
3月20日土曜日にセローで秩父の舗装林道をめぐりにいった。この日は新潟県のかぐらスキー場にゆくつもりだったのだが、前日にセローに乗ってみるとあまりに気持ちがよいので、ツーリングに切り替えることにしたのだ。まず向かったのは埼玉県の山間にある湖、鎌北湖である。

農業用の湖との説明があったが、水は枯れていた。40年ほど前にここにあったユースホステルに泊まったことがあったが、そのころの賑わいはなくて、寂れた印象だ。最高気温は18℃になるとのことだが、寒いのでここでオーバー・パンツをはく。上衣は元々ウインター・ジャケットなので、これでちょうどよくなった。

鎌北湖の先から権現堂林道にはいる。

狭い舗装林道で、奥武蔵グリーンラインの顔振峠の下に通じているが、昔は登山道だったと思う。この辺りは自転車でずいぶんと走っているのだ。

この林道をジョギングしている人がたくさんいた。先々週の裏高尾もそうだったが、山道を走る人がとてもふえた。少し前はひとりもいなかったのだから、たいへんな変わりようだ。はやっているのだろうか。

林道は顔振峠につづく奥武蔵グリーンラインに合流した。

顔振峠をすぎて傘杉峠にいたる。グリーンラインは五つの峠をこえてゆくルートだ。

傘杉峠に通行止めの看板があるが、先にすすんでみた。

杉木立の林道をゆく。狭い山道を走るのは、軽くて小回りのきくセローにぴったりだ。それでこんな道ばかりを1日走ることにしたのである。

林道にいる数は、ランナーが10とすると、ハイカーが5、サイクリストが2、車とバイクは1、だった。

やがて通行止めについた。飯森峠の手前だ。他の通行止め地点も同じだったが、無線をやっている人がいた。行き止まりはやりやすいようだ。

来た道を引き返し、途中からグリーンラインをはずれて、高山不動に立ち寄ってゆくことにする。尾根から急坂をくだってゆく。駐車場にセローをとめたが、お寺まで500メートルほどの距離があった。

参道の石段がきつい。よくぞこんな山の中にお堂をたてたものである。

高山不動は平安時代の創建で、本堂は江戸時代の再建だそうだ。

境内には大銀杏がたっている。

高山不動から急坂の舗装林道をくだってゆく。どこにでるのかと思ったら、吾野のグリーンラインの入口までもどってしまった。この道も昔は登山道だったと思う。
グリーンラインの最後の峠、刈場坂の先の定峰峠方向にゆきたいので、国道299号線でグリーンラインの通行止め区間を迂回してゆく。正丸駅で休憩すると、駅の食堂がある。カレーや山菜うどんがあるが、ここでは情緒がないのでパスした。

正丸駅から刈場坂峠にのぼってゆくと霧がふかくなった。刈場坂峠には茶屋があったがなくなっており、きれいな駐車場がひろがっていた。

大野峠につくとあしがくぼに下ってゆくルートは通行止めだった。

大野峠から定峰峠方向にすすみ白石峠についた。

上の画像も白石峠だ。右にゆくと天文台があるがこの日はゆかなかった。左の定峰峠にすすむ。

通行止めの看板がでていたが、問題なく定峰峠に到着した。ここには昔ながらの峠の茶屋がのこっている。ここで昼食をとることにした。

店内は昭和そのものである。

肉うどんの大盛りをえらんだ。普通は720円で大盛りは900円。天ぷらうどんも山菜うどんも肉うどんも値段はいっしょである。うどんは手打ちだ。豚肉は甘辛く煮てある。素朴な昔ながらの家庭的なうどんで、今となっては他ではなかなか味わえないなつかしのテイストだった。

定峰峠にはサンシュユがさいていた。定峰峠は秩父方向が通行止めだった。昨年DR650できたときもそうだったのだ。あの時は北の粥煮田峠に迂回したから今回もそうすることにする。DRはエンジンの調子を落としていて、現在ショップで修理中なのだ。

定峰峠をくだって粥煮田峠にのぼるとこちらも通行止めだった。

道路が陥没してしまっている。

下におりてみると大規模に崩壊しているから、復旧には時間がかかりそうだった。

来た道をもどり、北の別ルートで秩父高原牧場にむかうことにする。

粥煮田峠よりもずっと広い道をのぼると牧場についた。

ふだんは動物と触れ合えるようだが、コロナのために休止中だった。

牧場をぬけて二本木峠を通過する。

波久礼に下ってゆくと名水100選の日本水があった。やまとみず、と読むようだ。この水を汲ませてもらって帰宅した。