さて、ここでは、太平記のムカデ退治伝説についてさらに考えていきたいと思います。
はじめは、ムカデを退治した藤原秀郷という人物を「太平記」の中で追ってみましょう。
藤原秀郷は、10世紀前半に起こった平将門の乱を平定した人物として知られています。その平将門の乱を平定した際の逸話が、「太平記」の朝廷に逆らった者の事例を挙げた「日本朝敵の事」という段に残っています(諸本により、書かれていないのもあります。)。
その将門の乱の逸話の内容は下のようなものになります。
朱雀天皇の時代、承平五年、将門は東国の相馬の国に都をつくり、自らを「親王」(「将門記」では「新皇」)と称しました。
官軍はこれを討ち取ろうとしましたが、将門の身は鉄身であり、矢も剣も効かないといいます。
皆で話し合った結果、比叡山延暦寺で鉄の四天王像を安置し、四天合行の法(密教の法の一つ)を行いました。それが功を奏し、天から白羽の矢が一本飛んできて将門の眉間に刺さったのです。そして、最後は俵藤太(藤原秀郷の別名)に首をとられてしまったのです。
さて、その首はさらされていたのですが、三月たっても変色せず、眼も開いたまま。夜になれば、「俺の体は何処だ!? その体と再び会わせて、もう一戦交えようぞ」と叫ぶのです。この声を聞いた人は恐怖でおののくのでした。
ある日、道行く人がこれを聞いて、
<将門は米かみ(体の「コメカミ」。俵藤太の俵とかけている。)よりぞ斬られける 俵藤太の謀(はかりごと)にて>
と読みました。
それを聞いた将門はからからと笑い、ついに息絶えてしまったのです。
さて、聞くからに恐ろしい怨霊の話、ですが、先ほどのムカデの話と似てますよね?
1 ムカデも将門も俵藤太に倒される。
2 ムカデも将門もはじめは、身が硬く、矢や刀が効かない。
3 ムカデも将門もまじない(ムカデの際の唾の吐きかけは呪いの一種と考えられる。)により、倒すきっかけを得る。
4 ムカデも将門も眉間への矢が致命傷となる。
5 ムカデの話は無限の米から俵藤太の名前の由来となり、その俵藤太が将門の米かみを斬る。つまり、双方とも米と藤太が由来となる。
6 ムカデの話は、その後の退治の褒美としてもらった赤銅の突き鐘を三井寺に寄付している。一方将門の話は、四天王の鉄像を延暦寺に安置している。三井寺(寺門派総本山)はも延暦寺(山門派総本山)も天台系二大宗派の総本山である。つまり、ムカデの時も、将門の時も、鉱物の仏具を天台系の総本山の寺へ奉っている。
といったところでしょうか。このように、「太平記」での「ムカデ」は、将門を象徴しているといえるでしょう。
この説は、何処からか出版された「太平記」の注釈に2,3行程度で書かれていたことをおことわりしておきます。
はじめは、ムカデを退治した藤原秀郷という人物を「太平記」の中で追ってみましょう。
藤原秀郷は、10世紀前半に起こった平将門の乱を平定した人物として知られています。その平将門の乱を平定した際の逸話が、「太平記」の朝廷に逆らった者の事例を挙げた「日本朝敵の事」という段に残っています(諸本により、書かれていないのもあります。)。
その将門の乱の逸話の内容は下のようなものになります。
朱雀天皇の時代、承平五年、将門は東国の相馬の国に都をつくり、自らを「親王」(「将門記」では「新皇」)と称しました。
官軍はこれを討ち取ろうとしましたが、将門の身は鉄身であり、矢も剣も効かないといいます。
皆で話し合った結果、比叡山延暦寺で鉄の四天王像を安置し、四天合行の法(密教の法の一つ)を行いました。それが功を奏し、天から白羽の矢が一本飛んできて将門の眉間に刺さったのです。そして、最後は俵藤太(藤原秀郷の別名)に首をとられてしまったのです。
さて、その首はさらされていたのですが、三月たっても変色せず、眼も開いたまま。夜になれば、「俺の体は何処だ!? その体と再び会わせて、もう一戦交えようぞ」と叫ぶのです。この声を聞いた人は恐怖でおののくのでした。
ある日、道行く人がこれを聞いて、
<将門は米かみ(体の「コメカミ」。俵藤太の俵とかけている。)よりぞ斬られける 俵藤太の謀(はかりごと)にて>
と読みました。
それを聞いた将門はからからと笑い、ついに息絶えてしまったのです。
さて、聞くからに恐ろしい怨霊の話、ですが、先ほどのムカデの話と似てますよね?
1 ムカデも将門も俵藤太に倒される。
2 ムカデも将門もはじめは、身が硬く、矢や刀が効かない。
3 ムカデも将門もまじない(ムカデの際の唾の吐きかけは呪いの一種と考えられる。)により、倒すきっかけを得る。
4 ムカデも将門も眉間への矢が致命傷となる。
5 ムカデの話は無限の米から俵藤太の名前の由来となり、その俵藤太が将門の米かみを斬る。つまり、双方とも米と藤太が由来となる。
6 ムカデの話は、その後の退治の褒美としてもらった赤銅の突き鐘を三井寺に寄付している。一方将門の話は、四天王の鉄像を延暦寺に安置している。三井寺(寺門派総本山)はも延暦寺(山門派総本山)も天台系二大宗派の総本山である。つまり、ムカデの時も、将門の時も、鉱物の仏具を天台系の総本山の寺へ奉っている。
といったところでしょうか。このように、「太平記」での「ムカデ」は、将門を象徴しているといえるでしょう。
この説は、何処からか出版された「太平記」の注釈に2,3行程度で書かれていたことをおことわりしておきます。
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