●だんじりと布団太鼓の古い絵図
地車や布団太鼓、屋台の古い絵図は、なかなか残っていませんし、残っていても19世紀後半ころのものが多いです。ところが、「摂津名所図会」には寛政八年(1796)~寛政十年(1798)の成立で、今で言う大阪市内のだんじりと布団太鼓の祭の様子がえがかれており、当時の様子を知る貴重な資料と言えます。そこで、その絵を見ると意外なことが見えてきました。
今回はだんじりと布団太鼓に携わる人々を見ていきます。
●布団太鼓もだんじりも、動く絵画展
動く美術館と言えば、祇園祭などの山車の祭を指していうことがありますが、この当時は、絵画を地肌に施している人、刺青を入れている人が、布団太鼓を担いだり、だんじりを引いたりしていました。
1布団太鼓
↑欄干下を担いでいます。
↑暑い夏の祭。川の水で顔を洗おうとしています。
↑軒先で一休み。履いているのは足袋でしょうか。
2だんじり
だんじりのほうにも刺青を入れた人はたくさんいました。
↑棒を担ぐ?押す?人、はやす人、どちらも楽しそうです。7人中5人が刺青です。
↑ひく人の中にも刺青を入れている人がかなりの割合で混じっています。
猛暑の中、何を食べているのかは、ずっと下です。
◯刺青を入れている人の持ち場
◯刺青を入れている人の持ち場
刺青を入れている人が見られたのは、布団太鼓では担ぎ手として、だんじりではひき手としての参加している人に限られていました。逆に言えば、だんじりの上に乗っている人、家の上で見物している人は、服を着ているからかも知れませんが、見られません。
こうして見ると、江戸時代なだけに、身分の区別があった影響も見られます。しかし、祭という場においては、その身分を超えて、お互いに笑顔で楽しんでいる様子も見られます。
それは、見物する側の旦那衆が、担ぎ手やひき手に何かを振舞っていたからとも言えます。
それは、何だったのでしょうか。
●振舞われる◯◯
なにが、振舞われていたのかを見るために
ずっと下を見てください。
1布団太鼓に振舞われていたもの
↑の絵の右上部分を拡大したのが、下の画像です。
緑の□内では家の奥さんらしき人と担ぎ手が、談笑しています。黄色の◯の人達は、どうぞこちらで休んでくだされと言わんばかりに手招きをしています。
そして、赤い□の中では旦那らしき人が用意しているのは西瓜・スイカです。お盆のスイカを美味しそうに食べていますね。
2だんじりにも
だんじりにもスイカがふるまわれていました。その様子は↑の絵を拡大した下の画像を見るとわかります。
子どもも頑張ってお茶を出すお手伝いをしています。美味しそうにひき手の人たちはスイカを頬張り、一人は食べながら引いている人もいます。
スイカを振る舞う横は、旦那さんとその仲間たち?が豪華な部屋で見物しています。そこに親しげに話しかける笑顔のひき手と笑顔で返す旦那さん。身分を超える一面がこの時から祭にはあったのかも知れません。
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