受け、当病平癒の祈願に赴く。将軍惟康親王、病魔より快方し数棟の伽藍と寺領を寄進す。
 時移りて、明徳4年中興第1世祐請上人晋山、寺門再興を警願す。然し乍ら、その年日照りと干魃の為、多くの餓死者が多発するも、上人21日間の雨乞いの行法を修し、信心功を積み、一乗の経を写す。
 御法神衛りて、霊験を呈す。然るに大飢饉は終熄し、住民は皆救済せらる。
 後にこの事が時の朝廷後小松天皇に達し、上人の位と金剛定寺の額を賜る。
 その後は法門の拡張に務め、枝院88を数え、末寺200を有し、又御朱印寺として関東の屈指の定法檀林となり、本山の能化職をも兼任す。
 その後は歴代の住職の努力により旧態を一新して輪奐の美を済ふ。
 然るに明治初年の王政復古と廃仏毀釈の逆境は如何ともし難く、その上大火に遭い、一山は灰燼に帰す。
 明治44年成田山より当山第42世照尊和上普住す。総本山智積院の事務長を兼任して再建に務む。
 更に当山第43世照晋和上山門の再建を発願するも叶わず。茲に小衲前住職照晋和上の思いを叶えんが為、檀信徒と相謀り、建設委員会を立ち上げ、金剛定寺山門の再興を発願す。
 本日の佳日を貞して建立を祝し落慶の法会を営む。
 仰庶願くはこの功徳をもって檀信徒各家各人の安寧、殊には伽藍安穏・興隆仏法・天下泰平・五穀成就ならんことを。之至法界 平等利益
   維時 平成29年4月2日 (境内駐車場に在りました・以下略)
 

 山門を潜ると、少し右にずれた参道の右に目的のカヤが朝陽を受けています

 南側から

 南東側から

 西側から幹を見上げました

 とちぎ名木百選の標柱です

 説明版です
   栃木県指定 天然記念物
     金剛定寺のカヤ 1本
       所有者 金剛定寺
       昭和63年12月26日指定
   樹高 18.7m・目通周囲 4.25m・枝張り 東西 21m・南北 23.5m・推定樹齢400年
 このカヤは、均整のとれた大きな樹冠を持ち、盆栽のような見事な枝振りに育っている。
 主幹は、全く傷みもなく、真直ぐ天に向かい、地上3mあたりから枝が四方にバランス良く伸びている。
 樹勢は旺盛で、毎年たくさんの実をつけている。
 カヤはイチイ科の高木で、本県では北西部の山地にわずかに自生しているだけで、昔から神社仏閣などの庭木とされることが多い。
     栃木県教育委員会・宇都宮市教育委員会

 北側から見上げました

 参道左の鐘楼も朝陽を受けて輝いています

 本堂へお参りしましょう

 本堂です

 本堂前からカヤを見ました

 本堂東側には弘法大師様です

 では、次へ行きましょう
   
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埼玉県北本市、荒井「自然学習センター・北本自然観察公園」を歩いて来ました③!!

2025-01-11 06:38:35 | ドライブ
 荒井地区は、北本市役所の南西約3kmのところです。

 前回②からの続きです

 高尾の池の南側に出ました

 高尾の池も日陰だった場所は凍っていました

 高尾の池南側を東へ進むと八ツ橋池の中に木橋がジグザグに架けられています



 シラサギがいます



 シラサギを撮影していると、後方から集団が近付いてきました



 シラサギが飛び上がってしまいました

 かえる池では、湿地耕転の作業が行われています

 ヨシ刈り・湿地耕転のお知らせです
 湿地内で、草刈り機や重機による作業を行います。
 作業に伴い騒音、一時的な通行止めなどが発生します。
 なお刈り取りと集草が終わり次第、耕転作業を行います。
 ご理解とご協力をお願いいたします。
 🔳作業予定日 2024年12月10日頃~の主に平日
 *荒天時や、年末年始は作業を行いません。
     埼玉県自然学習センター

 ふれあい橋から北側へ行きます

 かわせみ池の耕転作業は終わっているようです


 セグロセキレイです

 灰色のセキレイです

 木の枝に止まっているのは、ルリビタキですね

 またシラサギです

 すぐに飛び立ちました

 赤いキノコです

 この時期の観察ポイント:2024・10
     ヒイロタケ
 主に広葉樹の朽ち木に重なるようにして生えるきのこです。
 質感は堅く食用には適しませんが、きのこ染めの染料として活用されます。
   埼玉県自然学習センター・北基本自然観察公園

 ズームアップして見ました、綺麗なヒイロ(緋色)ですね

 かわせみ池から北へ木道を進むと、大きな木が倒れています

 天然記念物標柱です

 樹冠側から

 説明版です
   北本市指定天然記念物 エドヒガンザクラ
       昭和53年3月15日指定
 この「エドヒガンザクラ」(品種名「エドヒガン」)は、その名のとおり春の彼岸頃(3月下旬)に花を咲かせる。花は薄紅色で、花弁は5枚で一重である。
 エドヒガンはサクラの中では非常に長寿であることが知られており、このサクラも樹齢200年を超えると推定される。
 規模は、根回り3m、枝張り南北24m、東西13m、高さ20mの大木です。サクラは東向きの傾斜地に自生しており、幹は約30度傾斜している。
 周囲はモウソウチクやクヌギ、ナラなどの林に囲まれ、桜の開花期にはそれらを背景として花をいっそう際立たせている。
 エドヒガンザクラは北本に春を告げるサクラとして愛されており、開花期には多くの見学者で賑わう。
      平成29年3月   北本市教育委員会

 北東側から見ました

 さらに北側へ進みましょう


 カワラタケの群落です

 水路確保のために土上げが行われています

 こちらは水量確保のためと思われる溜池状態になっていました

 さらに進みます

 21番の所でおしまいになります

 右へ進むと

 公民館口案内板です

 緩く登る様に進んで

 阿観堂のそばに出ました

 北側から公民館口を見ました

 道路を約600m南へ進み、駐車場に帰りました

 これで「埼玉自然学習センター・北本自然観察公園」は終わりにします
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埼玉県北本市、荒井「自然学習センター・北本自然観察公園」を歩いて来ました②!!

2025-01-10 06:43:00 | ドライブ
 荒井地区は、北本市役所の南西約3kmのところです。

 前回の続きです

 桜堤の道路を少し南へ進むと「石戸城跡」です、南西側から今は住宅が並んでいます

 説明版です
   埼玉県選定重要遺跡 石戸城跡
       昭和44年10月1日選定
 石戸城は別名「天神山城」ともいわれ、15世紀後半頃に築かれたと考えられている。
 当時は戦国大名が覇権を争う群雄割拠の時代であった。
 城は上杉氏の家人・藤田八右衛門によって築城されたとされ、北上する北条氏の勢力に備えるため、岩付城から松山城、河越城を結ぶ防衛線の一部を担っていたと思われる。
 永禄6年(1563)2月、北条・武田の連合軍が上杉方である初山城を包囲した際、雪の上越国境を越えて援軍に駆けつけてきた上杉輝虎(謙信)が、短期間ではあるが石戸城に逗留している。
 その後は北条氏の支配を経て、徳川氏の関東入国以降、城としての役割をおえるようである。
 現在では発掘調査などによって土塁や堀が良好に保存されていることが確認され、堅牢な城郭の姿が復元されつつある。
      平成29年3月    北本市教育委員会

 戻って「一夜堤」へ行きましょう

 石戸城跡北側の土塁にケヤキの巨木です

 「北本自然観察公園」ここは一夜堤口です、埼玉自然学習センターまで950mです

 「北本市自然遊歩道案内図」です(下側が北です)

 沼面に近い遊歩道を進みます

 木道に成っています

 オニグルミの冬芽です、説明版には・・・
   この時期の観察ポイント:2024・12
     何に見える!オニグルミの冬芽と葉痕
 葉が落ちた跡の葉痕と冬芽がなんとも可愛いオニグルミ。
 葉痕の形により、ヒツジやサルの顔にも見えてきます。
 姿によっては手をあげているようにも・・・
 さて、何に見えますか?
     埼玉県自然学習センター・北本自然観察公園

 一夜堤が見えて来ました

 西側から見ました

 一夜堤中ほどに大きな説明版です
   石戸城と一夜堤
 石戸城は、室町時代長禄年間(1457~60)ころ、岩付・松山・河越の各城との連絡のために築かれたおのと伝えられている。
 扇谷上杉(おおぎがやつうえすぎ)氏の家臣藤田八右衛門の居城にはじまり、永禄6年(1563)松山攻めの時には、上杉謙信が石戸まで進入してくるなど、いくたびかの変遷をみたという。
 謙信の松山攻めに先立つ永禄5年(1562)北条氏邦は、北条氏政の命により秩父・鉢形勢を率いて上杉方のこの城を攻め、時の城主毛利丹後守とのあいだに激しい攻防戦を演じたことが「関八州古戦録」にみえている。
 毛利氏の守りは固く、北条勢は多くの死傷者を出したが、この時氏邦は、暗夜に乗じて城の東側の谷地に一夜にして土橋を築き一気に城に攻め上って勝利したという伝承がある。
 この土橋が現在「一夜堤」とよばれている。
 「一夜堤」は、石戸城跡と谷をへだてた東側の台地とを結ぶ長さ45m、幅5mほどの堤で、自然散策の遊歩道として市民に親しまれている。
     平成元年3月1日   北本市

 東側から見ました

 更に南東へ進みましょう

 ササに囲われた遊歩道を進むと

 7番の橋を渡ると「子ども公園」です

 橋の上から「一夜堤」側の谷地を見ました、戻ります

 6番の「一夜堤」東側です

 北本自然観察公園の「保護区域」案内図です

 遊歩道を北へ進みましょう

 ジャノヒゲの実です

 この時期の観察ポイント:2024・12
   林床のサファイア
 細い葉っぱの根元をよく見ると、青がとってもきれいなジャノヒゲの実が見つかります。
 いろいりな鳥がこの実を丸呑みにして、うんちと一緒にタネが出てきます。
 ジャノヒゲがいろんなところに生えているのは、鳥が食べてタネを運んでくれるからです!
     北本自然観察公園・埼玉県自然学習センター

 18自然の林は何階建て?
 彩ちゃん   父より
 知っているかい?
 林って、同じ高さの木ばかりではないってことを。彩より低い木もあるんだよ。
 林はね、高い木や低い木が一緒になって生活してるんだ。
 普通、林には、1階建てから4階建てのものまであるんだ。
 えつ、何のことかって?
 例えば、目の前の林は、1階は草。2階は草より少し高い木。3階は葉がテカテカ光っていて、頭が天井にまでは届いていない木、4階は一番高い木。
 ほら!ここの林は4階建てになっているよ。
 彩も近くの林を調べてごらん。

 確かに!4階建てですね

 ヤマコウバシです

 この時期の観察ポイント:2024・12
     ヤマコウバシ
 枝や葉に芳ばしい香りがあることが名前の由来です。
 クスノキ科にしては珍しく落葉樹ですが、枯葉は落ちにくく、春先まで残ることが多いです。
     埼玉県自然学習センター・北本自然観察公園

 20野鳥が近づいてくる方法
 この辺りで、「二―二―」という鼻のつまったような鳥の声が聞こえませんか?
 これは、ヤマガラの鳴き声

 橋を渡って谷地を横切ります

 また、長く成りましたので続きとさせて頂きます<m(__)m>
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埼玉県北本市、荒井「埼玉自然学習センター・北本自然観察公園」を歩いて来ました①!!

2025-01-09 06:50:13 | ドライブ
 今年最初の取材として1月8日に車の定期点検のついでに「埼玉自然学習センター・北本自然観察公園」へ行って来ました

 荒井地区は、北本市役所の南西約3kmのところ

 北本市役所の南側の道路を西へ、直ぐの信号を左(南)へ、約300mの信号を斜め右(南西)へ

 約200mの信号を左(南東)へ、約150mの「北本団地入口」信号を鋭角に右(西)へ、県道312号線です

 約1.2kmの「荒井」信号を左(南)へ、県道57号線です

 多雨1.1kmの「石戸宿1丁目」信号を右(西南西)へ、約400mで「北里メディカルセンター⇒」の案内板を右(北西)へ


 約600mで「埼玉自然学習センター・北本自然観察公園」駐車場⇒の案内板ですので、右へ入って無料駐車場に車を止めました

 駐車場入り口の案内図です(左が北です)

 公園東側の正門(入り口)です

 北本自然観察公園です、ふれあい橋を渡ります

 自然観察公園案内図です


 「埼玉県自然学習センター」にまず寄って見ました

 公園内の生き物の出没状況案内が出ています
 セグロセキレイ・ツグミ・カワラヒワ・ルリビタキ・カワセミ・イカル・マガモ・イタチ・ホンドギツネ等の名前が見られています

 学習センターの北側を西へ進みます

 右手の広場にモグラの持ち上げて痕です

 説明版があります
   この時期の観察ポイント:2024・12
       モグラ塚
 モグラはとても大食漢!ミミズなどの土壌生物を一日に体重の半分ほども食べます。
 広い範囲にエサを採るためのトンネルを堀り、余った土を地上に捨てます。

 「高尾の池」の北側の別れ道です

 右(西)へ行きましょう「森のアスレティック」の案内板です

 高尾の池北側の説明版です
 この高尾の池と、まわりのヨシ原は、生きものたちのすみかです。
 生きものたちがこわがりますので、中へ入ったり石を投げたりしないでください。
   (ここにくらしている生きものたち)
 カワセミ・コサギ・カイツブリ・クイナ・イタチ・カヤネズミ、など。
 秋から冬にかけて、北の国から、マガモ・コガモ・オナガガモ・ハシビロガビ、なども渡ってきます。
   池の住人にちょっとした心づかいを。

 高尾の池の北端近くにサギがいましたが、大きなレンズのカメラを持った人達がカワセミを待っているようです

 「8雑木林ってなあに?」の説明版です
 彩ちゃんへ   父より
 ここは雑木林と言って、いろいろな種類の木た草が生えている所なんだ。
 だから昔、この林は人々にいろいろ利用されていたんだ。
 秋には木の実やきのこ、冬にはたきぎや落ち葉をとったりしてね。
 それからこうしたいろいろな植物が生える林には、人間以外でもいろいろな種類の動物たちが集まって、とてもにぎやかなんだよ。
 生きものにとっては、エサやすみかがたくさんあるからね。
 そこがスギ、ヒノキしか生えていない人工林とはちがう所なんだよ。

 *この自然観察公園の雑木林も、かつての雑木林の様に利用されていないので、常緑広葉樹のシラカシやアラカシ、低木のアオキ等が増えているようです。

 説明版です
   北本市高尾ふるさとの森
     昭和56年3月20日指定
 身近な緑が姿を消しつつある中で、貴重な緑を私達の手で守り、次代に伝えようと、この森が、「ふるさとの森」に指定されました。
 この森は、クヌギやコナラなどで構成されており、荒川沿いの台地と谷地が入り組んでいている地域の一角にあって、周辺の田畑と一体となった優れた景観を見せてくれます。
 また、この森を含めた地域一帯は、県内でも有数の恵まれた自然環境を残しており、様々な動植物を観察することができます。
 そのため、県では、自然を学び、自然と親しめる場として、この地に「北本自然観察公園」を整備する予定です。
     平成元年3月     埼玉県

 高尾の池の西側を南へ進みます

 案内板です、右の「桜堤」へ向かいましょう

 大きなカシノキにサルノコシカケ科のキノコが生えています

 下から見上げました

 右手の土手にはカシノキの大木が並んでいます

 ササの間を進むと

 桜堤側の入り口説明版です
 北本自然観察公園
   ここは桜土手口です、埼玉自然学習センターまで700mです
 この公園は、埼玉県の「里地里山」の自然環境を残しながら、野生の生きものがくらしやすいように、また来園される方々が自然に親しめるように整えられた公園です。

 桜堤に桜の大木が並んでいます、直ぐ西側は「荒川」です

 土手上の「桜堤通り」には「どうぶつ ちゅうい」の標識です

 長く成りますので続きとさせて頂きます<m(__)m>
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栃木県佐野市、船越町「薬師堂のヒイラギ」(県指定)です!!

2025-01-08 06:48:01 | 文化財・樹木
 船越町は、佐野市役所の北約13km、佐野市役所田沼行政センターの北約6kmのところです
 
 佐野市役所田沼行政センターの西側の県道201号作原田沼線を北へ

 約4kmで右にカーブして「旗川」の橋を渡って直ぐの信号を左(北北西)へ

 約1.7kmで「太平洋クラブ佐野ヒルクレストコース」の看板を右(北東)へ入ります、クラブハウスへの取り付け道路です

 直ぐに斜め左(北)の農道に入ります、奥に赤い建物が見えます

 道成りに進み、薬師堂前の広場に車を止めるととが出来ました

 薬師堂前に目的のヒイラギです

 南側から見上げました

 「天然記念物 船越薬師堂のヒイラギ」の標柱です

 説明版です
   栃木県指定天然記念物
     船越薬師堂のヒイラギ
    所有者 薬師堂
    昭和46年(1971年)6月25日指定
 樹高:6.4m、目通り周囲:2.41m、枝張り:東西10.6m、南北10.1m、推定樹齢:250年
 ヒイラギはモクセイ科に属する常緑小高木です、福島県以南に分布する。本県では数が少なく、庭木として植えられれることが多い。
 通常、ヒイラギの葉にはトゲがあるが、このヒイラギは古木であることがゆえにトゲがない。今でも毎年たくさんの実をつけている。
 平成元年、とちぎの名木百選に選定された。

 枝先に多くの白い花が咲いています

 とちぎ名木百選の標柱です

 南南西側から

 南西側から見上げました

 境内側に行きましょう、南東側石段から

 東側から

 薬師堂です

 薬師堂前(北東側)から

 北側から、南西側に大きく枝を伸ばしています

 北西側から見ました

 では、次へいきましょう

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栃木県佐野市、寺中町「東光寺の榧(カヤ)と広葉杉(コウヨウザン)」(市指定)です!!

2025-01-07 06:55:48 | 巨樹・大木
 寺中町は、佐野市役所の南南西約2kmのところ

 佐野市役所南側の「佐野駅入口」信号を西へ、県道67号線(旧国道50号線)を西へ進みます

 約300mの「本町」信号を左(南)へ、約800mで東武鉄道佐野線の佐野市駅前を斜め右(南西)へ進みます

 約700mの「海陸橋」手前の運送会社の間を斜め左(南)に入り、約100mの横断歩道の手前を左(東)へ

 間も無く左手に東光寺の山門です

 山門前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 仁王門(楼門)です

 楼門を潜ると左右にイチョウの大木です、左(西側)のイチョウの頂部には別の種類の木が根を下ろしています

 右(東側)のイチョウは、二股に枝を広げています、直ぐ東側にも大きなイチョウの切株がありました

 大きな薬師堂です

 薬師堂の東側に目的の「榧」です

 南西側から、太い幹ですが高さがありません、7から8m程度でしょうか

 天然記念物標柱には「榧」とだけの表記となっています

 離れて見ました

 西側から

 薬師堂の北側に「東光寺中門」です、堀田佐野城(植野城)の移築門です

 中門の左手(境内の内側)に次の目的の「広葉杉です

 南側から

 南西側から

 南側から見上げました

 文化財標柱です

 説明版です
   東光寺中門(とうこうじなかもん)
 文政9年(1826)植野の地に封ぜられた堀田摂津守正敦(まさあつ)が、同11年(1828)に植野城(堀田佐野城)を築いた。
 その陣屋の大手門(表門)を廃藩置県に伴い、明治9年(1876)に7月に堀田家の菩提寺である東光寺に移築したものである。
   榧(かや)
 榧は榧属に属し、この木の樹齢は300から500年とも言われているが、樹勢は今だ衰えていない。
  根回り   6.6m
  目通り   5.0m
  樹高   19.0m
   広葉杉(こうようざん)
 広葉杉は広葉杉属に属し、オランダモミ、リュウキュウスギ又カントンスギともいう。
 この木の樹齢は300から500年とも言われているが、樹勢は今だ衰えていない。
  根回り   4.5m
  目通り   3.1m
  樹高   19.0m
     平成19年2月28日  佐野市教育委員会

 「とちぎ名木百選 東光寺のコウヨウザン」の標柱です

 丸い表示版には・・・
   ふるさと佐野100選
 正面の広葉杉・東にあるイチイ科の榧の巨木・南にある3本の銀杏の古木、いずれも樹齢約300~500年といわれている。
 広葉杉と榧は樹高が約20mあり、昭和60年に市の天然記念物に指定されている。

 中門を入ると、右手に鐘楼です

 左手に六地蔵様です

 本堂です

 *亀峰山東光寺、臨済宗建長寺派、本尊は薬師如来です。
 寺伝では開山を最澄(伝教大師)とし開基を円澄とします。
 創建は延暦年間(782~806)、当初は天台宗だったが、康元元年(1256)に建長寺第7世鏡堂覚円(大円禅師)が月洲法乗禅師を勧請開山とし、自らは二世となり臨済宗の寺院として再興されました。
 天正5年(1577)兵火にかかり衰微するが、承応年間(1652~1655))に再興されました。
 江戸時代に入ると佐野藩主堀田家の領内菩提寺として庇護されました。
 この地域は、東光寺がかつては12の坊舎を有する大寺で、東光寺を中心に寺院が集中していた地域のため寺中と呼ばれました。
 (「北関東の装飾寺社を歩く」より、一部引用)

 参道(北東側)からコウヨウザンを見ました

 北側から

 北西側から



 では、次へ行きましょう
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東京都清瀬市、下清戸2丁目「清瀬御殿山緑地保全地域のNo.25シラカシ」です!!

2025-01-06 06:43:43 | 文化財・樹木
 下清戸2丁目は、清瀬市役所の東約500mのところ

 前回の「旭ヶ丘GRモールのクスノキ」の入り口から、南東へ

 約70mで信号を右(南西)へ、約500mで信号を左(南)へ

 約300mの「下清戸5丁目」信号を右(西南西)へ、けやき通りです

 約600mで左手に雑木林が見えて来ました、目的のシラカシのある清瀬御殿山緑地保全地域です

 西寄りの入り口です

 説明版です
   清瀬御殿山緑地保全地域
 清瀬御殿山緑地保全地域は、市街化が進行する地域の中にありながら、武蔵野の面影を残す貴重な緑地で、一部に赤松が混ざるほか、ほぼ全域がコナラークヌギの雑木林となっています。
 東京都では、ここを下刈りなどにより、明るい雑木林の環境を保全しています。
   指定面積  15162㎡
   指定年月日 平成4年3月24日
 保全地域は、貴重な自然環境を守り、後世に伝えるものです。
         東京都・清瀬市

 雑木林の説明版です
   雑木林の維持
 この林にはクヌギやコナラなどがあり、場所によってはアカマツも見られます。
 ここではもともと畑の肥料にする落葉を採るほか、マキにするために木を切ったりしていました。
 木を切っても林が無くなるわけではなく、切株からは芽が出て、また木が育ちました。
 こうした使い方をしなくなると、下草が茂るだけではなく、様々な樹木が発生して落葉樹を打ち負かし、やがて常緑樹のシラカシなどの林に変わっていきます。
 つまり、人間の働きかけが他の樹木が勢力を持つのを抑え、この林の景観を保っているのです。
         東京都

 野鳥の案内です
   御殿山緑地保全地域の野鳥たち
 雑木林には、四季を通じて多くの野鳥が生活しています。
 御殿山でも30種程の野鳥が確認されており、特に樹木が落葉する冬季は、見通しが良くなり、北国の山間部から越冬に来る野鳥も加わり、野鳥観察には最もてきした季節です。
 スズメ・ヒバリ・ハクセキレイ・ムクドリ・ヒヨドリ・オナガ・モズ・ウグイス・シジュウカラ・ホオジロ・メジロ・カワラヒワ・コゲラ・アオゲラ・チョウゲンボウ・カッコウ・キジバト・コジュケイ・キジ・ツバメ
 冬鳥・・・エナガ・ツグミ・アオジ・ジョウビタキ・アトリ・シメ・カシラダカ・シロハラ
 *この日は、風もおだやかだったのですが野鳥が生息している雰囲気がありませんでした

 目的のシラカシは、雑木林の南東端近くです

 西側から、シラカシが大きくなるのは雑木林にとっては良く無い事なのかもしれません

 南西側から「清瀬の名木・巨木百選No.25シラカシ」のプレートは見つけられませんでした 

 雑木林に中のには通路にロープが張られています、丁字路から西側です

 南側です

 北側です

 北側の道路(けやき通り)へ出てシラカシを見ました

 では、市役所まで約500mです、戻って車に自転車を積んで帰ることにしましょう
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東京都清瀬市、旭が丘2丁目「旭ヶ丘団地GRモールのNo.10クスノキ」です!!

2025-01-05 06:55:09 | 文化財・樹木
 旭が丘2丁目は、清瀬市役所の東北東約2kmのところ

 前回の「下宿八幡神社」前から、南東へ坂道を上って行きます

 約100mで左(東)へ、直ぐにまた右(南東)へまたまた坂道を上ります

 約100mで左(北東)へ、柳瀬川通りです、約50mでまた右(南東)へ緩く上って行きます

 約200mで旭ヶ丘の団地群が見えて来ます、一時停止の丁字路を左(東北東)へ

 約50mで斜め右南東へ、約50mで横断歩道が「あさひがおかグリーンモール:アコレ」の入り口です左(東北東)へ入ると

 あさひがおかグリーンモールです

 アコレ手前左手に目的のクスノキです

 東側から

 「清瀬の名木・巨木百選No.10クスノキ」のプレートです
 クスノキ科、昭和42年の旭が丘団地建設以前から存在し、団地のシンボルツリーとして、親しまれています。
     清瀬市 

 北側から

 西側から見上げました

 東側へ離れて見ました

 では、次へ行きましょう
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東京都清瀬市、下宿2丁目「下宿八幡神社のNo.9ケヤキ(市指定)とNo.8サカキ」です!!

2025-01-04 07:13:24 | 巨木・文化財
 下宿2丁目は、清瀬市役所の北東約1.5kmのところ

 前回の「清瀬の名木・巨木百選No.6アラカシ」から北東へ進むと直ぐに円通寺の長屋門が建っています

 円通寺にも「清瀬の名木・巨木百選No.4フジ」がありますが、お葬式が行われていたので遠慮しました

 約150m先の左手に下宿八幡神社が鎮座します

 南東向き参道の鳥居です

鳥居脇にケヤキの巨木です

 南東側から

 説明版です
   市指定天然記念物
     下宿八幡神社のケヤキ
       所在地 清瀬市下宿3丁目515番地
       指定日 昭和54年4月6日
 ケヤキの大木の多い武蔵野台地にあっても、このケヤキのように樹高が26mもあるものはめずらしく、高さのわりには幹は太くならずまっすぐにのびています。また、枝下の高いことも特徴です。
 非常に素性の良い大木で、樹齢は約350年と推定されます。
     樹高26m、周囲5.95m、枝張り(長径)20.7m(短径)12.9m、枝下高11m(指定当時)
   平成28年3月31日   清瀬市教育委員会

 南側から


 サクラが咲いていました

 「清瀬の名木・巨木百選No.9下宿八幡神社のケヤキ」のプレートです
 二レ科、市内最大のケヤキで、幹回り約6m、樹齢は700年を超えるものと推定されます。
 昭和54年、市の天然記念物に指定されました。    清瀬市
 *樹齢は訂正されたようです、前出の説明版では樹齢350年のままと成っています。

 北側から見上げました

 参道を進みます

 参道右手に手水舎です

 拝殿です

 拝殿左(西側)にも手水舎があり、脇に目的の「清瀬の名木・巨木百選No.8サカキ」です

 南東側から

 「清瀬の名木・巨木百選No.8サカキ」のプレートです
 ツバキ科、八幡神社創建の暦応3年(1340年)ころ植えられたものの子孫といわれ、神事に神事に使われてきました。
     清瀬市

 南西側(手水舎の裏側)から見上げました

 本殿です

 本殿東側の石碑群です

 四社宮の境内社が並びますがお名前が分かりませんでした

 では、次は柳瀬川の段丘の上へ行きましょう

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