●ボストン美術館所蔵の浮世絵展
兵庫県立美術館で2022.9.10から11.20まで、|| ボストン美術館所蔵 THE HEROES 刀剣×浮世絵 -武者たちの物語という特別展示がおこなわれました。
今回はその中の、鳥居清光作、宇治の橋合戦を題材にした絵について、「あれ?」ということがあったので、それについて書いていきます。
●宇治の橋合戦
まずは、平家物語(リンク先122コマ目*)で、筒井浄妙の橋合戦のおおよその内容をみていきましょう。
多数の平家の軍勢と宇治川を隔てて戦うことになった、僧兵の筒井浄妙。人一人しか通れない狭い橋の上で、最前線にて死を覚悟しながら戦います。
その最中に、同じく僧兵の一来法師が、「悪しう浄妙」といって浄妙を飛び越えて、最前線にうってでました。一来法師は戦死、浄妙はなんとか生きて平等院にもどった
というところまで、管理人は読みました。そのあと、浄妙がどうなったかはウィキぺdアなどでしらべてください^^
●一来法師が浄妙を飛び越える平家物語
「平家物語」では一来法師が浄妙を飛び越えていました。展示されていた絵のうち、一点は名前がありませんでした。北尾重政による天明七年(1787)の作品です。
一方、鳥居清満による宝暦五年~十三年(1755-1763)頃の作品では名前が書かれています。しかし、よく見ると、飛び越えている上側が浄妙、飛び越えられている下側が一頼(来)法師となっています。つまり、平家物語が指し示す場面とは上下が逆になっています。では、なぜこのようなことがおきたのでしょうか?
●古典の読み違い??(管理人妄説)
さて、上のリンクにある平家物語の本文を引用してみます。
「一来法師という大力剛の者、浄妙坊が後ろに続いてたたかいけるが」
「浄妙房が甲の錣(しころ)に手をおきて、悪しう候浄妙坊とて肩をつんど跳り(おどり)越えてぞ戦ひける。」
太字でしめした「が」はこの時代の言葉では、所有をあらわす「-の」の意味になります。「我が故郷」の「が」は、「私の故郷」という意味で考えられるでしょう。
しかし、同時代のものと考えられる「化け物の嫁入り」という本では、「-ができます」と、現在と共通する主格の助詞としてつかわれています。「が」を今と同じ、主語につく言葉として平家物語を読むと、
しかし、同時代のものと考えられる「化け物の嫁入り」という本では、「-ができます」と、現在と共通する主格の助詞としてつかわれています。「が」を今と同じ、主語につく言葉として平家物語を読むと、
「浄妙坊が後ろに続いて戦う」ことになり、「甲の錣(しころ)に手をお」いた、誰が?、「浄妙坊が」ということになります。
このような、絵がかかれた江戸時代と平家物語が成立した時代の言葉の違いが、武者絵の逆転現象を生んだのかもしれません。
*永井一孝 校注『平家物語』(有朋堂、大正11)
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