1983年の北海道ツーリングでのことだ。稚内から札幌に行く途中で富良野に寄ってゆくことにした。
当時の富良野は観光的にまったく無名だった。ガイドブックに富良野のページはないほどだ。『たびんぐ』という旅の情報誌にも、山と渓谷社がだした『トラベルJOY』にも記述はない。わずかにラベンダー畑が人口に膾炙されているくらいで、たずねる者もすくなかった。その富良野に行ってみようと考えたのは、ラベンダー畑を見てみたい気持ちが8割、TVで放映中だった『北の国から』の舞台にたってみたい気持ちが2割だった。
その富良野に着いたがラベンダー畑はない。もっと先なのかと進んでいく。富良野にはいったのは昼時をすぎた、食堂などが休憩時間になっているころだった。国道をゆくとログ建築の洒落た喫茶店があり、その店のまえの歩道にバイクを乗りあげているツーリング・ライダーがいる。対向車線だったが、急ブレーキをかけてハンドルを切り、歩道に乗りあげて彼のとなりにバイクをとめた。ただ同じツーリング・ライダーというだけで、すぐに友達になれるので、ためらわずにそうしたのだ。
「こんにちは。何をしているんですか?」
ヘルメットをとりながら話しかけると、彼もにこやかに答えた。
彼は関西の人だったと思う。バイクはアメリカンだったと記憶する。休憩中の喫茶店が夕方にひらくまで、あと4時間ほど、待つか思案しているところだそうだ。喫茶店をおとずれたツーリング・ライダーを店主が写真にとり、店のなかに飾ってくれるという。私も雑誌で読んだような気がしたが、せっかちで貧乏性のさがゆえ、4時間も時を無駄にしたくない。それに店内にはられた写真を、また見に来ることができるのかはなはだ疑問だ。次にいつここに来られるのか見当もつかないのだから。いろいろと話していると彼は言った。
「五郎の家には行きました?」
「北の国からの? いや、行ってないし、だいいちどこにあるのかも知らないのだけれど」
「富良野の駅から、砂利道を15キロばかり登っていったところですよ。急坂で、えらい道です」
「行ったんですか?」
「行きました」
「どうでした?」
「どうって、誰も住んでない小屋が、森のなかにポツンとたっていて、なかに撮影で使ったような、いろいろなガラクタが放りこんであるだけで……、行ってみます?」
「道は厳しい?」
「かなり」
「それじゃ、やめときます」
簡単にあきらめる私だった。道道でもない砂利道を、それも急坂を15キロも走るのはご免だった。どんなにひどい道か、想像がつく(当時の私はオンロード・バイクにしか乗ったことがなくてジャリ道は避けたかった。今では好んで林道を走っているのだから笑い話のようだが)。彼はその付近でナンバーをつけていないトラックを見たと言う。警察がくることも稀なので、車検なし、ナンバーなしで、私有地から公道まで走っていると言うのだ。
またそのころ北の国からの原作者で脚本家の倉本聡が主催する、富良野塾という演劇集団があった。この年はたしか二回生だったと記憶するが、彼は塾生から聞いたといって、倉本聡の人となりを語った。
曰く、ものすごく我儘で、塾生を人ともおもわぬ態度でこき使い、傲慢で鼻持ちならない、と。私がTVで倉本聡を見て感じていたのと同じ印象だった。それで、そうなんでしょうね、と相槌をうった。ただ、倉本聡の作品は『北の国から』はもちろんすべて見ているし、ほかの作品も気づけば必ず見たいとおもっている。倉本聡の人となりはどうなのか知らないが、昔から作品のファンである。2017年では、やすらぎの郷、を楽しんでいる。
彼は喫茶店があくまで待つと言う。待てない私は出発した。ラベンダーの時期ではないのかほかの花はあるが紫の花はない。一面にコスモスが咲いている畑があって写真をとる。それが冒頭の写真でほかに何もない富良野だった。
2001年。麓郷にて。燃えてしまった家だろうか。
現在は麓郷に石の家や拾ってきた家があり、最初の家も2006年に移築されて見物料もかかるようになっているようだ。何もなく、観光客もいなかったころの富良野の話だ。
『1983年の北海道ツーリング』もどうぞ。該当日は『何もない富良野、そして札幌の夜』
今日のランチは何にしようか。毎日のことなのでいつもの店は飽きてしまって、目新しいものにしたい。そこで思いついたのがお好み焼きだ。
赤鬼に入って黄色い看板にでていたサービスランチのお好み焼き720円をオーダーした。
席は長い鉄板の前のカウンターのようなところだ。テーブル席もあるがここのほうが調理のようすが見られてよい。そばかうどんをえらべるが何も言わなければそばで、それが正解だった。キャベツが山盛りだ。
10分ほどで手際よく作られたお好み焼きがやってきた。鉄板の上におかれるので冷めないのがいい。
お好み焼きは食べやすいようにカットしてくれる。
ボリュームがあり熱々。そばとキャベツがぎっしりだ。
マヨネーズはいらないがソースは少し足した。お好み焼きランチもアリだね。
☆5点満点平均3点で3,5点。
1983年の北海道ツーリングにて。神威岬を遠望する。白い矢印の下が神の岩。
1980年代に神威岬に道が通っていなかったのはご存知だろうか。当時は積丹半島を一周する道路もなく、積丹半島の北側は、神威岬の数キロ手前で道が途切れていた。現在の知床半島のような状態だ。道がなくて不便だったから積丹半島は観光的に人気がなく、神威岬まで行くのは物好きだけだったのである。
そのころ神威岬を見るには、行き止まりの駐車場にバイクをおいて、念仏トンネルという名のトンネルを抜けていったのである。トンネルは手掘りの狭くて真っ暗なもので、入ってしばらく行くと右に直角に曲がる。真っ暗闇なので手探りですすむと、更に左に直角に曲がって出口にいたるのだ。距離は30メートルくらいだったと思う。暗闇の中を行くのは心細いから、念仏を唱えながらいく、という意味でこの名になったと記憶している。暗い中で知らずに行き来する人の手や体がぶつかったりして、互いに悲鳴を上げたことなどもあったようだ。
念仏トンネルをぬけると前方に丘があった。どこが道なのかわからないような茫洋としたところを丘にのぼっていくと、草原が広がっていて、その数キロ先に神威岬と、岬の先の海中にたつ神の岩が見えたのである。
一帯は道がなく立ち入り禁止だった。ずっと草原だけが岬までつづいていた。ここはアイヌの聖地だから進入禁止とあり、女人禁制の土地だった。丘にはロープが張られていて、人が草地に踏み込むことを禁じていた。
そして神威岬の先の海中にたつ岩は、自然物とは思えないほど神秘的な魅力を放っていた。神の岩、と言われるが、たしかに神性を感じる。その神の岩から視線を外せなくなってしまった。まわりにいた2・3人の人たちも、動きを止めて岬を見つめていた。美術品に魅入られたことはこれまでもあったが、自然物に魅了されたのはこれが初めてだった。そして、これ以上神に近づいてはいけないのだと思ったものだ。そうしないと、神性が薄れてしまう、と。
念仏トンネルを知る人は少なくなった。トンネルはまだあるらしいが、崩落の危険のため通行禁止になっていると聞いた。
2001年の北海道ツーリングにて。神威岬まで道路はとおり、アイヌの聖地で女人禁制だった岬は開発されて、見る影もなく俗化してしまった。岬の先まで道ができてしまって観光客が出入りしているが、私は岬にある木の門までしか行かなかった。神に近づくべきではないのだと感じて。
羅臼にある熊の湯は旅人の憧れの秘湯ではなかろうか。知床の地に沸く野趣あふれる温泉と、観光案内などにかならず紹介されるから、ワイルドで明るいイメージを持っている人が多いと思う。
しかし、ここで不快な思いをした者は多い。現在は改善されたのかもしれないが、私がここをたずねた2001年前後は誠に評判が悪いのである。
2001年の北海道ツーリング。夕刻に熊の湯に行くと、若い男が5・6人湯船のまわりにぐるりと座っていた。地元の人間だ。そこに観光客の男性がひとりだけ含まれていた。地元の男達は含み笑いをしながら低い声で話し合っていて、観光客は居心地が悪そうだ。妙なことに誰も湯に入っていない。なんだか嫌な雰囲気である。服を脱ぎながら男達の会話を聞いてみると、湯が熱くて入れないらしい。熊の湯の源泉はとても熱い。だから水で埋めないと入浴できないのだ。その水のホースを男達が握っていて、わざと湯の温度を上げて、湯に入れない観光客が困っているのを見て面白がっているのだった。
なんというマイナス思考だろう。こんなに情けないことはする人間をはじめて見たし、これほど下劣なことは恥ずかしくてできないと思うが、その感性が彼らには欠けているのだった。観光客は熱い湯に無理につかってみたが、すぐに飛び出していってしまった。それを見てゴロツキどもは大喜びだ。
私もせっかく知床まで来ているので、ゴロツキどもの間に座り、湯に手を入れてみた。とてつもなく熱い。こんな湯には誰も入れない。私が湯に手をつけて引っ込めたのを見て、ゴロツキどもが笑いながら話しだす。
誰だよ、こんなに湯を熱くしたのは
悪い奴だな
入れたくないのさ、余所者を
余所者が困るのが楽しくてしかたがねぇ
熊の湯につからずに帰るのは嫌なので湯に入ってみた。先に帰った観光客の男性も同じ気持ちだったと思う。しかし瞬間的に飛び出した。そしてゴロツキどもは大笑いである。
こんなことが何度も何年も続いていたようだが、羅臼の人はそれを知っているのだろうか。こんな体験をしたのは、全国でも、羅臼、だけである。こんなに幼稚でひどい人間に会ったのも、羅臼、だけである。
羅臼野営場が無料だった頃の話だ。
HPより転載。2001年の北海道ツーリングでの出来事。該当日の変人とゴロツキもどうぞ。
しかし、ここで不快な思いをした者は多い。現在は改善されたのかもしれないが、私がここをたずねた2001年前後は誠に評判が悪いのである。
2001年の北海道ツーリング。夕刻に熊の湯に行くと、若い男が5・6人湯船のまわりにぐるりと座っていた。地元の人間だ。そこに観光客の男性がひとりだけ含まれていた。地元の男達は含み笑いをしながら低い声で話し合っていて、観光客は居心地が悪そうだ。妙なことに誰も湯に入っていない。なんだか嫌な雰囲気である。服を脱ぎながら男達の会話を聞いてみると、湯が熱くて入れないらしい。熊の湯の源泉はとても熱い。だから水で埋めないと入浴できないのだ。その水のホースを男達が握っていて、わざと湯の温度を上げて、湯に入れない観光客が困っているのを見て面白がっているのだった。
なんというマイナス思考だろう。こんなに情けないことはする人間をはじめて見たし、これほど下劣なことは恥ずかしくてできないと思うが、その感性が彼らには欠けているのだった。観光客は熱い湯に無理につかってみたが、すぐに飛び出していってしまった。それを見てゴロツキどもは大喜びだ。
私もせっかく知床まで来ているので、ゴロツキどもの間に座り、湯に手を入れてみた。とてつもなく熱い。こんな湯には誰も入れない。私が湯に手をつけて引っ込めたのを見て、ゴロツキどもが笑いながら話しだす。
誰だよ、こんなに湯を熱くしたのは
悪い奴だな
入れたくないのさ、余所者を
余所者が困るのが楽しくてしかたがねぇ
熊の湯につからずに帰るのは嫌なので湯に入ってみた。先に帰った観光客の男性も同じ気持ちだったと思う。しかし瞬間的に飛び出した。そしてゴロツキどもは大笑いである。
こんなことが何度も何年も続いていたようだが、羅臼の人はそれを知っているのだろうか。こんな体験をしたのは、全国でも、羅臼、だけである。こんなに幼稚でひどい人間に会ったのも、羅臼、だけである。
羅臼野営場が無料だった頃の話だ。
HPより転載。2001年の北海道ツーリングでの出来事。該当日の変人とゴロツキもどうぞ。
旅をつづけているといろいろな出来事に出会う。これは2005年の北海道ツーリングでのことだ。台風が接近して大雨になるのが必至の日のことだった。美深アイランドに泊まっていたが、層雲峡、糠平湖、足寄とつないだ先の、屈斜路湖まで移動することにした。
旭川にむけて南下しだすとすぐに雨が降りだした。層雲峡、三国峠と土砂降りの雨の下を行くとカッパがきかなくなり、ずぶ濡れになってしまうという、辛いツーリングになった。
足寄でカッパを買い換えて昼食をとり、阿寒縦断道路にすすんだが、濡れてしまった服は乾かないから不快だし、雨はとてつもない降りかたなので、途中にあったトイレのあるパーキングで休むことにした。こんな日だからほとんど交通量はなかったし、前後に車はいなかったのである。
パーキングには大型トレーラーと日産キャラバンがとまっていた。トレーラーの運転手は、大雨の中で荷物にかけてあるロープを締めなおしていた。キャラバンのドライバーは65くらいの男性で、小さなヨークシャー・テリアとトイレのひさしの下に、所作なさそうにたっていた。
なんでこんなところに立っているのだろうと思ったが、トイレに入り、服の状態を確かめた。洋服は乾くことはなく、濡れたままで、どうしようもない状況だ。このまま屈斜路湖までいって、宿泊地で着替えようと思った。
トイレをでるとキャラバン氏は犬といっしょにそのままたっていた。私もすぐに走りだしたくないので、キャラバン氏と話をする成り行きとなった。キャラバン氏は旅の好きな方で、若いころからバイクや車で放浪をしている人だったから会話は弾んだのだ。
いろいろと話した後で、この雨だからもう走るのが億劫になってしまい、ここに泊まろうかと考えている、とキャラバン氏は言った。車ならどこにでも宿泊できるからそれがいいんじゃないですか、と私。泊まれればいいんだが、とキャラバン氏。泊まれたら、と。
ロープを点検していた大型トレーラーがでていった。
ところで、とキャラバン氏が話題を変えた。
あなたがここに入ってきたときに、車は何台いました?
え? 車ですか、2台ですけど。キャラバンとトレーラーの。
キャラバン氏は少し沈黙した後で、
じつは、大型トレーラーの向こうに、赤い車がやってきて、女の人がおりてトイレに行ったんだが、いつまでたってもトイレから出て来ないし、車もいつの間にかなくなってしまって…‥。
?・・・・・・!
それは、と私。
一帯は山岳道路でカーブが連続しているから、事故は多いだろう。私は霊感はないがキャラバン氏はあるのかもしれない。この日の阿寒縦断道路はずっと土砂降りで、昼だが普通ではない雰囲気であった。
気がつかないうちに出ていったということはないよね? とキャラバン氏
ありません。ここに泊まるのは止めたほうがよいのではないですか、と私。
うん、とキャラバン氏。
私はすぐにここを立ち去った。
HPより転載。詳細は2005年の北海道ツーリング にあり。該当日のレポートは史上最悪のツーリング 台風の中幽霊まで
旭川にむけて南下しだすとすぐに雨が降りだした。層雲峡、三国峠と土砂降りの雨の下を行くとカッパがきかなくなり、ずぶ濡れになってしまうという、辛いツーリングになった。
足寄でカッパを買い換えて昼食をとり、阿寒縦断道路にすすんだが、濡れてしまった服は乾かないから不快だし、雨はとてつもない降りかたなので、途中にあったトイレのあるパーキングで休むことにした。こんな日だからほとんど交通量はなかったし、前後に車はいなかったのである。
パーキングには大型トレーラーと日産キャラバンがとまっていた。トレーラーの運転手は、大雨の中で荷物にかけてあるロープを締めなおしていた。キャラバンのドライバーは65くらいの男性で、小さなヨークシャー・テリアとトイレのひさしの下に、所作なさそうにたっていた。
なんでこんなところに立っているのだろうと思ったが、トイレに入り、服の状態を確かめた。洋服は乾くことはなく、濡れたままで、どうしようもない状況だ。このまま屈斜路湖までいって、宿泊地で着替えようと思った。
トイレをでるとキャラバン氏は犬といっしょにそのままたっていた。私もすぐに走りだしたくないので、キャラバン氏と話をする成り行きとなった。キャラバン氏は旅の好きな方で、若いころからバイクや車で放浪をしている人だったから会話は弾んだのだ。
いろいろと話した後で、この雨だからもう走るのが億劫になってしまい、ここに泊まろうかと考えている、とキャラバン氏は言った。車ならどこにでも宿泊できるからそれがいいんじゃないですか、と私。泊まれればいいんだが、とキャラバン氏。泊まれたら、と。
ロープを点検していた大型トレーラーがでていった。
ところで、とキャラバン氏が話題を変えた。
あなたがここに入ってきたときに、車は何台いました?
え? 車ですか、2台ですけど。キャラバンとトレーラーの。
キャラバン氏は少し沈黙した後で、
じつは、大型トレーラーの向こうに、赤い車がやってきて、女の人がおりてトイレに行ったんだが、いつまでたってもトイレから出て来ないし、車もいつの間にかなくなってしまって…‥。
?・・・・・・!
それは、と私。
一帯は山岳道路でカーブが連続しているから、事故は多いだろう。私は霊感はないがキャラバン氏はあるのかもしれない。この日の阿寒縦断道路はずっと土砂降りで、昼だが普通ではない雰囲気であった。
気がつかないうちに出ていったということはないよね? とキャラバン氏
ありません。ここに泊まるのは止めたほうがよいのではないですか、と私。
うん、とキャラバン氏。
私はすぐにここを立ち去った。
HPより転載。詳細は2005年の北海道ツーリング にあり。該当日のレポートは史上最悪のツーリング 台風の中幽霊まで
池袋の東口にある回転寿司店、若貴でランチをとった。このお得な看板にひかれて店に入ったのだ。寿司で650円は安い。表示は税別なので支払いは702円だ。
さっそく店内にはいってランチを注文する。玉子焼きを含めて12貫のランチ握りには味噌汁までついている。
味噌汁は甘めの味つけ。寿司は平凡だが値段を考えれば十分な内容でお値打ちだ。
あら煮216円もためしてみた。ブリのあらがごろごろと入っていて、これも甘い味つけ。あら煮もよいが、回転寿司店だから流れている寿司をとるのもアリだ。
若貴は池袋の東口に2店舗あり、サンシャイン通り店を利用した。夜には何度が来たが昼のランチははじめて。なお店名は往年の人気兄弟力士、若乃花と貴乃花からきている。
☆5点満点平均3点で3,5点。
車中泊でつかうと便利なポータブル電源を購入した。ポータブル電源は充電式のハンディ・バッテリーで、ここから電気をとって電気製品が利用できるものだ。
製品にはDC12ボルトの車載用のソケットが2個ついている。シガー・ソケットと同じように使うのだが、インバーターを接続すれば家庭用のAC100ボルトのものもつかうことができる。
じつはこの製品を買ったのは2度目だ。前の車、セレナにのっていたときにも大自工業のSG1000を利用していた。製品名も以前とおなじだが、作りはだいぶチープになっていた。以前の製品は前面にライトがついていたし、上部には家庭用のAC電源のコンセントがついていた記憶がある。価格はほぼおなじだが、かなりのコストダウンがはかられている。
カバーをはずすとこんな感じ。
側面には何もなくなってしまって、のっぺらぼうだ。
多機能な上位機種があるので、SG1000は割り切った作りになったようだ。
車中泊ではエンジンを切ったあとでカーナビでテレビを見たり、明かりや扇風機、スマホやタブレットの電源としてつかうつもりだ。セレナで使用していた電灯と扇風機がまたつかえる日がやってきた。
後記 じっさいに使ってみて
パーソナル電源の充電は家庭のコンセントで24時間以上かかる。そしてアイポットを稼動できるのは40分くらい。その後も電灯はつかえるが、それも1時間半はムリだ。家庭のコンセントでフル充電するのに24時間以上かかるから、車を走らせながら2・3時間充電してもほとんど使えない。こんな感じがじっさいの使用例である。1泊ならよいが、2泊目以降は使いものにならない。結果的につかうのはやめてしまった。
実業乃日本社のだしている林道ツーリングガイドブック2017~2018を購入した。今年も北海道に林道ツーリングにゆくので参考にするためだ。虹別林道やケモマナイ林道、美深歌登大規模林道やピヤシリ越林道などのよく知っている林道の記載もあるが、未知の林道の紹介もある。未走行の林道も開拓したいので、これから計画をたてるつもりだ。
尚、現在パンケニコロベツ林道、ペンケニコロベツ林道、幌加美利別林道、林道塘路線などが通行止めになっているとある。昨年通行止めだった美深歌登大規模林道は開通しているようだ。ピヤシリ越林道はまだ不通のようで、ピストン走行は可能とある。
北海道以外の林道の紹介もあるので読んでいてたのしい。1200円+税。
追記。
林道の説明にまちがいやわかりづらいところがある。思い込みや、著者だけがわかっていて、読む人につたわらない記述が多いから、注意が必要だ。
北海道の芽登糠南林道について。
上士幌町の国道273号線から道道486号線で林道にはいる場合。国道から道道に入り、大きなオメガカーブを過ぎると左手に鹿避けゲートがある、それが入口だ、と表記されている。これでは道道沿いに鹿避けゲートがあるように読める。じっさいはオメガカーブなど目印にはならず、道道にはいって4キロポストの直前に林道の入口がある。そこを入ってゆくと鹿避けゲートがあるのである。道道からゲートは見えないから私はここがわからなかった。
群馬県の栗原川林道について。
根利川にかかる金久保橋をわたると百名山の皇海山(すかいさん)登山口の案内がある。ここをすすめば林道の入口の鹿避けゲートに出るのだ。しかし本書ではY字を右にゆくように地図でしめされ、写真もでている。このY字などないのだ。ただ道なりにすすめばよいのに、このY字にまどわされてずいぶんと行ったり来たりをしてしまった。
毎年、自宅用と贈答用に利用している富良野のメロンがとどいた。赤肉メロンで贈り物にすると、ことのほか喜ばれるのである。
メロンは富良野の緑豊農場という農事組合法人の製品である。2001年に不況の最中に北海道ツーリングにでかけたのだが、その際に富良野の麓郷にある北の国からのセットの近く、石の家のそばで緑豊の売店と出会い、それからずっと送ってもらっている。興味のある方はHPの『2001年北海道ツーリング』、もしくはその5日目の『富良野に遊び十勝川に敗北す』をどうぞ。
2001年には驚くほど安かったが、その後少しずつ値上げしていて、今年の価格は1,5キロ以上のメロンひとつで2800円である。送料は別。この価格で富良野から赤肉メロンが取り寄せられるのはお値打ちだと思う。それに繰り返しになるが、贈答先からことのほか喜ばれるのである。メロンがとどくのを心待ちにしている人たちがいて、そのメロンを送れるのも、嬉しいことだ。