大阪から奈良へ、近鉄大阪線急行で向かいます
長谷寺駅は、桜井駅から二つ目です
近鉄大阪線長谷寺駅です
駅前に「総本山 長谷寺」の石柱です
案内図が有りますので確認します
花の御寺 西国三十三観音霊場第八番
長谷寺は山号を豊山と称し、西国三十三観音霊場の第八番札所 真言宗豊山派の総本山です。
この地は古代より「こもりくの泊瀬(はつせ)」と呼ばれ、周囲を山々に囲まれた聖地であり、道明上人と徳道上人によって長谷寺が開かれました。以来、観音信仰の根本霊場として多くの参詣を集めています。
また「花の御寺」と呼ばれるように桜、牡丹、紫陽花、紅葉など四季折々の風情を楽しむことができます。
駅前の門から長い石段を下ります
もうすぐ石段が終わります
国道166号線初瀬信号を超えます
案内板です、長谷寺は右です
商店街(門前町)を抜けていくようです
長谷寺は左となっています、これは車用の案内です、歩行者は真っ直ぐに門前町を進みます
長谷寺入口です
総本山長谷寺です
参道右手の不動堂です、軒下の額には「大聖不動明王」の文字が見えます(大阪府北区法楽寺にも同じ大聖不動明王がありましたね)
説明版です
普門院不動堂
本尊 重要文化財(旧甲種国宝)興教大師一刀禮御作 藤原時代(平安後期)
不動明王坐像
御法量 身長坐 二尺七寸 光背面四尺三寸五分 壱座高(瑟々座)一尺五寸二分
當堂安置の不動明王は、今を去ること凡そ850年前、鳥羽上皇の御叡信を受け高野山金剛峰寺の座主を去り、更に紀伊国岩手庄に根来山大傳法院を創立して、真言宗新義派・豊山派並びに智山派の宗祖と仰がれる興教大師覚鑁上人が信貴山毘沙門天に集籠・・その御・菩を・つて御衣木感得し一刀を禮して刻・・・・像・・ます。
永く三輪山坐大神神社・供僧寺ある平・寺紀・・来たのでありますが、明治維新の廃仏毀釈の・・つて平等寺が廃寺となったので一時・・・・山・・・に移されましたが當時普門院住職であった丸山貫・・を懇望し檀信徒據出の浄財金・拾圓を同寺に納め、明治8年當堂本尊として迎えました。
稀代の名作として明治41年4月甲種国宝に指定されましたが、昭和25年文化財保護法の制定に伴って稱・が改まって今日に至っています。
不動明王は大日如来の教令輪・として分・・の姿・・・・れますが内被慈悲外現忿怒・佛の教・・・・生をあわれむ御心の現われであります
右手の宝剣は三毒の・障・・・・・・・げとなる貪(むさぼる)瞋(いかる)・・・・・・・なかなか薄く成って読めないところが多くなってしまいました
手水舎です
長谷寺略縁起です
長谷寺略縁起
当山は朱鳥元年(西暦686年)天武天皇の御願ににより道明上人によって創建され、それより50年の後、徳道上人が聖武天皇の勅願をうけ、楠の霊木をもって十一面観世音菩薩の尊像を造立し、大伽藍を建立してお祀りになりました。
ご本尊は御身丈三丈三尺(10m余)右手に錫杖を持ち、大磐石の上に立つお姿で、霊験あらたかなことはつとに有名であり、古典文学の代表である源氏物語や枕草子などにも「初瀬詣」として語られています。
また長谷観音の信仰は全国に広まり、ご分身を奉祀する寺院は鎌倉の長谷寺など百数十ヶ寺を数えます。
花山法皇は当山に深く帰依され「いくたびも まいる心は はつせ寺 山も誓いも 深き谷川」と一首を詠んでたたえられました。
観音の慈悲、伽藍の荘厳、加えて春の桜、初夏の牡丹など四季おりおりの美しさはいずれも天下の景勝地にふさわしく、万葉の昔から「隠国の初瀬」として歌枕の地にもなりました。
さらに西国三十三観音霊場の第八番札所であり、また末寺三千余、檀信徒二百万を有する真言宗豊山派の総本山であります。
総本山 長谷寺
境内案内図です、参拝入山受付で参拝料を払って入ります
山門の仁王門です
登廊です399段あるそうです、ゆるく登って行きます(真夏の気温が高い中だったので汗だくで登りました)
登廊の曲がり角外側に手水が有ります
登廊曲がり角の内側に天狗杉です、梢の先は見えません
次の突き当り正面に「紀貫之故里の梅」です
右手に蔵王堂です
登廊はもう少し続きます
本堂前に上がって来ました
境内社です、左から馬頭夫人宮・八幡宮・住吉宮です
本堂入口左に三百餘社です
本堂入口先には愛染堂です
では、本堂へ上がります
まずは、舞台に
長谷の舞台です
舞台からの眺めです
東側には五重塔です
本堂側です、身長10m余の大きな金色の十一面観世音菩薩の本尊様は撮影禁止です
時の貝の説明版です
本堂にくっついて曽我地蔵尊です
本堂脇の大黒天です、狛犬の代わりに打出の小槌と袋です
御影堂の方へ行きます
弘法大師御影堂です
石段の上には一切経堂です
本長谷寺です
五重塔です
南側から
三重塔跡です
能化墓所です
六っつの墓が古いもののようです
説明版です
陀羅巳堂です
石段を下ります
本坊へ行きます、参道両側には牡丹の苗が植えられています
開伽井です、重要な儀式法要に使う水を汲む井戸です
本坊の門です
本坊が見えて来ました
本坊です
説明版です
重要文化財 長谷寺本坊 八棟
ようやく受付前に下りて来ました
では、次へ行きましょう
長谷寺駅は、桜井駅から二つ目です
近鉄大阪線長谷寺駅です
駅前に「総本山 長谷寺」の石柱です
案内図が有りますので確認します
花の御寺 西国三十三観音霊場第八番
長谷寺は山号を豊山と称し、西国三十三観音霊場の第八番札所 真言宗豊山派の総本山です。
この地は古代より「こもりくの泊瀬(はつせ)」と呼ばれ、周囲を山々に囲まれた聖地であり、道明上人と徳道上人によって長谷寺が開かれました。以来、観音信仰の根本霊場として多くの参詣を集めています。
また「花の御寺」と呼ばれるように桜、牡丹、紫陽花、紅葉など四季折々の風情を楽しむことができます。
駅前の門から長い石段を下ります
もうすぐ石段が終わります
国道166号線初瀬信号を超えます
案内板です、長谷寺は右です
商店街(門前町)を抜けていくようです
長谷寺は左となっています、これは車用の案内です、歩行者は真っ直ぐに門前町を進みます
長谷寺入口です
総本山長谷寺です
参道右手の不動堂です、軒下の額には「大聖不動明王」の文字が見えます(大阪府北区法楽寺にも同じ大聖不動明王がありましたね)
説明版です
普門院不動堂
本尊 重要文化財(旧甲種国宝)興教大師一刀禮御作 藤原時代(平安後期)
不動明王坐像
御法量 身長坐 二尺七寸 光背面四尺三寸五分 壱座高(瑟々座)一尺五寸二分
當堂安置の不動明王は、今を去ること凡そ850年前、鳥羽上皇の御叡信を受け高野山金剛峰寺の座主を去り、更に紀伊国岩手庄に根来山大傳法院を創立して、真言宗新義派・豊山派並びに智山派の宗祖と仰がれる興教大師覚鑁上人が信貴山毘沙門天に集籠・・その御・菩を・つて御衣木感得し一刀を禮して刻・・・・像・・ます。
永く三輪山坐大神神社・供僧寺ある平・寺紀・・来たのでありますが、明治維新の廃仏毀釈の・・つて平等寺が廃寺となったので一時・・・・山・・・に移されましたが當時普門院住職であった丸山貫・・を懇望し檀信徒據出の浄財金・拾圓を同寺に納め、明治8年當堂本尊として迎えました。
稀代の名作として明治41年4月甲種国宝に指定されましたが、昭和25年文化財保護法の制定に伴って稱・が改まって今日に至っています。
不動明王は大日如来の教令輪・として分・・の姿・・・・れますが内被慈悲外現忿怒・佛の教・・・・生をあわれむ御心の現われであります
右手の宝剣は三毒の・障・・・・・・・げとなる貪(むさぼる)瞋(いかる)・・・・・・・なかなか薄く成って読めないところが多くなってしまいました
手水舎です
長谷寺略縁起です
長谷寺略縁起
当山は朱鳥元年(西暦686年)天武天皇の御願ににより道明上人によって創建され、それより50年の後、徳道上人が聖武天皇の勅願をうけ、楠の霊木をもって十一面観世音菩薩の尊像を造立し、大伽藍を建立してお祀りになりました。
ご本尊は御身丈三丈三尺(10m余)右手に錫杖を持ち、大磐石の上に立つお姿で、霊験あらたかなことはつとに有名であり、古典文学の代表である源氏物語や枕草子などにも「初瀬詣」として語られています。
また長谷観音の信仰は全国に広まり、ご分身を奉祀する寺院は鎌倉の長谷寺など百数十ヶ寺を数えます。
花山法皇は当山に深く帰依され「いくたびも まいる心は はつせ寺 山も誓いも 深き谷川」と一首を詠んでたたえられました。
観音の慈悲、伽藍の荘厳、加えて春の桜、初夏の牡丹など四季おりおりの美しさはいずれも天下の景勝地にふさわしく、万葉の昔から「隠国の初瀬」として歌枕の地にもなりました。
さらに西国三十三観音霊場の第八番札所であり、また末寺三千余、檀信徒二百万を有する真言宗豊山派の総本山であります。
総本山 長谷寺
境内案内図です、参拝入山受付で参拝料を払って入ります
山門の仁王門です
登廊です399段あるそうです、ゆるく登って行きます(真夏の気温が高い中だったので汗だくで登りました)
登廊の曲がり角外側に手水が有ります
登廊曲がり角の内側に天狗杉です、梢の先は見えません
次の突き当り正面に「紀貫之故里の梅」です
右手に蔵王堂です
登廊はもう少し続きます
本堂前に上がって来ました
境内社です、左から馬頭夫人宮・八幡宮・住吉宮です
本堂入口左に三百餘社です
本堂入口先には愛染堂です
では、本堂へ上がります
まずは、舞台に
長谷の舞台です
舞台からの眺めです
東側には五重塔です
本堂側です、身長10m余の大きな金色の十一面観世音菩薩の本尊様は撮影禁止です
時の貝の説明版です
本堂にくっついて曽我地蔵尊です
本堂脇の大黒天です、狛犬の代わりに打出の小槌と袋です
御影堂の方へ行きます
弘法大師御影堂です
石段の上には一切経堂です
本長谷寺です
五重塔です
南側から
三重塔跡です
能化墓所です
六っつの墓が古いもののようです
説明版です
陀羅巳堂です
石段を下ります
本坊へ行きます、参道両側には牡丹の苗が植えられています
開伽井です、重要な儀式法要に使う水を汲む井戸です
本坊の門です
本坊が見えて来ました
本坊です
説明版です
重要文化財 長谷寺本坊 八棟
ようやく受付前に下りて来ました
では、次へ行きましょう