●長崎県東彼杵町坂本浮立
長崎県東彼杵町には坂本浮立と呼ばれる伝統芸能があります。見出し画像(長崎県教育委員会、東彼杵町教育委員会『長崎県指定無形民俗文化財「坂本浮立」s53.h7復刻)や下の映像を見る通り、太鼓を主体とした芸能です。
この芸能の起源として、おおよそ次のような内容が伝わっています。東彼杵町の歴史民俗資料館の展示を参考にしました。
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万治三年(1660)佐賀県藤津郡岩井川内の三根恵市左衛門秋次が「外山流一伝記」の巻物とともに坂本郷の岩崎十兵衛 山口五郎兵衛に伝えたのが始まり
巻物のおおよその内容は下のようなもの
仲哀天皇は百済新羅国が八つの顔を持つ獅隣という悪鬼を先頭に九州に攻め込んできた。天皇は討伐するも獅隣の首のおこす悪風で病気、死亡。
神功皇后に「三韓征伐」の遺言をのこす
神功皇后は天照に「異邦に勝ちて帰朝せば神楽略して囃子仕えるべし」と御願をたて出陣。
戦勝して凱旋し、御願成就で神楽を略した囃子を奉納したのがはじまり、坂本神楽浮立の由来となる
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坂本浮立は神功皇后の三韓遠征にまつわる芸能が起源と言えます。
●では「車楽(だんじり)」の起源譚は??
題名では、坂本浮立の成立譚は「だんじり系伝承」としています。そこで、あらためて何度もこすっただんじり成立伝承を見てみましょう。
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浜松歌国(1776〜1827)の「摂陽奇観」には
「河内国古市郡応神天皇陵、誉田祭、卯月八日にも出る。これは神功皇后三韓退治の御時、磯良の神、住吉の神など船にて舞いたまふをまねびけるとぞ。(中略)およそ上代の遺風なるべし、これ車楽(だんじり)のはじまりと誉田の村民はいふなり」
とあり、車楽(だんじり)は船の上で行われた「芸能」が起源だということが伝わっています。車楽という書いて「だんじり」と呼ぶ言葉は車両の上での芸能を意味していたようです。
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このとおり、「だんじり」は何らかの芸能を意味していたことになるというのが、前回の記事のないようですが、『摂陽奇観』の内容を見ると、こちらは、「神功皇后三韓退治の御時、磯良の神、住吉の神など船にて舞いたまふをまねびける」とあり、道中、凱旋の違いはあれど、神功皇后三韓遠征に由来した芸能であることは共通しています。
こうしてみると長崎県東彼杵町の坂本浮立は、だんじりのないだんじり系伝承と言えるでしょう。
しかし、多くの人に理解しやすく分類するのであれば、「三韓遠征による芸能成立譚」という分類の中に、「誉田八幡車楽(だんじり)成立譚」も「坂本浮立成立譚」も入ると考えるのが無難です。
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