2017年の3月。池袋西口の環七・土佐っ子ラーメンを利用した。昼の開店は11時45分からと変則的だ。開店と同時に入ったが、すぐに席は埋まってしまった。客はすべて男である。
この店は環七にあった土佐っ子ラーメンの従業員がはじめたと聞いたことがあるが、正確なところはわからない。その元祖土佐っ子ラーメンは閉店してしまって何年もたつ。私は環七の店に30年以上前からいっていたのだ。環七の店はラーメンとおにぎりしかなかったが、ここはいろいろとメニューがある。
おつまみメニューもあった。
注文したのはランチ・メニューのマル得Aセット。半チャンラーメンの750円だ。店内の注文はほとんどがこれだった。
待つほどもなく半チャンラーメンはやってきた。ラーメンには一面に背脂が降らせてある。ここのラーメンはこれがウリで、客はこれが食べたくてやってくるのである。
丼がベトベトだ。環七の店では丼は拭いていたから手で持つことができたが、ここは無理である。
初めてこのラーメンを見たら引くと思う。でも食べてみると美味しいのだ。背脂ギタギタだが、それはあまり感じられず、コクのあるラーメンを食べているような食感である。豚くさいにおいもない。具はチャーシューが1枚と茹で玉子のスライスにメンマと、構成はとてもシンプルだ。その中で背脂だけがドーンと主張している。
味は環七の店と同じだ。熱々スープにトンコツ・ラーメンの麺のような硬めのストレート麺。具も環七の店と同じで、ネギが散らしてあってアクセントになっている。
チャーハンは平凡だが、見た目よりも量はあった。
スープを飲むと体に悪いと思ってもやめられない。食べおえると満足感がひろがった。
以下は昔の思い出だ。
環七の店がなくなってどれくらいがたつだろう。7・8年か、それとも10年か。私が20才くらいのときに、友人に美味いラーメン屋があるから食べに行こうと誘われていったのが環七、常盤台の土佐っ子ラーメンなのだ。夜の10時すぎにいった記憶があるが、店につくとタクシーの運転手でごったがえしていて、15人は座れる店のカウンターの後ろに、3列の待ちができていた。つまり15人は席についてたべていて、その後ろに15人×3列の45人が待っていたのである。当時は背脂ラーメンなどなくて、はじめて食べたときには美味しいのか不味いのかさえもわからなかった。とにかく時代に先駆けた、革新的なラーメンだった。1980年代の話だ。
列に並ぶときに注文を聞かれて金をはらい、色のつけられた割り箸をうけとった。その割り箸が食券代わりで、席につくと割り箸を自分の前におけば、ラーメンがでてくるシステムだった。何回か友人と車を走らせて食べにいったが、やがてゆかなくなってしまった。
それから何10年かたってたずねてみると店は以前のままにあったが、客足はぱったりと途絶えていた。経営者が変わったりしてゴタゴタがあったらしい。いろいろなラーメンが登場して、時代に取り残されてもしまった面もあるのだろう。名前も土佐っ子ラーメンではなく、屋台で創業した当時の場所からとった最初の屋号、下頭橋ラーメンになっていて、その由来が書かれた紙が壁に貼ってあった。そしてその下頭橋ラーメンもいつの間にかなくなってしまった。
でも池袋の西口には当時と同じ味とスタイルのラーメンを出す店が存続しているし、常盤台の住宅地には土佐っ子ラーメンがたちあがっている。埼玉県の戸田にも流れをくむ、下頭橋ラーメンもある。味は受け継がれているのだ。このラーメン、時々無性に食べたくなる。見た目は悪いがまだ通用すると思う。