お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

生傷が絶えない

2008年10月17日 | 雑感
 腕白小僧でもないのに、最近、しょっちゅう、足に青あざをつくっております・・・
 先月は、居間の座椅子に足を引っかけて転倒 
 でも、それは屋内だから、まだよかった・・・
 今月は、
 大型店駐車場、買い物を終え、両手に袋を提げ、愛車(軽)に向かっている時、
自転車置き場の囲い(ガード)の切れ目、通路を通り過ぎるつもりが・・・
 通路だと認識した所は、低いガードが、つながっている箇所で、通路はなく・・・
 すねをひっかけ、公衆の面前で見事転倒 

 その時、お客様に出すショートケーキを大事に提げていたので
「ああッ ケーキがあ~ 
と、気持はケーキに集中。
 何事もなかったように起き上がり、一人、苦笑しながら車へ。

 結果、膝に見事な青あざ  

 母親の日々グレードアップするボケぶりに危機をもつ長女が、今年の私の誕生祝いに買ってくれたのが、「脳を鍛える大人のDSトレーニング」でした・・・

 あ、来客用のケーキは、どうなったかと申しますと、
 家族の分まで、多めに買っていたのが幸いして、一部崩壊、残りは大丈夫でした。
 崩れたケーキは、娘と私が美味しくいただきました。


 

 
 
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冥福を祈る

2008年10月16日 | 仏教
 お悔やみの時、そう述べる言うのが、常識のように使われる言葉が「ご冥福を祈ります」

 「冥福を祈る」は、「冥土での幸福を祈る」ってことですよね。

 「冥土」は(広辞苑によりますと)「死後の霊魂が迷い行く道。また、行き着いた暗黒の世界。黄泉」

 くりかえし、くどいようですが、浄土真宗では、阿弥陀如来の本願力によって、仏さまの心をいただいて、生きていた者は、亡くなると同時に、悟りの世界に生まれて仏と成る 教えです。

 悟りの世界(浄土)は、智慧の光で燦然とかがやく、明る~い世界

 阿弥陀仏の本願力で、煩悩の人間界から、悟りの浄土へ、ワープ、一っ飛び
 暗い冥土で彷徨っているヒマはありません。

 「冥福を祈ります」は、
 「あなたは、暗い冥土でウロウロしているだろうから、少しでもマシなように、私、あなたの幸せ祈っているわ~
と、言うことであって・・・

 智慧の仏と誕生された故人に対し、ていねいどころか、極めて失礼な物言いなのであります。

 今後は「冥福を祈ります」でなく「哀悼の意を表します」を使ってくださ~い。

 

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先に往った最愛の人々

2008年10月15日 | 仏教
 本願寺新報10月10号「みんなの法話」にて、広島のA寺ご住職M師が紹介されていた 中西智海師の詩です。

 人は去っても
 その人のほほえみは
 去らない
 人は去っても
 その人のことばは
 去らない
 人は去っても
 その人のぬくもりは
 去らない
 人は去っても
 拝む掌の中に
 帰ってくる
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バイオ燃料

2008年10月14日 | 雑感
 私は化学が無知なので(いや、何に関しても無知なので、「化学も」 と言うべきですが・・・)オバサンの素朴な疑問です。

 とうもろこし から バイオ燃料を作っているのならば、

 汚染米、

 それを焼却処分してしまうくらいなら

 「食用に向かない米」を使って、バイオ燃料を作ることができないのでしょうか

 
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バルーン大会

2008年10月13日 | 佐賀ネタ
 毎年恒例、晩秋の佐賀平野を彩る熱気球大会。

 今年は、10月30日~11月3日まで 

 佐賀市の嘉瀬川河川敷 にて開催されます。

 大会中は、会場直結の(長崎本線)臨時駅「バル-ンさが駅」が設置されます。

 くわしくは、「佐賀市観光情報」「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」で検索してみてください。 
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ご利益

2008年10月10日 | 仏教
 浄土真宗は、商売繁盛、病気治癒など・・・「祈願」する教えではないので、

「ふ~ん、じゃあ、『死んでからお浄土に往生して、さとりをひらいて、仏になる』という、死んでからの御利益であって、この世では何~の御利益もないのね~」と誤解されそうですが・・・
 
  蔵田了然師「門徒のたしなみ」本願寺出版社

p187にこう書かれています。

 「いのる(祈る)」ことは単純にいって、神仏に対して望むことを求めるということです。すなわち請求しなければ与えてくれないという神仏と人間の関係が一般宗教の構造といって過言ではありません。それに対して浄土真宗は神仏に「祈らない」希なる宗教です。それは阿弥陀仏よりすでに現世利益(われらの願い)が与えられているからです。与えられているのに請求することは無礼です。そこで言葉の表現においても「皆さんの健康を祈る」とはいわずに「念ずる」とか「願います」という言葉を使い、請求の言葉はつつしむのです。
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筑豊の炭坑王その2

2008年10月09日 | 雑感
 昨日の続きです。

 円徳寺さんにお参りさせていただいた後、飯塚市にある、炭坑王・伊藤伝右衛門氏の旧邸宅へ。

 旧長崎街道に面した、大きな庭園をもつ大邸宅。
 静かなたたずまいの中に、贅をつくした、すばらしい木造建築です。

 華族出身の歌人・柳原白蓮さんが伊藤伝右衛門氏の妻として10年間過ごした邸宅でもあります。

 ボランティアの方による親切なご案内・説明を受けて、うっとりと見学。
 白蓮さんは、どんな思いで、この庭園を見下ろしていたのだろう と思いつつ・・・。

 帰りは飯塚市街を通り、数年前の大洪水後、見事に再建された「嘉穂劇場」の前で写真をとり、帰路につきました。

 炭坑王と言えば、現総理のひいお祖父様も・・・

 飯塚の町では「祝・総理誕生」の垂れ幕や「太郎ちゃん饅頭」も見かけました~  
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筑豊の炭坑王

2008年10月08日 | 雑感
 組の坊守研修会で筑豊へ。

 まず、実家がお世話になっている直方の円徳寺さんへ。
 円徳寺ご住職から、直方の歴史と円徳寺さんについてのお話をいただきました。

 円徳寺さんの本堂は、貝島炭坑の貝島太助氏ご兄弟が、東本願寺本堂を手がけられた宮大工・伊藤平左エ門氏に依頼し、建立された立派なものです。

 これは、円徳寺さんに恩義を感じ、真宗の教えを歓んでおられた貝島太助氏のお母上のご遺志が結びついたようです。

 貝島4兄弟のご自宅にも、それぞれ、とても家庭の仏壇とは思えない、ミニ本堂のように大きく、それは見事なお仏間をお持ちだったようです。

 円徳寺さんのお内仏(お座敷の仏壇)は、貝島家の四男さん宅の仏間が寄贈されたものですが、それは、それは、すばらしい。

 貝島家のミニ本堂のような立派なお仏壇は、金持ちの証ではなく(贅沢な仏壇を自慢するためじゃなく)、
 そのお仏間で、ご講師を招いて法座を開き、仏法を歓ばれた、
 
 何にお金をかけるよりも、仏壇を家庭の中心に据え
 
 仏教を大切に生きられた証でありましょう。
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5年目

2008年10月06日 | 雑感
 親同士が友達、幼稚園から高校まで一緒だったCさんが急病で亡くなって早5年。

 昨年同様、今年も博多のCさんの姉上宅に幼なじみが集まって、H家お仏壇で私めが調声(お経あげ役)をつとめさせていただきました。

 いつもお世話役のYさんに、Eさん、Aさん、そして、9月末に東京から帰郷、お引っ越し間もないJさんが加わってくださってのお参りとなりました。

 いつも笑顔で、人のために尽くしてくれたCさん。来年は7回忌です。

 まだ、誰にも相談していませんが、来年は、佐賀まで友人有志に集まっていただき、法専寺で仏事。希望者は、佐賀の古湯か嬉野温泉一泊はどうかなあ~と、私一人勝手に考えています。
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気になるトゲが

2008年10月04日 | 雑感
 4月末のこと、夫が急病になる前日。夫の親友が「釣りに行った」と、見事な鯛を持参。
 その日は、夫が飲み会で夕食不要だったため、そのまま冷凍庫で保存。
 そして、夫の急病騒動。
 
 翌日、夕飯時になって、「冷凍庫に鯛があった」と、思い出し・・・
「夫が緊急手術直後に、家族で鯛を食べるのも変かなあ~」と思いつつ、大きな鯛をさばいていた私。
 
 夫の怨念か、鯛の逆襲か・・・鯛の何かが右爪の根元にグサッと刺さった。
 
 奥深く刺さったらしく、自分で針で取り出そうとしてもダメ。
 激痛ではないものの、指先の一番使うところだから、何をするにもあたって痛い。
 外科に行ったが、「そのまま様子見ましょう」と、相手にしてもらえず・・・
 よくも悪くもならぬまま4ヶ月が経過。

 皮膚科に行ってみたが、「切開しても何も出てこないでしょう」と言われて、抗生物質を与えられた。
 数回、通院したが、抗生物質を投与されるだけ。「まじめに、言われるまま、薬を飲んでは、体が悪くなりそう」とオバサン思い・・・
 夜寝る前、外用薬だけぬって、テープ巻いていた。

 その状態で、横浜行き。
 帰宅した途端、指の傷口から白いものが突き出ているのに気づく
 引っ張ってみたら、5ミリほどの鯛の骨が出てきた

 あれほど、何をしても出てこなかった骨が、あっけなく、スル~と

 飛行機乗って、高層ビルに登って、ハイな気分だったのか、一番の治療だったのか
 
 「ほら~、旅行の間、草取りや家事で、手を使わなかったのが、何よりよかったのよ~」と、家族に声高に言ったオバサンでありました。
 
  
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