月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

152.土産も有るかも!? ソウルメイン宮通りと東の仏教通り(月刊「祭」2019.8月7号)

2019-08-07 11:07:30 | コリア、外国
●ソウルのメインストリートは宮通り!?
ソウルのメイン通りと言えば、光化門(カンファムン・광화문)、景福宮(キョンボックン・경복궁)などの世宗大路(セジョンテロ・세정대로 )を思い浮かべます。地下鉄光化門駅のギャラリーに展示されていた1550年に描かれた備辺司契会図(비병사계회도・ピビョンサゲフェド・비변사계회도)を見ると既に門前の大通りができていたことがわかります。

名だたる光化門、景福宮を北にしてその南に大通りができています。通りの両側には名だたる大企業が並び、その中央線にハングルを考えた世宗大王、文禄・慶長の役(壬辰倭乱・イムジンウェラン・임진왜란 、丁酉再乱・チョンユジェラン・정유재란)で日本軍と戦った李舜臣という二大英雄を軸線に置き威容を示しています。南に行くと徳寿宮(トクスグン・덕수궁)や南大門があります。
言わば、ソウル、朝鮮の王の宮通りともいえる様相です。
この通りの歴史は語ると長くなりそうなので、下の写真との掲載で省略します。

↑光化門の奥には景福宮があります。14世紀李氏朝鮮時代より建てられたが、文禄・慶長の役(壬辰倭乱・イムジンウェラン・임진왜란 、丁酉再乱・チョンユジェラン・정유재란)や韓国併合による破壊を通じて再建移築を繰り返しています。今、復元作業の最中だそうです。


世宗大王像 セジョン大路・세종대로の名前の元になった王。世宗王(1397-1450)は、訓民正音つまりハングルを制定した王として知られています。像の建立は2009年。






李舜臣像。 李舜臣は文禄・慶長の役(壬辰倭乱・イムジンウェラン・임진왜란 、丁酉再乱・チョンユジェラン・정유재란)で朝鮮水軍を率いて日本軍と対峙しました。




●そして東の通りは仏教通り!?
・郵政総局の通り
先述の世宗大路が宮通りに対して、仏教通りといる通りもありました。それが世宗大路の東側にある郵政局路(ウジョングクロ・우정국로)です。漢字を見たら分かるようにこの地で、郵政総局が1882年に設置されたことにより、この道路も名前が付けられたようです(同所案内板による)。

郵政総局だった建物。創設後間も無く甲申政変によってしばらく機能は停止したそうです。後には教育期間などに使用されたと案内板に書かれていました。

・大韓仏教総本山曹渓寺
この郵政総局が仏教通りともいえる様相を呈しているのは、曹渓寺(チョゲサ・조계사)があるからでしょう。この寺は案内板によると、覚皇寺を1937年に移転し、1941年に太古寺と改名たそうです。大戦後の1954年に仏教浄化運動を経て大韓仏教曹渓宗の中心寺院として曹渓寺と名前を改めました。
下の四天王門の写真の扁額に「大韓仏教総本山曹渓寺」と名乗るように、韓国首都中心部にあるまさに中心となっています。
盂蘭盆が近いからか、形や色も様々な提灯で飾られていました。韓国はどこの寺院でもこのような提灯をたくさん飾る風習が見られます。このような風習が巨大化したものが韓国では燃燈会(연등회・ヨントゥンフェ)となり、日本ではキリコねぶた灯篭流しに現れ、タイにも同様の風習があると聞きましたし、インドや中国にもありそうです。






このように綺麗にライトアップされていたので、観光客や外国の方もたくさんいらっしゃいました。その一方で大雄殿、つまり本堂では信者の方が熱心に頭を下げていらっしゃいました。そして、韓国の寺院に行くとよく感じることですが、圧倒的に女性の割合が多かったです。

下の写真をクリックすると、曹渓寺への道のりが分かります。



・曹渓寺近くに立ち並ぶ店
曹渓寺近くの通り沿いに目を向けてみると、有る特徴が浮かんできます。殆どが仏教に関係した店でした。写真と一緒に見ていきましょう。













仏教関係の店が立ち並んでいますね。今回管理人は夜に訪れたので、店には入っていませんが、こういう店にはお土産になる小物が多いものです。是非、メイン通りの少し東側、ミョンドンの少し西側にも寄ってみてください。

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