今、京都の桜が満開になり、まさに都の‘春爛漫’
そんな華やかさの影で散っていく花があります。
その花は・・・梅です。
「梅は咲いたか 桜はまだかいな」と昔の小唄にあるように
梅は春告草として、万花にさきがけて咲く花といわれています。
寒く厳しい冬の終りを知らせてくれ、春を運ぶ花・・・梅。
薄紅色や琥珀色した小ぶりでかわいい花が、寒さで悴んでいた
人の心に暖かい春の日差しを届けてくれ、大勢の人に愛でられる。
でも、人の心とは移ろいやすいもの。
桜が咲き出すと、人々の関心は一気に華やかな桜へと
移り、梅を振り返る人もいなくなる。
花の主役を桜に譲ってもまだ、梅は、万花咲く春という
華やかな季節の片隅でひっそりと咲き続けていたのです
多くの人が桜に心奪われる。
桜の圧倒的な華やかさと散り際の潔さが
人の心を感傷的にするのかもしれません。
私も若い頃は桜のような人生に憧れた。
華やかに咲き、潔く散る。
一度きりの人生、鮮やかで華々しく咲くが如く活躍し、
いつまでも老いの醜態を晒して生きていかない人生。
これこそ、価値ある生き方だと思っていた。
それに引き換え、梅の未練がましく醜いことはどうだろう。
一時はもてはやされたが、桜という格違いのスターの
登場で、簡単に主役の座を奪われ、薄情な人間の脳裡から
も忘れ去られ、咲く花を振り向く人すらいない。
色あせてもなお、いつまでも枝にしがみつき、
華やかな桜の横で、老体をさらけ出して生きている。
夭折の美学に惹かれる日本人には好みではないでしょう。
だが・・・桜の花の如く、清く潔い人生に憧れた
私も、今ではもう、とてもそのような
気持ちにはなれないと感じています。
というより、今では桜より梅の方が好きなのです。
自分一人の人生と思えば、桜の様な潔い人生は美しく
格好がいいかもしれませんが、守るべきものが
出来た人間には、その魅力は薄れていきます。
今の私には大切な家族がいる、そして大事な友人がいる。
少しでも長い時間をこの楽しき人生をみんなと歩いていたい。
格好悪くてもいい。情けなくてもいい。
醜いと言われようが、未練がましいと言われようが構わない。
梅の花の様に、いつまでもこの世にしがみつき、惨めに
老体をさらして生きのびても勝るものがこの人生にはある。
大勢の人のフラッシュを浴びながら、咲き誇る桜。
その隣で一輪、一輪と散りゆく梅の花を見ながら、
ふと、自らの人生をなぞらえた春の一日でした。
そんな華やかさの影で散っていく花があります。
その花は・・・梅です。
「梅は咲いたか 桜はまだかいな」と昔の小唄にあるように
梅は春告草として、万花にさきがけて咲く花といわれています。
寒く厳しい冬の終りを知らせてくれ、春を運ぶ花・・・梅。
薄紅色や琥珀色した小ぶりでかわいい花が、寒さで悴んでいた
人の心に暖かい春の日差しを届けてくれ、大勢の人に愛でられる。
でも、人の心とは移ろいやすいもの。
桜が咲き出すと、人々の関心は一気に華やかな桜へと
移り、梅を振り返る人もいなくなる。
花の主役を桜に譲ってもまだ、梅は、万花咲く春という
華やかな季節の片隅でひっそりと咲き続けていたのです
多くの人が桜に心奪われる。
桜の圧倒的な華やかさと散り際の潔さが
人の心を感傷的にするのかもしれません。
私も若い頃は桜のような人生に憧れた。
華やかに咲き、潔く散る。
一度きりの人生、鮮やかで華々しく咲くが如く活躍し、
いつまでも老いの醜態を晒して生きていかない人生。
これこそ、価値ある生き方だと思っていた。
それに引き換え、梅の未練がましく醜いことはどうだろう。
一時はもてはやされたが、桜という格違いのスターの
登場で、簡単に主役の座を奪われ、薄情な人間の脳裡から
も忘れ去られ、咲く花を振り向く人すらいない。
色あせてもなお、いつまでも枝にしがみつき、
華やかな桜の横で、老体をさらけ出して生きている。
夭折の美学に惹かれる日本人には好みではないでしょう。
だが・・・桜の花の如く、清く潔い人生に憧れた
私も、今ではもう、とてもそのような
気持ちにはなれないと感じています。
というより、今では桜より梅の方が好きなのです。
自分一人の人生と思えば、桜の様な潔い人生は美しく
格好がいいかもしれませんが、守るべきものが
出来た人間には、その魅力は薄れていきます。
今の私には大切な家族がいる、そして大事な友人がいる。
少しでも長い時間をこの楽しき人生をみんなと歩いていたい。
格好悪くてもいい。情けなくてもいい。
醜いと言われようが、未練がましいと言われようが構わない。
梅の花の様に、いつまでもこの世にしがみつき、惨めに
老体をさらして生きのびても勝るものがこの人生にはある。
大勢の人のフラッシュを浴びながら、咲き誇る桜。
その隣で一輪、一輪と散りゆく梅の花を見ながら、
ふと、自らの人生をなぞらえた春の一日でした。