月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

338.加西市の日原大工?の作品とその傾向(月刊「祭御宅」2021.5月7号

2021-05-16 15:23:19 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-

 管理人が三木市吉川町若宮神社御先だんじり(屋台)の調査を依頼されたときに、祭とは関係ない周辺事項の調査(要するにオマケ)として提出したものをもとにして、この記事を作成しました。なお、日原大工の作品が加西市のどこにあるかは、全て、よかわ歴史サークル「吉川町の歴史 吉川の宮大工(日原大工)』から知りました。

 加西市上万願寺の東光寺と、三木市吉川の東光寺の二つの東光寺がこの記事では出てきますが、ここでは(加西市)東光寺、(吉川)東光寺と区別をつけることにします。

●日原大工

 三木市吉川町大沢を拠点に活動していた宮大工です。江戸時代の作品が三木市内だけでなく、近畿一帯に残っています。また、大沢は若宮神社の筆頭座ともいわれる大澤座の拠点です。日原大工の末裔の方にお話しをお伺いしたところ、宮座には入っていなかったそうですが、地元の若宮神社の楼門を作るなど、若宮神社の祭にも何らかの影響力を有していたと思われますが、管理人の調査では分かりませんでした。

●吉川近隣の日原大工の作品

 新しいもので18世紀で、19世紀のものは市内では見つけることが出来ませんでした。管理人が見いだした傾向では、欄干の擬宝珠に時代ごとに特徴がありました。ざっくり言うと、時代が古いほど葱の花のがくのようなものがついており、時代が下るほどがくのような物はなく、金具がついたものが多くなっています。

A(吉川)東光寺鐘楼堂 藤原朝臣日原左衛門尉光政 享保3年(1718)

B 淡河八幡神社本殿 棟梁大沢日原武兵衛 宝暦2年(1752)

●加西市の日原性の大工の作品

 (加西市)東光寺本堂 文化十一年(1814)、若一神社拝殿 天保十五年(1844)、下万願寺町八幡神社覆屋 安政四年(1857)、磯崎神社天保六年(1835)、千山寺本堂 文化四年(1807)と、加西市内で日原の名字をもつ建物は19世紀以降のものに限られていました。では、その作品はどのような特徴があるのでしょうか。

A 欄干

(加西市)東光寺本堂 文化十一年(1814)


下万願寺町八幡神社覆屋 安政四年(1857)


千山寺本堂 文化四年(1807)

上記の欄干を見ると、三木市内の18世紀までの丸い柱ではなく、四角柱の柱に角ばった擬宝珠が削り出されているという特徴がありました。

B 彫刻

そして、日原性の大工の作品かどうかは分からないのですが、同じ境内の別の建物は下のような彫刻のある建物が見られました。

千山寺 


磯前神社随神門


編集後記

 日原大工そのものについて知りたければ、現・三木市文化財保護審議委員会委員を務めていらっしゃる藤田均氏らを中心とする よかわ歴史サークル「吉川町の歴史 吉川の宮大工(日原大工)』2014 をご覧ください。三木市立図書館の吉川分館で見ることが出来ます。

 


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