月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

250.本朝高僧大名名言-一休宗純の正月の名歌など-(月刊「祭」2020.1月1号)

2020-01-02 23:38:00 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
新年があけました。今年1回目は一休さんの正月の名歌など、高僧と大名の名言(と伝わるもの)を紹介します。

●一休さんの正月の名歌と時世の言葉
「正月は(門松は)冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」
 本来ならめでたいはずの正月ですが、死に近づいているという意味ではめでたくないということみたいです。一休さんらしいとんちのきいた歌ですが本当に一休さんのうたなのかどうか真偽の程は定かではないそうです(参考サイト)
 たしかに今よく見る一里塚などは江戸時代以降のものがほとんどです。一休さんの時代に一里塚がはたしてどこまで身近なものだったのかがわかれば、歌の作者の真偽もわかるのかもしれません。
 いずれにせよ、今の時を大切にしたくなる短歌とも言えそうですね。

 さて、この一休さん時世の言葉、管理人は数ある時世の言葉の中でも、この言葉が一番好きです。たしか、偉人の時世の言葉を集めた本でも一休さんのこの言葉が、トリをかざっていました。

「死にとうない」

この世を去る人の本音でしょう。そうおもいながらこの世を去った人や動物は多々いるはずです。

●伝教大師最澄の名言
 これを見たのは2003年です。アメリカがイラクへの攻撃を決め、日本も自衛隊の後方支援を決めた時でした。当時は仏教界はこぞってアメリカのイラク攻撃に反対しているようにみえました。
 京都の寺院の前では宗派をあげて反対する旨の文章を掲げていました。我が母校の龍谷大学では、当時の学長であり管理人の指導教授でもあった僧籍の先生が、おそらく台本とはことなる言葉として、世界への寛容な目を持つことの大切さや暴力にうったえないことの必要性を熱く語ってくれました。
 そして、その時、天台宗の総本山である比叡山延暦寺が『伝教大師御遺戒』の文章を引用した冊子を発行していました。巻頭に書かれていたその言葉は下のようなものでした。

「怨(うらみ)をもって怨み(うらみ)に報ずれば怨み(うらみ)止まず
徳をもって怨み(うらみ)に報ずれば即ち怨み(うらみ)止む」

●別所長治公時世の句、二種類の歌
有名なほう
 三木の英雄別所長治公が、秀吉の城攻めにあい降伏し御自害なされた時の御歌は、大きく二種類のものが伝わっています。
 その一つは、若き青年君主が名君たる根拠ともなる有名なこの歌です。ちなみにこの心意気は各屋台の青年団長に受け継がれているように感じるのは、三木人の贔屓目でしょうか。
「今はただ 恨みもあらじ もろびとの
 命にかはる 我が身と思へば」
残念ながら、それでも秀吉は城内の人間を皆殺しにしたという説も出ています。ですが、この歌は広く歌われ、後世長治公や別所家は一つの「ブランド」として認識され、末裔と伝わる家は数多く残っています。
 また、この歌は武人の鏡として、軍人たちにも好まれていたそうです。

あまり知られていないほう
 江戸時代の地誌『播磨鑑』などには上の「今はただ-」ではなく、下のような歌が残っています。
 
 ながはると よばれきことは いつわりよ
 二十五年の 短き春に

 数え年25歳でこの世を去らねばならなかった長治公の切ない心情を歌ったものです。二十五年という短い春(生きている時間)を自らの「ながはる」という名は偽りだと嘆いています。
 この歌を潔くないものとして嫌うのは簡単ですが、若くしてこの世を去らねばならないのであれば、当然の心境でしょう。

●「今はただ-」を学ぶべき人、「長治と-」を味わうべき人

「今はただ-」は世界に比類なき名歌です。この心意気を日本を含め世界中の為政者たちは学ぶべきでしょう。
 しかし、今の若い人たちには、ぜひ、「長治と-」の歌を味わって欲しいものです。生きたくても生きられなかった人の無念に思いを馳せて欲しいところです。

 でも、日本を含めた多くの社会で、「今はただ-」を学ぶべき人が若者にそれをおしつけているように見えるのは気のせいでしょうか。


 


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