50年以上の前、父の鮎釣につき合った時の思い出です。
家は大阪の駄菓子問屋で、番頭さんや丁稚どんなどの住み込みの店員が四、五人いました。
三男坊の私は大勢の同居人に紛れて目立たない子供でした。店主である父ともほとんど話をしたことがありません。
だから突然、「弘務、鮎釣にいかへんか」と言われた時はびっくりしました。
次の日、まだ暗い夏の朝、二人はでかけました。何も喋らず黙々と目的地に向かいました。
鶴橋で近鉄線に乗り換えて、着いた駅は室口大野。
父からつかず離れずついていきました。
川に着くと、早速父は友釣りを始め、わたしは河原で遊んでいました。
父から少し離れて、河原を飛び歩くと、巨大な岩に彫られた仏像に出会いました。
「えらいもん見つけた! ほかにもあるんちゃうか。探検や」
と探しましたが、あるわけがなく、父のそばに帰って、
「えらいもんあったで」
と言いましたが、聞こえていないのか、釣りに夢中で振り返りもしませんでした。
もう一度、磨崖仏を仰ぎ見ました。
「仏さんや。すごいなあ。誰が彫ったんやろ」
川から上がって帰り道に小さな食堂に入りました。
私はラムネを飲んだかなあ。
「何が釣れたん」
店の人が聞きました。
「鮎でんねん」
父が答えました。
「鮎がおるんけ。何処で釣ったん」
「下の川」
「へえ、鮎やて」
何人か寄ってきて、びくの中を見てびっくりしてました。
みんな口々になんやかやと言っている。不思議にこの光景は鮮明に覚えています。
父は地元の人も知らない魚を釣ったらしい。
家に帰って、磨崖仏のことをみんなに喋りましたが、誰も興味を示さず、
「三男のぼんがなんか言うてる」と無視。
最後には、磨崖仏は通閣の高さになっていました。
それからもう一度父とつき合いましたが、三度目は断りました。
父は一人では行かなかったと思います。
父と二人だけの思い出は、ほんの二つ三つ。
その一つに地元の人も知らなかった鮎釣と巨大な磨崖仏があります。
家は大阪の駄菓子問屋で、番頭さんや丁稚どんなどの住み込みの店員が四、五人いました。
三男坊の私は大勢の同居人に紛れて目立たない子供でした。店主である父ともほとんど話をしたことがありません。
だから突然、「弘務、鮎釣にいかへんか」と言われた時はびっくりしました。
次の日、まだ暗い夏の朝、二人はでかけました。何も喋らず黙々と目的地に向かいました。
鶴橋で近鉄線に乗り換えて、着いた駅は室口大野。
父からつかず離れずついていきました。
川に着くと、早速父は友釣りを始め、わたしは河原で遊んでいました。
父から少し離れて、河原を飛び歩くと、巨大な岩に彫られた仏像に出会いました。
「えらいもん見つけた! ほかにもあるんちゃうか。探検や」
と探しましたが、あるわけがなく、父のそばに帰って、
「えらいもんあったで」
と言いましたが、聞こえていないのか、釣りに夢中で振り返りもしませんでした。
もう一度、磨崖仏を仰ぎ見ました。
「仏さんや。すごいなあ。誰が彫ったんやろ」
川から上がって帰り道に小さな食堂に入りました。
私はラムネを飲んだかなあ。
「何が釣れたん」
店の人が聞きました。
「鮎でんねん」
父が答えました。
「鮎がおるんけ。何処で釣ったん」
「下の川」
「へえ、鮎やて」
何人か寄ってきて、びくの中を見てびっくりしてました。
みんな口々になんやかやと言っている。不思議にこの光景は鮮明に覚えています。
父は地元の人も知らない魚を釣ったらしい。
家に帰って、磨崖仏のことをみんなに喋りましたが、誰も興味を示さず、
「三男のぼんがなんか言うてる」と無視。
最後には、磨崖仏は通閣の高さになっていました。
それからもう一度父とつき合いましたが、三度目は断りました。
父は一人では行かなかったと思います。
父と二人だけの思い出は、ほんの二つ三つ。
その一つに地元の人も知らなかった鮎釣と巨大な磨崖仏があります。