草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

国柄に配慮しない「法匪」による民法改正を許すな!

2013年11月04日 | 思想家

 日本のエリートが駄目なのは、法律的知識をひけらかすだけで、きちんとした哲学がないことだ。これは日本の大学の設立過程からしてそうであった。明治になって帝国大学が誕生すると、すぐに手を付けたのが法の支配の重要性を学ばせることであり、そのために法律学がもっとも重視された。私学においてもそれは変わりがなく、ほとんどが法律専門学校としてのスタートであった。高山岩男も指摘しているように「法律的思考法の盛行とは、人間社会の運営に当たって法律的合理性に絶対的優位性をおき、法律に伴う形式主義に徹して健全な人間的常識が退くこと、一言でいえば法律万能の風が養われたことを意味するのであり、さらに国家政治の運営において法律的形式に囚われ、真実の意味の政治的叡智、政治的感覚が退化していくことを意味する」(『日本民族の心』)のである。それは明治から現在まで続いている日本の悪弊であるが、それを変えないから日本の官僚は駄目なのである。大学の法学部で哲学(経学・古典)なく、史学(世界史)なく、文学がない」と高山が嘆いていたのはその通りである。そして、そこに付け込んだのが単純なサヨク思想であった。日本を取り戻すならば、そこにも目を向けるべきだろう。今回の民法改正の動きにしても、杓子定規の法律論を一歩も出ておらず、日本の国柄や文化を踏まえた議論が乏しい。法律偏重の日本のエリートには、六法全書を暗記することしかできないのである。それでは現実の政治に対応できるわけがない。人心収攬、意思統合といった才能に秀でた指導者がいなければ、日本の危機は救うことはできないのである。

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