今月の4日、私達武道を嗜む者にとって
かなり興味のある話が舞い込んできました。
その話とは・・・皆さんご存知でしょう~
青森県西目屋村の白神山地付近の山中で、シンガポールから
来日した中国系武道家一家のお話です。
なんでも13人で来日した家族のうち男性3人が雪道に迷い込み、
5日未明に県警弘前署に保護されたのですが、その来日の理由とは
シンガポールで道場を経営していた武道家の父の遺言にあった
「青森の山中で修行する空手の伝承者に会い、秘伝書を譲り受けろ」
というものでした。
「その伝承者を探しているうちに道に迷った」という説明でした。
皆さんご無事で戻られてなによりでしたが、空手を修行する者として
「う~ん、今の時代にファンタジックで夢のある話でいいな~」
なんてのん気に構えてられない複雑な心境になりました。
そもそも武術を志す人には、常人では考えられない様な
超人的な技を極めたいという願望を持つロマンチックな
人が多く‘伝説の達人’秘伝書’などの話が大好きです。
自分も子供の頃、伝説の達人が山奥に住んでいるのでは?
なんて、本気で思っていた時期が確かにあったと記憶しています。
しかし、今、武道を修行してきた者としていえるのは
今回の様に魔法の様な秘術技を持つ人や秘伝書は
フィクションの世界のみで実在はしないということです。
しかしながら、海外にはまだまだ‘日本武道伝説’は根強く残っています。
海外の武術修行者の中には「指先で関節をバラバラにできる空手家」や
「触れずに相手が倒せる武術家」がいると本気で信じている人が多いのです。
これは実際に海外で空手修行した自分の経験からも確信します。
それほど空手という武術は今だ、神秘性を売り物にしているのです。
この様なことは同じく世界的に認知されている日本の武道「柔道」では
ありえないことで、「今、隠れた柔道の達人が山奥に住んでいる」
なんて言っても「じゃあ~オリンピックに出場したら~」って
言われるだけで誰も何の興味を示さないでしょう。
ここでも柔道と空手の成熟度の差を痛感させられます。
武道の現代的価値はそんな神秘にはないのです!
自分の考える空手、武道とは
流した汗で知る「人としての‘強さ’の探求」に他なりません。
それは神秘などが通る世界ではなく、けして痛い思いを
せずに瞑想して極められる世界ではありません。
地味で気の長くなる様な稽古の中で、どこまで自己と対峙
できるか、どこまで自分の‘弱さ’と真正面から向い合い
克服していくかということで身に付ける‘強さ’です。
そして、厳しい稽古の過程で、自分の体と心の長所や短所を知り、
それを見据えることで自分という人間を知るのです。
武道は「生きなければ!死ねない!」という生死を
賭けた戦いの中で、人しての‘強さ’を求め、
自分の‘命’を磨き輝かす修行なのです。
私はこれまで、内外で‘達人’と呼ばれる武道家との邂逅を得てきました。
皆さん、技はもちろん人間としても尊敬でき‘一流’といえる方ばかりです。
その「生きざま」に共感し、学ぶべきことがたくさんありました。
そして、この経験が自分にとっての‘秘伝書’であるといえるです。
かなり興味のある話が舞い込んできました。
その話とは・・・皆さんご存知でしょう~
青森県西目屋村の白神山地付近の山中で、シンガポールから
来日した中国系武道家一家のお話です。
なんでも13人で来日した家族のうち男性3人が雪道に迷い込み、
5日未明に県警弘前署に保護されたのですが、その来日の理由とは
シンガポールで道場を経営していた武道家の父の遺言にあった
「青森の山中で修行する空手の伝承者に会い、秘伝書を譲り受けろ」
というものでした。
「その伝承者を探しているうちに道に迷った」という説明でした。
皆さんご無事で戻られてなによりでしたが、空手を修行する者として
「う~ん、今の時代にファンタジックで夢のある話でいいな~」
なんてのん気に構えてられない複雑な心境になりました。
そもそも武術を志す人には、常人では考えられない様な
超人的な技を極めたいという願望を持つロマンチックな
人が多く‘伝説の達人’秘伝書’などの話が大好きです。
自分も子供の頃、伝説の達人が山奥に住んでいるのでは?
なんて、本気で思っていた時期が確かにあったと記憶しています。
しかし、今、武道を修行してきた者としていえるのは
今回の様に魔法の様な秘術技を持つ人や秘伝書は
フィクションの世界のみで実在はしないということです。
しかしながら、海外にはまだまだ‘日本武道伝説’は根強く残っています。
海外の武術修行者の中には「指先で関節をバラバラにできる空手家」や
「触れずに相手が倒せる武術家」がいると本気で信じている人が多いのです。
これは実際に海外で空手修行した自分の経験からも確信します。
それほど空手という武術は今だ、神秘性を売り物にしているのです。
この様なことは同じく世界的に認知されている日本の武道「柔道」では
ありえないことで、「今、隠れた柔道の達人が山奥に住んでいる」
なんて言っても「じゃあ~オリンピックに出場したら~」って
言われるだけで誰も何の興味を示さないでしょう。
ここでも柔道と空手の成熟度の差を痛感させられます。
武道の現代的価値はそんな神秘にはないのです!
自分の考える空手、武道とは
流した汗で知る「人としての‘強さ’の探求」に他なりません。
それは神秘などが通る世界ではなく、けして痛い思いを
せずに瞑想して極められる世界ではありません。
地味で気の長くなる様な稽古の中で、どこまで自己と対峙
できるか、どこまで自分の‘弱さ’と真正面から向い合い
克服していくかということで身に付ける‘強さ’です。
そして、厳しい稽古の過程で、自分の体と心の長所や短所を知り、
それを見据えることで自分という人間を知るのです。
武道は「生きなければ!死ねない!」という生死を
賭けた戦いの中で、人しての‘強さ’を求め、
自分の‘命’を磨き輝かす修行なのです。
私はこれまで、内外で‘達人’と呼ばれる武道家との邂逅を得てきました。
皆さん、技はもちろん人間としても尊敬でき‘一流’といえる方ばかりです。
その「生きざま」に共感し、学ぶべきことがたくさんありました。
そして、この経験が自分にとっての‘秘伝書’であるといえるです。