●コロナ禍中の屋台運行自粛
コロナ禍で安全のために自粛を余儀なくされる今年の祭。しかしその中でも、飾りつけをして太鼓を鳴らすなどをしている屋台やだんじりがありました。管理人は運行など人が集うことに関しては反対の立場です。特に、飲食を伴う集まりは、危険を伴うことは最近の阪神の福留選手の感染などをみても、否定はできません。
一方で、感染の危険にハラハラしつつも、他所で地車や屋台を出したり、太鼓をならす鳴らしたりする映像を見ると、じいんと来てしまうのは、祭好きの一人だからでしょう。
このような中だからこそ、どのようなことを祈って人々は太鼓をならしてきたのかなどを考えてみたいと思います。
●摂津名所図会の文章から
神輿渡御の前に太鼓を鳴らして神をいさめるハ陰気を消し陽勢をまねくならハし也
ここでは、神輿渡御の前にならす理由としていますが、太鼓をならすことで「神をいさめ」、「陰気を消し陽勢をまねく」と考えられていたことがわかります。
戦後すぐ三木の町はおいうちをかけるように洪水に見舞われます。それでも明石町屋台が参道を練り歩いたのは、陽勢をまねくことを祈ってのことだとも言えるでしょう(参考:コタニマサオ『なんでもかんでも三木』神戸新聞社1989)。
新型コロナという陰気を、太鼓をならして消しさり、陽勢をまねかれることを願っています。
●迷信とは言えない?
太鼓の音の力で眠り子ども
もちろん、太鼓の音を聞けばコロナが治るとは言いません。しかし、あながち太鼓の音は人体にいいように作用するのではないかと思うことがあります。三木の祭関係者は毎年一回は、ドンドンと大音量でなる太鼓を聞きながら欄干に乗っている子どもが眠りかける姿をよく見ると思います。
人を心地よくさせる何か、勇気づける何かが太鼓にはあることを我々は経験的に知っています。太鼓の音が戦争と洪水でうちひしがれている人を勇気づけたと言われると、我々は容易に想像できます。敗戦と洪水に打ちひしがれた三木の町を勇気づけた時のように、別所長治公を思わせる若人たちが、世界一の明石町の太鼓を再びならす時、陽勢が盛り返すこととなるでしょう。
編集後記
なんとか、太鼓の音を聞きたい。でも、危ない。今年の感染対策、出したところの様子を映像で見る限りではまだまだ不備があるように思えます。
①ものを口に入れる前の手洗い消毒
②マスクは不織布、上にバフとか鉢巻をまくと医療用程度になるという報告もあり。
そこまでせんでもゆうくらいやってちょうどいいくらいだと思います。
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