回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

初雪

2012年10月19日 12時57分57秒 | 日記

全国的に今朝は冷え込んだが、札幌近郊の手稲山でも初雪が降った。標高1000㍍くらいの、頂上周辺が白く雪化粧。平地ではまだ雪は降っていない。紅葉が一層鮮やかだ。

 

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朝日 VS 橋下

2012年10月18日 16時45分44秒 | 日記

今回の週刊朝日特集は、まさに、水に落ちた犬は叩け という印象。内容的には大阪市長選挙時にすでにほかの週刊誌で報道されているものであり、新聞社系、という点が目新しいところで、それだけに橋下には座視できない。

日頃の言を借りれば、選挙で選ばれ、民意を背負っている橋下に恐れるものはないはずだが、今や維新の会の賞味期限が切れ、その荒唐無稽な政策への注目度も色褪せたこの時期、人権の朝日がこのテーマに取り掛かったのは興味深い。また、市長でもあり、朝日への取材拒否を大阪の有権者はどう受けとめるのだろうか。

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中国GDP第三四半期伸び率

2012年10月18日 16時16分50秒 | 日記

中国当局が発表した7-9月の中国GDPの伸び率は7.4%となっている。中国の経済指標が「管理された」ものであることは周知の事実であり、この数字は経済実態を反映したものではない。ワシントンポスト、ニューヨークタイムズ、フィナンシャルタイムズいずれも、この数字がここ数年では最も低いものの9月単月では持ち直しており「景気減速傾向が底を打ち、第四四半期には回復する」という銀行・証券会社のエコノミストのコメントを伝えている。最近まで、中国当局の発表する経済指標に対してその信頼性に懐疑的な見方をしてきたマスコミの論調の変化が気になるところ。今回のGDPが胡錦濤政権下で最後の数字となることや、共産党大会の開催時期を勘案すると、こうした政治的な妥協の結果の数字であることは間違いない。それを敢えて報道せず、名も知らないエコノミストのコメントを転載してお茶を濁すあたり、米欧のマスコミのしたたかさがうかがえる。実体がどうであれ、マスコミには累が及ばないようにしたい、ということなのだろう。

なお、9月単月では、アメリカ・東南アジアへの輸出と内需の回復が顕著であり、この傾向が少なくとも年内は続くということ。今日の欧米の株式市場に注目したい。

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漂流する政治

2012年10月16日 13時34分29秒 | 日記

金木犀が急にその存在感を主張する季節になった。この香りが風に乗って部屋にまで入り込んでくると秋を実感する。今日のように晴れて、強い日差しの中では香りも一段と強い。

日本維新の会は、あと残されているカードは橋下徹の国政選挙(衆議院選挙)出馬だけとなった。これまでに種々の布石を打ってきているので、後は衆議院解散と絡めたタイミングだけ。もっともこのところの人気失速に嫌気をさして橋下の代表職務放棄⇒日本維新の会の雲散霧消の可能性も否定できない。そんな中、みんなの党の信念ある対応が印象的。比例代表の持つ意味と、国政と地域政治の違いについての、ある種の見識は持っているようだ。維新の会の横紙破りを黙認(あるいは奨励?)する阿倍自民党よりもわかりやすい。

たまたま昨日、東京駅近辺で会合。東京駅丸の内駅舎のこのところの注目度の高さと人出は100年前大正3年の開業以来のものではないか、などと考えた。ただ、細かいところの意匠まで改めてよく観てみると、和洋折衷というのか、威厳ばかりを追求したような奇妙なデザインの駅舎である。やはり、日清・日露戦争後の植民地に対する帝都大東京の威圧感を第一の目標にしているようだ。

個人的に駅舎で記憶に残っているのは、フィンランド・ヘルシンキ中央駅。きわめて簡素で力強い、正門には4体の巨人像があたかも駅(とその利用者である旅人)を守っているようで、フィンランドの、大国に翻弄された苦難の歴史がうかがえた。

 

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丸谷才一氏逝去

2012年10月14日 08時13分33秒 | 日記

9年ほど前になるが、「輝く日の宮」を読んだときの、すばらしい小説に出会ったという感動を今でも忘れることは出来ない。小説としての構成、表現いずれをとっても超一流。こんなに瑞々しい小説を円熟の極致にあった丸谷氏が著したのは奇跡のようだった。このような小説の書き手はもう現れないのではないかと思う。

話は変わるが、ちょうど、三島由紀夫の「豊饒の海」全4巻を、40年ぶりに読み返したところである。現代では珍しい大長編小説だが、今になって感じるのは、この小説の主人公たちの狡猾さ、悪賢さだけで、饒舌な表現はいかにも三島らしいが、決して三島を代表する傑作とはいえないということだ。自決の日の校了したという、三島の遺作でもあって、社会史的には意味をもつのだろうが・・・

丸谷才一氏と三島由紀夫は同年生まれ、同じ東大卒(学部は違うが)という同時代の二人の、この2つの作品を比べると、その小説としての完成度は際立って違う。

 

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