創作日記&作品集

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「恋するザムザ」村上春樹著~村上春樹の変貌~

2013-12-01 17:03:01 | 読書
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読み返している。とてつもなく面白い。この疾走感は尋常じゃない。三十年近く前の作品である。私は氏の長編小説(ノルウェイの森を除く)は全て読んでいる。ノルウェイの森は何度か挑戦したが何故か読み通せなかった。当然、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」も読んでいる。今回、読みながら村上春樹の小説は変貌していると強く思った。
○始まり
それは、氏が「コミットメント」を言い始めた時と重なっているように思う。一人称が三人称になって鮮明になったようにも思う。
○何が
テーマや主張が前面に押し出され、物語の疾走感が損なわれた。
○何故
文化人と小説家の二面性を持つことを氏はよしとしなかったと思う。ノンフィクション作品は二作品(アンダーグランド他一篇)で終わった。小説で「コミットメント」を表現しょうとしている。それが小説の面白さを削ぐことになっても。
○「恋するザムザ」
「恋するザムザ」は翻訳小説のアンソロジー「恋しくて」の最後にある氏の短編である。この短編にも上記の特色は明らかである。ザムザが虫から人間に変身する。そこに、せむしの若い女性が鍵の修理にやって来る。ザムザはその女性に恋をする。緊張のプラハの街で。それだけで読者は十分小説の世界に引き込まれるだろう。氏は最後にいくつかのアフォリズムを書き込む。それによって、物語の疾走感が損なわれる。まるで流れに逆らう杭のように。
○作家は戻れない
以上述べたことは氏本人が百も承知のことだと思う。だが、「作家は戻れない」。宿命だと思う。これで、村上文学がつまらなくなったとは思わない。一番好きな作家で、これからも読み続けたい。物語の疾走感を味わいたければ戻れば良いのだから。「読者は戻れる」。