こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

雨に番傘

2015年05月26日 13時15分00秒 | 文芸
小学生のころ。授業中に雨が降り出すと帰り際に傘が貸し出された。
「バリッ!」と、開くたびに小気味よい音を立てる竹細工と油紙製の番傘だった。雨粒がはねて「パラパラ」と軽快な音が楽しかった。
 全校児童分の番傘がしまい込まれた番傘専用の部屋があった。雨の日、授業が終わると我先に番傘を取りに競ったものである。
 初めて自分の名前が書かれた番傘を手にした一年生。雨を見上げながら番傘を開くと、「バリバリ」と驚くほどの手応えだった。差すと一人前になったように誇らしかった。
 当時、子どもが家で傘を差す機会はなかった。大人が雨の中を、パラパラパラという音に包まれて歩く姿を尻目に、子どもたちは雨の中を走り回っていた。しょうしょう濡れても気にもならなかったのを覚えている。
 雨が降ると、時々あの「バリッ!」と開いた番傘を思い出すことがある。6年間、番傘を大事に扱い雨の中を通学したあの日を…。
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今日は暑いからなに食べよう?

2015年05月26日 11時48分56秒 | 文芸
朝一番に近くのイオンに目玉(1パック税込97円なり)を買うために車を飛ばした。7時前だからまだまだ眠い。しかし、この日を逃せない。一週間分をゲットしなければ。ひとり1パック制限だから、出たり入ったりして6パックを買った。この疲れはお昼まで持ち越した。さてお昼をとなったが、どうも食欲がわかない。とにかくまず卵をボイル。ちょっと殻に割れ目を入れておけばツルリと向けるらしい。あまり力を入れると、台無しになる。慎重に!それでメインはなにするかな?ピンと来たのはヒヤシうどん。これなら少しぐらい食欲がなくてもツルツルといけそうだ。湯を沸かしながら、めんつゆ(×3)を使ってつけ汁を作る。いつもならだしをひいて本格的に作るところだが、今日はその気にならない。そんな時に便利だね、めんつゆは。水2にめんつゆ2の比率で完成だ。ゆでたまごの時間も順調だ。カンと打ってジャリッ!なるほどきれいにむけるぞ。玄関前プランター植えているねぎをちぎってきて水洗い。コトコトコトと刻み葱も出来上がり。さあ、いただきますー!
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あるけあるけ

2015年05月26日 08時10分08秒 | 文芸
自慢じゃないがわたしは運動音痴。走るのも苦手、道具やボールを使う競技も全くお呼びがかからなかった。そりゃそうだ、キャッチボールで顔にボール球を受けてしまうのだから、仲間外れになるのも仕方がない。そんなわたしが高齢者の仲間入りを契機に始めたのが、ウォーキング!動機は健康診断でメタボ予備軍と診断されたからだ。食事療法と運動をといわれて、考えに考えた末に自分ができる運動は、『歩く』ことだけだと気付いた。田舎に育ったから歩くことはお手のものだ。しょうしょう運動が苦手でも、歩くことならなんとかなると、ネットで調べてウォーキングのイベントに参加したのが3年前。以来、ウォーキングの催しがあると聞くとさっそく駆け付ける。14キロから20キロなら楽々だ。走れと言われたら、棄権するが、あるくのはおまかせだ。リュックを背負ってテクテク歩く。自然豊かな山野がコースになっているのが多いので、心がいやされて爽快感をたっぷり味わえる。ウォーキング仲間もけっこうできた。こんな運動なら、もっと早くやってればよかったと思う。メタボ改善効果のほどはまだ表れていないが、じっとしてるよりいいはずだ。ポッコリお腹が引っ込む日を目指して、さあ、きょうも歩くぞ!あるけあるけ~!青春回帰と健康のために。
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4コマ漫画

2015年05月26日 03時31分57秒 | マンガ
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我が家の周りは動物園?

2015年05月26日 02時23分36秒 | 文芸
田舎の我が家。真夜中に眠れずに外へ出ると、ギラギラ光る眼としょっちゅう出合う。野生のシカである。それも一匹ではない数等のファミリーが群れている。この間、車で帰宅中に「ドスン!」「ベコッ」(なんだ?)と目を凝らすと、2メートル以上はあるイノシシ。のっしのっしと悠然たる姿に感心してしまった。愛車は見るも無残に簿デイをへこませていた。これまたウリ防なんかを引き連れてのおでましだ。5年前から、こんな調子である。サファリーパークか動物園に住んでいる気さえしてしまう。家の裏にある畑で野菜を作っていたが、金網を張って防いでも、イノシシ・鹿もさるもの、どうやるのかわからないが金網を乗り越えて畑をきれいに片付けてくれる。彼らが出現するまではカラスの被害ぐらいだったのに、いまや畑は壊滅状態である。最近はアライグマやヌートリア、サルまで目撃されている。大分前にはクマの目撃情報すら出たことがある。畑のサツマイモが「さあ、明日収穫するぞ」と用意していたら、翌日にはきれいさっぱり根こそぎやられてしまった。私が掘るよりも、丁寧な作業で、イモのツルもきれいに畝の横に並べてあった。あれはアライグマ科ヌートリアだったに違いない。去年からもうあきらめて野菜作りはやめた。今夜も、このブログを描いている最中に、「ギャーギャー」とケモノの遠吠えが聞こえている。時間は夜中の2時、この分じゃいま外に出たら襲い掛かられるかも。わたしが住むこのムラが、動物に支配されて、私たちが追い払われる日が来るのを覚悟しといたほうがよさそうだ。いやはや~!
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絵手紙

2015年05月26日 01時47分14秒 | 絵手紙
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1年前のおとうさんの心を届ける

2015年05月26日 00時07分38秒 | 文芸
「結婚するよ、わたし。随分待たせちゃった」
 照れくさげな娘の報告が耳を心地よくくすぐる。顔に感情を出すのは苦手だけど、フツフツと心に喜びがあふれ返った。
 三十二年前。初めて授かった赤ん坊。おとうさんとおかあさんの絆をしっかりと結びつけてくれたかけがいのない娘だった。
 生後まもなく高熱に見舞われた赤ん坊。慌てて病院を駆け巡り、オロオロと途方にくれた日々。やっと分かった川崎病という得体の知れぬ病魔との闘いに、いつしか疲れ果てた。
「もう限界!こんなの、もうイヤだ……!」
「なに言ってる。俺たちの子供なんだぞ!」
 二人の気持ちがぶつかり始めた最悪の瞬間だった。ベッドに気配が…赤ん坊が笑った。モミジに似た手をこちらに突き出していた。
「何してるの?おとうさん、おかあさん。わたし頑張ってるんだよ」
 そういっていた。二人には、ちゃんと聞こえたんだ。だから、ほころびかけた絆は、前よりももっときつく結び直せたんだ。
「わたしたちしかいないんだね。この子には」
「そうだよ。親だもん、家族だもん。なっ!」
 ひと月近い入院生活を乗り越えた。もう誰も切れない絆で結ばれた家族の誕生だった。
 結婚式。どんな顔をするか?。不器用だから、ムスッが一番。…お父さんの心にあるものは、ちゃんと分かっていてくれるだろう。 
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ナビだよりの悲劇

2015年05月25日 23時13分47秒 | 文芸
ドライブに行くと、ナビだより。しかもナビに従っていても、変な道や細い道に入って立ち往生なんてしょっちゅう。目の前に目的地があっても周辺で聞きまわったりと、とにかく北と南の違いもわからない。家族でドライブすると、妻と必ず口論になる。「なんでわからへんの!」「わかったらナビなんかいらん」「もう!帰ろ」
「アホ簡単にいうな。帰り道にでられるんやったら、とっくに帰っとるわい」と、とにかく楽しい思いをのままで家に戻れたためしがない。それもこれも方向音痴だからなのだ。ちなみに60代男性です。車で出かけるときは、いつも一時間は余分に計算してでかけるようになりました。
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運動会の思い出

2015年05月25日 13時42分59秒 | 文芸
ひどい運動音痴だったから自分の運動会の思い出は悲しくむなしいものばかり。その反動でわが子の運動会でいい思いをしたいと思っていたが、それが実現した。息子のひとりは母親に似たのか、運動神経はかなりよかった。6年生の時、息子は全校児童を代表してラジオ体操を式台の上でリード。かけ声も堂々たるもので、私はウルウルしっぱなしだった。そして騎馬戦では興奮の極みに。紅組の総大将になった彼は、なんと5人抜き。雄たけびを上げる息子の雄姿に、(…ほんまに、あいつわしの子やろか?)と戸惑いながらも、もううれしくてたまらなかった。少し運動会が好きになった気がした。
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脚光をあびて当然、男の料理

2015年05月25日 10時50分02秒 | 文芸
脚光浴びるのは当然、男の料理

 料理に必要なのは愛情である。これは、小学生のころから農繁期になると
食事の用意をする立場だったわたしが、現在の調理師に至るまで、家族に、お客さんに、妻に、両親に……いろんな条件ながら、とにかく料理を作って来た体験から得た結論である。
 病気で寝込んだ人を想いながら作り上げたお粥は、どんな豪華な料理よりもうまいはずだ。それにひきかえ時間がなくて間に合わせるために適当に用意した料理の味気無さは、どうだろう。
 つまり、料理を味わうということは、料理人の心を味わうと思って間違いないのではなかろうか。
 だが、昨今の風潮を見れば、料理に愛情を感じられなくなるのも止むを得ない。核家族化、女性の社会への進出、ビジネス戦争に受験戦争……どう考えても、料理を味わう余裕はなくなっている。これでは、電子レンジによる「チンチン料理」全盛になるのも仕方がなく、しかも料理の手抜きは、愛情の気迫かを促すのである。
 そこで涙もろくて純情な男たちが立ち上がったわけで、愛情の崩壊を見るに忍びず、よし!ならば愛情いっぱいの料理をーーと、自らの手でつくるようになったのだ。かくして男の料理がスポットライトを浴びるのは、当然の現象である。
 それにプロの調理人と言えば、ほとんどが男。生理的にいっても、料理は男の独壇場であるべきである。むしろ、男の料理が流行するのは、理想へ一歩近づいているとも思える。
(読売・1989年1月14ひ掲載)


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