日本語はもともとムカデを意味する言葉では「蜈蚣」が使われていた。だが、戦国時代以降の西洋の文化の流入により、ムカデは「百の足」であるということから、「百足」の漢字が使われはじめた。
との仮説を立てましたが、これとはどうも異なるようです。
「和名類聚抄」という10世紀の日本の辞典には、
「蜈蚣---中略---一名は百足」とあり、「ムカデ」が「百足」と書かれていたことが分かります。しかし、そこには「馬陸(ヤスデ)」もまた一名を「百足」というと書かれています。
中国の古い文献では、まだ見渡せたわけではないのですが、「百足」はヤスデ(馬陸)であり、ムカデ(蜈蚣)ではないようです。
ただ、ムカデとヤスデは非常に似ており、辞典などにおいても類似のものが順番に記述されるため、「本草綱目」のように、ムカデとヤスデが隣り合う場所に記述されることがかなり多かったと考えられます。
それによって、日本でムカデとヤスデが混同され、本来ヤスデのみに使われた「百足」の字を「ムカデ」にも使うようになり、それがやがて、清朝の時代に逆輸入され、それが当時の文献「説文通訓定声」に記述されたのではないでしょうか?
との仮説を立てましたが、これとはどうも異なるようです。
「和名類聚抄」という10世紀の日本の辞典には、
「蜈蚣---中略---一名は百足」とあり、「ムカデ」が「百足」と書かれていたことが分かります。しかし、そこには「馬陸(ヤスデ)」もまた一名を「百足」というと書かれています。
中国の古い文献では、まだ見渡せたわけではないのですが、「百足」はヤスデ(馬陸)であり、ムカデ(蜈蚣)ではないようです。
ただ、ムカデとヤスデは非常に似ており、辞典などにおいても類似のものが順番に記述されるため、「本草綱目」のように、ムカデとヤスデが隣り合う場所に記述されることがかなり多かったと考えられます。
それによって、日本でムカデとヤスデが混同され、本来ヤスデのみに使われた「百足」の字を「ムカデ」にも使うようになり、それがやがて、清朝の時代に逆輸入され、それが当時の文献「説文通訓定声」に記述されたのではないでしょうか?
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