本記事中神名は、神社の由緒書に従いました。
●波太神社
大阪府阪南市波太神社は櫓の宮入りで知られています。管理人が訪れた2019年8月25日は山中渓櫓の新調入魂式でした。ですが、今回はまずその神社の平常時の↑の石の秘密などについて話していきます。
Google 波太神社の地図へ
●特殊な拝殿
90年程前に建てられたという拝殿は特殊な形をしていますが、中心と左側に注連縄がかけられています。それぞれの奥に本殿と末社があり、の違う建物の祭神を一つの建物から拝めるようになっています。
●特殊な拝殿
90年程前に建てられたという拝殿は特殊な形をしていますが、中心と左側に注連縄がかけられています。それぞれの奥に本殿と末社があり、の違う建物の祭神を一つの建物から拝めるようになっています。
この形式は、すぐ隣の鳥取神社と鳥取戎神社にも通じます。
↑波太神社拝殿。左が末社用、中心が本社用。
↑向かって左が鳥取戎神社用の門、右が鳥取神社用
●本殿
本殿と末社は共に三間社流造の同形式で、拝殿の真ん中の門の奥の本殿は寛永十五(1638)にできたそうです。三間社に向かって右の祭神は、波太宮である角凝命でこの辺りを治めていたといわれる鳥取氏の祖神です。中心は二神の境目となっており、左側が指ケ森神社の西沢だった八幡神・応神天皇になっています。この本殿は、国指定重要文化財となっており、その理由は、建築の見事さだけでなく、同様の建築物が末社にもあるからだとおっしゃっていました。
↑左側八幡神・応神天皇、中心を開けて、鳥取氏の祖先神・角凝命
●末社
拝殿向かって左側の門の奥には、本殿八幡宮・応神天皇の母と臣下である神功皇后と竹内宿禰が両脇に祭られています。そして角凝命の孫である天湯川板拳命が中心に祭られています。鵠(くぐい)にふれて30歳にしてはじめて言葉を始めて発した応神天皇のために、天湯川板拳命は鵠を捕まえて献上します。この褒賞として天湯川板拳命は、鳥取の姓を賜ったそうです。
つまり、本殿と末社でつながりがあるのは、建築様式だけでなく、祭神同士にもあったということです。
●長方形の敷石の役割
やっと本題です。
様々な伝承を持つ波多神社の長方形の石は何のためにあるのでしょうか。
答えはずっと下です。
地元の方は朝の散歩でこのように石の上に立って頭を下げていました。
では、この視線の先には何があるのでしょうか。下の映像の文字をクリックしてください。
映像
頭を下げるのは鳥居、そしてさらにその奥にある本殿でした。
現地の方に話を聞いたところ、神社に出入りする時にこのようにして頭を下げる方が高沢いらっしゃるそうです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます