ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

東京都あきる野市、養沢「五柱神社の大杉」(市指定)です!!

2020-12-31 06:18:52 | 巨樹・大木
2020年最後の投稿です

正月を迎えたころ、新型コロナウイルスにより、こんなにも生活に影響が出るとは思ってもいませんでしたよね、今年はオリンピックだなんて考えていたのも3月の延期発表まででした

その後も、第二波、第三波へと不用不急の自粛生活が続いています

このブログの取材地は、人と会うことがほとんど無いので、続けることが出来ました

よい年を迎えられますよう願っております・・・では

養沢地区は、あきる野市役所の西約10kmのところ

都道7号線を西へ、十里木信号を右へ都道201号線です

秋川まで下って登り返し養沢川の橋を渡って直ぐに南へ入ります

集落の中の分かれ道を右に上がると五柱神社参道入口です

少し先の道路の広い所に車を止めさせて頂きました



車を止めさせてもらったところから五社神社を見上げました

参道入口の神社案内板です

この路地を登って行きます

神社の幟の支柱が見えて来ました

神社参道です

鳥居です

五柱神社です

境内に入ると正面左手に目的の大杉です

社務所前(南東側)から

参道脇(南南東側)から

説明版です
あきる野市指定文化財(天然記念物)
 五柱神社のスギ 1本
所在地 あきる野市養沢1392番地
指定 平成9年7月23日
 スギはスギ科の常緑針葉樹です。
 このスギは樹高が約52m、地面から1.2mの高さでの幹周りが約8mと非常に見事な姿を誇り、樹齢は400年前後と推定されます。
 まわりの集落や山々からも、その姿ははっきりと認められ、地気のシンボルともいえる存在です。
  平成14年9月1日設置
あきる野市教育委員会


拝殿です

本殿は覆屋の中ですね

南西側から

西側から

拝殿脇(北側)から

拝殿前(北東側)から

帰りに鳥居まえから乙津の集落を見下ろしました

では、次へ行きましょう
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東京都多摩市、落合「平久保のシイ」(都指定)です!!

2020-12-30 06:34:26 | 巨樹・大木
落合地区は、多摩市役所のすぐ南西約4kmのところ、多摩センター駅の南約1kmのところに平久保(びりくぼ)公園があります

青木葉通りと落合南通りの交差点の南東側、東京医療学院大学の中央棟西側からの入口への道路の北側になります

コロナ禍で大学も休みなのでしょうか、道路端に車を止めさせて頂きました


道路入口を入ると大きな樹冠が見えました

南側の道路から見上げました

平久保公園です

西側から

南西側から太い幹を見上げました

天然記念物標柱です

説明版です
 東京都指定天然記念物
  平久保のシイ
所在地 多摩市落合4-22
指定 昭和36年1月31日
 ブナ科に属するスダジイで、日本の照葉樹林の最も中心となる常緑高木です。多摩ニュータウンの一画に、小高く丘状に残された公園内の頂上付近で南から西に緩やかに傾斜した斜面に生育しています。大小二株のシイが互いに枝を繁茂させ、葉が密に生い茂りお椀をかぶせたような樹形を持ち、その鬱蒼とした木の根元には小さな祠が建っています。
 二本のシイが一体となった樹冠を形成している巨樹のため、二本を一本として保存管理しています。こうしたシイの樹勢を維持するには、このようなこんもりとした樹冠を保つことが重要です。多摩ニュータウン開発以前の多摩丘陵の面影を残す大樹です。ちなみに天然記念物に指定されている大きい株の樹高は25m、幹囲は5.9mあります。
  平成22年3月 建設
 東京都教育委員会

西側から太い幹を見上げました

説明版にあった細い方の幹が高さが有ります、大きな樹冠の最上部に見える枝葉こちらの枝です

赤い祠は稲荷様でしょうか

南側から、幹が南西側の傾いています

南東側から

丘の頂上から大きな樹冠を見ました

南西側こちら側が一番雰囲気が良いようですね

では、次へ行きましょう

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東京都多摩市、連光寺「春日神社ケヤキ」(市指定)です!!

2020-12-29 06:49:51 | 巨樹・大木
連光寺地区は、多摩市役所の東北東約1kmのところ

都道41号線の旧道行幸橋を東へ坂道を登って行くと

旧道都道41号稲城日野線に面して南向き参道で春日神社が鎮座します

車は少し離れた有料駐車場に止めて来ました

入口が有ります

春日神社です

石段を登った境内に狛犬です

手水鉢です

正面に拝殿です

目的の夫婦ケヤキは、境内右端に並んで立っています

鳥居脇から

説明版です
多摩市指定天然記念物
  春日神社ケヤキ(ニレ科)
 目通り幹囲、右側約3,0m、左側4,5m、枝張り4~10mで、全体に東側に傾いており、枯損が目立つものの樹勢はおおむね良好です。
 春日神社は、平安時代末期、治承5年(1181年)頃の建立と考えられ、境内には近年まで、すぎ、かえで、けやき等多くの老木が残っていました。けやきは3本あり、最大のものは周囲4m以上もありましたが、枝が折れて枯死したので、伐採され、現在の二本となってしまいました。
 けやきは河畔や山裾に生えるニレ科の落葉高木で、春、新緑と同時に淡黄緑色の細かい花が咲きます。
  昭和48年5月15日指定
多摩市教育委員会

拝殿脇から見上げました

本殿は覆屋の中です

由緒書の石碑です、逆光でよく分かりませんが・・・
 春日神社の由緒
御祭神
 大日霎尊(オオヒルメノミコト)天児屋根命(アメノコヤネミコト)建甕槌命(タケミカズチノミコト)経津主命(フツヌシノミコト)
以上四神合座
 古来より国家鎮護の神として崇敬されている
由緒及び沿革
 創建された年月は不詳であるが春日神社鎮座地連光寺の地名は東鑑の治承5年4月(1177年)に小山田三郎重成に武州多磨郡の内吉富並びに一の宮連光寺等を所領に加えたと記されているので、この頃すでに、村落が形成され村が開けると同時に現在の地に社殿が建造され、大和国奈良に鎮座する春日神社の神霊を移して祀り、本社の盗難約1町に若宮八幡社、西南約3町を隔てて神明社を祀り、境外末社として三社相向合ってあたかも奈良の社に倣っていると古来から伝えられている。
 以来数百年に亘り国家鎮護、五穀豊穣の氏神鎮守として祖先より崇敬集め且つ親しまれて現在に至っている。
 祭礼日 9月29日
 

境内社です

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東京都調布市、深大寺元町「青渭神社のケヤキ」(市指定)です!!

2020-12-28 06:27:45 | 巨樹・大木
深大寺地区は、調布市役所のは北北東約2kmのところ

深大寺植物公園の東側の都道121号線沿いに参道を東向きに青渭神社が鎮座します

鳥居前の参拝者用の駐車場を利用させて頂きました

参道鳥居です

青渭神社(あおいじんじゃ)です

目的のケヤキは鳥居南側の境内に在ります

南東側から

境内南端に天然記念物標柱です

説明版です
 市天然記念物
青渭神社のケヤキ
  所在 調布市深大寺元町5丁目17番10
  指定 昭和47年4月10日
 神社の境内、拝殿の右前方、道路に近く鳥居の横にある。幹は目通りおよそ5.5m、高さ34m、樹齢数百年の老樹であるが、現在なお樹勢旺盛である。
 ケヤキは古名では槻(ツキ)といい、「新編武蔵風土記稿」に「社ノ傍二囲一丈五尺アマリノ槻の老樹アリ」と、また「江戸名所図会」にも「社前槻の老樹あり、数百余霜を経たるものなり」などと見えて、文化文政のころからすでに目立つ巨木であった。
 なおケヤキは武蔵野の防風林として特色を持っている。また社前を「池の谷戸」とよばれ昔は青波をたたえていたという。この附近から主として縄文時代中期の土器が発見され、特に打製石斧が多量に出土したのでその製造所が有ったと推定されるなど、古代人の住居の跡である。
  平成6年3月30日
調布市教育委員会

北西側から、ケヤキはかつての境内面と思われる、玉垣の中に1m程低い所から生じています


青渭神社の由緒書です、ケヤキは神木・大欅となっています

神社説明版です

参道石段を上がります

狛犬です

手水舎です

参道左手にケヤキの大木です

拝殿前から見ました

拝殿です

本殿は覆屋の中です

境内の神輿舎です

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東京都武蔵村山市、榎「三本榎(乙幡榎)、はヒコバエに引き継がれました」(市指定史跡)です!!

2020-12-27 06:36:14 | 遺跡・史跡
榎地区は、武蔵村山市役所のすぐ南東側のところ

都道5号新青梅街道の三本榎信号を都道55号えお南に入ったすぐ右手に公園が有ります

左にも三本榎公園が有ります公園脇に車を止めさせて頂きました



7本のヒコバエが保護されています



三本榎(乙幡榎)の標柱です

むさしむらやま歴史散策東コースです

説明版です
 市指定史跡
  三本榎
昭和51年4月5日指定
 三本榎は、東から奥住榎(水道局用地内)加藤榎(都道東)と、この乙幡榎をあわせて呼んだものです。
 大正時代末期(約60年前)に植え替えられた奥住榎を除いて、樹齢は二百余年と推定されており、その見事な枝ぶりは広く市民に親しまれています。
 昔、腕自慢の若者三人が遠矢(弓)の競争をし、北に見える赤堀の山から放った矢が落ちた場所に榎が植えられ、それぞれの名を付けたという伝説が有ります。
 三本榎の南を東西に走る道路は、引又街道(市街道)と呼ばれていました。この道路は、江戸時代から明治時代にかけて重要な生活道路であったため、三本榎はここを往来する人々の休憩所となっています。
 この乙幡榎の塚にある庚申塔は、寛政11年(1799)に造立されたものです。
  昭和56年7月
 武蔵村山市教育委員会



伐り倒されてしまった経緯がわかります





大きく育ってもらいたいものです


都道の東側のエノキ(?)です、加藤榎でしょうか、樹齢二百年には見えません

根元には三本榎公園の標柱が立っています

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東京都東村山市、隠多町 「万年橋のケヤキ」(市指定)です!!

2020-12-26 06:56:00 | 巨樹・大木
恩多町は、ひがしむらやま市役所の東北東約2kmのところ

運動公園通りと野火止用水の交わる信号の所に、野火止用水を跨ぐ形でケヤキが在ります

運動公園の駐車場に車を止めて来ました


南西側から見た万年橋のケヤキです

北西側から

野火止用水を根が跨いでいるのが解かります

説明版です
 東村山市指定天然記念物
  万年橋のケヤキ
所在地 東村山市恩多町1丁目1番地1先
指定 昭和44年3月1日指定第4号
 野火止用水は承応4年(1655)川越藩主松平伊豆守信綱が、領地である武蔵国新座郡野火止新田(埼玉県新座市)の飲料水として、同国多摩郡小川村(東京都小平市)で玉川上水を分水した用水です。別名伊豆殿堀とも呼ばれます。
 万年橋のケヤキは、この用水岸にあります。用水を掘る時このケヤキが大木であったため、その根の下を堀りすすんだ話や、また用水ができたとき、ケヤキが植えられ、土橋づたいに根が延びた話など色々ありますが、根が向こう岸に達しあたかも橋のようだったことから、万年橋のケヤキの名で、地元に親しまれています。
 平成5年(1993)3月
 東村山市教育委員会

南東側には、観音様の祠です

野火止用水歴史保全地域の説明版です

南側から見ました

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東京都立川市、柴崎「八幡神社の大欅」(市指定)です!!

2020-12-25 06:32:00 | 巨樹・大木
柴崎地区は、立川市役所の西約1.5kmのところ

都道29号線の諏訪神社前信号を北(諏訪神社方向)へ入ります

道路が右に斜めに曲がる所を左(西)へ入った路地の先にケヤキを見る事が出来ます

ケヤキの西側の柴一八幡会公会堂の前に車を止めさせて頂きました



柴一八幡会公会堂です

東側に目的のケヤキです

西側から、北側半分は既に枯れてしまっています

北側の祠です

説明版です
 市指定天然記念物
  八幡神社大欅
所在 立川市柴崎町1丁目7番7号先
指定 昭和30年3月10日
 この大欅は、八幡神社が創建されたといわれる建長4年(1252)当時に植えられたと伝えられています。この大欅の西側を南北に通る道は、八幡神社の参道でした。八幡神社本殿は、この大欅に北約50mの所にありましたが、明治40年(1907)諏訪神社本殿の隣に移築されました。
 昭和30年7月の調査では、周囲6m、高さ28mほどの大きさがありました。しかし、その後、台風の被害などにより、上部の幹が折れ、現在の姿に至っています。立川市最大級の樹木です。
  平成22年1月1日 
立川市教育委員会
 

南東側から

獅子舞待宿の説明版ですが薄くなってしまっています

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東京都昭島市、中神「熊野神社の大イチョウ」(市指定)です!!

2020-12-24 06:30:00 | 巨樹・大木
中神地区は、昭島市役所の東南東約3kmのところ

多摩川の河岸段丘の中段を通る、都道29号線の昭和郵便局の東側から北へ入る道路の先に参道入口の鳥居が有ります、社殿はもう一段上の武蔵野台地面に鎮座します

鳥居前の道路脇に車を止めさせて頂きました

参道入口の鳥居です、先に目的のイチョウが見えています

中神 熊野神社です

大イチョウです

南西側から


天然記念物案内板です
 大公孫樹
昭島市指定天然記念物 昭和36年(1961)6月1日指定
 この大公孫樹は、幹まわり約6.5m、樹齢約400年といわれ、多摩地域でも珍しい大木で、特に其の実は多い年で三石(約500㍑)も採れました。
 熊野神社は、延文5年(1360年)の創建と伝えられ、大公孫樹はその神木としてあがめられています。
昭島市教育委員会


西側から

北西側参道から


参道の急な石段は通行止め(門が閉じられています)になっています
.
東側から見上げました

東側の歩道階段を登ります


段丘斜面にはケヤキの大木が在ります


境内に上がって来ました、手水舎です

狛犬です

拝殿です

本殿は覆屋の中です

文化財案内板です
 中神・熊野神社本殿及び拝殿
昭島市指定有形文化財 平成31年(2019)1月17日指定
 熊野神社は、延文5年(1360)に紀伊国熊野本宮の分霊を勧請し、奉仕したのが起源と伝わる。
 本殿は、江戸時代中期の建造で、覆屋に入り目にすることはできない。土盛りの上に置かれ、形式は寄棟造、切妻妻入向拝付き見世棚造である。この種の見世棚造の形式は神社建築における中世から江戸期に至る古い形式をよく伝える。嘉永5年(1852)の神社再建時に現在地に移されたと思われる。
 拝殿は、間口21尺(6,36m)、奥行き15尺(4,54m)。嘉永5年(1852)に再建したものである。入母屋造で、向拝部分の向拝柱や梁、木鼻などは普請時のままの姿を残している。

説明版です
 中神熊野神社由緒の事
本社 熊野三社 熊野本宮大社 熊野速玉大社 熊野那智大社
祭神 伊弉冉尊 早玉男命 事解男命
神紋 八咫烏
由緒 中神熊野神社は、紀州(和歌山県)の熊野三山を根本社としている。
 熊野三山とは、旧官幣大社熊野坐神社、旧官幣大社熊野速玉神社、旧官幣中社熊野那智神社の三社の事で、世に根本熊野三所権現とも称されている。
 熊野は、奈良期から山岳信仰の霊場として修験道の根拠となっていて、皇族を始め武家、庶民の間に熊野信仰が広まった。
 中神熊野神社の鎮座の年代は詳らかではないが、延文5年(1360)、地元の人が伊勢参りの折り、熊野本具に立寄り分霊を勧進奉斎して、この地に熊野権現を祀ったと口伝に残っている。
摂社 大杉神社 床浦神社 八坂神社 稲荷神社 御嶽神社
  中神熊野神社氏子会

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東京都八王子市、鹿島「大塚明神社のイチョウ」(市指定)です!!

2020-12-23 06:35:00 | 巨樹・大木
鹿島地区は、八王子市役所の東南東約11kmのところ

国道16号線鑓水信号から都道20号野猿街道を東へ

多摩モノレール下の堰場信号を南へ入ると由木東市民センターの北側の公園にイチョウの巨木が在ります

由木東市民センターの駐車場を利用させて頂きました


由木東市民センターです、右に多摩モノレールの高架が見えています

西側から

説明版です
市指定天然記念物
 大塚明神社のイチョウ
所在地 八王子市鹿島112
指定年月日 昭和48年5月24日
 大塚明神社境内の大イチョウは、神木として地元の人々から大切に保存されてきました。
 幹の周囲は7m、高さ約30m、樹齢およそ500年といわれる大木です。四方に枝を張り、乳と呼ばれる大きな気根が多数下がり、古木の風格を示しています。秋に黄金色の葉を落す様はすばらしいものです。
 神明社に残されている最も古い記録は、寛文3年(1663)のもので、それ以前から神社はまつられていたものと思われます。
 なお、神明社は多摩ニュータウンの建設にともない、近くの八幡神社境内に移されています。
   平成8年12月
八王子市教育委員会
*八幡神社は北へ500m程の大塚八幡神社のようです

南側車道から

南側から見上げました、目通り幹囲7.0mの巨木です

東側から


公園北側に石碑が有ります

文面です
 八王子市の天然記念物に指定されているこのイチョウ(公孫樹)は、樹齢およそ五百年ともいわれ、毎年春には樹木全体が若々しく芽吹き、秋深まる頃となると美しい黄葉をみせながら今日まで高くのびた梢の秀麗さを誇り続けてきました。
 また、古くこの地の人々は・・・・れた神明神社の御神木としても崇敬を集めてまいりました。
 このたびこの周辺区域は多摩ニュータウンとして開発され・・・・・読めませんでした
昭和50年3月 吉日
東京都
八王子市

帰り際に、由木東市民センター駐車場入口から見ました

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東京都八王子市、南大沢「八幡神社のオオツクバネガシ」(市指定)です!!

2020-12-22 06:51:00 | 巨樹・大木
南大沢地区は、八王子市役所の南東約9kmのところ

国道16号線相原坂上信号から多摩境通りを東へ、多摩境駅前信号をまた左(北東側)へ、都道158号線です

小山内裏トンネルを貫けて、南大沢二丁目信号を北へ入ります、道なりに左へ曲がると間も無く右(北)側に八幡神社が有ります

鳥居脇の駐車場を利用させて頂きました

12月20日、境内では正月飾りの準備が行なわれて居りましたので、邪魔をしないように写真を数枚撮っただけでした

参道入口の鳥居です

八幡神社です

手水舎です、コロナ対策で使用できなくなっています

拝殿です


本殿覆い屋です


本殿裏側には境内社の祠です


鳥居脇の駐車場の奥側から、社殿面南東端にオオツクバネガシを見上げました

境内側には、天然記念物の表示版も見えましたが、作業の邪魔にならないようにしました

社務所前の通路から見ました

*南大沢のツクバネガシ・・・目通り幹囲5.8mの巨木です、幹には大きな空洞があります、皮一枚残すだけですが「不死身のアカガシ」と呼ばれているそうです


説明版です
 市指定天然記念物
  南大沢のオオツクバネガシ
所在地 八王子市南大沢1丁目262番地
指定年月日 昭和46年4月21日
 この木は、明治13年正月の八幡神社の火災により災禍をうけて枯死してしまったと思われたが、しばらくして再生したので、地元では「不死身のアカガシ」として大切にされていた。樹幹はすっかり空洞化しているが、今なお生気が盛んである。
 当初はアカガシと思われていたが、実際には高尾山中のものを標識樹としたオオツクバネガシで、アカガシとツクバネガシの間種である。
〇ツクバネガシ
 「衝羽根樫」は、正月遊戯の「追い羽根」に使用する羽根に似て、葉が小枝の先に4枚出ていることから名づけられたといわれている。
 平成20年1月31日
 八王子市教育委員会
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東京都青梅市、東青梅「師岡神社のスダジイ」(市指定)です!!

2020-12-21 06:25:00 | 巨樹・大木
今日は冬至です、一年で一番昼の時間の短い日です

ユズ湯につかってのんびりしたいところですが、新型ウイルスの収束が見えないなか、連日の感染者増加のニュースに心配しています

では、今日の投稿です


東青梅地区は、青梅市役所のすぐ東側の地区です

城山通りに光明寺前信号が有ります

光明寺の西側が師岡神社の参道です

光明寺の駐車場を利用させて頂きました



光明寺前信号です

師岡神社への参道は、光明寺のすぐ西側です

参道を進みます

参道右手に水盤です

鳥居です、目的のスダジイは鳥居を覆う様に伸びています

参道鳥居下から見上げました

拝殿前から見上げました


説明版です
市指定天然記念物
 師岡神社のシイ
 関東から西の地方に自生し、各地に巨木が多い。市内にも大木が見られるが、このシイは千ヶ瀬神社の物に次いで大きい。
 一般にシイは防火、防風林として植えられ、材は建築、器具、薪炭材にするほか、シイタケ栽培の原木としても使われている。また実は、食用ともなる。
和名スダジイ ブナ科
幹の太さ530cm
    430cm
昭和56年6月1日指定
青梅市教育委員会


拝殿です

本殿覆い屋です

拝殿脇から見ました

拝殿直ぐ右手にもう一本のスダジイの巨木が在ります、拝殿前側からのみ見る事が出来ます

拝殿右手から見ました

拝殿脇から見あげました

境内社の稲荷社でしょうか

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東京都青梅市、千ヶ瀬「千ヶ瀬神社のシイ(社のシイ)」(市指定)です!!

2020-12-20 06:29:00 | 巨樹・大木
千ヶ瀬地区は、市役所の南側の地区です

青梅市立第二中学校の東側に参道を南向に千ヶ瀬神社が鎮座します


青梅市立第二中学校の東側の通りが参道です

参道入口の鳥居です

村社 千箇瀬神社です

真っ直ぐに北へ進み社殿前に車を止めさせて頂きました

手水舎です

拝殿です


本殿を見る事が出来ます


目的のスダジイは、社殿の東側擁壁の上に在ります

拝殿脇から見あげました

説明版です
 市天然記念物
  社のシイノキ
 千ヶ瀬神社の御神木として古くから伝わるこのシイノキは、市内第一の巨木で現在でも樹勢なお盛んである。樹齢は不明だが、この神社の縁起とともに千年のよわいをけみしているかように、大字千ヶ瀬の象徴でもあろう。
 植物名 ブナ科スダジイ
 幹の太さ 560cm
昭和32年11月3日指定 青梅市教育委員会



細い注連縄の巻かれた、太い幹を見ることが出来ました

境内に在る他のスダジイも見て行きましょう

擁壁下拝殿の右手のスダジイの大木です

根元に御稲荷様が祀られています

境内西側の石段です

境内社です

社殿の西側にも斜めに大きく傾いたスダジイです

社殿脇から見ました



こちらも境内社です

であ、次へ行きましょう
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東京都羽村市、羽加美「阿蘇神社のスダジイ」(都指定)です!!

2020-12-19 06:39:00 | 巨樹・大木
羽加美地区は、羽村市役所の北西約2kmのところ

都道29号奥多摩街道の間坂信号を南へ入ります

案内板に従って道なりに進み西へ入ると多摩川の土手にぶつかります

土手わきに車を止めさせて頂きました

多摩川です

多摩川の土手が表参道です

村社 阿蘇神社です

鳥居です

石段脇の祠は稲荷社のようです

境内に上がると左手に手水舎です

狛犬です

拝殿です

本殿です

本殿の説明版です
東京都指定有形文化財(建造物)
 阿蘇神社本殿
  所在地羽村市羽加美4-6
  指定昭和41年3月31日
 阿蘇神社は多摩川左岸の崖の上に鎮座する旧村社です。社記によれば推古天皇9年(601)の創建と伝えられています。
 その後承平年間(931~938)平将門が造営し、藤原秀郷も造営したといわれています。現存する天文5年(1536)の棟札によれば、勝沼(現・青梅市)に本拠を置いた三田定重が7回目の改修を行ったことが銘記されています。また、現在の本殿は、昭和61年(1986)の解体修理の結果発見された蟇股及び柱下の墨書から、棟札にもある延宝4年(1676)の再建であったことが判明しています。
 本殿の構造及び形式は、軸部柱真々正面4尺8尺寸(1.45m)、側面4尺3寸(1.30m)、一間社流造、杮葺、大棟は箱棟、鬼瓦付、正面及び左右両側は切目縁付、はね高欄の向拝付、脇障子止め、軸部欅材、丸柱、周囲地長押、頭貫、木鼻付、正面幣軸構、小脇坂、両開板戸、側面及び背面板壁、正面木階五級、上り高欄、宝珠柱付浜縁の造りです。
 この本殿は建築年代の明らかな江戸時代初期の神社建築として貴重なものです。現在は覆屋の社殿内に鎮座しています。
平成22年3月 建設
東京都教育委員会

神輿の説明版です


境内端の紅葉が色を付け始めています

目的のスダジイは拝殿の左手に在ります

拝殿の上に樹冠が見えています

文化財の石碑です、阿蘇神社本殿と阿蘇神社のシイのものです


シイの説明版です
 東京都指定天然記念物
  阿蘇神社のシイ
   所在地羽村市羽加美4-6-7阿蘇神社境内
   指定昭和14年3月
 玉川の左岸崖上にある阿蘇神社は、社記によると推古天皇9年(601)の創建と伝えられる古い神社です。
 天然記念物のシイは、その神社社殿の西側の多摩川沿いの石積みで作られた高さ十数mの崖の上にあります。
 樹高18.0m、幹回り6.2m(平成7年調べ)で、姥ヶ淵と呼ばれる多摩川畔に大きく懸崖している大枝が特徴の老樹です。
 平将門を討った藤原秀郷が天慶3年(940)に社殿を造営したときに手植えしたという言い伝えがあります。
平成22年3月建築 東京都教育委員会



南側から

拝殿脇(東側)から

北東側から、注連縄の巻かれた御神木ですね

北側から見ました、回りの木々が多くて見づらいです


本殿左手の境内社です

本殿右手の境内社です

奥には祠が並びます

裏参道へ行って見ました

裏参道入口です

阿蘇神社です

立派な鳥居が有ります、正面の社は阿蘇宮です

こちら側に立派な案内板です、現在はこちら側が主につかわれているようです

直角に曲がると狛犬です

社殿前です

拝殿前まで戻りました

では、次へ行きましょう
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東京都羽村市、羽東「禅林寺と羽村橋のケヤキ」(都指定)です!!

2020-12-18 06:25:00 | 巨樹・大木
羽東地区は、羽村市役所の南約1kmのところ

まずは、禅林寺です、県道29号奥多摩街道の羽村堤入口信号の脇に大ケヤキが在ります、ここを北へ入ると突き当りT字路の手前右に有ります

禅林寺駐車場を利用させて頂きました


西向き参道入口です

臨済宗建長寺派 禅林寺です

本堂です

説明版です
  東谷山禅林寺
 文禄2(1593)年に創建されました。開基は当初島田氏の祖、島田九郎右衛門、開山は鎌倉円覚寺の三伯禅師の弟子春覚禅師です。現在は臨済宗建長寺派に属しています。
 山号は当地の旧名、東ヶ谷戸から、寺名は建長寺の額「天下禅林」からと伝えられています。本尊はの如意輪観音、境内に天明義挙の碑、墓地に「大菩薩峠」の著者中里介山の墓があります。
 本堂は昭和33(1858)年、庫裏は天保年間(1831~1845)の建築です。山門は文久2(1862)年に建てられたもので、天井には桃門玄鯉禅師の作と伝わる龍が描かれ、「雨乞龍」と呼ばれています。
平成30年3月 羽村市教育委員会



鐘楼です

では、羽村堤のケヤキを見に行きましょう


都道29号奥多摩街道の羽村堤入口交差点です

交差点東側に目的のケヤキです

説明版です
 東京都指定天然記念物
   羽村橋のケヤキ
所在地羽村市羽東3の18の1
指定昭和40年11月16日
 「羽村橋のケヤキ」は、玉川上水羽村橋北側の奥多摩街道に面して位置し、今も樹勢旺盛な大樹です。
 幹周りが約7.2m。樹高が約25mで、樹齢は400年とも600年ともいわれ、ちょうど段丘の崖直下にたっています。段丘崖は湧水に富み、このケヤキの樹下にもかつては豊富な水が湧きだし、樹木の生長を助けたと考えられます。
 根元の北側は崖上に、南側は崖下に扇状に根が広がっています。
 幹は直立して崖下から4mのところで南西に一枝を出し、その上約1mの辺りから大枝に別れ、下部の小枝が垂れています。
 樹枝全体が鞠状をなした樹容は壮観んで、都内有数のケヤキの名木です。
平成23年3月 建設
東京都教育委員会


南西側から

歩道橋に上がって見下ろしました

歩道橋の道路反対側から

すこし下の所から見ました

住所表示は 羽東3丁目18です

では、次へ行きましょう
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東京都あきる野市、小川「熊野神社のケヤキ」(市指定)です!!

2020-12-17 06:33:00 | 巨樹・大木
小川地区は、あきる野市役所の東南東約3kmのところ

都道7号五日市街道小川信号の北西側に、都道に面して熊野神社が鎮座します

神社裏側の道路脇に車を止めさせて頂きました




参道入口です

熊野神社です

参道の鳥居です

参道左手の境内社です

八雲神社です

熊野神社拝殿です



本殿です


拝殿の西側に目的の大ケヤキです

南東側から見上げました


説明版です
あきる野市指定文化財(天然記念物)
 熊野神社のケヤキ 1本
所在地 あきる野市小川639番地
指定 昭和50年11月3日
 ケヤキは本州から九州の山地に多く分布するニレ科の落葉高木です。
 このケヤキは樹高が約19mあり、地面から1.5mの高さで幹周りは6.9mと非常に太く、堂々とした姿をしています。
 過去に幹の内部から失火し、消化放水のために一部を損傷していますが、今も神社の御神木として祭られていて、大切に保護されています。
平成13年9月1日設置
あきる野市教育委員会



社殿脇から見上げました

西側道路から

北西側道路から

社殿東側のケヤキの大木です

近付いて見上げました

こちらは市の名木・巨木百選の保存樹木です

では、次へ行きましょう
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