ヒロシの日記

たくさんの人たちの幸福を願いつつ、常に自然な生き方を望む私の日記です。

オトコの遊び

2010-12-26 23:40:20 | 日記
先日亡くなった従兄は根っからの遊び人らしく、告別式には夜の業界で働いていると思われる方々も一般の方とは違う雰囲気を醸し出しながら参列していました。

実はその弟になる従兄も若い頃に病気で亡くなっていたのですが、地元○須賀では遊び人で通っていたらしく、やはり告別式では○賀中のスナックやクラブのママさんが集まったそうです。

一方で同じ従弟の立場の私はと言えば、幸か不幸か水商売の業界とは殆ど縁が無く、会社で加入している協会関係の旅行でのコンパニオンとの遭遇や、5年前に一ヶ月だけ地元のスナックに通っていた実績くらいのものでした。(日記あります

スナックだのクラブだのキャバレー(古い?)だのは、女の子が接客してくれる男のパラダイスのようなところですが、どうして私に縁がないのかと考えて出た結論は、私がケチだったからと思います。(ネタか~い!)
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叔母夫婦に対する気持ちの落としどころを探しています

2010-12-26 22:51:58 | 日記
今日の従兄の告別式では、叔母の夫である義理の叔父とその息子のやっちゃんが出て、本当に20年ぶりくらいの一家揃っての再会となりました。

叔父は私の顔を見るなり開口一番「○○ちゃんには悪いことしたね」と言ってくれましたが、それは明らかに過去形であって自分の気持ちとしては、もう整理がついていると言わんばかりの態度でした。

従兄の火葬を済ませ、お骨にして持ち帰った後の精進落とし会食の席でも、私に対する負い目をその態度に一切感じることは出来ず、夫婦して相変わらず自分のことばかり述べ立てているのには閉口しました。
その話の中でも、以前自分の店で世話をした従業員が、店を辞めた後で事業を起こして成功し、今でも自分に対して盆暮れの付け届けを欠かさないことを美談か自慢のように語っていましたが、叔父の中では自分の人脈の中で自分に都合よく使えるカードと大切にしたいカードを器用に使い分けているようでした。

叔父の自慢の盆暮れの付け届けを欠かさないその人物に、叔父は借金を申し込んでいないであろうし、その相手に対してまさか借金を踏み倒すような真似をしていたとは考えられないからです。
今や叔父の自慢する人脈の中に、負い目を感じる人は誰一人としていないのでしょう。

結局顔を合わせていた二時間の間、叔父は私との間のことに一切触れず、又私の望む方向性を示さぬまま私達は斎場を後にしました。

今この自分の胸の内で、どろどろとしたものも含めて色々な思いが複雑に絡み合っているのを感じます。
叔母夫婦には小さい頃に可愛がってもらったこともありますし、特に叔母は私の記憶の中の最初に一緒に暮らしていた家族の一人だからです。

私は器量の狭い人間なのでしょうか?
人を赦せない人間だったのでしょうか?

鬱々とした気分に落ちそうなところを救ってくれたのは、叔母夫婦の子供である私とは10歳違いのやっちゃんとの再会でした。

彼は20年近くも会わない間に、私の想像を越える大きな人間になっていたからです。(続く)

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今日は従兄の告別式に出ました

2010-12-26 20:55:19 | あれこれその他の日記
先に写真だけアップします。



行きの横浜駅の風景


品揃えも多く良い品が並ぶ鎌倉の商店



亡くなった従兄の孫にプレゼントするミニ絵本を求めた、しかけ絵本だけを集めた書店



家で食べるパンを帰りに求めた鎌倉駅ビルのベーカリー店内


家族へのお土産を求めた横浜そごうの地下食品売り場
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