保津川下りの船頭さん

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無償の愛に満ちた‘親心’

2006-04-28 22:27:24 | 船頭の目・・・雑感・雑記
先日、TVニュースで中学1年の男子が
母親を刃物で切りつけるという事件を報道してました。

動機といえば「勉強や掃除しろといつもうるさく注意され
そのうっ憤が溜まって殺意を抱いた」というものでした。

そんな些細なことで、実の母親を殺そうとするなんて・・・

幸い一命は取り留められた様でほっとはしましたが、
被害者の親の気持ちを考えるとやりきれない悲しい気分になります。

私にはこのような事件を見聞きする度に、いつも思い出す話があります。


その話はある家庭の一人息子が主人公で、その息子はいつも親に
反発し、大喧嘩の末、親を殴り飛ばし家出をして自由に生きていた。

時は過ぎ、その息子も所帯を持ち、親の気持ちが少しは
理解できるような歳になっていた。

ある日、息子が仕事に成功し新居を建設した時のことだった。
庭に出てみると、家出して以来、会っていなかった父親が一人立っていた。

それまで父親ことは気にかけることもなく、音信不通状態だった。
若き頃の自分がどれだけ親不孝をしてきたか、理解できる年頃に
なっていた息子は思わず「父さん、長い間連絡もせずすまなかった」
「そんな所に立ってないで、さあ~中へ入ってくれ」と勧める息子。

その言葉に首を振りながら「いいんだ、お前、立派な家に住めるように
なりよかったな、お前は親不孝をしたと思っているかもしれないが
お前は私の子として生まれてきてくれた、それだけでお前は十分、
親孝行をしたのだよ」そして「これからもしっかり、元気でな」と
微笑みを浮べ話した。

「父さん!」と息子は叫んだ瞬間、父親の姿は消えてなくなった。
そう、その父親はすでに亡くなっていたのです。

なんとも不思議な話ですが、子供を思う親の強い慈愛を感じました。

多感な思春期の子の心の奥底には、普段は見えない
鋭い刃が隠れているものかもしれません。
その刃は時として自分の最も愛しい身近な者へ
向かう傾向にあるようです。

でも、幾ら裏切り傷つけられても、親というものは
いつまでも子供のことを心配し見守っている慈愛に満ちた
‘親心’を持つ存在であることをこの話は教えてくれています。

恐らくこの親子もいずれ必ず和解する時が来ると信じています。

昨日書いた幼い子供を狙う不審者もそうですが、
人間性崩壊の序曲が静かに聴こえて来そうな予感がする
昨今、社会だけでなく家庭でも優先される機能主義や
思考・行動を左右する経済原理を今一度見つめ直し、
新しい幸せの価値観を見出す必要性を強く感じます。

その幸せの価値観の基本となるのが‘家庭’そして‘親心’
であると信じているのです。