回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

値引き

2022年01月21日 19時34分31秒 | 日記

イギリスの青空市場や骨董市などでは、ほとんどの場合、つけてある値札のまま買うことはない。ダメ元でもまずは1割ほど値引いた金額で売ってくれないかと持ち掛けると、まあすこしなら、という話になって結局5%くらいの値引きで決着することが多い。あるいはキリのいい数字で。売る方も買う方も、値札は値段交渉の出発点みたいなもので、それで必ず売買できるとは思っていない。聞いた話では中東のある国ではほとんど半値辺りから交渉するという豪の者もいるというから、国によっても値切りの文化は違う。

一般的に言って日本人は控えめな人が多いし、値引き交渉などはあまり行儀が良くないと思ってそのまま買う人がいるようだ。自分も初めてイギリスに赴任して間もないころ、骨董市で値札のまま買おうとしたら、売っていた初老の紳士がわざわざ少し値引きをしてくれたことがあった。ひょっとすると自分の付けた、かなり上乗せした値札のまま売ることに良心の呵責を感じたのかもしれない。その話をしたらイギリス人の友人から、骨董市で値札のまま買う人など絶対にいない。必ず値引き交渉しなければ、とやんわり諭された。

偶々今日、車で出かけてコインパーキングを利用した時、出庫の手順を間違えてしまい、一旦駐車場を出てから料金を支払うことになってしまった。看板の指示に従って支払い機械のそばに取り付けてあった電話で事情を話すと若い女性の声で、「もう機械では取り扱えない、機械のすぐ横に小さな口のある郵便受けのようなところに料金を入れてほしい。しかしつり銭は出ません。料金は1320円です」と。こちらから「今は1000円札しかないのだが」というと「いくら小銭をもっていますか」という質問。ポケットを探ったら210円がでてきたので、そのことを言うと、即座に「それでは1210円でいいです」という。それで、1000円札1枚と小銭を郵便受けのようなところに押し込んだ。

若い(と思われる!)女性に料金の値引きの権限があるのか、といささか感心した。多分自分のように出庫の仕方を間違って、挙句につり銭のない客もいるのかもしれない。近くに両替をするところも見当たらないこともあるのだろう。この電話口の女性にも臨機応変な値引きの権限が与えられてているに違いない。

いつもは一円まできちんと請求し、支払うのが習慣になっていると、今回のような意図しない値引きには何か不思議な感じがする。もっとも、こんなことをイギリスの値引き文化と絡めるのはあまりに論理の飛躍だろうが・・・、

骨董市で多分いくらか値引きして買ったフランス風置時計。

 

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悲しみは空の彼方に

2022年01月20日 17時24分43秒 | 日記

今日のNHK BSプレミアムシネマは1959年に公開されたメロドラマの傑作と言われるアメリカ映画「悲しみは空の彼方に」。原題の「Imitation of Life」というのがどうしてこういう日本語の題名になったのかは寡聞にして知らない。この映画は1934年の同名の映画のリメイクで、その時の邦題は「模倣の人生」。たしかに直訳ではあるが、やはりこれだけでは何を意味するのか想像するのが困難。一方でこの映画がフランス語圏で公開された時の題名は「Mirage de la Vie」。これを訳せば「人生の幻影」となる。

ここではニューヨーク近郊のコニーアイランドを舞台にした(成功を夢み、そして成功した)女優とその周辺の人物が描かれている。ショービジネスの世界もいくつか出てくるがそれ以上に、養育係兼家政婦の黒人女性およびその娘(混血ながら白人として見られたいと渇望する肌の白い)を巡る、当時の黒人に対する差別の苛烈さを極めて批判的に描いている。この映画の後、アメリカでは黒人に対する人種差別をなくす様々な取り組みがなされてきたし、オバマのように黒人の大統領が出現するまでに至っているが、この映画で描かれた人種差別は決して過去のものではないと思われる。そのせいか、60年以上経っても古臭さを感じさせない。

黒人の母親が病死して葬列が進もうとするその時に親を捨てて行方知れずになっていた娘が駆けつけ棺に縋り付いて泣くところで終わるこの映画、アカデミー賞の助演女優賞にノミネートされたファニタ・ムーアの熱演には思わず涙腺が緩みそうになった。

と同時に、この映画の舞台なっているコニーアイランドの富裕層の生活ぶりにも目がいく。その豊かな生活は今の平均的なアメリカ人の生活水準から見ても十分に豪華、豪華すぎると言えるだろう。そこには資本主義を謳歌する1950年代当時のアメリカの圧倒的な経済力を垣間見ることが出来る。昨今、日本でも若い世代の中に、自分たちの将来の生活水準は今の親の水準を下回るのではないか、という悲観的な見方があるという。この映画を見るアメリカ人の中にはそんな思いを抱く人がいるのではないか、とふと思った。

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グランドセントラル駅

2022年01月19日 17時52分03秒 | 日記

ニューヨークに住んでいて、日本に向けて現地の今を動画にしてユーチューブに載せている知人がいる。彼女が昨日朝8時(日本時間では午後10時)に30分ほど、ニューヨーク最大の駅であるグランドセントラル駅の模様を、アイフォーンを使ってライブで放送していた。いろいろな映画の舞台になっている(ロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープによる不倫映画の傑作「恋に落ちて」等々)から、日本でもよく知られていると思う。

1999年にニューヨークに赴任して初めのうち、この駅から出ているハーレム線のスカースデールという駅からロックフェラーセンターの事務所に通勤していた(因みに「恋に落ちて」の舞台はハドソン線)。この駅からスカースデール駅までは約30分程度かかっていたように思う。自宅からスカースデール駅までは車で10分ほど、駅前の駐車場に車を止めておいて、通勤していた。当時はクリントン政権の末期で、景気はまずまず、当時のニューヨーク市長のジュリアーニが犯罪を徹底的に取り締まっていたので治安はそれほど悪くなかった(もっとも彼はその後、トランプ前大統領の法律顧問になり、今は去年初めの連邦議会議事堂襲撃事件に関連して議会から召喚状が出されている)。

このユーチューブで今のこの駅の様子を見ると早朝ということを割り引いても利用客は本当に疎らだ。ところどころで警官の姿が見られるのはまだテロの脅威があるからなのかもしれない。駅の中にある商店も幾つもが閉鎖あるいは休業しているようだ。コロナの影響がこの駅にも如実に表れている。

毎日利用していたが、これといった思い出はない。多分忙しかったので辺りを見回す余裕がなかったからだ。ただ、離れてしばらくしてみるとそれでも懐かしく思えてくる。やはり駅には何か人を惹きつけるノスタルジアのようものがあるような気がする。

もし時間がある方は以下のユーチューブをご覧いただければ、と思う。

ニューヨーク グランドセントラル駅の構内を散歩します - YouTube

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郵便(結末)、震災

2022年01月18日 18時15分11秒 | 日記

日本郵便が土曜日の配達を停止したので、月曜日には今まで以上に郵便が来るようになった。金曜日、チャットでアメリカの送り先に郵便物の調査を依頼し、「間もなく配達」という返事をもらっていたが、その郵便が昨日、遂に!配達された。送られてきた封筒には2021.12.23というスタンプが押されている。中身に問題なく、指示されたとおりの操作をしたら無事に機能しだした。間違いなく待っていたもの。ということは、初めに先方が発送したと言ってきた時にはその手配がされていたことになる。どんなに急いでも、あのチャットの後に先方が発送を手配してそれが日本に17日に到着するとは考えられない。まさか、機長託送、という訳でもないだろう。チャットの相手は、どんな調査をしたのだろうか?送った、ということを確認しただけであとは希望的に「間もなく配達」と言ったのか、あるいは、その時点で郵便物がどの地点にあったのかを知っていたのか(大した機密書類でもなく、そういうものを追跡するシステムがあるとは思えないが)何だか狐につままれたような気分だ。しかしこの郵便物、配達まで25日もかかったことになる。

そうこうしているところ、今日はロンドンの友人からのクリスマスカードが一枚配達された。気になってスタンプを見ると2021.12.17とある。したがって、配達までちょうど1か月かかっている。今までアメリカやイギリスからは概ね一週間から10日くらいで配達されていた。これが年末をはさんだ特異な例なのか、あるいはコロナの時代、これが標準になってゆくのか、まだ判らない。しかし当面、少なくとも十分に余裕を持って郵便を出さなければならないだろう。

昨日17日は、阪神淡路大震災が起きた日。一度ここにも書いたような気がするがその日は朝早くから北欧に出張するためにロンドンの自宅からヒースロー空港に向かっていた。普段は自宅を出る前に日本のニュースを見ることにしている(衛星放送でいくつかの日本のチャンネルを見ることが出来た)が、その日に限ってそれをせずに空港に着いてみると出発ロビーのテレビが、大きな火災の様子を映している。待合室のテレビなので、画面だけで音声はない。そのうちに搭乗時間になって搭乗口でパスポートを見せると、航空会社の社員に「日本で大地震が発生している。大きな被害が出ているようだが、お前の所は大丈夫か?」と聞かれて初めてことの深刻さに気付いた。

その後、面談先ではまずこの話題になり更に時間が経つにつれて被害の深刻さが伝えられてきた。そのたびに犠牲者の数が増えていった。その3年後、東京に戻って、関西出身の部下の一人と話をしたら彼女の家が芦屋に会ってこの地震で大きな被害を受けた。そして家族で大切にしていた、外国の食器や人形などの陶器はほとんど見る影もなく壊れてしまった、と。その時ほど「形あるものはいつかは(必ず)壊れる」という諺が身に染みたことはない、と言っていたのが印象に残っている。

このチェコ製の人形も、もし地震に遭ったりしたら粉々に砕けるのだろうな。

 

 

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コンサートのマナー

2022年01月17日 22時39分42秒 | 日記

ショパンコンクールで2位となった反田恭平のコンサートが各地で開催されている。残念ながらコンサートには行けなかったのだが、演奏そのものはもちろん、彼の人柄や、音楽に対する真摯な姿勢とも相まって高い評価を受けているようだ。特に、聴衆との一体感を大切にする彼の姿勢は、ピアニストにはあまり見られないような気もする。

たまたま、新聞の読者欄をみていたら、彼の出身地である札幌でのコンサートについて、演奏もさることながら聴衆のマナーが素晴らしかった、というのがあった。

確かに、時にはとても気になる、不快になる聴衆の一部のマナーのなさ、特に、演奏が終わるか終わらないうちに野太い大きな声でブラボーと叫ぶ、あるいは何としても拍手の口火を切ろうとするかのような輩がいることは事実だ。個人的には、演奏が終わった後の一瞬の静寂は(素晴らしい時間の、その余韻に浸るという)演奏家にとっても聴衆にとっても特に貴重なものだと思う。

共産党独裁から民主化した直後のワルシャワで、パリで客死したショパンの心臓が納められている聖十字架教会を訪ねたことがあった。その入り口に物乞いの少女がいたことも何故か記憶に残っている。今ではもうそんな光景は見られないのだろうが。

 

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