一水会の鈴木邦男氏が去る11日に死去した。一つの時代が終わったのだと思う。70年前後に新民族派学生運動があった。日本学生同盟、全国学協、日本学生会議の三つがとくに知られている。
全国学協は生長の家の学生部が結成し、鈴木氏もそこの幹部であった。後に一水会を結成し、その当時は新々右翼という言葉まで生まれた。「現代の眼」にも執筆していたため、僕なども文章を読む機会が結構あった。
鈴木氏は書き手として優れていたために、ジャーナリズムに持て囃され、論壇の一角を占めるまでになった。彼の死を悼んで、リベラルや左翼の側の人間がツイートしているのは、交流関係の広さを物語っている。
しかし、ここ10年ほどは、鈴木氏の影が薄くなっていたような気がする。ネット民の一部による行動する保守運動は、時代が変わりつつあることを示した。瀬戸弘幸氏は今もその先頭に立っている。
鈴木氏の根本にあったのは、大アジア主義ではないかと思う。右翼というよりも、アナーキストという見方もあるが、見果てぬ大陸浪人の夢を追っていたのではないだろうか。日本学生会議の山浦嘉久氏もすでにこの世にはいない。これでラディカルな右翼の論客は姿を消すことになった。
反米を旗印にして体制を変革することは、もはや時代にそぐわなくなってしまったのだろうか。変革の論理としてのマルクス主義も墓場から復活することもありえない。危機は迫っており、私たちには、限られた選択肢しか残されていないのである。