久しぶりの投稿になります。
今は6月になろうというのに、本ブログでは未だ2月号。年末には取り戻せているでしょうか。
さて、今回は久しぶりの投稿となります。その間に志染御坂神社の祭り関係者のみなさまや、各神社の御神職の方にはご厚情を賜りました。その中で、祭への取り組み方、熱い想い、そして伝承の難しさなどを感じることができました。本当にありがとうございました。
一方で、社会的な立場がおありでありながらも、祭文化の研究の必要性をあまり認識していないなと感じる方にもお会いしました。そこで、祭文化を知ることの重要性について、あらためてここで指摘したいと思います。
●「祭休めず会社辞める」屋台・だんじり文化
以前紹介したブッキーランキンさん(清児地車、レゲエ歌手)とあいはら雅一さん(下野町地車、吉本興業、メッセンジャー)の歌にあるように、祭の日に仕事休めず会社を辞める人は普通にいました。または、就職の第一条件が祭の日は休みたいという人もざらにいます*。そこまで、多くの人々の心を捉えて話さない日本文化というのは、他に例をみません。
*例えば下のような例が20年ほど前にありました。
・高卒後、祭を休めず仕事を辞めた。その後、社員の祭と田んぼの都合は最大限尊重するという会社に転職。
・塾講師の面接の第一条件に、祭を休むこと
ここまで、人の心を捉えて離さない文化の研究なしに、日本文化や歴史を語ることは出来ません。
●まつりに反映するもの
「まつり」の字には祭、祀、纏、政などがあります。
もとは生贄をなんたらという意味だそうですが、にぎやかな「祭」、神さまへの祈りなどに重点がおかれたニュアンスがある「祀」、まといなど幟などににたものを意味する「纏」、占いや祭、祀によってその国の方針を決める「政まつりごと」。
このように字義を見るだけでも、「まつり」には「社」会が反映されていることが分かることと思います。
また、下のように逆に祭や屋台を見ることで、その社会を見ることもできます。
1 花(ご祝儀)・・・経済状況
2 何をどこでどう祭るか・・・当時の政の考え方や、ムラ、マチの考え方
3 屋台や神輿本体・・・当時の技術や産業、上の 1、2
民俗学ができた当時は、屋台は多くは新しい文化でした。よって、民俗学者や歴史学者がその研究に重点をおくことはほとんどなかったようです。
しかし、今となっては、絶対に外せない分野となっています。
●屋台文化保存のために
そして、なによりもこれらの文化が継承される際に、美術的な価値、民俗学的な価値を知らないままに祭をすることで起きうる損失は計り知れません。
痛みが激しく、時代の流れで変質せざるを得ないのが、祭の常ですが、何を残して何を残さないのかの選択のための資料提供が、祭研究の大きな役割と言えそうです。
●編集後記
思うところがあり、今回は原点に戻った記事となりました。
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