ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

奈良県桜井市、初瀬「真言宗豊山派総本山 長谷寺」(国宝・重要文化財)です!!

2021-08-31 06:28:32 | 文化財・寺社
大阪から奈良へ、近鉄大阪線急行で向かいます

長谷寺駅は、桜井駅から二つ目です


近鉄大阪線長谷寺駅です

駅前に「総本山 長谷寺」の石柱です

案内図が有りますので確認します
  花の御寺 西国三十三観音霊場第八番
 長谷寺は山号を豊山と称し、西国三十三観音霊場の第八番札所 真言宗豊山派の総本山です。
 この地は古代より「こもりくの泊瀬(はつせ)」と呼ばれ、周囲を山々に囲まれた聖地であり、道明上人と徳道上人によって長谷寺が開かれました。以来、観音信仰の根本霊場として多くの参詣を集めています。
 また「花の御寺」と呼ばれるように桜、牡丹、紫陽花、紅葉など四季折々の風情を楽しむことができます。 

駅前の門から長い石段を下ります

もうすぐ石段が終わります

国道166号線初瀬信号を超えます

案内板です、長谷寺は右です

商店街(門前町)を抜けていくようです

長谷寺は左となっています、これは車用の案内です、歩行者は真っ直ぐに門前町を進みます

長谷寺入口です

総本山長谷寺です

参道右手の不動堂です、軒下の額には「大聖不動明王」の文字が見えます(大阪府北区法楽寺にも同じ大聖不動明王がありましたね)

説明版です
  普門院不動堂
本尊 重要文化財(旧甲種国宝)興教大師一刀禮御作 藤原時代(平安後期)
  不動明王坐像
御法量 身長坐 二尺七寸  光背面四尺三寸五分 壱座高(瑟々座)一尺五寸二分
 當堂安置の不動明王は、今を去ること凡そ850年前、鳥羽上皇の御叡信を受け高野山金剛峰寺の座主を去り、更に紀伊国岩手庄に根来山大傳法院を創立して、真言宗新義派・豊山派並びに智山派の宗祖と仰がれる興教大師覚鑁上人が信貴山毘沙門天に集籠・・その御・菩を・つて御衣木感得し一刀を禮して刻・・・・像・・ます。
 永く三輪山坐大神神社・供僧寺ある平・寺紀・・来たのでありますが、明治維新の廃仏毀釈の・・つて平等寺が廃寺となったので一時・・・・山・・・に移されましたが當時普門院住職であった丸山貫・・を懇望し檀信徒據出の浄財金・拾圓を同寺に納め、明治8年當堂本尊として迎えました。
 稀代の名作として明治41年4月甲種国宝に指定されましたが、昭和25年文化財保護法の制定に伴って稱・が改まって今日に至っています。
 不動明王は大日如来の教令輪・として分・・の姿・・・・れますが内被慈悲外現忿怒・佛の教・・・・生をあわれむ御心の現われであります
 右手の宝剣は三毒の・障・・・・・・・げとなる貪(むさぼる)瞋(いかる)・・・・・・・なかなか薄く成って読めないところが多くなってしまいました

手水舎です


長谷寺略縁起です
  長谷寺略縁起
 当山は朱鳥元年(西暦686年)天武天皇の御願ににより道明上人によって創建され、それより50年の後、徳道上人が聖武天皇の勅願をうけ、楠の霊木をもって十一面観世音菩薩の尊像を造立し、大伽藍を建立してお祀りになりました。
 ご本尊は御身丈三丈三尺(10m余)右手に錫杖を持ち、大磐石の上に立つお姿で、霊験あらたかなことはつとに有名であり、古典文学の代表である源氏物語や枕草子などにも「初瀬詣」として語られています。
 また長谷観音の信仰は全国に広まり、ご分身を奉祀する寺院は鎌倉の長谷寺など百数十ヶ寺を数えます。
 花山法皇は当山に深く帰依され「いくたびも まいる心は はつせ寺 山も誓いも 深き谷川」と一首を詠んでたたえられました。
 観音の慈悲、伽藍の荘厳、加えて春の桜、初夏の牡丹など四季おりおりの美しさはいずれも天下の景勝地にふさわしく、万葉の昔から「隠国の初瀬」として歌枕の地にもなりました。
 さらに西国三十三観音霊場の第八番札所であり、また末寺三千余、檀信徒二百万を有する真言宗豊山派の総本山であります。
      総本山 長谷寺

境内案内図です、参拝入山受付で参拝料を払って入ります

山門の仁王門です

登廊です399段あるそうです、ゆるく登って行きます(真夏の気温が高い中だったので汗だくで登りました)

登廊の曲がり角外側に手水が有ります

登廊曲がり角の内側に天狗杉です、梢の先は見えません

次の突き当り正面に「紀貫之故里の梅」です

右手に蔵王堂です

登廊はもう少し続きます

本堂前に上がって来ました

境内社です、左から馬頭夫人宮・八幡宮・住吉宮です

本堂入口左に三百餘社です

本堂入口先には愛染堂です

では、本堂へ上がります

まずは、舞台に

長谷の舞台です


舞台からの眺めです

東側には五重塔です


本堂側です、身長10m余の大きな金色の十一面観世音菩薩の本尊様は撮影禁止です

時の貝の説明版です

本堂にくっついて曽我地蔵尊です

本堂脇の大黒天です、狛犬の代わりに打出の小槌と袋です

御影堂の方へ行きます

弘法大師御影堂です

石段の上には一切経堂です

本長谷寺です

五重塔です

南側から



三重塔跡です


能化墓所です

六っつの墓が古いもののようです

説明版です
  


陀羅巳堂です

石段を下ります

本坊へ行きます、参道両側には牡丹の苗が植えられています

開伽井です、重要な儀式法要に使う水を汲む井戸です

本坊の門です

本坊が見えて来ました

本坊です

説明版です
 重要文化財 長谷寺本坊 八棟

ようやく受付前に下りて来ました

では、次へ行きましょう
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大阪府大阪市、住吉区山坂「法楽寺のくす」(府指定)です!!

2021-08-30 06:20:00 | 巨樹・大木
百舌鳥八幡宮からJR阪和線百舌鳥駅へ、大阪市内へ戻る各駅停車の電車に乗って8ッつ目の南田辺駅で降りました

南田辺駅東口を出て、自転車置き場を抜けて北へ進みます、駅北側の通りを東へ進むと間も無く土塀の内側にクスノキの大木が見えて来ます

法楽寺は南向き参道、立派な山門が有ります




南田辺駅東口です


駅の北側の道路を東へ進むと

法楽寺入口山門です

小松院法楽寺です、大聖不動明王が本尊ですね

田辺不動尊とよばれています

境内説明版です、目的のクスノキは境内右手に在るようです
  略縁起
 法楽寺の創建は治承二年(1178年)、平家の棟梁小松内大臣 平重盛公によりお堂が建立されました
 源義朝公の念持仏、如意輪観世音菩薩を祀り、怨親平等(絶対平等の慈悲の心)で平家・源氏の菩提を祀ることでした。
 その為に、宋国 阿育王寺に黄金三千両(陸前高田産出:岩手県)を施し結縁を求めました。阿育王寺仏照律師は重盛公の篤志に応えて印度渡来の二顆の仏舎利を重盛公に贈られました。(平家物語に記述が有ります)
 元亀二年(1571年)秋、信長の兵火(河内攻め)により堂舎等焼失、荒廃、その後永きに渡り無住の時代(140年)が続きましたが、正徳元年(1711年)高徳の僧、洪善普摂和上が普山和歌山の雑賀衆の帰依を受け大和大宇陀の松山藩織田家の殿舎を移築し、お寺の再興に尽力しました。今日の山門・本堂はその時の建物です。
 その後、洪善普摂律師,、忍綱貞紀和上と碩徳の住職が続きそのお弟子の慈雲飲光律師は「日本の小釈迦」と称され、また尊者と慕われた学徳兼備な高僧でした。
 以来300年、脈々と法灯は護持され今日を迎えています。



境内に入ると正面に三重塔です

南西側から

左手に手水舎です

手水舎の脇のクスノキの大木です

保存樹標識です

参道左手の大師堂です

本堂は正面です

三重塔北西側に鶏です

三重塔北側にお地蔵様です


本堂です

本堂前のびんずる尊者の像です

右手に鐘楼です

参道から目的のクスノキを見ました

西側からお不動様越えに目的のクスノキです

北西向きにお稲荷様です

二宮金次郎・・・

南東側から・・・なぜか天狗面が

南西側から

根元に天然記念物表示板です

鐘楼の東側に境内社です

では、次へ行きましょう
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大阪府堺市、北区百舌鳥赤畑「百舌鳥八幡宮のクス」(府指定)です!!

2021-08-29 06:21:46 | 巨樹・大木
北区百舌鳥赤畑地区は、堺市役所の南東約3kmのところ

南海電鉄中百舌鳥駅南口を出て「百舌鳥のくす」を見て、南西へ進みます

国道310号線を超えて府道28号大阪高石線を南へ進みます

百舌鳥八幡前信号を右(北西方向)へ府道197号線です、次の信号の先右に百舌鳥八幡宮の参道が出ています

参道入口の大きな石鳥居です

百舌鳥八幡宮です

クスノキの並木の参道です

参道右側に目立つクスノキが在りました


保存樹木標柱です

間も無く境内です

石段手前右側にお稲荷様です

そばにはクロガネモチの大木です

保存樹木になっています

境内入口の鳥居です

狛犬です

手水舎ですが、目的のクスノキはすぐ後ろに在ります

拝殿です

本殿です

説明版です
  百舌鳥八幡宮
 御祭神は応神天皇で、神功皇后、仲哀天皇を配祀しています。
 社伝によれば、神功皇后が外征の帰途,この地において幾万代まで天下泰平を祈願されたことにより、当地を万代(もず)と称し、神社を創建してお祀りされたと伝えられています。
 平安時代末期には、当社が石清水八幡宮の別宮となっていました。南北朝時代には。深勝親王の参籠や大内義弘のk維新、江戸時代には堺奉行の参向など、古くより公武の崇敬がありました。現在も。厄除開運として多くの参拝客が訪れます。
 現在の社殿は、本殿が享保11年(1726)、拝殿が文政13年(1830)の建立で、昭和46年に修復されました。社前の大楠は樹齢約800年で、大阪府の天然記念物に指定されています。中秋の名月の頃に、大小17基のふとん太鼓が繰り出す勇壮な月見祭が有名です。


拝殿の前にももう一対の狛犬です

西側から


拝殿前からクスノキを見ました

説明版です
 大阪府指定天然記念物
  百舌鳥八幡宮のくす
指定年月日 昭和45年2月20日
胸高直径 約1.8m
幹周 約5.2m
樹高 約25m
樹令 約七百~八百年
 くすのきは暖かい地方に多い常緑樹で、独特の芳香を生じ、しばしば大木に育つこともあって、市内の社寺や旧家の庭には、多くのくすの大木があります。
 なかでもこのくすは、枝張り、葉付ともにすばらしく、屈指の樹勢を誇っています。
 空を覆うばかりに四方に伸びた幹枝やそれを大地でしっかり支える根は生命力にあふれ、歴史の移り変わりを年輪に刻みながら育つその姿は、人々の信仰をあつめています。
  平成3年3月
 大阪府教育委員会
 堺市教育委員会


大きな看板が立掛けられています・・・

東側から

南側から

社殿の西側の若宮社です

では、次はJR阪和線百舌鳥駅から南田辺駅へ電車で行きましょう
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大阪府堺市、北区中百舌鳥「百舌鳥のクス」(府指定)です!!

2021-08-28 06:35:00 | 巨樹・大木
 中百舌鳥地区は、堺市役所の南東約3kmのところ
 世界遺産百舌鳥・古市古墳群の西側の百舌鳥古墳群エリアです、最大の古墳、仁徳天皇陵を始めとする多数の古墳が見られます(南海電鉄高野線堺東駅西口の堺市役所の展望ロビーは新型コロナ対策で閉鎖中でした)、仁徳天皇陵は大きすぎて単なる森です、駅でもらったパンフレットでお腹いっぱいです

今回は電車移動です

南海電鉄高野線中百舌鳥駅南口を出て、前の通りを西に向かいます

T字路を左へ道路が下り坂になる所に「デイサービスくすのき」が有ります手前を右へ、間もなく左に古墳が有ります

御廟表塚古墳の東側住宅の門の前に目的のクスノキが在ります


中百舌鳥駅南口です

百舌鳥古墳群周遊コースの案内標柱です

目的のクスノキは御廟表塚古墳の前に在るようです


デイケアくすのき脇にもクスノキの大木が在ります

西高野街道の石柱です

すぐ脇の駐車場の奥(南側)に大きなクスノキが見えます

近付くと

こちらは堺市保存樹木のクスです

筒井邸の屋敷林案内板です



目的のクスノキはすぐ左に在りました

西側から

北西側から

説明版です
 大阪府指定天然記念物
   百舌鳥のくす
指定年月日 昭和45年2月20日
胸高径 2.7m
幹周 10.1m
樹高 13.0m
 どっしりとした太い幹を大地に根ざし、広く空を覆った百舌鳥のくすは、この地が開墾された江戸時代のはじめ頃から、雨乞いの効験あらたかな霊木として祀られてきました。
 くすの木は日本でも南部のあたたかい地方に多く生育する常緑樹で、市内ではしばしば社寺や旧家などでその大木を目にすることができます。なかでもこのくすは、樹齢が800年とも1000年ともいわれ堺屈指の巨木として知られています。
 厚い樹皮に覆われ、洞の大きくあいた幹などのその神秘的な姿は、今なお人々に親しまれ、眼下に流れる歴史の移り変わりをいつまでも見守りつづけたいます。
 平成4年3月
   大阪府教育委員会
   堺市教育委員会


北側(筒井邸門前)から


南側から見ると、大きな洞に合っています幹のほとんどが無く成ってしまっています

御廟表塚古墳です

史跡標柱です

説明版です
  御廟表塚古墳
時代 5世紀後半
古墳の形 帆立貝形前方後円墳
古墳の規模 墳丘長84.8m、後円部径67.6m、後円部高8m、前方部幅32m
国史跡 2014年3月16日指定
史跡名称 百舌鳥古墳群
 御廟表塚古墳は、百舌鳥古墳群の東部にあたる。百舌鳥川を見下ろす大地の辺縁部に築かれています。現状では前方部が失われているため円墳のようにも見えますが、本来は前方部を西に向けた帆立貝形の前方後円墳です。
 これまでの発掘調査で、墳丘の周囲には濠が巡ること、墳丘の平坦面には礫が敷かれ小形の円筒埴輪が密に並ぶこと、斜面には葺石が施されていることがわかっています。埋葬施設や副葬品の内容は不明です。


南東側から見ました

では、次は百舌鳥八幡宮へ行きましょう
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大阪府堺市、堺区三国ヶ丘「方違神社のクロガネモチ」

2021-08-27 06:21:00 | 巨樹・大木
 堺区三国ヶ丘地区は、堺市役所の北東約1.5kmのところ

 南海電鉄高野線堺東駅北東口から北への通路を進みます、北側の道路に出て東へ進むと、方違神社が北西向参道で鎮座します
 

堺東駅北西口から出た通路から駅を見ました


北側の道路に出て来ました、右(東)へ案内に従って進みましょう

長尾街道です

方違神社参道入口です

手水舎です

説明版です



社殿です

本殿を北側から

境内のクスノキです

西側から

南側から

保存樹木です

境内南端に藤棚が有りますフジの大木です


境内南側には「反正天皇陵古墳」です、詳しくは後ほど

社殿の北側へ回ります

社務所北側の境内社です

通路奥にも境内社が並んでいます



稲荷神社です


本殿北側の大楠神社です


南側から大クスを見上げました




参道を出て更に東へ

けやき通りを南へ進みます

先の歩道上に太い幹が見えて来ました

目的のクロガネモチです

東側から

南側から

保存樹木標柱です

説明版です
方違神社のクロガネモチ

では、堺東駅まで戻ります

南側から反正(はんぜい)天皇陵古墳前方部です、方違神社境内からは後円部が見えていました

説明版です



宮内省の陵墓参考地です

間も無く堺東駅です、次へ行きましょう

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長野県長野市、七二会守田乙「七二会守田神社の神木」(市指定)です!!

2021-08-26 06:26:00 | 巨樹・大木
 七二会守田乙地区は、長野市役所の西南西約10kmのところ

 国道19号線を西へ(犬戻トンネルの西詰めが土砂崩れの為片側交互通行した),明治橋を渡って間もなく瀬脇信号を右(北)へ入ります、道なりに登って集落がまばらになったところを左斜めに下ると正面に守田神社が南向に鎮座します

 参道入口の道路脇に車を止めさせて頂きました


参道入口です

延喜式内 縣社 守田神社です

手水舎です

説明石碑です
 延喜式内元県社
  守田神社
 本社祭神守達神は建御名方命の御子神にして当水内県の開拓の祖神として奉斎せしに創り、既に天平巳年荘厳なる社殿を造営して神徳四国に遍照す。
 貞観元年12月14日従五位下を授けられ其の后度々の奉授を得て従四位下に至る。
 弘安元年社地崩壊のため現地に遷座。中葉以来国中武将の崇敬浅からず延徳3年春日大膳大夫惟久所領21ヶ村の総鎮守と定め社殿再建。
 春日常陸守貞徳下祖山に神田を定め、上杉景勝名刀を献進。大久保石見守社領寄進。松代城主祈願社として社領、禁制、社参、代参等崇敬の誠を捧げられ、文化9年正一位に神階を進められ、明治6年郷社に、昭和9年県社に列す。
 今茲に延喜式撰上壱千五十年を記念して建碑の企あり。其の由緒を記して千古に伝ふ。
   昭和53年極月吉日    諏訪大社宮司 三輪磐根謹書


参道左にケヤキの大木です


参道奥側から


参道を進むと参道の両側に杉の大木が在ります

参道左側のスギです



右側のスギです

天然記念物標柱です

説明版です
   七二会守田神社の神木(スギ二本)
  長野市指定天然記念物 昭和60年2月9日指定
  所在地 長野市七二会字守田乙2769-1番地
  所有者 守田神社
 この神木は、鳥居より北20mの参道両脇に、8.5mの間隔をおいて、並び立つスギで、その大きさは東側のもの目通り幹囲4.6m、西側のもの4.64mで、高さはいずれも約40mにおよんでいる。
 西側のスギには、昭和32年に落雷があって、一条の傷あとがあるほかは二本共樹勢は盛んである。
 当市において指定されたスギの箇木の中では、昭和47年に市指定天然記念物となった、芋井向台の皇足穂命神社の大スギに次ぐ巨樹で、古来から地域住民の信仰篤い神社の神木として、手厚く保護されてきた名木である。
 境内にはスギが多くその純度は高いが、中でもこの二本hあきわだって大きなものである。
  昭和62年3月 長野市教育委員会

右のスギを参道(西側)から

左のスギを参道上側から

境内参道から二本のスギを見ました、大きな注連縄が懸けられています



拝殿です

本殿です

拝殿前から二本のスギを見ました

境内南端の建物は舞殿ですね


境内西側の境内社です

では、次へ行きましょう
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長野県長野市、中条日下野「臥雲院、臥雲の三本杉」(市指定)です

2021-08-25 06:35:29 | 巨樹・大木
 中条日下野地区は、長野市役所の西約12kmのところ

 国道19号線を西へ(犬戻トンネルの西詰めが土砂崩れの為片側交互通行した),笹平トンネル東信号から県道31号長野大町線を南へ入ります県道は国道19号の旧道です、笹平で斜め右へトンネル道路を避けるようにトンネルの上を越えています、3km程進んで県道452号古屋敷境の沢線を北へ、坂道を延々と登ります、標高500mを越えて梅木鉱泉を過ぎて県道401号小川長野線を東に向かいますが、すぐに県道をそれて北東へ向かいます、臥雲院の案内板が出ていますので案内に従って進みます

(大内山神社の日下野のスギを見てから臥雲の三本杉へ向かいます)

参道入口の道路脇に車を止めさせて頂きました


途中の県道脇に「中条村名所旧跡案内図」が有ります、目的の2か所のスギが案内図右上に載っています、まだまだですね


「石原」の案内板です、臥雲院まで600mです

臥雲院が見えました


臥雲院参道入口です

左手に目的の「臥雲の三本杉」です

臥雲院石柱のすぐ左手に在ります

南南東から

天然記念物標柱です

説明版です
  長野市指定天然記念物
   昭和55年5月1日指定
名称 卧雲の三本スギ
所有者 中条卧雲院
指定理由
 この杉は地上3mのところで分岐して三幹となるが、ここで周囲約11mを有し,中央の幹は周囲4.5m、長さ39m余ある。他の二幹はこれに及ばないが村内屈指の大杉である。
 かつて上方約180mの地にあったが、弘化4年(1847)3月24日の大地震に大地と共に滑り落ちたもので、45度に傾いているのはそのためである。
 樹齢は明らかでないが、600年かと推定される大杉で、希有の大震災の史実を物語るものとしても貴重な天然記念物である。
  長野市教育委員会

東側から

北側から

参道石段前から

参道石段です

山門です

六地蔵さまです

左側には石塔や石像が並びます

境内右手には「鎮守堂」です

鐘楼です

手水舎です

寺伝説明版です
  曹洞宗 眠月山臥雲院の歴史
 史実によると大同年間(806~809年)天台宗普済寺が開創され、370年位を経て、寿永年間に一時衰微し、後、源頼朝公の力により建久8年に再建された実に臥雲院の前身であるといわれている。
 その後、鎌倉五山の一つ、建長寺の雷峯妙霖禅師は、ここ日里の山中に於て霊感を得、その地に七堂伽藍を建立、臨済宗眠月山雲上寺臥雲院を開基された。その時〔1328年〕であった。
 時移り応仁の乱、川中島合戦等打ち続く戦乱の中から各地の寺院は戦火に遭う等衰微しつつあった、たまたまこの地の豪族萩野〔現在の笹平〕城主、春日大膳太夫景政、同修理太夫影秀父子は臥雲院の荒廃を憂い、仁科郡駒沢村〔現在の大町市平区〕神龍山大沢寺の八世南室寿頓を請して臥雲院の始祖とし、臥雲院中興の始祖とし、臨済宗を曹洞宗に改め、七堂伽藍を再建二十貫の地を景政公等より寄進されその再興をはかった。
 眠月山臥雲院は、この時より大沢寺東末山〔臥雲院、性乗寺、大安寺、明松寺〕の筆頭として今日の臥雲院の基が定まったのである。時に永禄元年8月(1558年)であった。
 以来歴代名僧が輩出し順次、久昌寺、正泉寺、西福寺、普済寺、五岺寺の五末寺が開創され、年々隆昌の一途を辿ったのである。
 その後宝暦5年〔1755年〕2月10日火災起り総門を除く諸堂を焼失、その再建は天保年間〔1830~1843年〕に完成した。
 弘化4年〔1847年〕3月24日夜善光寺大地震起り裏山が崩落完成間もない七堂伽藍はこれと同時に出火し炎を吹きながら4丁余渓間に転落埋没した、これより檀信徒は一丸となって再建をはかり、翌嘉永元年〔1850年〕本堂を、明治20年〔1887年〕衆寮を、また明治23年〔1890年〕鐘楼堂を再建往時の大伽藍を悉く再建して、西山中随一の偉容を見るに至ったのである。
 第二次世界大戦による鐘の供出、終戦後これを再鋳、檀徒の菩提寺護持の信力が結集この大伽藍が護られて来たが、いずれも100年以上を経て老朽化したので、26世賢眞頼光和尚、大改修を発願、昭和56年より3ヶ年計画により本堂庫裏大屋根等の大改修事業を計画、全檀信徒の多額の浄財を得て、昭和の大改修・平成の大改修を経て山内を一新,平成9年10月に竣工した。



大師堂です

信濃新四国札所としての由緒説明版です




本堂です

モザイク画です

境内端から「臥雲の三本杉」を見下ろしました

では、次へ行きましょう
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長野県長野市、中条日下野「大内山神社、日下野のスギ」(県指定)です!!

2021-08-24 06:40:00 | 巨樹・大木
中条日下野(くさがの)大内地区は、長野市役所の西約13kmのところ

国道19号線を西へ(犬戻トンネルの西詰めが土砂崩れの為片側交互通行した),笹平トンネル東信号から県道31号長野大町線を南へ入ります県道は国道19号の旧道です、笹平で斜め右へトンネル道路を避けるようにトンネルの上を越えています、 3km程進んで県道452号古屋敷境の沢線を北へ、坂道を延々と登ります、標高500mを越えて梅木鉱泉を過ぎて県道401号小川長野線を東に向かいますがすぐに県道をそれて北東へ向かいます、間もなく大内集落です、集落の上に大内山神社が南向きに鎮座します

参道入口の道路脇に車を止めさせて頂きました


途中の県道脇に「中条村名所旧跡案内図」が有ります、目的の2か所のスギが案内図右上に載っています、まだまだですね

案内板が有ります、大内山神社入口です

坂道を上ります

石段の参道です、鳥居も見えています、杉並木の参道を登るようです

鳥居を潜ると石段が無く成って

杉並木の右手(東)側に参道が付けられています、社殿が見えて来ます

目的のスギを参道曲がり角から見上げました

境内に上がって来ました、社殿です

社殿の右手に大杉です

天然記念物標柱です

説明版です
 長野県指定天然記念物
  日下野のスギ
 昭和37年7月12日指定
 この木は樹形の整ったスギの巨木として、県内でも優れたものの一つである。目通り幹周りは、11.4mであり、4m上方で大小二幹に分岐し、いずれもまっすぐに立って、高さは40mに達し、樹勢も盛んである。
 通称「神代杉」と呼ばれ、樹齢は1300年とも2000年とも云われているが、不明である。
 スギはスギ科スギ属で、東南アジアただ一種自生しているというが、中国の一部に産するほか、ほとんどが日本特産である。本州・四国・九州各地によく育ち、名木・老樹・巨木と伝えられるものも多い。
 国の天然記念物に指定されているものは、全国で四十件余あり、県内では、下伊那郡羽根村の「月瀬の大スギ」がある。長野県指定天然記念物には、飯田市の「立石の雄スギ雌スギ」や小谷村の「石原白山神社のスギ」があり、日下野地区には市指定天然記念物「臥雲の三本杉」もある。
 平成28年3月31日
 長野市教育委員会
(月瀬の大スギ
 立石の雄スギ雌スギ
 石原白山神社のスギ

臥雲の三本スギへは、次に行きます、明日の紹介です

南側から

南東側から

西側(社殿前)から

北側(社殿脇)から

庚申塔などの石塔が並びます

境内社の祠は一つだけ確認できました

では、臥雲の三本スギへ行きましょう
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長野県小川村、瀬戸川沢之宮「小川神社 沢の宮の大杉」(村指定)です!!

2021-08-23 06:50:00 | 巨樹・大木
瀬戸川沢之宮地区は、小川村役場の北西約6kmのところ

 役場前から県道36号小川アルプスラインを西へ、県道31号長野大町線に出て土尻川を二度目に渡った橋の先を右(北)へすぐに製材所のところを左斜めに瀬戸川に沿って進み次の集落で左に小川川の谷へ入って行きます、人家が途切れて林道状の道路(舗装されています)を約3km進むと小川神社前に出ました

手前の玉垣脇に車を止めさせて頂きました



ようやく神社の建物が見えて来ます(車のフロントガラスが汚れていますね~

南向参道入口です、トチノキの大木が幹を伸ばしています

参道入口の鳥居です

式内社 小川神社です

水盤です

狛犬です

拝殿です

本殿覆い屋です

由緒石碑です
  村指定文化財
 延喜式内 小川神社
祭神 建御名方命
 由緒 当社は「延喜式」神名帳(907)に記載さる水内郡式内社9社の一つなり、当地草創は不詳なるも1461年(寛正2)9月古山城主小川左衛門により再建、現在に至る。
1、本殿
 流造、こけら葺、側面の木割、開口1間1尺、奥行1間、1971年(昭和46年)指定
1、大杉
 樹高 目測 45m
 周囲 7.5m(根周り)
 1979年(昭和54年)
  小川村教育委員会

境内左手の建物(舞殿)脇に目的の大杉です

南東側から

南側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

社殿右手の境内社です

では、次へ行きましょう
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長野県長野市、大岡丙「豊葦原神社芦ノ尻の大ケヤキとエノキ」(市指定)です!!

2021-08-22 06:36:47 | 巨樹・大木
 大岡丙地区は、長野市役所の南西約29kmのところ、

 かつての信州新町で長野市の南西端ですが、𣘹原山(たららやま1392m)の西側の標高が600m以上の山の中に芦ノ尻集落が有ります

 国道19号線川口信号から県道395号線で山の上を目指します、やがて県道12号アルプス展望線を進みます、芦ノ尻集落入口で右に入ると消防屯所の下の段に、豊葦原神社が鎮座します、芦ノ尻地区センターが境内に有ります。

 境内に車を止める事が出来ました


芦ノ尻地区センターの建物です、前庭はゲートボール場になっています

境内を南東側参道から見ました

鳥居です、一段下がったかつての参道側に立って居ます

境内に上がります、社殿の左に目的の大ケヤキとエノキが並んでいます

社殿です

大ケヤキです

説明版です
  天然記念物 大ケヤキ
  天然記念物 エノキ
 長野市指定 
  平成19年3月15日指定
大ケヤキ ニレ科 ケヤキ属 ケヤキ
 樹齢 推定400年
 樹高27m
 枝張り 南北36m、東西32m
 胸高直径2.2m(幹囲6.9m)
 豊葦原神社の境内に生育し樹勢も良く、地上20mで二本の大枝に分かれている。
 落雷、台風などによる損傷はない。
 昭和16年に県のみなし天然記念物として報告された時は、夫婦ケヤキであった。
 戦後、右側の大きいケヤキが風害で倒れ、昭和40年4月1日県指定文化財としての効力を失った。
 この度改めて、市の文化財として指定された。
エノキ ニレ科 エノキ属 エノキ
 樹齢推定300年
 樹高25m
 枝張り 南北20m、東西20m
 胸高直径0.8m(幹囲2.5m)
 伸張する枝が隣接するケヤキに妨げられているが、枯れ枝もなく樹勢は良好で、市内ではこの木以上のエノキの大木は希有である。
  平成19年12月20日
   長野市教育委員会

西側から

北側から

北西側から

すぐ左側のエノキです

南側から


斜面に祠が並びます

では、次へ行きましょう

 
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長野県小川村、小根山「小根山の杉の大木」(村指定)です!!

2021-08-21 06:26:00 | 巨樹・大木
 小根山地区は、小川村役場の西約2kmのところ

 県道31号長野大町線を西へ、小根山集落を左に見て左カーブを曲がり切った所で右の擁壁の上に杉の巨木が在ります

 かつての小根山保育園の敷地です、右に入って坂道を上って園庭に車を止めることが出来ました


旧小根山保育園の建物です

園庭の北の端に目的のスギが在ります


南側から

天然記念物標柱です

小根山分校百年記念碑です

南西側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

西側から

北西側幹を見上げました

では、次へ行きましょう
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新型コロナ対策ワクチン接種(一回目)です!!

2021-08-20 12:41:00 | Weblog
8月13日に、一回目のワクチン接種を済ませて来ましたよ

7月14日からインターネットでの受け付けでしたが・・・

近くの病院・医院・市役所の会場などすでにイッパイです・・・・

で、ちょっと遠いのでですが、予約が取れたのが8月13日の接種でした

自動的に二回目も予約が入ります、二回目は9月3日です

市指定の病院へ午後1寺半に、駐車場で数分待って病院内へ

受付に問診票と身分証明の免許証を出して受付完了

すぐにお医者様の問診を受けて、すぐに隣のブースでファイザー社のワクチン接種しました

終わって、ロビーで15分間の様子見です

異常なく時間が経過して、病院を出ました

自宅に帰って、運動しないようにしながら時間を過ごします
      ・
      ・
      ・
で実際、傷みが引くまで約36時間かかりました(会社から三連休頂けたので安心していました)

二回目は、熱が出るかもしれないので、鎮痛解熱剤を用意しておきたいと思います

又ね~
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長野県筑北村、坂北中通「中村神明宮大欅」(村指定)です!!

2021-08-18 06:15:00 | 巨樹・大木
坂北中通地区は、筑北村役場の南東約1kmのところ

 国道403号線の六エ信号を東へ県道467号坂北(停)線です、JR篠ノ井線の高架を潜って直ぐを右(南)へ、道なりに進むと、図書館前のT字路を右(南)へ、直ぐ先の山清酒造の先を左(東)へ坂道を上って行くと、左手に神明宮が南向きに鎮座します

前の道路脇に車を止めさせて頂きました(境内には電気工事の車が止まっていました)

大きな長屋門の手前に神明宮の境内が有ります


神明宮境内入口です

社殿です、社殿の後に目的のケヤキが見えます

社殿左側(西側)の境内社です

天然記念物標柱です

南側からは、下草でケヤキの幹が分からいません

社殿脇から見上げました

社殿の東側を回って社殿北側から見ました、目通り幹囲8.0mの巨木です

北東側から社殿と大ケヤキを見ました

では、次へ行きましょう
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長野県筑北村、坂北仁熊「大日堂のモミ」(村指定)です!!

2021-08-17 06:27:00 | 巨樹・大木
 坂北仁熊地区は、筑北村役場の西北西約4kmのところ

 国道403号線を北へ、長野自動車道の高架をすぎ、麻績川を渡ってすぐ信号のないT字路交差点を西へ入ると県道55号大町麻績インター千曲線です、麻績川に沿うように下って行きます、右カーブの外側に仁王門と大日堂が見えて来ます、モミの巨木も境内に立っているのが確認できます

 仁王門前の道路脇に車を止めさせて頂きました


仁王門です

正面に大日堂です

文化財標柱です

説明版です
 大日堂と国指定重要文化財
   木造大日如来坐像
由緒 沿革
 大日堂は、岩殿寺塔頭(脇寺)中願寺の堂として嘉祥2年(894)比叡山延暦寺第3代座主慈覚大師円仁の開基と伝えられている。
 本尊木造大日如来坐像(国指定重要文化財)は、智拳印を結ぶ金剛界大日如来で、等身大の坐像である。玉眼入りで丸味と張りのある面貌、台下の地髪に毛筋彫りをほどこし、髪際の波形からも、鎌倉時代前期の作の特徴が認められる。
 本堂は、寛永3年(1626)、寛文3年(1663)、宝暦13年(1763)に再建されている。
 仁王門は、伝承によれば寛延3年(1750)の建立(再興)という。
 脇に安置する木像金剛力士像と同時に建立されたと伝えられ、もとは茅葺であったが、現在は、金属板葺となっている。
 境内に立つモミの巨木は、胸高5.2m、樹齢800年余と推定され、以前は長野県の天然記念物に指定されていたが、度重なる落雷などの自然災害に遭い、樹高が下がり、平成8年に延命のため樹木手術(切り取りほか)を行った。
 本尊木像大日如来坐像は、火災、盗難防止のため昭和53年に収蔵庫をつくり移している。
  平成24年9月
 筑北村教育委員会


手前右手に目的のモミです

境内南側から

大日堂前から、幹の上が無く成っています、樹木手術の為切り取られたのでしょうか

北側から、目通り幹囲5.2mの巨木です


東側道路から見ました

では、次へ行きましょう
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長野県筑北村、乱橋「乱橋諏訪神社のケヤキ」です!!

2021-08-16 06:28:00 | 巨樹・大木
 乱橋地区は、筑北村役場の南約5kmのところ
道の駅さかきたの観光案内板です、筑北村は四阿屋山標高1387mを挟んで西の本城村と坂北村と東の坂井村が2005年に合併して現在の形になっています、2001年の合併協議会設立時には麻績村も参加していましたが2004年に離脱しています。乱橋地区は左下かつての本城村、善光寺街道の乱橋宿が有った所です。

 国道403号線を南へ、長野自動車道の高架の手前から県道303号線をさらに南へ入ると間もなく左手に、乱橋諏訪神社が鎮座します

 道路向かい側の駐車スペースに車を止める事が出来ました


 駐車場から乱橋諏訪神社を見ました

 鳥居です、新しく建替えられたようです

社殿です

 社殿の左手に目的のケヤキです

 社殿前から、大きな傷が有ります、大枝が折れた時に幹も傷ついてしまったようです、中に残る幹も腐朽が進んでいます

北側から、目通り幹囲6.0mの巨木です
.
西側から、根元の石碑を根株が覆っています



社殿西側に境内社が並びます

ケヤキの西側に境内社です

境内南西端には舞(神楽)殿です

では、次へ行きましょう
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