お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

わからん

2008年06月22日 | 仏教
 きょうは、組内のお寺では、ウチんちから一番遠い(車で30分の)K寺さんにて、組の仏教婦人大会がありました。
 仏教讃歌のコーラス会員含め、法専寺から女性12名でお世話になってきました。(K寺さん、ありがとうございました)(ウチの住職さんは、お留守番)
  
 さて、大会で、「救われるとは、どういうことなのか」というご門徒さんからの問いをテーマにお話がありました。

 ご講師のH住職は、こう言われた。
「結論から言いますが、わかりません

 誤解を招くかも知れませんが、生真面目なHご住職のお答えです。

 つまり、「さとり」のことも 「仏」のことも・・・「救われる」ということも自分の頭で理解しよう、という私たちの「はからい」によっては、
わかるわけがない・・・

 私が、どうこう言う前に「仏の救いの方が、先にある」

という意味でお話くださいました。

 「仏教」って、「わからん」ということが「わかる」(知らされる)ことなんでしょうね。


 ただ、私オバサンは、
「救われる」ってことが「わからん」というより、
 
 仏に気づかされること、つまり、わからんとわかることが、「救い」なんだと味わっています。
 わからんから、小賢しい自分の頭を 
 
 わからん(自分の理解を超えた真如の)仏に預けて

 「我が身を省みて恥じ」ながら、頭の下がる生き方をし・・・
 本当はどうでもいい「こだわり」から開放されて生きたら、ちっと楽に生きられるんじゃないか・・・

 それが「救い」なんじゃないか

 そう領解しているのですが・・・

 H住職さんには、私のは、「領解が足りん」 と、お叱りをいただくかなあ

 
コメント (3)
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