ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岐阜県飛騨市、古川町袈裟丸「慈眼寺の鎮護桜」(県指定)です!!

2024-06-05 18:51:32 | 
 古川町袈裟丸地区は、飛騨市役所の北西約4kmのところ

 飛騨市役所の南側の県道476号古川国府線を北西へ進みます

 約2.6kmの「諏訪田」信号で国道472号線に合流して進みます

 約1.5kmの「袈裟丸南」信号を右(北東)へ入り、高山本線の踏切を越えると


 約300mで南向きの慈眼寺の前に出ました

 境内に入ると目的の「鎮護桜」が本堂前にあります

 お地蔵様です

 説明版です
   天然記念物
    鎮護桜
 指定区分  岐阜県天然記念物
 指定年月日 昭和34年11月16日
 所有者   古川町袈裟丸慈眼寺
   由来
 当寺第5世題柱和尚は萬治年間に国家安穏鎮護祈願のため、大和路を遍歴し、大和の寺より桜の苗木を持ち帰り、この地に移植し鎮護桜と称し現在に至る。
   飛騨市教育委員会

 *根元の幹周囲3.72m、目通り幹周囲3.3m、樹高10.0mで、地上3.3mの高さで2幹に分かれているこの桜は雪の重みのために折れかかり、保護されているために背が低く、横に広がりつつあり、県下のエドヒガンザクラの中でも幹の太いものであるが、近年腐朽が進み樹勢もかなり弱っています。
  鎮護桜の名の由来は、このお寺の和尚様が国家安穏鎮護祈誓にため、大和の国を遍歴し、大和の某寺から桜の苗木をいただいて持ち帰り、遍歴記念に移植したというのがこの桜の名の由来です。(以上:岐阜県ホームページから一部引用しました)

 本堂です

 境内の薬師堂です

 こちらは観音堂のようです、33体の像が祀られているようです

 本堂前(北西側)から

 幹は保護されています

 北側から

 北東側から

 雨がパラパラ降っていますので、取材はこの辺で終了します

 古川町は飛騨市に中心部です、国道41号線を南東へ約6km「道の駅アルプ飛騨古川」へ移動しましょう

 2024・5・15・18・00
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愛知県東栄町、下田平野「長養院の桜」です!!

2024-05-22 18:38:37 | 
 下田平野地区は、東栄町役場の東約1kmのところ

 東栄町役場前の国道473号線を東へ進みます

 約1km右手に「とうえい温泉」の100m先に「長養院⇐」の案内板が有りますので左(北)へ入ります

 長養院の駐車場に入りました(役場前から後ろを付いて来ていた車が長養院の住職さんの車でした

 国道へ出て山門から入りましょう


 長養院の山門です

 すぐ左手には、宮原の石碑と「おさま甚句の説明版」そして目的のサクラです

   
    おさま甚句・さんさ発祥の地
  盆唄「おさま甚句」
 「さんさ」は奥三河地方に古くから伝わる郷土民謡で、明るく情緒に富む唄に加え、優雅な踊りの起源は定かではないが、この地方が三河国振草之郷と呼ばれた頃の永正・大永年間に長養院禅寺(当院)を開山した光国舜玉和尚が禅の布教の手だてとして、盆踊りを普及したといわれている。
 同和尚は、その後享禄2年(1529年)信州新野瑞光院を建立し、その開山の日に下田の民衆が「おさま甚句」を踊ってお祝いしたことが「祥雲山瑞光院史」に記されている。
 伊豆下田の地に起源をもつといわれる「おさま甚句」「さんさ」は以来四百年余り純朴な里人の手によって継承され、山高く水清い幽境に月明かりの中で踊りあかされてきたものです。
      東栄町


 山門を入って南東側から見ました

 北東側から、エドヒガンですので、花は終わりです

 北側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

 参道は鍵の手に曲がっています

 北西側から見ました

 参道を進みます、参道左手のサクラは八重桜ですのでこれからですね



 八重桜の種類は判りませんでした

 参道右手のサクラも終わりですね

 鐘楼です

 本堂です

 説明版です
   曹洞宗 喜運山 長養院のあらまし
立地環境
 当院は、広々と拓けた金紫原の中央に位置し、国道473号より直接参道又は車道を利用して境内に入ることが出来ます。
 参道は、中世の平地に建立された寺院のように二回屈曲し、長い敷石と左手土檀が全景を引き締め、鐘楼と本堂を奥深くみせている。
 更に、周囲の森は裏山と相まって落ち着いた禅院の風格を持っている。
概略由来
 室町時代
 当院開山時(寺院の創始時)の史実は定かでないが、当院を開山した光国舜玉和尚は、文明9年(1477年)伊豆国北条(現在の伊豆の国市韮山町・下田市の説もある)に出生し16歳で真言宗安養院(当院の前身で文明12年・1480年建立)に入り、その後町内大字本郷字宮平に存在した別所城主伊藤左京亮藤原貞久の庇護を受け、永正2年(1505年)曹洞宗に改宗し、当地に曹洞宗長養院を開山した。
 同和尚は、無双の名僧で幾つかの寺院の開山(信州新野瑞光院・遠州森町大洞院・明智町安住寺)や住職を歴任し禅の布教に務め、永禄4年(1561年)現在の岐阜県恵那市明智町安住寺で85歳で没す。
 江戸時代
 慶安2年’(1649年)8月三代将軍徳川家光より13石8斗相当の免税を記した朱印状(朱印を押した公文書)を下付され、以後将軍が交代する度に朱印状が下付された。
 当院は、天文年間(室町時代)を含め安永8年(1779年)及び文久4年(1864年)の三度の火災に遭い消火したが、古文書や宝物は土中に埋め焼失を免れたと言われている。
 明治以降
 現在の本堂は、明治元年(1868年)から起こった廃仏毀釈(仏教排斥運動)により同6年(1873年)廃寺になった龍源寺(町内大字川角地内)の建物を一部移築して建立されたみのと言い伝えられている(建立年不詳)。
 鐘楼は、大正15年(1926年)に再建されたものです。
 山門は、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で倒壊後再建には至っていない。
 庫裏の建立年は不明であるが、明治41年(1908年)に改築され、昭和7年(1932年)に増築されている。
本尊
 釈迦牟尼仏(釈迦の尊称、釈迦は古代インドの一種族・牟尼は聖者の意)
 聖観世音菩薩(生きとし生きるものに救いの手を差しのべる慈悲深い菩薩)
本山
 永平寺(福井県吉田郡永平寺町)・総持寺(横浜市鶴見区)
建物概要
 本堂      間口6間(約10.8m)奥行5間半(約9.9m)
 開山堂(位牌堂)間口2間半(約4.5m)奥行6間(約10.8m)
 鐘楼      間口奥行 各2間半(約4.5m)*釣鐘はこれまで3回鋳造され、現在の釣鐘は昭和24年に鋳造。
 庫裏      間口11間(約19.8m)奥行7間(約12.6m)
法会(僧や檀信徒が集まり仏の教えを説き聞かせたり、死者に対する追善供養を行う事)
 1月4日   大般若会(檀信徒の無病息災、繁栄、国の平和を祈願)
 8月7日   施食会   (悪行の報いとして、常に飢餓に苦しむ亡者に食べ物を供えて供養する。この善行が祖先の供養にもなる。)
春と秋の彼岸会 春分と秋分の日を中日として、その前後3日間合わせて7日間に寺や墓に参詣する等の仏事を行う。
                以上
 *右のあらましは長養院誌(昭和44年当院発行)及び他の関連文献を参考に作成しております。
      平成28年7月    長養院

 では、次へ行きましょう

 2024・4・14・9・45

 
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富山県南砺市、院瀬見「院瀬見のエドヒガン(干谷の宮桜)」(市指定)です!!

2024-05-10 18:30:10 | 
 院瀬見地区は、南砺市役所の東南東約7km、南砺市役所井口市民センターの東約2kmのところ

 南砺市役所井口市民センター西側の県道284号線を南南東へ進みます

 約500mで「井口郷総社神明宮の大杉3本」で曲がった十字路(右手の小屋に防火水槽の赤丸標識あり)を今度は左(東)へ

 約1,3kmで一時停止を右(南)へ

 約200mで道路左に「エドヒガン桜」これより300mの案内板が出ていますのね斜め左へ入ります

 目的の桜はこの左上ですが、右に入った溜池の脇に車を止めさせて頂きました

 道路をスギ林にはいると説明版です
   天然記念物 院瀬見(いぜみ)のエドヒガン
       平成15年11月27日
       南砺市指定文化財
 この桜は、エドヒガンという野生の桜の一種で、通称「干谷(ひたに)の宮桜」として、地元の人々に親しまれています。
 幹の周りは3.5mあり、県内では7番目の太さで、高さは県内1位の28mあります。
 かつてこの辺りには、エドヒガンが何本も自生していましたが、戦後のほとんどの木が伐られてしまいました。
 しかし、この巨木の桜は院瀬見地区の共有林にあり、水神様の神木として大切にされて、いまに残されました。
 「つぼみから花が散るまで、雨が降らず、風も吹かなければ大豊作」という花占いのいいつたえも残されています。
 エドヒガンは、がくの下の部分が丸くふくらみ、毛が多いのが特徴です。寿命が長いことから、時に大木になります。
 関東地方では彼岸の頃に咲くことから、エドヒガンの名前が付けられました。この「院瀬見のエドヒガン」は、例年4月10日頃に咲きます。
      平成16年4月    南砺市教育委員会

 天然記念物の標柱と間伐展示林の説明版です

 すぐ先をスギ林に中へ

 階段を上ります

 干谷神明社(水神様)の旧社殿跡です

 左に進むと杉木立の間の高い所に目的のエドヒガンが見えました

 さらに東へ、たくさんの花を咲かせています

 ズームアップしました

 説明版の通り例年並みに咲いているようです

 干谷の宮桜(エドヒガン)の標柱です

 さらに奥側から
 
 これ以上近付けませんでした

 帰りは干谷神明社の脇に出て来ました

 では、次へ行きましょう
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富山県南砺市、西明「和田山桜」です!!

2024-05-09 18:30:01 | 
 西明地区は、南砺市役所の東南東約7km、南砺市役所城端市民センターの東北東約3kmのところ

 南砺市役所城端市民センター東側の国道304号線を南南西へ出て直ぐの信号を左(東)へ、県道284号線です

 道成りに約3.5kmで道路右側の民家の先を鋭角に右へ入ります

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 小さな橋を渡ると、東側の山裾にヤマザクラが見えました

 北側から

 西側から見上げました

 標柱です

 南西側から

 ヤマザクラはまだ先始めです

 花と葉が同時に開いて、ソメイヨシノと八重桜の間が花の咲く時期となります

 周辺のソメイヨシノは満開です

 では、次へ行きましょう
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富山県南砺市、中尾「向野の桜」です!!

2024-05-03 18:30:35 | 
 中尾地区は、南砺市役所の南約7km、南砺市役所城端市民センターの南西約1kmのところです
 
 南砺市役所城端市民センター東側の国道304号線を南へ

 約1.6kmの「大鋸屋」信号を右(北西)へ

 約900mで坂道を下った山田川の橋の上流側右岸に大きなサクラが在ります

 山田川の右岸側が中尾地名になります、田圃の脇の道路は侵入禁止に成っていますので入れません

 人が集まって来ました、ビデオ撮影されている方や、女性一人で来れれている方やバイクの方もいます

 橋の上から

 左岸側のガードロープにライトアップの告知と注意書きがあります

 満開ですね、橋脇の階段を下っていきます

 左岸側から見ました

 目通り幹囲11.4mのエドヒガンの巨木です

 北側から

 
 流も穏やかです


 なかなか近付けないのでこれ以上大きく撮れませんでした

 では、次へ行きましょう


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富山県黒部市、宇奈月町浦山「鶏野神社の月訪の桜」(市指定)です!!

2024-04-24 06:30:11 | 
 宇奈月町浦山地区は、黒部市役所の東約7kmのところ

 黒部市役所の西側の道路を北へ、「大町」信号を右(東)へ、県道124号本野三日市線です

 約250mからは県道14号黒部宇奈月線となって東へ進みます

 約5kmで北陸自動車道と北陸新幹線の高架を潜ります

 道成りに約4kmで鶏野神社参道入口です

 直ぐ東側の駐車スペースに車を止めさせて頂きました

 鶏野神社の社號標です

 「月訪の桜」(つきといのさくら)の案内板があります

 鳥居です

 手水舎です

 境内西側には相撲の土俵です

 拝殿です

 本殿覆い屋です



 境内東側に境内社が並びます

 大伴家持の歌碑の後ろに目的の「月訪の桜」(エドヒガンザクラ)が見えました

 歌碑です

 説明石碑です
   歌の由来
 越中国司 大伴家持卿(716~785年)が、領内巡視の折、浦山の上野までくると日が暮れた。
 熊野権現の社で夜を明かそうとして、この歌を奉納したと伝えられている。
 翌朝早く羽音とともに鶏の声が聞こえてきたので、以来、上野の鶏野と呼ぶようになった。
 また、家持卿手植えの桜は「月訪の桜」と呼ばれ、樹齢数百年を経、昭和7年9月の台風で倒木、しのうんずい(ひこばえ)が二代目として生長、市指定文化財に指定されている。
     平成元年8月(宇奈月町)
       黒部市宇奈月町浦山財産区
       黒部市教育委員会
 
 逆光に成ってしまいますね~

 「黒部市指定 天然記念物 月訪の桜」の標柱です

 東側の道路に出ました

 北側から

 東側から、満開ですね

 南東側から

 南側から見ました

 では、次へ行きましょう


 2024・4・11・10・50

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富山県黒部市、三日市「旧三日市小学校の百年桜」(市指定)です!!

2024-04-23 06:39:04 | 
 黒部市の中心部、市役所の敷地の北東角に「百年桜」が在ります

 市役所の駐車場に車を止めさせて頂きました

 市役所案内図です

 西北西側から

 説明版です
   黒部市指定天然記念物
     旧三日市小学校の百年桜
 指定年月日 平成18年8月29日
 所在地   黒部市三日市1288番地
 所有者   黒部市
 品種    ソメイヨシノ
 幹回り   約2.65m ・ 樹高約11m ・ 東西枝張 約11m ・ 南北枝張 約16m
 由来
 この桜の古木は、明治40年(1907年)三日市町立尋常高等小学校に新任教師として赴任された、森立正民先生によって校庭に植えられたものです。
 三日市は中世の頃から「桜井の荘」と呼ばれてきた由来により、数本の桜の苗木が選ばれました。
 大正12年(1923年)当地へ校舎が移転した際に、児童や保護者の手でこれらの桜も共に移植され、幾多の卒業生を見送ってきました。
 ソメイヨシノの樹齢は短いとされているにもかかわらず、この一樹は平成19年(2007年)で樹齢100年となり、今なお爛漫と咲き誇っています。
 富山県内のソメイヨシノの中では最長寿の樹と思われます。
        黒部市教育委員会


 満開から散り始めていました

 西南西側から

 桜と学校を詠んだ歌碑です「古まさる 桜樹の肌は 巌と化し まなびの子らに 未来みつむる」でしょうか

 南西側から、市の広報の助成が百年桜の動画撮影をしていたので邪魔をしないようにしました

 南側から

 三日市尋常高等小学校の標柱です、校門に建っていたのでしょうか

 南側から、幹を見上げました

 東側から

 北側から

 では、次へ行きましょう


 2024・4・11・11・10
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富山県朝日町、南保「清水寺のエドヒガン」(町指定)です!!

2024-04-19 06:48:26 | 
 南保地区は、朝日町役場の南南東約3kmのところ

 朝日町役場を東側の道路に出て南へ進みます、直ぐに北陸自動車道の高架を潜ります

 約500mでカーブミラーの所を斜め左(南東)へ入って東へ向かいます

 約600mで田圃の真ん中の一時停止交差点を右(南)へ

 約800mで北陸新幹線の高架を潜り、約400mの県道102号線との変形5差路の交差点を左(北)へ

 約200mで清水寺の青い案内板が有りますので右(東)へ坂道を上がって行きます


 清水寺の参道です

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 大同山 清水寺の寺號標です

 *高野山真言宗 大同山 清水寺。本尊は、清水寺式千手千眼観世音菩薩(座像)の秘仏だそうです。
  
  京都清水寺のような七堂伽藍の揃った大きな寺でしたが、上杉謙信の越中攻略の際に、戦火に焼かれました。

  現在本堂の建つ場所は、米蔵のあった場所で焼き米が出てくると言います。(以上ネット清水寺ホームページから一部紹介)

 石段を上がります

 左手境内に鐘楼です

 南向きに本堂の様です

 本堂西側に、目的のサクラです

 南側から

 東側から、目通り幹囲5.5m、樹齢約500年の巨木です

 北東側から見上げました、花は満開を過ぎて散り始めでした


 境内端から南西側の眺めです、麓にもサクラがまだまだ咲いていました

 では、次へ行きましょう

 2024・4・11・9・05
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東京都東久留米市、本町4丁目多門寺「東久留米名木百選No.49シダレザクラ」です!!

2024-04-14 06:37:00 | 
 本町4丁目は、東久留米市役所の南側の地区です

 東久留米市役所の北側の「まろにえ富士見通り」を西南西へ進み、約200mの信号を左(南)へ

 約400m坂を下った落合川の毘沙門橋の手前の信号を左(東)へ、「多門寺通り」です

 間も無く左手に

 多門寺境内入口です、入口脇のソメイヨシノは満開です

 東側の駐車場に車を止めさせて頂きました


 西側の駐車場のソメイヨシノも満開の時期を迎えています

 山門です

 説明版です
   東久留米市指定文化財   本町4丁目13番
     多門寺山門
 江戸時代の嘉永5年(1852) ごろの建立と考えられます。また、天保年間(1830~43)に材木を落合川に流して江戸に運び、獅子の彫刻を彫らせたとも伝えられています。
 総欅造りの四脚門で、屋根は銅板葺。禅宗様を主とした折衷様で造られています。
 控え柱(細い柱)上部の獅子鼻(獅子の形をした飾り)や妻(横側)の海老虹梁(中央が上に湾曲した梁)の彫刻はすばらしく、江戸時代末期における地方の建築技術の特色を示しています。また、柱の上部は二手先(二段組)の斗栱(凵の形をした組手)で大きな屋根を支えており、重厚な趣を感じさせます。
       東久留米市教育委員会


 山門を潜ると正面に大きな鉄筋コンクリート造りの本堂です

 本堂前右手に弘法大師様です

 石碑に縁起が彫られています
  *真言宗智山派 宝塔山 吉祥院 多聞寺
 当山は今を去る750年、元仁年間の草創にして、天満宮を安置して梅本坊と号したり。
 凡そ100年の後、祐観上人止住するに及び毘沙門天を本尊とし宝塔山吉祥院多聞寺と寺号を改めたり。
 天満宮は今尚本堂に祀られ学問の神として参詣者も多く、毘沙門天は七福神の一に加へられ、除災招福の功徳広大無辺なり。
 尚当山は、武蔵野観音霊場第5番の札所
      多摩四国八十八所第37番の札所
   昭和51年7月吉祥日
     建立者 南沢中 篠宮信由
      当山第43世大僧正 憲隆代

 左手に目的のシダレザクラです

 本堂前(東側)から見ました

 東久留米の名木百選のプレートです

 南側から

 西側から

 北西側から見ました


 六地蔵様です

 観音堂でしょうか

 お不動様(不動明王)のようです

 では、次へ行きましょう
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埼玉県志木市、柏町3丁目「長勝院のハタザクラ」(市指定)です!!

2024-04-13 06:31:00 | 
 柏町3丁目は志木市役所の西南西約1.5kmのところ

 志木市役所前から県道36号線の栄橋を西へ渡って直ぐの「市場坂上」信号を斜め右へ県道113号線です

 約600mで「四季小学校前」信号を右(西)へ入ります、柏通りです

 約200mで「第2福祉センター入口」信号を斜め右へ入ると第三小学校前を過ぎて

 長勝院旗桜の案内板が有ります

 間も無く駐車場の中に目的の旗ザクラです

 まだ咲き始めです

 標柱と説明版です
   志木市指定文化財
     チョウショウインハタザクラ(長勝院旗桜)
 目通り幹周り(目の高さ位の所の樹の周囲)3.05m、高さ11.20m、推定樹齢400年以上のハタザクラ。
 花は大きく、一重咲きの花に雄しべの一部が花弁状に変わった旗弁(1~2枚)を生ずるヤマザクラ(バラ科)の一型で開花時の花付きは極めてにぎやかです。
 県内各地の桜と比較しても巨木の中にはいるもので、樹齢等の点からみても大変貴重なサクラです。
 またかつてこの地にあったともいわれる柏の城の歴史を語る生き証人としても大変重要な桜で、今後大切に保護保存していくべき桜です。
    平成6年2月25日  志木市教育委員会

 *昭和61年頃に廃寺となり解体された長勝院跡にあるヤマザクラの変種の原木で、ソメイヨシノより少し遅れて咲き出します。












 「旗ザクラ」です

 西側から太い幹を見ました

 北側には「市民の木制定記念樹のチョウショウインハタザクラ」です、平成15年4月6日の記があります






 西側の墓地側には石仏と六地蔵様です

 柏の城跡を見にいきましょう
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埼玉県新座市から志木市「柳瀬川河川敷広場周辺のサクラ」です!!

2024-04-12 18:34:00 | 
 続きです


 ここからは再び埼玉県新座市に入ります

 サクラに菜の花が綺麗ですね

 国道254号線の英橋の下を潜りさらに進みます



 埼玉県立新座柳瀬高等学校脇のサクラです、土手の歩道工事の準備が進められています



 対岸(左岸側)の「デオシティ新座」脇のサクラです

 柳瀬川河川敷広場では、花見やBBQで春を楽しむ大勢の人々のため、写真を浅慮しながらサクラを楽しみました


 対岸に「こいのぼり」が見えました


 志木大橋手前のサクラです




 まだ五分咲きでしょうか

 東武東上線の線路の下を潜って振り向くと、電車が橋梁を通過するところでした


 足元の可愛い青色の花はオオイヌノフグリですね

 もう少し先へ行きます
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東京都清瀬市、下宿「城前橋から清瀬水再生センター前までの桜」です!!

2024-04-12 06:42:00 | 
 続きです

 清瀬市役所の北東約1.5kmの所に城前橋が在ります、橋の南西側には「清瀬10景」の「柳瀬川とサクラ並木」があります


 城前橋から上流側を見ました

 左岸側(埼玉県所沢市城)の土手にはカンヒザクラ(寒緋桜)のようです

 下流側にも左岸土手には同じ桜が咲いていますので、ここからは左岸側を下りましょう


 足元には紅色の花びらが絨毯のようです

 先へ進みます


 かなり散り始めていますが花は綺麗です

 北東側から見返しました

 先へ進みます、見えている橋はJR武蔵野線ですね

 滝の城址公園野球場脇のサクラはソメイヨシノですね

 滝の城址公園テニスコート脇のソメイヨシノです、左記に見える橋は「関越自動車道」の橋梁です

 対岸(清瀬市側・右岸)には、「清瀬の名木・巨木百選No.2サイカチ(群生)」が見えて来ます

 北東側の1本です




 シラサギが魚を探しています

 ここからは高速道路を迂回するため北側の「滝の城址公園」に入って高速道路沿いの坂道を上って県道179号線に出ます

 県道を下るように進んで次の信号を右(南東)に進んで「清柳橋」を渡って清瀬市に戻ります


 清瀬水再生センター北側のサクラが見えて来ました、左手土手の木はサイカチの大木です

 すぐ右手には清瀬水再生センターです



 ほぼ満開といえそうです



 シラサギです

 シラサギの脇にガモが飛んできました

 ちょっと遠すぎますね


 カルガモのようです


 
 カワウがしきりに潜りながら魚を探しているようです

 シラサギのそばにカワウが顔を出しました

 シラサギにカモとカワウです



 北東側からサクラを見ました

 放出口案内図です、東京都東大和市の多摩湖と埼玉県所沢市の狭山湖、そして空堀川の水が合わさって柳瀬川となっています

 放出口の所で魚釣りを楽しんでいる方々が見えました

 柳瀬川の生態系創出の為の注意看板ですね

 ここからは柳瀬川の管轄が変わります

 先へ行きましょう
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山梨県南部町、本郷「本郷の千年ザクラ」(県指定)です!!

2024-04-06 06:30:50 | 
 本郷地区は、南部町役場の北西約4kmのところに県指定天然記念物の本郷の千年桜があります

 南部町役場を南へ出て「南部橋東詰」信号を右(南西)へ進んで南部橋を渡ります

 約700mで「南部橋西詰」信号を右(北東)へ県道803号身延道を進みます

 約2kmで船山川の橋を渡って直ぐを左(南西)へ、約900mで中部横断自動車道の高架を潜って右(北)へ

 道成りに約600mで「原間のイトザクラ」の案内板が有りますので更に坂道を道成りに上ります

 約1kmで「本郷の千年桜」の案内板がありますので鋭角に右へ入って更に坂道を上ります

 間も無く目的の「本郷の千年桜」が土手の上に見えました

 手前の駐車場へ車を止めさせて頂きました


 南側から見上げました

 南東側から

 南東側駐車場の端から


 道路に戻って南西側から

 天然記念物標柱です

 説明版です
   山梨県指定天然記念物
     本郷の千年ザクラ
       指定日  昭和36年12月7日
       所在地  南巨摩郡身延町本郷3230
       所有者  本郷寺
 本樹はエドヒガンザクラの巨樹として県下有数のものであり、地上や右5mから根を地中に下ろしている点は植物形態学上貴重なものである。
 樹齢は5~600年と推定され、規模は根回り幹囲5.3m、目通り幹囲4.4m、樹高12mである。
 なお「千年ザクラ」の名称は元山梨県知事吉江勝保氏の命名によるものである。
     平成31年1月
       山梨県教育委員会
       南部町教育委員会


 北側から見上げました

 東側から




.
 まだまだ先始めでした、この日は甲府で26度にまで気温が上昇したようですので、さらに咲いていることでしょう

 では、次へ行きましょう
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山梨県南部町、本郷「原間のイトザクラ」(町指定)です!!

2024-04-05 18:31:10 | 
 ここからは、2024年3月30日取材分です
 
 本郷地区は、南部町役場の北西約3kmのところ

 南部町役場を南へ出て「南部橋東詰」信号を右(南西)へ進んで南部橋を渡ります

 約700mで「南部橋西詰」信号を右(北東)へ県道803号身延道を進みます

 約2kmで船山川の橋を渡って直ぐを左(南西)へ、約900mで中部横断自動車道の高架を潜って右(北)へ

 道成りに約600mで「原間のイトザクラ」の案内板が有りますので右(東)へ

 間も無く左に「原間つどいの家」(元はお寺さんなのかな)の駐車場に入りました


 駐車場入り口(南西)側から「原間のイトザクラ」です

 西側から


 この日(午前8時半頃)はまだ3分咲きほどでした

 天然記念物標柱ですが、文字が薄くなってしまっています

 北側から、根元には石塔が並びます

 石段を東側道路へ降り、北東側から

 東側(下側)から

 南西側から見上げました

 では、次へ行きましょう
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千葉県印西市、吉高「吉高の大ザクラ」(市指定)です!!

2023-12-14 18:32:32 | 
 吉高地区は、印西市役所の南東約10kmのところ

 印西市役所北側の県道4号線「印西警察署入口」信号を東へ進みます

 約1kmで標識に従って「佐倉・県道64号線」方向の右(南)へ進みます、県道64号線です

 道成りに約4.2kmで、道路は県道65号線に変わります

 約2.7kmで左(東)へ国道464号線へ下って東へ進みます

 約1.2kmの「吉高」信号を左(北)へ、直ぐ右(北東)への道路へ、

 また次の交差点を右(東)へ、角に「吉高のオオザクラ」の案内板が有ります
 
 約600mを右(南東)へ入ると案内板です

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 防草シートの遊歩道を北へ進みます

 畑と杉林の境です

 遊歩道右手に大きな桜の木が見えて来ます

 南西側からm木の根元保護の為かロープで仕切られています、手前の農地には電気柵も設置されています

 西側から

 天然記念物標柱です

 説明版です
   印西市指定天然記念物
     吉高の大ザクラ
       指定  昭和56年10月15日
       所在地 印西市吉高930番地
       所有者 須藤家(屋号 文左衛門)
 本樹の樹種はヤマザクラで、樹齢は300年以上と推定されます。
 樹木の形状は、株立状の独立木で、根回り周囲約8.5m、樹高約13m、枝張り最大幅約27mあります。
 花期は4月上旬から中旬で、ソメイヨシノよりは遅れます。
 根元周囲は、所有者須藤家の祭祀場(氏神)として周辺より1mほど小高く塚状に盛土されており良好な環境条件に恵まれて樹勢を拡大してきました。
 今後も良好な樹勢を保てるよう皆様のご協力をお願いいたします。
    平成11年2月      印西市教育委員会
 

 祠です

 北西側から見ました

 南側へ行って見ました
 
 南側から

 手前の耕地を隔てて

 南東側から見ました

 では、次へ行きましょう 
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