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認知的体験
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有名大学へ何人進学?

2014-03-01 | 教育
この時期になると定番の週刊誌記事
もしかしてわが大学も と思いいつも買う 笑い

それはさておき<<おきたくないが 笑い
ざっと見で気が付いた
某高等学校がやたらめにつくのである

東京都市大学88人
北里大学  42人
駒沢大学  55人
法政大学  81人
立教大学  98人
国学院大学 47人
学習院大学 39人

これだけで450人
合格者だから、入学したわけではないが
それにしても、際立っている 

どんな進路指導戦略なのだろう?
  

朝倉実践心理学講座」全巻完成

2014-03-01 | 認知心理学
書名・定価 著者名 発行年月日 ISBN
デザインと色彩の心理学
デザインと色彩の心理学 (朝倉実践心理学講座3)
定価3,570円(税込)
海保博之 編・監修/ 日比野治雄 ・ 小山慎一 編 2013.11.20
52683-7
マーケティングと広告の心理学
マーケティングと広告の心理学 (朝倉実践心理学講座2)
定価3,780円(税込)
海保博之 監修/ 杉本徹雄 編 2013.05.25
52682-0
運動と健康の心理学
運動と健康の心理学 (朝倉実践心理学講座9)
定価3,570円(税込)
海保博之 監修/ 竹中晃二 編 2012.01.15
52689-9
感動と商品開発の心理学
感動と商品開発の心理学 (朝倉実践心理学講座10)
定価3,780円(税込)
海保博之 監修/ 神宮英夫 編 2011.06.10
52690-5
感情マネジメントと癒しの心理学
感情マネジメントと癒しの心理学 (朝倉実践心理学講座7)
定価3,570円(税込)
海保博之 監修/ 久保真人 編 2011.04.10
52687-5
対人関係と恋愛・友情の心理学
対人関係と恋愛・友情の心理学 (朝倉実践心理学講座8)
定価3,570円(税込)
海保博之 監修/ 松井豊 編 2010.10.05
52688-2
発想と企画の心理学
発想と企画の心理学 (朝倉実践心理学講座4)
定価3,570円(税込)
海保博之 監修/ 高橋誠 編 2010.05.20
52684-4
わかりやすさとコミュニケーションの心理学
わかりやすさとコミュニケーションの心理学 (朝倉実践心理学講座5)
定価3,570円(税込)
海保博之 編・監修 2010.02.20
52685-1
意思決定と経済の心理学
意思決定と経済の心理学 (朝倉実践心理学講座1)
定価3,780円(税込)
海保博之 監修/ 坂上貴之 編 2009.11.20
52681-3
コンピテンシーとチーム・マネジメントの心理学
コンピテンシーとチーム・マネジメントの心理学 (朝倉実践心理学講座6)
定価3,570円(税込)
海保博之 監修/ 山口裕幸 編 2009.10.25
52686-8

注意の自己管理不全とヒューマンエラー

2014-03-01 | ヒューマンエラー
 ヒューマンエラーの心理学 麗澤大学出版会 所収

*********************************
7章 注意の自己管理不全とヒューマンエラー

 海保博之 *********************************

---注意というのは両刃の剣みたいなものである。一方では、同時に進行する多くの事象の中から、関心のある一群の事象を追跡することができる----しかし、他方、注意は現に起こっている事象のすべてを見逃さずに覚えておく能力を制限している---(Lindsay &  Norman,1977より)

はじめに
 注意には、自分でコントロールできる能動的な側面と、自分ではコントロールできない受動的な側面とがある。注意の自己管理不全というときは、当然、注意の能動的な側面にかかわるが、そこにだけ目を向けてしまい、注意の受動的側面を無視すると、エラー、事故を防ぐための包括的な注意管理としては十分ではない。
 そこで、本章では、ヒューマンエラー低減のための、注意の自己(内的)管理力を高めるにはどうしたらよいかについて考えてみるが、注意の受動的側面にも十分な配慮をすることになる。
 なお、注意管理不全によって起こるエラーは、もっぱら「うっかりミス(slip)」が問題とされることにも留意されたい。

7.1 注意の自己管理支援の仕掛けを「場」の中に作り込む

 注意はすぐれて内的な認知資源ではあるが、ヒューマンエラーとの関係を考えるとき、注意を個人の中だけに閉じ込めて考えてしまうと、話がうさんくさくなる---とは言ってもあとでこの話をすることになるのだが---。事故が起こると、当時者の「たるみによる」うっかりミスが原因との報道がしばしばなされ、それで誰しもが納得して事は治まってしまうようなことになりがちである。しかし、これでは、次の事故防止につながる有効な対策は生み出されないままになってしまう。注意管理をもっと当事者を含んだ「場」の中でも考えてみる必要がある。
 たとえば、情報環境という場である。
 原子力発電所のオペレータ室を見学したことがある。部屋全体が各種の情報で溢れかえっている。したがって、その情報すべてに誰もがいつも注意しているわけではない。しかし、注意を向けられていない情報が不要でないことは言うまでもない。必要なときには注意を向けてもらわなければならない。そこで、オペーレータの注意管理を外部から支援するさまざまな仕掛けが必要となる。ここで、注意の受動的側面の特性への配慮が必要となる。
 たとえば、音である。
 情報環境は、目での取り込みが主である。しかし、視覚での注意範囲はごく限られている。そこで、音を使う。警告としての活用に加えて、音には志向性があるので注意の誘導もできる。さらには、音のある種の性質にはメッセージ性があるので、緊急性---高周波・高デシベルの断続音---などを知らせたり、あるいは、航空機ではすでに実用化されているように、人工音声による情報内容の強制的な伝達も可能である。
 視覚に訴える情報環境でも、大事な情報は目立つように中心においたり、変化を知らせるためにちらつかせたり(blinking)といったことによって、注意喚起をはかっているのは周知の通りである。
 ただし、情報環境に過度に注意管理支援の仕掛けを組み込むとうるさがられたり、慣れられて(順応して)しまったりで、喚起機能を果たさなくなってしまうので、「適度さ」についての案配に難しいところはある。
 さらに、注意集中を乱す情報環境の排除も必要である。
 走行中の携帯電話への通話禁止、作業中の無造作な呼び出し放送の禁止などなど。ここ一番での集中が求められる作業をしているときには、これらが決定的なエラー、事故原因になるからである。
 こうした仕掛けが、注意の自己管理の外的支援である。繰り返しになるが、これをやるべき時と所できちんとやって上で、さらに自己管理の最適化を考えることになる。
 「場」には、情報環境以外にも、組織、機械がある。それぞれの「場」の中に、こうした注意管理の支援の仕掛けを作り込むことになる。安全工学技術として周知のフールプルーフ(fool-proof)やフェールセイフ(fail-safe)も、こうした観点から位置づけることができる。
 一つの具体的な実践研究---心理安全工学的研究と呼ぶのがふさわしい---を挙げてみる。
 表1は、発電所現場でおこなわれているさまざまな注意喚起の方策を、それが注意のどんな特性を考慮したものかを分析しようとするものである(彦野、2003)。こうした分析をすることによって、注意の外部管理の環境の最適化と評価の実効性を高めることが期待できる。
 
***
表1 注意喚起方策体系表(一部 )
*******

7.2 注意の自己管理を最適化する

 注意は、ある程度までは自己管理できる。集中しようと思えば集中することができる。注意力が落ちてきたら、「がんばって」注意力を高めることができる。注意にはこうした能動的な側面があるので、注意の自己管理の話が出てくることになるし、事故が起こると、自己管理不全が個人の過失責任として法律的な罪にも問われることになる。
 なお、最近は犯罪多発傾向のあおりを受けてか、この業務上の過失責任を問う声が厳しくなっている傾向がある。被害者からすれば、それで溜飲は下がるかもしれないが、「誰がしたかよりも、何がそうさせたか」を追及しないと、また誰かが同じ「過失」を繰り返すことに終ってしまうので、社会的には好ましいこととは言えない。
 それはさておくとして、注意の自己管理力の向上によって、うっかりミスを少しでも減らす方策とはどんなものがあるのであろうか。
 実は、そのための有効な方策がそれほどあるわけではない。また限界もある。この点の認識をしっかり持たないと、「安易な」精神論か「カルト的な」自己鍛錬の話しになってしまう危険性がある。
 ごく当たり前の方策の一つは、注意の特性についての知識を豊富にすることである。たとえば、「易しい課題をするときより難しい課題をするときのほうが、注意レベルは低めにする(ヤーキーズ・ドドソンの法則)」ということを知っていれば、そうした場に遭遇すればそれなりの対策を自ら工夫することができる。
 特定の場に固有の体験的な知識もあるし、心理学の研究から得られた普遍的な知識もある。心理学者の啓蒙的な活動が求められるところである。注意に関してどんな知識があるかについては、次節で述べる。
 なお、これに関連してさらに、こうした知識を実践できる形にする方策も身につける必要がある。知識は使えてこそ有効性を発揮する。そのためには、一定の訓練プログラムで教育を受けるのが一番であるが---とはいっても、注意管理に特化したプログラムの存在は寡聞にして知らないのだが---、誰もがいつでもそんな機会をもてるわけではない。日常の場で意識的な試みをすることで、知識を手続き化していくしかない。
 そのときのポイントは、今自分の注意状態がどのようになっているかをきちんととらえること(モニタリングすること)、そして、それに応じた注意資源のコントロールをすることである。
 たとえば、次のように頭を働かせれば、エラーも減るはずである。
1)スピード負荷がかかっていて、「あわてている」ので---これがモニタリング
2)必要な要素動作を省略してしまう恐れがあるので、指差呼称をきちんとしながらやっていこう---これがコントロール
 なお、ここで、省略エラーや指差呼称は、知識として持っている/知っていることが前提になることに注意されたい。こうした知識の有無、そしてそのタイミングよい運用が、注意の自己管理にいかに大事かがわかる。
 これについて、筆者は、車の運転時の活用を提案している。車の運転ほど、注意の自己管理の実践の場としてふさわしいものはない。運転そのものが安全になるだけだけでなく、仕事の場での活用に転移する自己訓練ができる。車の運転をしない人なら、家事の場も使える。
 いずれも、日常的に頻繁に、ちょっとした努力でできることが肝要である。

 さて、それでは、注意の自己管理に有効な心理学的な知識を以下、詳述してみる(注1)。

7.3 注意の自己管理に有効な心理学的な知識

 ここの部分については、これまでの記述とは変えて「です。ます」調で、しかも、啓蒙的なガイドライン風の表現にしてみた。ここで述べる知識は、保守・点検の作業現場で仕事をする方々が持って欲しい注意の自己管理に関する知識である。
 言うまでもないが、ここで提供する知識は、一つの例示程度のものに過ぎない。知識の提示の仕方は多彩であり、しかも知識は絶えず更新し、高度化している。受け手や状況に応じた知識の提示をすることになる。

7.3.1 注意量ギャップをなくす

 注意の持続には限界があります。注意の持続がとぎれたとき仕事をするには危険です。しかも,注意の持続のとぎれを意識することもなかなか難しいときがあります。持続しているつもりで実は,とぎれていたということもありえます。そこで,むしろ,自ら積極的に注意をそらして(コントロールして),注意の持続を回復することもありえます。

●注意のレベルは変動する
 人差し指の先をじっと眺めながら,数を数えてみてください。簡単なことですが,この単純作業だけにずっと集中することは,なかなか難しいことがわかるはすです。
 まず,指先に向けた注意が乱れます。さらに,数唱はできても,他の想念が浮んできてしまいます。外と内で,注意の集中ができなくなってくることがわかると思います。
 注意の持続がどれくらいかは,人によって,状況によって異なります。はっきりしていることは,注意のレベルは絶えず変動することです。ずっと一定値のまま,ということはありません。
 注意のレベルが低下したとき,作業の側がそれ以上の注意を必要とするようなことが起こると恐いわけです(図1参照)。

******

図1 作業に必要な注意量と作業に注がれる注意の量
**********

●注意量ギャップをなくす
 作業に必要な注意量と,作業員が注ぐ注意量とのギャップとが一致しているときは,問題はありません。我々はだいたいどれくらいの注意量が必要かを体験的に知っています。いつもいつも,注意の量を最大限の使う状態にしておけば,注意が枯渇してしまうことも知っています。ですから,注意量のギャップが発生することはほとんどありません。
 しかし、一瞬のギャップをついて,事故が発生してしまうことがあります。
「一瞬のギャップ」には,図の数値に示す3つのケースが考えられます。
(1)立上げ時
 作業開始と同時に,人はいきなり必要な注意のレベルにまで到達することはなかなかできません。ここに,注意ギャップの発生の素地があります。そこで,作業現場に着いても,いきなり作業に入らないで,心の準備体操をすることが必要です。朝礼やちょっとした体操をするうちに,心が作業に向いてきます。
(2)定常状態時
 一番やっかいなのが,このケースです。監視業務のように,
同じ作業をずっと続けているときに起こります。やっかいなのは,まじめに作業をすればするほど,こうした事態では,かえって,ギャップの発生が起こりやすくなることです。そこで,こんなときは,あえて「不真面目さ」を「演出する」
ことが必要となります。具体的には,注意を一時的にそらす
ことです。大事なことは,あくまで,自分の意識的なコントロールのもとで,これを行なうことです。
 車の運転どきでも,前方がよく見通せるときには,周囲の光景に目を向けます。ここでは,注意は,完全に自己コントロールされています。「脇見運転は厳禁」ですが,だからといって,四六時中,注意を前方の道路にだけ向けていては,たちまち限界がきてしまいます。
(3)緊迫時・非定常時
 もう一つは,めったに起こりませんが,最大限の注意を注いだつもりでも,実はまだ不足していた,というケースです。これは,もはや人知の及ばぬところ,と考えるしかありません。となると、手立がなくなりますが,こんなところは,組織や機械の助けを借りることになります。チームで作業する、あるいは、作業が十分に行なわれていないことを表示してやることが必要です。

7.3.2 注意は拡散させることも必要

 注意「散漫」は困りますが,そうかといって注意集中がいつも最適な結果をもたらすかというとそうではありません。ときには,あえて,注意を「拡散」――「散漫」ではないーーさせるほうが,よい結果をもたらすということがあります。

●1点集中は良いことづくめではない
 注意は,認知資源とも呼ばれます。ガソリンをエンジンにた
くさん注げば車が早く走るように,注意を注ぐと,認知機能は
活発になるからです。
 注意を,車のガソリンにたとえたついでにもう一つ,車のガ
ソリンタンクに一定の大きさの限界があるように,注意にも量
の限界があります。補給をしなければ枯渇します。
 さて,この認知資源は,一点に集中して投入すればそれだけ
効果が上ります。細かい所まで見えます。たくさん記憶もでき
ます。質の高い思考もできます。
 注意集中は良いことづくめのようです。確かに,認知活動を
より高度のものにするには,注意集中は必須です。
 しかし,注意集中にも,次の2つの点で問題があります。
 一つは,視野狭窄に陥るからです。他を見ない,考えない状
態になるからです。
 もう一つは,注意の枯渇です。最大限の注意集中の状態を長
く持続することはできません。
 いずれも,状況によっては,致命的な事態を引き起こしてし
まうことがあります。

●あえて注意を拡散させる
 たとえば,車の運転を例にとって考えてみます。
 前方に注意を集中した状態で運転することは悪いことではあ
りません。しかし,たった一人で,サーキットを走っているな
らともかく,一般道での運転では,脇から何が飛び出てくるか
わかりません。
後ろの車についても注意しなければなりません。ラジオの渋滞
情報も知りたくなります。
 注意を向けなければならない対象がたくさんあります。しか
も,受動的に注意が引き付けられてしまう対象もたくさんあり
ます。それらのいずれも,安全運転には欠かせない対象です。 こんな状況の中で,すべての注意を道路前方にだけ集中することは危険きわまりないと言えます。
 最大限の注意集中を100としたとき,一つの対象にそのすべてを注ぐのではなく,50ずつに分割して2つの対象に,あるいは,25ずつに分割して4つの対象に,というように,
注意を「あえて」拡散させることも,時には必要です。というより,むしろ,こちらのほうが,日常的な作業場面では,普通だと思います。
 図には,仮想的に注意の拡散状態を示してみました。もちろ
ん,数字は,もっともらしく入れてみたもので,状況によって
,まったく別の配分値になります。
 なお,この図で,備蓄用10というのがあります。これは,
注意の枯渇を防ぐためのものです。これが,注意の持続を保証
しますし,また,いざというときのパワーの源泉になります。

*****
図2 注意の望ましい拡散分布
*****

 「あえて」拡散させるところが,自己モニタリングになりま
す。
 ところが,やっかいなことが,ここに一つあります。最初に
注意を集中することは自ら出来ますが,集中した状態に入って
しまいますと,我を忘れてしまうことがあります。その状態か
ら抜け出ることが難しくなります。したがって,注意の「能動的な」拡散が出来にくくなります。普通は,それほど極端な集
中状態にはなりませんから,あまり心配はないのですが,用心
するに越したことはありません。注意集中が全能ではないことを確認しておくことがとりあえず,必要です。その上で,我に戻れる仕掛け――定期的なアラーム,作業の随所での報
告など――を入れておく、仲間とのコミュニケーションを活発にする、といった工夫もしてみるとよいと思います。

7.3.4 備蓄用の注意をうまく使う

 人は慣れる動物です。仕事でも慣れてくれば,仕事に払う注
意は少なくてすみます。しかし,そこにエラーや自己の芽があ
ります。仕事に慣れてくればくるほど,注意の自己モニタリン
グが必要となります。

●慣れる
 仕事に慣れること(熟達)は,注意資源の有効活用には必須
です。
車の運転を考えてみてください。慣れてくれば,運転しながら
,ラジオを聞くことも,隣の人と会話をすることもできます。
 慣れることによって,何が起こるのでしょうか。慣れること
によって起こる3つの「ム」というのがあります。
 1つは,「無理なく」の「ム」です。
 ほとんど注意を払う必要なく,仕事ができます。したがって
,あまり疲れません。努力感もありません。
 2つは,「無駄なく」の「ム」です。
 初心者の振舞いには無駄がつきものですが,熟達してくると
,ほとんど無駄な振舞いはありません。一つ一つの振舞いが無
駄がないだけではなく,それらの流れにも無駄がありません。
すべてが仕事の達成に関係した無駄のないものになります。
 3つは,「むらなく」の「ム」です。
 量は少なくとも注意は定常的に払われていますから,仕事の
達成水準も,それほど変化しません。

●慣れが引き起こす不注意
 人は慣れることによって,注意資源を節約できます。節約し
た分を,新たなことを学ぶのに使うわけです。生き残りのため
の戦略(適応戦略)としては,間違っていません。
 しかしながら,慣れてしまった仕事がどうでもよいというこ
とではありません。その土台の上に、新たなものが築かれるの
ですから。ただ,注意にとっては,それが,あたかも使い過ぎ
て興味を失ってしまったオモチャのごとくみえてしまうようで
す。つまり,慣れてしまったものには,注意を注がなくなりま
す。それほど多量の注意を注がなくとも,仕事はスムーズにで
きますから,注意不足による問題が起こることは,ほとんどあ
りません。
 問題は,余った注意――備蓄用の注意(図2参照)――で
す。これがあまりたくさんになると,当面の仕事に「飽きてしまって」,仕事とは別のことをやりたい気持ちにさせるのです。
 「飽きる」という体験は,注意管理という観点から言うなら
,備蓄用の注意が多くなることです。人は飽きることを嫌いま
す。車の運転でも,飽きてくると危ないので,ラジオを聞いた
りします。ラジオを聞くことに注意を使うことで,備蓄用の注
意を少し減らすわけです。

●備蓄用の注意をうまく使う
 備蓄用の注意の使い方は,以外に難しいところがあります。
 使い過ぎてしまってゼロになってしまっても困りますし,溜
り過ぎて,やらずもがなのことをされても困ります。
 まず,仕事そのもののやり方を考え直すこともあります。
 慣れた仕事は,本人も周囲も,それほど大変な仕事という認
識はありません。したがって,「長時間,一人でも大丈夫」と
思いがちです。しかも,機械の導入によって,肉体的な疲労を
感じさせることがなくなっているだけに,こうした認識をする
のが,管理者も作業員も難しくなっています。しかし,注意管
理の点からは,こうした認識は危険です。
可能であれば、複数人で仕事をする
ようにする。あるいは,慣れたメインの仕事を妨害しないような副業を用意する、普通よりも多目の小休止を入れる
ような配慮が考えられます。
 注意の自己モニタリング上の配慮としては,注意配分にメリハリをつけることに尽きます。
 単調な作業が長時間続くなら,30分ごとに,注意を一時的にたくさん使ってみたり,逆に,ほとんど使わなかったりしてみるような状況を自ら作りだします。車なら,スピードを少し変えてみるといったような工夫です。さらに,ときどき,本来やるべきことを「仮想的に」やってみることもあります。
 点検作業なら,「もしそこに不具合があるとしたら」という仮想事態をときどき想定して,そのときどうするのかを考えてみるわけです。それによって,慣れからくる(使わないことによる)技量の低下や知識の不活性化を防ぐことができます。

7.3.5 テクノストレスに要注意

 新しい技術を使った仕事は,新しいストレスの種を蒔きます
。ここでは,コンピュータがもたらす過度の注意集中によるストレスへの対処を考えてみます。

●テクノストレスとは
 テクノストレスということばは,コンピュータの端末画(VDT)を見ながら長時間の仕事をしている人々にみられる慢性的なストレス状態を意味するものとして,使われました。
新しい技術が普及しはじめるときには,技術に慣れないために
,過度の緊張,過度の集中が必要です。そのために,いつもよりは,ストレスがたまります。このストレスは,新しい職場に入ったときに発生するストレスと同じ類です。
 しかし,コンピュータ相手の仕事には,単なる不慣れによる
ストレスだけでなく,慣れても――というより,慣れたがゆえ
に――ストレスをもたらす要因があります。それを表現するた
めに,テクノストレスということばが使われるようになりまし
た。

●テクノストレスは集中病
 コンピュータ相手の仕事がテクノストレスをもたらすのは,
コンピュータが,その使い手(ユーザ)をして仕事に「のめり
込ませる」特性を持っているからです。
 その特性とは,相互交流です。
 コンピュータは対話マシンと呼ばれることがあります。人と
コンピュータがことばや絵などの記号を媒介にしてやりとりし
ながら仕事をするからです。
 対話マシンですから,こちらの都合だけを優先させるわけに
はいきません。相手に合わせなければなりません。この気づか
いは,必ずしも苦痛ではありません。むしろ,楽しみでさえあ
ります。しかし,実は,そこにストレス地獄への入り口があり
ます。
 人は楽しいことには自然に集中します。時間を忘れて没頭し
ます。
そして,疲れを意識することもありません。本来なら,ある適
当なところで,ストップ・ルールが働いて,注意集中を止めて
休憩をとりたくなります。そして注意の備蓄をします。しかし
,疲労感がないため,このストップ・ルールが働かなくなりま
す。終わってみると,とてつもないストレス状態になっていた
,ということになります。これが,テクノストレスです。
 コンピュータを介した仕事に由来するテクノストレスは,高
度の認知活動への長時間にわたる過度の集中によるものです。
 認知活動というところが,もう一つやっかいなところです。
肉体労働ですと,疲れてくれば身体の動きが悪くなります。し
たがって,疲れを自覚できます。ところが,認知活動は,その
疲労を自覚させる表面的なきっかけがありません。みずから知
るしか手がありません。

●注意を解放する
 1点集中による認知活動の隘路に陥る危険性を避けるために
,注意集中からの解放の話を7.3.3でしました。基本的には,
そこでの話を繰返すことになります。
 すなわち,注意集中をしているときは,自己モニタリングが
できませんから,こうした状態からの解放は,自力では無理で
す。そこで,まず,そうした状態に入りそうな予想ができると
きには,事前に,そこから抜け出るきっかけを仕掛けておきます。
 なお,「注意集中が好ましいことではない」かのように思わ
れると心外です。注意集中は大切です。ただ,それも,あくま
で自己モニタリングのもとにおかないと不適切な事態がもたら
される可能性がある,ということを言いたいのです。

●もう一つのテクノストレス
 最近の作業の特徴の一つに,自動化された(コンピュータ化
された)システムを通しての作業があります。こちらのほうは
,今まで述べたこととは,逆のテクノストレスが問題となりま
す。つまり,注意の持続的な集中がしにくい状況での注意の自
己モニタリング,という2重拘束状態からくるストレスです。
 コンピュータ端末上の監視業務がその典型です。ほとんどい
つも正常,しかし,まれに起こる異常の兆候を見逃すと大変な
ことが起こる,というような状況です。極めて不自然な注意コ
ントロールを要求されるだけに,ストレスがかかります。
 こうした作業での注意の自己コントロールの要諦は,次の3
点に絞られます。
  ・注意レベルを中程度にしておく
  ・注意の変動の幅を大きくしない
  ・注意の備蓄が多くなり過ぎないようにする(7.3.4参照)

7.3.6 がんばっても集中できないことがある

 注意の自己モニタリングの話をしてきました。ここで今一度
,注意の自己モニタリングは万能ではないことを述べておきた
いと思います。日本人特有の心性である「ガンバリズム(がん
ばれば出来る)」と,注意の自己モニタリングとが結びつくと
,「がんばれば,注意は意のままになる」との錯覚を生んでし
まう恐れがあるからです。

●がんばる
 注意コントロールという観点から言えば,「がんばる」とは
,注意の状態があまりよくないときに,注意の能動的なコント
ロールを回復することに他なりません。たとえば,
  ・眠くなってきたから,がんばって,注意のレベルをあげ
   よう
  ・難しい作業なので,がんばって,注意を集中しよう
 いずれも,誰もがごく日常的に行なっている注意のコントロ
ール活動です。それだけに,誰もが出来て当たり前と考えがち
です。出来ないで事故を起こせば,責められます。

●日本人はがんばり過ぎ
 日本人の好ましい心性の一つに,ガンバリズム,つまり,「
がんばれば出来る」があります。仲間と別れるときのあいさつ
のうちで,最もポピュラーなものが,日本では,「がんばって
!!」です。ちなみに,アメリカでは,「take care of
yourself(自分を大事に)」あるいは,「take it easy(気楽にやろうよ)」です。
 がんばることは悪いことではありません。しかし,がんばり
は,持っている能力の120%くらいを出すわけですから,そ
れが,長期間にわたり持続することになれば,そして,そのが
んばりが外からの強制を伴うものであればあるほど,ストレス
になります。いつかは,心身のブレークダウンをもたらします


●注意の自己コントロールを最適化する
 注意の自己コントロールは,それを完璧に行なうことを目ざ
す,という考えより,それを最適化することを目ざす,という
考えのほうが,何かと好ましい結果をもたらすように思います

 完璧ということばには,どんな状況でも注意を完全に自分の
思いままに操ることをイメージさせるものがあります。それに対して,最適化には,状況に応じて,注意を自己コントロールすることがよいこともあるし,かえって,悪いこともある,ということをイメージさせるものがあります。
 注意の自己コントロールを必要とするのは,一日8時間
のうち,せいぜい,合計しても2時間にもならないのではない
でしょうか。というより,それ以上の長時間の自己コントロー
ルを要求するような状況があるとすれば,労働条件としては,
かなり無理があるといってもよいかもしれません。

●注意配分が自然に最適化される
 趣味に没頭しているときや,自分の内から駆り立てられるか
のようにして仕事をしているときなどには,人は,我を忘れま
す。注意の自己コントロールなどに意を配ることは,まったく
ありません。そして,多くの場合,これで,なんの不都合も生じません。
 逆説的な言い方になりますが,注意は,自己コントロールを
意識しないときに,最適な状態になっています。自己コントロールの必要性が意識されるのは,最適な状態から外れたときです。このときに,どうするかを,ここでは,いろいろと考えてみたわけです。
 ですから,注意の自己コントロールの最適化の王道は,
仕事へのモラールを高めることにつきます。
注意の自己コントロールの必要性を意識しなくともよいよう
な労働環境や条件を用意することが先決です。


7.3.7 注意コントロールも人によってくせがある

 注意系の活動のくせという観点から人を類型化する試みをし
てみます。自分をよりよく知ることは,自分をよりよくコント
ロールすることにつながります。

●注意の一点集中力と持続力に注目する
 ここでは,一点集中力と持続力に着目して,人を類型化して
みます。一点集中力についても,注意の持続についても,もは
や解説は不要と思います。
 この2つの観点を組合わせた,図3に示すような類型
を考えてみました。大学生を使って,この類型の妥当性をチェ
ックしてみたところ,だいたいうまく類型化できました。「一
発勝負型」と「泰然自若型」が,「試験勝負型」「気配り型」
より人数が多くなりました。あなたは,どの型に属するでしょ
うか。
****
図3 注意の特性から人を分類してみると
*****

 いきなりあなたはどの型に属すると思うか,と問われても,なかなか答えにくいという方は,遊び心で,図3をやって
みてください。それぞれの型の日常的な行動の特徴を考えて作
ってみたものです。

****
図4 注意特性による類型化をするためのチェックリスト/` 
****

●類型に応じた注意コントロールをする
 類型には,価値判断は入りません。どの型がよくてどの型が
悪いということはありません。ただ,問題は,作業状況によっ
て,ある型は不向き,ということがあることです。
 たとえば,一発勝負型は,長時間にわたる点検作業には不向
きです。気配り型は,一人だけの孤立した作業には不向きです

 どんな型の人も,ある程度までは,状況に合わせて注意系の
活動を自己モニタリングできます。しかし,それが自分のくせ
とそごがあるときは,無理が出てきます。無理が不安全行動に
つながります。
 王道は,
作業内容を注意系の活動の観点から分析して,それにふさわ
しい型の人を配置すること
です。しかし,現実の場面では,なかなか難しいと思います。
 そこで,注意モニタリングという観点から,作業の特徴を事前に知らせる。そして,不安全行動につながる不注意に注意を喚起する。
 さらに、組織上の配慮としては,いろいろの型の人からなる作業チームを作ることもあってよいと思います。

おわりに
 「注意1秒、怪我一生」というように、一瞬の注意管理不全がエラーや事故につながってしまう。
 本章では、やや変則的な形で、注意の自己管理力を高めるための方策と、注意管理に有効と思われる心理学的な知識を詳述してみた。両者が一体となってはじめて効果的な注意管理が可能となる。
 最後に繰り返しなるが一言。
 精神論,つまり,「心がけ一つでどうにでもなる」との考え
は,人を誘惑する。とりわけ,人生の成功者ほど,この誘惑
にとらわれがちである。「自分はがんばったからここまでこれたのだ」というわけである。自分だけでそう考えているなら,とりたてて問題はないが,それを人に押しつけると問題がある。なぜなら,どんな心がけをすればよいかが,まったく見当がつかないからである。せめて,本書に述べているような具体的な心がけ(注意の自己管理の方策)を提供しなければ,精神論は,スローガンに終わってしまう。

●注1 7.3で述べた内容は、(財)原子力発電技術機構 ヒューマンファクターセンター(所長;牧野眞臣)への報告書「ヒューマンエラー低減のための自己モニタリング技法」(1997)からの一部抜粋である。転載許可の快諾に感謝します。

●引用文献と参考文献
彦野賢 2003 「発電者現場における効果的な注意喚起方策---注意喚起方策の体系的整理の試み---」 働き人の安全と健康、4、8、71-73
Lindsay,P.H. & Norman,D.A.1977(中溝幸夫ら訳) 「情報処理  心理学入門ll注意と記憶」 サイエンス社
海保・田辺 1996 「ワードマップ・ヒューマンエラー---誤 り からみる人と社会の深  層」 新曜社
海保博之 1998 「人はなぜ誤るのか---ヒューマンエラーの光と 影」 福村出版
海保博之 1987 「パワーアップ集中術」   日本実業出版社