父方の従兄で私より6つ上でした。
私とは違い父方の血が濃くてハンサムで、滅多に会うことはありませんでしたが、会った時はいつでも自由人の雰囲気がありました。
病気が分かった時はもう打つ手がなく、余命一ヶ月の宣告を受けたそうです。
これで伯母さんは息子を二人とも亡くしてしまいました。
もう一人の従兄は、25年くらい前に亡くなっていたからです。
悲報を告げる電話口の従姉の口調は気丈なものでしたが、残された家族と母親である伯母さん、そして従姉妹の悲しみはいかばかりのものでしょうか。
私はもう直ぐ還暦に届こうとしていますが、まだ肉親や家族を失っていません。
失うと言うことは、離縁も含めてのことです。
きっと私は生温いんだと思います。
家族との別れの悲しみを感じたことも、別れた家族を思うこともありません。
そんな私に何が出来るのかと思います。
そんな私がどう声をかけられるのかと思います。
伯母さん。。
私とは違い父方の血が濃くてハンサムで、滅多に会うことはありませんでしたが、会った時はいつでも自由人の雰囲気がありました。
病気が分かった時はもう打つ手がなく、余命一ヶ月の宣告を受けたそうです。
これで伯母さんは息子を二人とも亡くしてしまいました。
もう一人の従兄は、25年くらい前に亡くなっていたからです。
悲報を告げる電話口の従姉の口調は気丈なものでしたが、残された家族と母親である伯母さん、そして従姉妹の悲しみはいかばかりのものでしょうか。
私はもう直ぐ還暦に届こうとしていますが、まだ肉親や家族を失っていません。
失うと言うことは、離縁も含めてのことです。
きっと私は生温いんだと思います。
家族との別れの悲しみを感じたことも、別れた家族を思うこともありません。
そんな私に何が出来るのかと思います。
そんな私がどう声をかけられるのかと思います。
伯母さん。。