保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

シリーズ京都を歩く。太古のロマン、保津川峡。

2005-05-31 17:48:24 | シリーズ・京都を歩く
保津川下りの最大の醍醐味といえば、有史以来から
形つくられた保津峡の深い渓谷美でしょう。

急で切り立った山肌に、濃い灰色をしたチャートの
層で造形された岩壁、山々を縫い激しく蛇行する
保津の流れは、地球創造の歴史を今に残しています。

現代地学的見解によると、今から約200~500万年前、
近畿地方の広い範囲を沈降させる地殻変動が起り、
たくさんの盆地が形成されたそうです。

その一つが保津川下りの出発点がある亀岡盆地で、
周囲を山々に囲まれていたことから、上流から流れて
来た水を貯めた一大湖となっていたのです。

当時は今の京都盆地も山城湖という湖だったらしく、
水は亀岡の湖から、今の保津川とR9号線の老ノ坂の
2ルートから山城湖に流れ込んでいた事が分かっています。

その当時の保津川の川幅は狭く、
水面の高さは現在流れている位置より
約80メートルも高い所を流れいました。

高く切り立った保津川渓谷の岩盤80メートル上から
太古のプランクトンの化石が多数発見されることが、
この事実を証明しているのです。

また、古くから伝わる「神話」の世界にも保津川渓谷の
興味深いじ記述が紹介されています。

太古の昔、この地方を治めていた出雲の神「オオクニヌシ」は
旧亀岡湖が一望できる山の頂に上がり、神々をお集めになり
「この山々を切り開いて、湖水を山背(京都)へ流し
新しい国・丹波を造ろう」と相談されたとあります。

オオクニヌシといえば、日本建国の元となった「国譲り」
を行った神様として有名ですが、丹波地方では、
今の亀岡周辺が出雲と大和両勢力の接点になった
と見られているのです。

そのオオクニヌシの国造りの一つ、保津峡の
谷間開削を手伝った神さま達を祀る神社は
今でも亀岡に残っております。

この様に、最先端科学の地質学と太古から伝わる神話の
共通点が重なり合うのも保津川渓谷のロマンを感じる
要素だと思います。

地球の生命力と古代の神話のロマンを満喫できる
京都最大の渓谷地・保津峡。
皆さんも是非、体感してみてはいかがでしょうか?